中部電力は5日、浜岡原発3、4号機の再稼働の前提となる新規制基準への適合性審査を巡り、基準地震動を過小評価していた疑いがあると発表しました。中部電は2014~15年、規制委に3、4号機の審査を申請。約9年の審査を経て、23年9月に、原発の耐震設計の目安となる基草地震動を1200ガルなどとすることで規制委側から大筋で了承されました。
しかし規制庁がその根拠を求めると、実際には、まず「代表波」を1200ガル相当になるグラフを選び、それが20通りの平均に近いものになるように、残りの19の地震動を後から選んでグラフを作成しました。全くの捏造であったということです。
代表波を1200ガル相当にしたのはその値であれば現行の設備が「モツ」からですが、逆に言えば、それ以上の地震が発生する可能性があるので耐震性は不十分です。
この件は昨年2月に規制庁に外部通報があって明らかになりました(そもそも地震波の平均値を用いるのはそれが「最大の確率」になるからですが、基準地震動をそういう手法で決めていいのかも疑問です)。
元々浜岡原発はフィリピン海プレートが潜り込む震央地の地上に建っている世界一危険な原発として知られていて菅直人首相時代、福島原発事故後に真っ先に浜岡原発の運転停止が要請されて停止になったものでした。現実に敷地内には「H断層」が通っていてそれが活断層か否かが問題視されていました。
基準地震動の算出に当たり敢えて通常の手法を用いなかったのは、正式に算出すると現行の原発は地震に耐えられないという結果になるからです。それを誤魔化すために捏造データを用いたわけでそれの及ぼす害悪は計り知れません。
再稼動申請はスタートからやり直しになりますが、規制委は何よりもまず正確な「基準地震動」が得られるよう責任を持ってチェックすべきです。
以下に関連記事を紹介します。
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浜岡原発 想定地震 過小評価か 再稼働審査に「重大な影響も」
しんぶん赤旗 2026年1月6日
中都電社長が陳謝
中部電力の林欣吾社長は5日、名古屋市の本店で記者会見し、浜岡原発3、4号機(静岡県御前崎市)の再稼働の前提となる新規制基準への適合性審査を巡り、想定される地震の揺れ(基準地震動)を過小評価していた疑いがあると発表しました。同社は外部の弁護士で構成する第三者委員会を設置して原因などの調査を行います。
林社長は「(原子力規制委員会の)審査に重大な影響を及ぼす恐れがある。当社の原子力事業への信頼を失墜させ、事業の根幹を揺るがしかねない」と述べ、陳謝しました。
中部電は2014~15年、規制委に3、4号機の審査を申請。約9年の審査を経て、23年9月に、原発の耐震設計の目安となる基草地震動を1200ガル(加速度の単位)などとすることで規制委側から大筋で了承されました。
昨年5月から原子力規制庁による基準地震動に関する調査の連絡を受け、同社は計算方法を説明。同10月には規制庁から、同社の委託先が作成した資料の提示を求められていました。
同社によると、基準地震動を構成する地震波を算出する際、本来は震源断層から生じる複数の地震波の平均値を「代表波」としますが、実際には平均値とは異なる地震波を意図的に選び、代表波としていたといいます。
こうした操作は18年より前から、本社原子力土建部の社員複数人が行っていたといいます。結果的に基準地震動か小さくなる可能性があり、豊田哲也原子力本部長は「地震動を小さめにしたいという意図があっただろうと思う」と認めました。
浜岡原発を巡っては昨年11月、安全性向上対策工事の一部で取引先と正式な契約や代金精算の手続きをしていなかったことなどを公表。原子力本部長の伊原一郎副社長らが引責辞任しています。
中部電の審査不正、公益通報で把握 昨年2月に、対応協議へ 規制委
時事通信 2026/1/6
中部電力浜岡原発(静岡県)の再稼働に向けた原子力規制委員会の審査を巡り、地震想定に関わるデータが意図的に選定されていた問題で、規制委事務局の原子力規制庁は6日、外部通報がきっかけで昨年2月に問題を把握したと明らかにした。
規制委は7日の定例会合で対応を協議する。
同庁によると、原子炉等規制法に基づく公益通報制度により情報提供があった。同年5月から中部電側と面談を重ねて、事実関係の確認を進めたところ、同年12月に「不正行為があったと確認した」との説明があったという。
同庁は電力事業者などとのやりとりを原則としてすべて公開しているが、今回は情報提供者の保護や裏付け調査を慎重に行ったため、公表をこれまで控えたとしている。
"結論ありき”でデータ選定か… 浜岡原発・基準地震動の不正問題 揺れを“過小評価”の疑い 地元・御前崎市長「極めて深刻」再稼働の行方は混沌=静岡
静岡放送(SBS) 2026/1/6
中部電力が1月5日に明らかにした浜岡原発(御前崎市)のデータ不正問題。
予想される地震の揺れを過小評価していた可能性があり、安全性に根本的な疑問が投げかけられる中、地元からは「極めて深刻」などと厳しい声が上がっています。
■「平均値に近い波」を偽装
<御前崎市 下村勝市長>
「安全性に影響を与える極めて深刻な事態と認識している」
浜岡原発を抱える自治体からの怒りの声。発端は5日の発表でした。
