原発事故の被害を一刻も早く終わりにしたい政府は、自主避難者への精神的賠償は3年半前の12年8月で打ち切り、仮設住宅の提供も来年(17年)3月で終了させます。
しかし10万人に及ぶ避難者たちに、行政側の一方的な取り決めで「もう避難する事由はなくなった」などと言ってみても何も解決しません。
第一住めないところから避難してきた自主避難者に、元の所に帰らせる権利は国にも町にもありません。
1ヶ月3万円の年金だけしか貰えない独居老人に、仮設の住居まで奪ってこの先一体どういう風に「暮らせ」というのでしょうか。
生活保護を受けるしか道は残されていませんが、そうなればそれなりにいろいろな制約が課されます。
また近年は申請の際に近親者の援助を受けられない証明を求められるなど、煩瑣で時間もかかり、その過程で当人が屈辱を味わう可能性も大きいです。
被害者を守るために、簡易に且つ迅速に申請が認められるようにする特例法などを国は考えるべきです。
国は、多分生活保護受給者が増えても原発避難者が見かけ上減ることを望んでいるのでしょう。
ご都合主義にもほどがあります。
河北新報のレポートを紹介します。
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<避難解除> 高齢者続く生活苦 古里戻れず
河北新報 2016年3月3日
東京電力福島第1原発事故の半年後に避難指示が解除されたにもかかわらず、古里に戻れず苦しい生活を続ける「自主避難者」がいる。福島県川内村の旧緊急時避難準備区域(原発20~30キロ圏)に住んでいた高齢者たちだ。東電の賠償金は早々と打ち切られ、避難先での生活再建にも踏み出せないでいる。
<収入は年金のみ>
2月7日朝、郡山市南1丁目の仮設住宅集会所。お年寄りがぽつりぽつりと集まってきた。高齢者支援のNPOが週2回開く「横丁市場」。野菜や海産物を市販の半値ほどで販売する。
村から避難する猪狩チヨコさん(86)は欠かさず顔を出し、買い物をする。「家計はだいぶ助かります。顔見知りもできたし楽しみ」
村では野菜を作り、直売所で売っていた。事故前に夫を亡くし、プレハブ仮設の1DKに1人で暮らす。
月10万円の精神的賠償(慰謝料)は2012年8月に終了し、現金収入は1カ月3万円の年金だけだ。自給自足に近かった村とは異なり、飲料水も買うような生活。NPOから月1回、コメの配給を受け、三春町に住む親族から野菜などを送ってもらっている。
半壊した村の自宅は傾いたままだ。戻って農業を再開するのも体力的に難しい。仮設住宅を出れば、仲良くなった友人と離れ離れになる。郡山市の仮設なら近くに大きな病院もあるので安心だ。
自主避難者への仮設住宅の提供は17年3月に終了する。猪狩さんは「できるだけここで暮らしたい」と願う。
<約100世帯に配給>
NPO代表の志田篤さん(67)によると、村から避難し、郡山市内の仮設住宅3カ所に住む約100世帯が配給を受けている。
村東部に残っている避難区域は今春にも解除される。村は住民帰還を促進しようと、複合商業施設や工業団地の整備を進め、引っ越し費用の助成制度も用意した。だが、志田さんは「住民の生活再建あっての復興だ。帰れない人がいることを前提に手当を講じるべきだ」と訴える。
猪狩貢副村長は「郡山市の仮設住宅は村より便利な場所にある。生活に慣れ、家賃が無料なら住み続けたいと思う人もいる」とした上で、「入居期限が近づくことしは、帰還するかどうか各世帯が判断する年になる。帰還を判断できる環境を整え、できる範囲でサポートしたい」と話す。(横山浩之)