2019年11月30日土曜日

女川原発 深刻事故時に避難できるのか(東京新聞)

 東京新聞が「女川原発 その時避難できるのか」とする社説を出しました。
 女川原発は東日本大震災時地盤が1m沈下し、13mの津波で浸水し、外部電源5回線のうち4回線が遮断されました。残る1回線で辛うじて冷温停止に持ち込むことが出来ましたが、深刻事故に至らなかったのは「運がよかった」からとされています。

 東京新聞は、特に二つの問題点を挙げています。
 一つは東日本大震災の最大の揺れの強さは2930ガル(宮城県栗原市)だったのに対して、基準地震動を1000ガルにとどめている点です。1000ガルにした理由は現行の原子炉の強度がそこまでしか持たないからと思われます。
 もう一つは、規制委避難計画の妥当性を審査しないことで、住民は深刻事故時に渋滞が起きれば速やかに逃げられず、「広域避難計画に実効性がない」という点です。

 どちらも重大ですが、それでも敢えて「適合」とするのは「再稼働ありき」が前提だからとしか考えられません。
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【社説】女川原発 その時避難できるのか
東京新聞 2019年11月29日
 原子力規制委員会は、宮城県女川町などに立地する東北電力女川原発2号機が国の規制基準に適合するとの結論を出した。だがこれまで繰り返し述べてきたように、それは安全のお墨付きではない。
 3・11後、規制委が新規制基準に「適合」とする原発は、これで九原発十六基。このうち五原発九基が、それぞれに課題を抱えたままですでに再稼働しているが、中でも、東北の被災地にある女川原発は特別だ。
 女川町内では六百人以上が震災で犠牲になった。いまだ二百五十人以上が行方不明のままだ。震災の傷痕が住民の心に深く残る町である。

 女川原発は東京電力福島第一原発同様、被災した原発だ。
 地盤が一メートル沈下した。2号機の原子炉建屋では、千カ所以上でひびが見つかった。十三メートルの津波による浸水被害もあった。外部電源五回線のうち四回線が遮断され、残る一回線で辛うじて冷温停止に持ち込んだ。福島との違いは「運」というしかないだろう。
 東北電は、想定する最大の地震の揺れ(基準地震動)を震災前の五八〇ガルから一〇〇〇ガルに引き上げ、約三千四百億円を投じて、防潮堤のかさ上げに伴う地盤改良工事や、浸水防止壁の設置などに取り組んできた。
 だが、東日本大震災の最大の揺れの強さは二九三三ガル(宮城県栗原市)だった。自然の猛威は常に人間の想像力の上をいくというのが、大震災の教訓ではなかったか。天災への備えに「これでよし」はない。津波を生じやすいとされる「アウターライズ地震」が追い打ちをかける恐れもあるという。

 規制委は避難計画の妥当性を審査しない。そのことに多くの住民が強い不安を感じている。
 女川原発の敷地の一部がかかる石巻市などが策定した避難計画では、十四万五千人が自家用車やバスに分乗し、仙台市などへ移動することになっている。
 今月、石巻市民らが「渋滞が起きれば逃げられない。広域避難計画に実効性がない」として、市と県による「地元同意」の差し止めを求める仮処分を仙台地裁に申し立てた。地元同意は事実上、再稼働への最終関門だ。
 宮城県の村井嘉浩知事は「立地自治体だけでなく、県内市町村の声をよく聞いて(再稼働の是非を)判断したい」と話している。
 そうしてほしい。そして福島など隣接県の意向も可能な限りくんで、賢明な決断をくだすべきではないか。

福島第一原発2号機 「ベント失敗か」 規制委の見解

 福島第一原発事故の調査を再開した原子力規制委は、2号機の格納容器の圧力が高まったことから、内部の気体を外に出す「ベント」と呼ばれる操作を試みたものの、排気管→排気筒ルートでの気体放出は起きずに、別の経路から外界に放出されたとの見解を示しました。どこから放出されたのはまだ分かっていません。
 これについては東電も、これまでの社内調査で同様の見解を示しているということです。
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福島第一原発2号機 事故調査で見解「ベント失敗か」規制委 
NHK NEWS WEB 2019年11月28日
福島第一原子力発電所の事故の調査を再開した原子力規制委員会は、2号機の一部の配管の汚染を調べた結果、事故当時、設備の破壊を防ぐため外に気体を放出する「ベント」が、想定通りには実施できていなかったとする見解を示しました。2号機の内部の汚染した気体がどこから外に出たかはまだ解明されていません。
福島第一原発の2号機では、8年半前の事故の時、燃料が溶けて、原子炉を覆う格納容器の圧力が高まったことから、設備の破壊を避けるために認められている、内部の気体を外に出す「ベント」と呼ばれる操作を試みました。