中部電力の5日の緊急会見で明らかになったのは、静岡県御前崎市にある浜岡原発の安全をめぐるデータ不正。
再稼働に向けて原子力規制委員会の審査の過程で、設備の耐震設計の前提となる「基準地震動」を小さく見せようとしていた疑いがあるということです。
「基準地震動」は想定する最大の揺れを示す数値で、規制委員会の審査で策定が求められていました。
「基準地震動」の算出の過程で中電は、原発の近くで起こる地震の想定について、ランダムに20通りの地震動のグラフを作成し、その中から平均に最も近い波を代表波(だいひょうは)に選ぶと規制委員会に説明していました。
しかし実際には、先に「代表波」を意図的に選んだ上で、それが20通りの平均に近いものになるように、残りの19の地震動を後から選んでグラフを作成していました。
「地震に耐えられる施設だ」という結論ありきで、データを選び出していた疑いが浮上したのです。
<中部電力 林欣吾社長>
「平均値に近い波ではないものを代表波として、意図的に選定し、地震動を過小評価していたということを確認している」
■「頑張りどころ」があらぬ方向に向かったか
この不正は2018年から行われており、この頃ちょうど「基準地震動」の策定の重要な局面でした。
浜岡原発は2011年の福島第一原発事故を受けて全停止。その後、中電は3・4号機の再稼働を目指して審査が進められていましたが、2018年当時は敷地内や周辺の断層による地震評価をめぐり議論が過熱していました。
中部電力浜岡原発のデータ不正問題、再稼働を見据えた国への要望活動を取りやめ…関係自治体から失望の声相次ぐ
読売新聞オンライン2026/1/7
浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の再稼働に向けた原子力規制委員会の審査で、中部電力がデータを操作して説明した疑いがあると発表したことを受けて、周辺自治体が早期再稼働を見据えて今月下旬に行う予定だった国への要望活動を取りやめたことが、関係者への取材で分かった。関係自治体や県内経済界からは、失望や懸念の声が相次ぎ、影響が広がっている。(菱沼隆雄、榎田翔太)
「安全性と信頼性の確保」繰り返し発言
「これまで中部電力に、安全性と信頼性の確保を繰り返し発言してきた中、極めて深刻な事態であると認識している」
浜岡原発が立地する御前崎市の下村勝市長は6日、市役所で記者会見を開き、険しい表情で語った。下村市長は「エネルギー供給の観点から原発が重要であるという認識は今も変わっていない」としつつ、「大前提の安全性が揺らがないことが最も大切だ。地域の信頼なくして再稼働は難しい。御前崎市だけではなく、広い範囲から信頼される状況を作り出す必要がある」と強調した。
同市議会では近く、臨時の原子力対策特別委員会を開き、中部電から説明を受けるという。
要望活動は見送り
浜岡原発では年内にも審査に合格する期待が高かったために、原発から半径10キロ圏内の4市(御前崎、牧之原、菊川、掛川)で構成する「浜岡原発安全等対策協議会」(4市対協)は今月下旬、財務省などに対し、避難道整備に向けた財政支援に関する要望活動を行う方向で調整していた。
関係者によると、東名高速道路にスマートインターチェンジの新設などを求める予定だったというが、今回の発表を受け、当面の見送りを決めたという。
経済界から相次ぐ不安の声
早期再稼働を期待していた経済界からも、不安な声が相次ぐ。
県西部では、金融機関関係者が「原発への期待は製造業を中心に高く、(中部電も)原発のイメージアップに力を入れてきたのに逆戻りだ」と話した。ウナギ養殖関係者も「原発が再稼働されれば、電気代が安くなると期待していただけに残念でならない」と肩を落とした。
静岡商工会議所の幹部は「静岡県を含めた中部電力管内で、電力の安定供給に支障を来すことを危惧している」とコメントした。
藤枝市長「意図的な不正であれば、大きな裏切り行為」
浜岡原発から半径約30キロ・メートル圏内にある「緊急時防護措置準備区域」(UPZ)に位置する自治体の首長らからも厳しい意見が上がった。主なコメントは以下の通り。
藤枝市・北村正平市長「仮に意図的に不正が行われていれば、市民への大きな裏切り行為だ。(第三者委員会で)しっかり調査していただき、我々にも説明をお願いしたい」
島田市・染谷絹代市長「不正なデータ操作の事実があれば、中部電への信頼を根底から覆すもので遺憾に思う。再稼働の審査をやり直すことまで考えなければならないかもしれない」
掛川市・久保田崇市長「地域との信頼関係を失墜させる重大な事案。徹底的な調査を行い、結果がまとまり次第、掛川市や地域への説明を求める」
牧之原市・杉本基久雄市長「外部の目から見ても弁明の余地はない」
菊川市・長谷川寛彦市長「組織に対する信用をも失墜しかねない」
木原稔・官房長官「原子力施設の安全性の確保と事業者に対する国民の信頼性確保が大前提だ。安全性に対する国民の信頼を揺るがしかねないものであり、あってはならないこと」
中部電力“データ不正”は「耐震性を確保する上で最も重要」な審査項目 福島第一原発の事故後に“安全性”厳格化も…なぜ? 浜岡原発の再稼働審査は停止【大石邦彦解説】
CBCテレビ 2026/1/6
浜岡原子力発電所の再稼働審査で、中部電力が地震の揺れを小さく見せていた疑いがあることが分かり、再稼働をめぐる審査は停止されました。
“データ不正”は、原子力規制庁の担当者が「耐震を確保する上で最も重要」だと話す審査項目で行われていました。
(中部電力 林欣吾社長 名古屋・東区5日)
「原子力事業に対する信頼を失墜させ、根幹を揺るがしかねない事案である」
5日緊急会見を開き、謝罪した中部電力の林社長。静岡県御前崎市にある浜岡原発の3号機と4号機の再稼働審査の際、耐震設計の「基準地震動」について中部電力がデータを操作。意図的に地震の揺れを小さく見せていた疑いがあるということです。
原子力規制庁によりますと、去年2月に外部から情報提供があり、中部電力に調査の協力を要請していました。
■地元住民「あってはいけないことすぎて…」
浜岡原発の地元では…。
(御前崎市民・50代)
「安全第一ですから、あってはいけないことすぎて残念」
(御前崎市民・30代)
「この地域は原発も海もあって、地震となると皆さん不安なので、そこで不正があるとちょっと心配になる」
また、御前崎市の下村勝市長は…
(静岡・御前崎市 下村勝市長)
「安全性に影響を与える、極めて深刻な事態と認識している」
■中部電力が目指す“早期再稼働”が遅れるのは必至
問題の発覚を受け、原子力規制庁は去年12月22日以降、3号機と4号機の審査を停止していて、中部電力が目指す早期再稼働が遅れるのは必至です。
(中部電力 林欣吾社長)
「原子力部門の解体的な再構築も含めて、覚悟を持って自ら変えていくことが大事だと思っている」
中部電力は第三者委員会を設置し、詳しく調査する方針です。
■今回のデータ不正 ポイントは?
(大石邦彦アンカーマン)
原発の安全性に関わる、あってはならない問題が起きてしまいました。中部電力が浜岡原発の再稼働を早めるために、“データを有利に操作していた”と受けとられても致し方ないと思います。
浜岡原発は静岡県御前崎市にあります。2011年の福島第一原発事故を受けて稼働を停止していましたが、2014年以降再稼働に向けて4号機・3号機の審査を原子力規制委員会に申請していました。この審査の過程で、想定される地震の揺れを“意図的に小さく見せていた”疑いがある…というのがポイントです。
■最も重要な審査項目「基準地震動」で起きた不正行為
(若狭敬一アナウンサー)
原発の耐震性の評価に関わってきますよね。
(大石)
はい。再稼働に向けた審査は3つです。
(1)設置変更許可 (2)設計・工事計画 (3)保安規定
不正があったのは1つ目の「設置変更許可」の審査過程。福島の事故を踏まえて基準を強化・新設し、科学的な安全性がより厳しくなった中、想定される地震の揺れ「基準地震動」で問題が発覚しました。
原子力規制庁の担当者は「『基準地震動』は耐震を確保する上で、最も重要な審査項目。不正行為が行われたのは遺憾」とコメントしています。
福島原発の事故から15年。再稼働への焦りがあったのか。このデータ不正は地元への裏切り行為であり、全ての原子力事業の信頼を揺るがす事態といえます。
浜岡原発、想定地震を過小評価 中部電、審査不正疑い 再稼働の遅れ必至
産経WEST 2026/1/5
中部電力は5日、浜岡原発3、4号機(静岡県御前崎市)の再稼働の前提となる原子力規制委員会の新規制基準適合性審査で、耐震設計の目安として想定する揺れ「基準地震動」を意図的に過小評価した疑いがあると発表した。事実関係や原因を調べるため、外部の弁護士からなる第三者委員会を設置した。規制委は2025年12月22日以降の審査を停止し、「不正行為」と判断して今月7日の定例会合で今後の対応を議論する。審査合格と再稼働が遅れるのは必至とみられる。
中部電によると、審査会合では、基準地震動を策定する際、計算条件が異なる20組の地震動の中で、平均に最も近い波を「代表波」に選定すると、規制委に説明した。しかし、実態は意図的に代表波を選んでいた疑いがある。原子力土建部の社員数人が関与したとみている。
林欣吾社長は名古屋市で開いた臨時記者会見で「心より深くおわび申し上げる。原子力事業の根幹を揺るがしかねない。原子力部門の解体的な再構築を視野に入れる」と謝罪した。自身の進退については「今後、総合的に考えていく」と述べるにとどめた。
今回の問題は昨年2月、規制委への外部通報がきっかけで分かった。経済産業省は5日、電気事業法に基づく報告を中部電に求めた。
原発をなくす湯沢の会
私たちは『原発ゼロの日本』をめざし、柏崎刈羽原発の廃炉に向 けた運動に取り組んでいます。
2026年1月7日水曜日
07- 浜岡原発 想定地震を過小評価 再稼働審査に「重大な影響も」
2026年1月5日月曜日
原発新増設 建設中のリターン必要 次世代型も検討 九電・西山社長
26年の幕開けに毎日新聞が九州電力の西山勝社長に展望や経営方針を聞きました。
従来は原発1基(100万KWベース)5000億円とされていたものが、建設費の高騰や安全対策で建設コストは1兆円を超えそうだと率直に語っています(最終的に電気料に転嫁されるので全て国民の負担になります)。
中国はこれまで再生エネの活用に努力した結果 現在既に発電能力は常用分の2倍量に達していて、世界で唯一AIデータセンター用の電力が楽々賄えているということです。
原子力ムラの利権(原発優先)のためにこれまで再生エネの伸長を抑えてきた経産省の責任は重大です。
「小型モジュール炉」は一つのアイデアですが、「スケールメリット」に逆行するものが廉価になる筈はありません(コスト計算を明らかにすべき)。
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原発新増設 建設中のリターン必要 次世代型も検討 九電・西山社長
毎日新聞 2026/1/1
2025年は新政権が発足し、人工知能(AI)などへの積極投資を掲げる一方、長期金利の上昇や円安傾向が目立った。26年の経済はどうなるのか。九州電力の西山勝社長に展望や経営方針を聞いた。
―2025年は柏崎刈羽原発(新潟県)や泊原発(北海道)の再稼働に向けた地元同意が進むなど、原発を巡る情勢が変化しました。26年以降、九州で原発の新増設は進みそうですか。
◆(国が25年に策定した)第7次エネルギー基本計画に「原子力を最大限活用する」と明記されたことが大きい。新聞などの世論調査を見ると、原子力の必要性の理解も進んでいる。東日本大震災(11年)からこの状況になるまで、15年近くかかった。原発で事故が起きたら振り出しに戻る。安全に動かし続け、ささいな事でもトラブルは隠さず公表し、安心していただく。原発の新増設はその先の話だ。
―半導体工場やデータセンターの集積で、九州の電力需要は伸びると予想されています。
◆二酸化炭素を出さずに安定的に発電できる原発は重要で、新しい原発は必要だ。ただ、今は立地場所を検討しておらず、資金面の課題もある。建設費の高騰や安全対策で投資額は1兆円を超えそうだ。原発は計画から発電まで20年かかり、その間は収益を生まない。投資回収の予見性などで、(資金調達に向けて)金融機関の納得が得られにくい。
―国は公的融資による支援を検討しています。
◆公的融資はありがたいが、民間の金融機関が巨額の融資を決断するには不十分だ。脱炭素電源オークションも既にあるが、利益の9割を還付しなければならない。原発の建設期間中にリターンを得られる仕組みや、稼働後の収益を予想しやすい電気料金制度があった方がよい。
―次世代の原子炉の検討も経営ビジョンで示しています。
◆従来より安全性を高めた「革新軽水炉」を国内メーカーが開発している。海外では電力需要の大きな場所の近くに設置できる「小型モジュール炉」の実用化が進んでいる。水素製造に適する「高温ガス炉」などもある。今は対象を絞ることなく、どの技術が我々に適しているのか情報を収集している。【聞き手・久野洋】
「ケアの漏れ」どう防ぐ 積み残した課題の検証を 自治総研特任研究員 今井照氏に聞く
福島第1原発事故は避難指示が出た市町村と住民に長期的・広域的な避難という異例の事態への対応を迫りました。
地方自治総合研究所特任研究員の今井照氏(72)=元福島大行政政策学類教授=は、混乱の過程では「『ケアの漏れ』が生じた」と課題を指摘し、自然災害と異なる原発事故の教訓を踏まえ、今後起こり得る同様の事態に備えるべきだと訴えました。
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「ケアの漏れ」どう防ぐ 自治総研特任研究員(元福島大行政政策学類教授) 今井照氏に聞く 積み残した課題の検証を
福島民報 2026/01/03
東京電力福島第1原発事故は避難指示が出た市町村と住民に長期的・広域的な避難という異例の事態への対応を迫った。自治体政策を専門とする地方自治総合研究所(自治総研)特任研究員の今井照氏(72)=元福島大行政政策学類教授=は混乱の過程では「『ケアの漏れ』が生じた」と課題を指摘。自然災害と異なる原発事故の教訓を踏まえ、今後起こり得る同様の事態に備えるべきだと訴える。
―原発事故では二重の住民登録(二重住民票)に代わり、避難者への行政サービスを保障する仕組みとして原発事故避難者特例法ができた。この制度の意義や課題をどう考えるか。
今井氏 事故直後に提起した「二重の住民登録」のような制度は当時、最善の方法だったと今も考えている。ただ、歳月の経過に伴い避難者の生活は多様に変化した。15年前の事故を巡り、新たに制度を定める意義は少ないかもしれない。一方、今後起こり得る同様の「大量」「遠方広域拡散」「長期」の避難に備える何らかの準備は必要だ。
―避難市町村や住民にどんな不利益が生じたのか。
今井氏 留意すべき点は(1)避難者を誰がケアするか(2)避難者の意見や主張をどう反映させるのか(3)避難者をどう定義するのか―だ。原発事故では「個別」「遠方」「自発的」に避難した場合に、地域から孤立する「ケアの漏れ」が多く生じた。双葉町は多くの住民と埼玉県に集団避難したため、他自治体と比べて役場主導で動けた部分が大きかったが、それでも、避難が拡散するにつれて役場との距離ができた住民も増えた。
―「避難者のケア」にはどんな対応が含まれるか。
今井氏 最低限の項目として「住まいの確保」があり、これに付随する「教育(学校)」「高齢者・障害者の介護」などが緊急に対応すべき課題となる。避難を受け入れた地域ではこうした求めに公営住宅への優先入居などで自発的・積極的に応じた例もあるが、「住民票がなければ転校させない」など不適切・不正確な対応を取った地域もある。今後、福島の事故のような事態に対処するには全国的な法制度を整え、避難者が「避難先でも住民という地位を得る」「原則として避難先自治体が避難者のケアに当たる」ことを定め、国が必要な財政支援措置をする仕組みが必要だ。
―長期・広域避難は自治体、避難者にどんな課題を突き付けたのか。
今井氏 避難自治体の最大の課題は緊急時や非常期を脱した後、「復旧期」「復興期」に至る過程だ。住民が全国に離散したため、例えば、避難指示の解除や除染など、復旧期の対応はもちろんのこと、廃炉を含め、「この町をどのようにして復興していくか」というビジョンを全住民に諮り、共有することができなかった。結果的に、それまで暮らしていた風景と全く異なる「新しいまち」が出来上がり、かえって避難先から戻るモチベーションを低下させた。生活基盤の「復旧」は急ぐべきだが、まちをどうしていくかという「復興」については災害の特性を踏まえ、より時間をかけて取り組むべきだったのではないか。
―「二地域居住」が注目される中、住民の権利や義務をどう考えるかという議論がある。避難の歩みを通して社会は何を学ぶべきか。
今井氏 現行の行政法はどこに住民登録しているかという「居住意思」、実際にどこで生活しているかという「居住実態」の2要素で住民を定義している。ただ、社会の流動性がこれだけ高まると「居住実態が単一ではない」、複数地域を行き来して暮らす住民が多く生まれている。国が進める「ふるさと住民登録制度」はこうした面に注目した発想だが、現時点では「推し活」的な動きにとどまり、原発事故のような大災害に対応するものにはなっていいない。原発事故に伴う避難には「大量」で「遠方広域拡散」、「長期」という特徴がある。避難者をケアし続け、人権を保障するためには避難者の「権利と義務」を法的に位置付けることが必要だ。その意味でも原発事故の検証が欠かせない。
今井 照
神奈川県平塚市出身。東京大文学部社会学専修課程修了。都立学校事務、東京都大田区職員を経て1999(平成11)年から2017年まで福島大行政社会学部(現行政政策学類)教授。公益財団法人地方自治総合研究所(自治総研)の主任研究員を経て現在は特任研究員。専門は自治体政策。72歳。
炎上上等 米山隆一氏がこだわるSNSの流儀「デタラメを放置できない」
ABEMA TIMESに掲題の記事が載りました。
医師でもあり弁護士。そんなスーパーエリートの米山議員はSNSで色々な人に絡んでいくのは「デタラメを放置できない」からだということです。
改めてそう言われると確かにそのとおりであり説得力があります。
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【密着】ネットでの炎上上等 立憲・米山隆一氏がこだわるSNSの流儀「デタラメを放置できない」「言説乗った人物が大統領になれてしまうのを危惧」
ABEMA TIMES 2026/1/1
SNSでの鋭い論戦がしばしば物議を醸す立憲民主党・米山隆一衆議院議員。前新潟県知事で、医師でもあり弁護士。そんなスーパーエリートである米山氏は、なぜそこまでSNSにこだわるのか。ネット上では「SNSに投稿している暇があるなら仕事しろ」との声も上がる。しかし密着した「ABEMA Prime」のカメラが捉えたのは、日常のわずかな隙間を縫って、自らの信念に基づき言葉を紡ぎ続ける一人の政治家の姿だった。
【映像】SNS投稿のこだわりを語る米山氏
■「空き時間につぶやくおしゃべりの勢い」「デタラメを放置できない」
米山隆一氏
ある日、新潟の事務所で資料整理や原稿チェックの合間に、米山氏はサラリとした手つきでキーボードを叩いた。Xで投稿されたのは、金利政策に関する他者の意見への反論だった。
多くの人が「常にネットにかじりついている」と抱くイメージに対し、本人は至って軽やかだ。「(内容は)練っていない。もうサラサラッという感じ。空き時間につぶやくみたいな、おしゃべりするぐらいの勢いでやっているだけ」。スマホではなくパソコンで仕事の合間に行うのが米山流だ。
なぜ、これほどまでにSNSでの反論にこだわるのか。そこには現代社会への強い危機感がある。
「本当にどんなデタラメも言いたい放題みたいになっている。それはもうあまり笑い事ではなく、それによってもう国政が左右されている」。
デタラメな言説に乗った人物が市長や知事、さらには大統領にまでなれてしまう現状を危惧し、「あまりにデタラメを言ってはいけないというふうにしていいかなと」と言葉を強める。
■党内からの苦言と「左様なら」の真意
米山隆一氏
しかし、その攻撃的とも取れるスタイルは、時に身内からも危惧される。同じ立憲民主党の泉健太前代表は、米山氏が反対意見を持つ相手に対して投稿の末尾に付ける「左様なら」という言葉に言及し、「誰かと言い合うことに使うのは本当にもったいない」「左様ならはもうやめて」 と苦言を呈した。
これに対し、米山氏は「僕は泉さんの意見に賛同しない」 と真っ向から反論する。
「僕はマザー・テレサでも、またガンジーでもない。涙を流して、二度とそんなことをしませんと言って、一切反論しないとなったら、それは私なのか」。
「左様なら」は単なる別れの挨拶であり、煽りではないと主張する。そして、他人に自らのスタイルを矯正されることを断固として拒む。「僕は僕の話したいことを話すし、僕は僕の発信したいことを発信する」。
密着の最後、米山氏は野党議員としての苦悩を滲ませつつも、具体的な目標を語った。現在、SNSの誹謗中傷対策や、障害のある子供の損害賠償格差を是正する議員立法の成立に向けて奔走しているという。
「やっぱりちゃんと国政を変えたということを実現したいと思っている」。
(『ABEMA Prime』より)
2月の電気料金、1月より1170円安く 東北電力
東北電力は12月25日、26年2月分の電気料金を公表しました。
モデルの家庭向け規制料金(契約電流30アンペア、使用電力量260キロワット時)は1月分に比べ11700円安い7341円となります。
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2月の電気料金、1月より1170円安く 東北電力、政府補助開始で
河北新報 2025/12/29
東北電力は25日、輸入燃料価格の変動を反映させる「燃料費調整制度」に基づく2026年2月分の電気料金を公表した。政府による物価高対策の補助が始まり、モデルの家庭向け規制料金(契約電流30アンペア、使用電力量260キロワット時)は1月分に比べ1170円安い7341円となる。前月を下回るのは5カ月ぶり。
規制料金の推移はグラフ(添付省略)の通り。自由料金(同)も1月分に比べ、1170円安い7286円となる。
2月分に反映される9~11月の平均燃料価格は1キロリットル当たり3万9100円で、前月分と同額だった。
政府は物価高対策として使用電力量1キロワット時当たりで2、3月分を4・5円、4月分を1・5円それぞれ補助する。
05- 【図解】安全審査まで進んだ国内の原発
時事通信に掲題の記事が載ったので紹介します。
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【図解】柏崎刈羽、今月20日にも再稼働=事故後初、「原発活用」加速へ―「核燃サイクル」に不透明感
時事通信 2026/1/4
安全審査まで進んだ国内の原発
安全審査まで進んだ国内の原発(時事通信社)
2026年1月3日土曜日
03- 過ちを繰り返さないために 脱原発を訴え続けたい(福島から避難した青年)
『こどけん通信』=「こどもたちの健康と未来をまもる情報マガジン」に掲題の記事が載りました。
2011年、福島第1原発事故が起きた際に福島から両親と共に新潟県に避難してきた曽根俊太郎さんは、高校生時代に「高校生平和大使」に選ばれ1年間活躍しました。
現在は大学生として学業に励んでいますが、その傍ら「脱原発」の活動にもタッチされています。
そんな中での思いを上記マガジンの『あのとき胸にしまった言葉を いま紡ぐ』のコーナーにつづりました。原発事故に遭遇されたのは大変な災難でしたが、〝人徳″とでもいうべきでしょうか、そうした中でもとても有意義な人生を送ってこられたことが分かります。
余計な形容詞などを一切用いずに、簡潔に書かれた実に見事な文章です。どうぞご一読ください。(ブログ担当が文字起こしをしました。もしも誤字等があれば担当者の責任ですのでお詫びします)
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シリーズ From 2011
あのとき胸にしまった言葉を いま紡ぐ 10
福島第一原発事故を経験した被害者たちは、いまなお言葉にできない思いを、苦
しみを、抱え続けています。事故当時、まだ幼かった我が子にほんとうのことを話
せなかったおかあさん。幼いながらに親に気を使い、言葉を飲み込んだ子どもたち。
原発事故から14年以上が経って、いまだからこそ言葉にできる「あのとき胸にし
まった言葉」があります。 和田秀子(ままれぼ出版局)
過ちを繰り返さないために
脱原発を訴え続けたい
曽根俊太郎さん(21歳) 福島県(県北)→新潟県
曽根俊太郎さんは、福島第一原発から50~60km離れた地域に住み、発災時は
6歳でした。両親は原発事故から10日後に子どもたちを連れて新潟県に避難。
俊太郎さんはそのまま新潟県内の小学校に進学しました。新潟で暮らし始めてから、
母に連れられ脱原発の集会に参加するように。ここでの出会いが契機となり、高校
2年のとき「高校生平和大使」にエントリーして選出され、核兵器、そして原発のリ
スクを世界に訴えました。今年5月には、台湾で開催された「2025ノーニューク
ス・アジアフォーラム」に参加。現在も、大学で政治学を学びながら、名前と顔を公
表し、被災経験を語りつつ脱原発の必要性を訴えています。
発災当時、僕は6歳で、保育園の年長クラスでした。教室の縁側で避んでいて、年少クラスの子どもたちは昼寝中。突然、地響きのような音とともに力夕力夕と揺れ始めて……。地震を経験したことがなかった僕は、「これは何?白分か揺れているの?」と戸惑っているうちに、大きな揺れがやってきたのです。
先生たちは、急いで昼寝中の子どもたちを起こして、みんなを園庭の真ん中へ避難させました。あの日は3月には珍しく雪が舞い、かなり寒かったのを覚えています。先生が運んでくれた毛布にくるまって、身を寄せ合っていました。
うちは父が早々にクルマで迎えに来てくれたので、帰る途中に町の様子を見て回ると、塀が崩れていたり、塀が全壊していたりして、子どもながらに「大変なことが起こったんだ」と感じました。
間もなく福島第一原発事故が起き、避難までの間、両親俊太郎さんを自宅から
出さなかった。
すぐに避難を決意
僕の両親は、チョルノービリ原発事故が起きた当時、小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)の著書などを読んでリスクをわかっていたので、「この地では子どもを育てられない」と考え、すぐに避難を決めたそうです。
発災から1週間後、ようやく避難するためのガソリンが確保できたので、いち早く避難者受け入れを始めていた新潟県へ向かうことになりました。当初、両親は関東方面へ避難しようと考えていたようですが、海外の気象庁がネットで公表していた風向き予報の拡散地図を見ると、関東にも流れてくることを知り、新潟に変更したそうです。
当時の僕は、行き先もわからないまま、家族で父の車に乗り、新潟県の公民館へ向かいました。到着したのは夜中の2時頃でしたが、職員の方が待っていてくださり、その夜は公民館の大広間で休ませてもらいました。
翌朝には地元の旅館の部屋を用意していただき、4か月ほどそこでお世話になりました。その後、国の補助がある避難者用アパートに移り往み(2017年3月に補助は打ち切り)、新潟での生活が本格的に始まったのです。
土地と人に恵まれた避難生活
その年の4月から、俊太郎さんは新潟県内の小学校に入学。被災地から避難してき
た生徒も当初は大勢いたという。
僕自身は転校生としてではなく、小学1年生から入学できたので、自然と学校になじむことができました。土地柄もよかったのだと思います。観光が主な産業なので、親の仕事の関係で転校してくる子どもも多く、他所から来た人を受け入れる懐の深さがありました。「新潟は人が良い。この土地だから15年も暮らしてこられた」と、両親も感謝しています。避難先でなじめず、辛い思いをした子も多いと聞きますが、僕の場合は本当に恵まれていました。
とはいえ、新潟に避難して最初の2年間は父が不在で、祖父母とも離れ離れになってしまったため、やはり寂しさを感じました。
というのも、両親は発災当時、祖父母とともに、長く続いた商店を営んでいたのです。家族で避難を決めた結果、事業を廃業せざるを得なくなりましたが、すぐに閉めることはできず、区切りがつくまで、父だけが福島に残ることになったのです。両親は本当に大変な思いをしたと思います。生活のため、全く知り合いのいない新潟で新たに仕事を探し、会社勤めを始めなければならなかったわけですから。
原発事故の直後に、政府や福島県が正確な情報を発表していれば、よりスムーズに「避難」という選択を選ぶことができたご家庭も多かったのではないかと思います。
人生を変える出会い
曽根俊太郎さん(21歳)福島県(県北)↓新潟県
現在のような活動を始めるきっかけをくれたのは、母でした。母は脱原発の集会や講演会があると、必ずといっていいほど僕を連れて参加していました。そうした場で、声を上げ続けている大人だちと出会うことができました。たとえば、小出裕皐さんや、おしどりマコ・ケンさん。そして、なかでも俳優の故・木内みどりさんとの出会いは、僕の人生を大きく変える出来事となりました。
みどりさんの存在を知ったのは、当時放送されていたコミュニティラジオ「市民のための自由なラジオLIGHTUP!」を、母が聴いていたことがきっかけてした。みどりさんは日替わりパーソナリティのひとりで、番組の中でよくこう話していました。
「私は、原発のリスクを知っていながら反対してこなかった自分を悔いている。そして原発事故は起きてしまった。だから、今後はちゃんと声を上げていく」
その言葉通り、みどりさんは脱原発集会の司会を務めるなど、積極的に発言を続けておられました。
そんなみどりさんにお会いできるときが巡ってきました。僕が小学5年生のとき、母と一緒に「フジロックフェスティバル」に出かけると、みどりさんが司会をされていたのです。
母が、当事者でもないのに、仕事が減るのも承知のうえで発言してくださっている本気の姿に対して「ひと言、お礼を伝えたい」とたずねると、みどりさんは避難生活の話を丁寧に聞いてくださって。さらに隣にいた僕に向かって、「ねえ、夏休み、長いでしょ?気分転換に、ひとりで泊まりに来ない?」と声をかけてくれたんです。僕は思わず「うん、行きたい!」と即答しました。それがきっかけて2泊3日、11歳にして初めての一人旅を経験することになりました。大都会の東京、しかもみどりさんのお宅に泊まるなんて-今振り返っても本当に貴重な経験でした。
みどりさんとは、特に難しい話をしたわけではありません。森美術館や、浅草の遊園地「花やしき」など、子どもが楽しめる場所に連れて行ってもらったり、経産省前の、あのテント広場にも行きました。その後も数回、泊まりに行き、たわいもない話をしたり映画を観たり。ですから2019年に急なご病気での訃報を耳にしたときは、本当にショックでした。
みどりさんは「自分で考えることの大切さ」や「おかしいと思ったことには声を上げること」の重要性を、自らの生き様を通して教えてくれました。僕は、みどりさんの背中を見て、「自分も何かしたい」と思うようになったのです。そして出会ったのが、「高校生平和大使」という活動でした。
高校生平和大使とは、核兵器廃絶と平和な世界の実現を目指す、全国から選ばれた
高校生たちによる組織のこと。核兵器廃絶を訴える署名活動や、国連欧州本部への
訪問など、国内外での平和活動を行なう。
高校2年生のとき、学校帰りの電車の中でスマホを見ていたら、たまたま「高校生平和大使」のことを知りました。これなら自分の意見を外に伝えられるかもしれない、そう思い応募することにしました。
書類選考後の面接審査では、「核兵器と原発は切り離せない。核兵器廃絶を訴える人は多いけれど、原発にまで触れる人は少ない。だから僕は、脱原発についても訴えていきたい」と伝え、自ら声を上げることの大切さを教えてくれたみどりさんとの思い出や、長く活動されている方々から得た気づきをお話しました。
この結果、見事「高校生平和大使」に選ばれた俊大郎さん。
平和大使の任期は1年。あいにくコロナ禍の影響で、例年続いてきたスイスの国連本部を訪問することはてきませんでしたが、核廃絶を訴える高校生1万人署名を集めたり、各種イベントに参加したりするなかで、自分の被災体験や脱原発への思いを伝えることができたと思っています,
なかでも大きな収穫だったのは、活動を通じて同世代の仲間ができたこと。それまで僕には、政治や原発について語り合える友人がいなかったので、「自分は異端児なのかな」と思っていたのですが、高校生平和大使の活動を通じて、同じ志や考えを持った同世代が全国にこんなにもいることを知りました。「ひとりじゃないんだ」と気づけたことは、大きな励みになりました。彼らとは、今も交流があります。
太学生になってからも、意見を求められれば、集会などに参加して発言をしてきた
俊太郎さん。今年5月には、「2025 ノーニュークス・アジア フォーラム」に参
加した。
このフオーラムは、原発の拡大や核兵器の拡散に反対し、クリーンで持続可能なエネルギーの利用を促進するために、アジア各地の仲開が集まる場です。1993年から毎年開催されていて、今年は5月16日から5日間、台湾で聞かれました。ちょうど台湾の第3原発が5月17日に稼働を停止し、‟原発ゼロ″を達成する節目の年でもあったのです。事務局の方に声をかけていただき、僕も参加することができました。
いよいよ台湾の原発がすべて止まる瞬間、みんなで台湾電力の前に集まり、カウントダウンしました。台湾電力のウェブサイトでは、リアルタイムで発電量を確認できるのですが、夜中の0時に原子力の発電量がゼロになった瞬間、集まった人たちの間で歓声が沸き起こりました。最初は実感が湧かなかったのですが、実際にデータで「ゼロ」が示されたとき、本当にこの国では原発の時代を終わらせることができたのだ、と強く感じることができて,いつか日本でもこんな未来をつくりたいと思いました.
また、フォーラムを通じて、アジアの国々での脱原発運動の取り組みを学ぶこともできました。特に印象に残ったのは、台湾では市民が3世代にわたって粘り強く原発建設に反対してきたことが、原発ゼロにつながったという点です。市民の声によって国の政策が変えられる。その事実を目の当たりにして、大きな勇気をもらいました。また、原発を環境問題のーつとして捉えている目線もあり、これは僕にとって新しい発見でした。
福島第コ原発の事故を教訓にして脱原発に踏み切った台湾。
日本では事故がすでに〝過去″の出来事になっていて、毎年3月11日に思い出す程度になっていますが、台湾では自分たちの〝未来の姿″として捉えています。
「あのような事故は、いつか自国の台湾でも起きるかもしれない」と。それが日本との大きな違いではないでしょうか。
ただ、原発ゼロを実現した台湾でも課題は残っています。「電力の不安定化につながる」として、再び原発再稼働の是非を問う国民投票が8月23日に実施されたのです。結果は賛成が反対を上回りました。しかし、有権者の4分の1という成立要件には届かなかったため、辛うじて不成立となりました。
「日本は原発事故を起こしたけれど、それでも復興に向かっているじやないか」
台湾の原発再稼働賛成派は、このような点を再稼働推進の根拠にしているそうです。
ですが福島は、真の「復興」にはほど遠い。だからこそ今後も、声を大にして伝えていかなければと思っています。せっかく脱原発が実現したのにこんな間違った理由を根拠に再稼働されてしまったら申し訳ないですから。
沈黙という「加担」を拒む
僕は、いつまでも被害者の立場にとどまっていたくありません。黙っていたら、今度は自分が事故に加担する側になってしまうかもしれないからです。それだけは絶対に避けたいと思っています。
広島の「原爆死没者慰霊碑」には〈安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから〉と刻まれていますが、今ではその言葉が自分自身の思いと重なります。原発事故で被災し、避難を余儀なくされ、人生が大きく変わった。僕の場合はまだ恵まれていたほうですが、避難した人もしなかった人も、原発事故によって人生を変えられ、苦しんできた人がたくさんいます。だから、同じような被害者を出したくない。「もう原発はやめましょう」と言い続けなければならない。
当初、母は、僕が名前や顔を出して活動することに反対していました。活動をすることで風当たりが強くなるかもしれない。世間は、そんなに優しく寛容ではないから、と。
母はよく僕に、「子どもに火の粉が降りかかったら、親は払いのけるのが当たり前。子どもの将来にわたる健康と引き換えられるものは何もない」と言ってくれました。
あの時、思い切った決断をしてくれた両親には、感謝の気持ちしかありません。けれど、僕はもう成人しました。これからは自分の責任で生きていこうと思っています。そんな僕を、いま両親はそっと見守ってくれています。