これについて先月から事故の調査を再開している原子力規制委員会は28日の会合でベントで使う配管の一部を調べたことを明らかにしました。
その結果、配管には目立った汚染がなかったことから、事故の際、放射性物質を含んだ高濃度の内部の気体は配管を流れておらず、ベントの操作はしたものの、なんらかの原因で実施ができていなかったとの見解を示しました。
東京電力も、これまでの社内調査で同様の見解を示しています。

2号機では内部の汚染した気体が大量に外に出たと見られていますが、どこから漏れたかについてはまだ解明されていません。
規制委員会は漏えいの経路や炉の冷却など3つのテーマで調査を続けていて来年中をめどに報告書をまとめる方針です。
来月は3号機の内部の汚染調査などを行う予定です。

30- 福島原発1号機 全体覆う大型カバーの設置検討

福島第一原発1号機 再び全体覆う大型カバーの設置を検討へ
NHK NEWS WEB 2019年11月28日
福島第一原子力発電所1号機の上部に残るがれきの撤去を進めている東京電力は、放射性物質を含む粉じんが飛び散るリスクを下げるため、建屋全体を覆う大型カバーの設置を検討することになりました。
福島第一原発1号機では、使用済み燃料プールの燃料を2023年度に取り出す計画で、その妨げになる建屋の上部に残されたがれきの撤去を進めています。

これについて東京電力は、撤去を終えたあとに、上部とその周辺を覆うカバーを取り付ける予定でしたが、今回、がれきの撤去を終える前に、建物全体を覆う大型カバーを設置する案を検討することになりました。
理由としてはがれきの撤去で放射性物質を含む粉じんが飛び散るリスクを下げること、カバーで雨水の流れ込みをなくし、汚染水の発生を抑えることなどとしています。
福島第一原発1号機は、事故の爆発で建屋の上部が崩れたため、放射性物質の飛散を防ごうと、いったん建屋全体をカバーで覆っていましたが、作業のために3年前に取り外されています。

一方、東京電力は、福島第一原発の高さがおよそ120メートルある排気筒の解体作業中に、切断機の刃が抜けなくなるトラブルがあったと28日発表しました。
倒壊のリスクを減らすため来年3月までに半分の高さにする計画ですが、トラブルでたびたび作業が中断しています。

2019年11月29日金曜日

東海第二 再稼動 (1)耐震性と老朽化に問題 樋口英明さん

 東京新聞が<東海第二原発 再考再稼動>シリーズを始めました。営業運転開始から28日で41年となる東海第二原発をこのまま再稼働させていいのか。有識者や文化人に考えを聞くもので、随時掲載されるということです。

 第1回目は、20145月に福井地裁裁判長として、関電大飯原発3、4号機の運転差し止め判決を出した樋口英明さんです樋口さんは今もあの判決は正しいと確信を持っています。
   (関連記事)
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<東海第二原発 再考再稼動>
(1)耐震性と老朽化に問題 元福井地裁裁判長・樋口英明さん
東京新聞 2019年11月28日
 東海村の日本原子力発電東海第二原発の再稼働の是非を巡り、「中立」を掲げていた山田修村長が雑誌で容認と受け取れる発言をして、波紋を広げた。再稼働に向けた資金のめどがつき、事故対策工事も着々と進む。営業運転開始から28日で41年となる首都圏唯一の原発をこのまま再稼働させていいのか。有識者や文化人に考えを聞き、随時掲載していく。

 二〇一四年五月に福井地裁の裁判長として、関西電力大飯原発3、4号機(福井県)の運転差し止め判決を出した。今も自分が正しいと確信を持っている
 大飯原発の基準地震動(耐震設計上の想定の揺れ)は七〇〇ガル(揺れの勢いを示す加速度の単位)で、重大事故につながる限界点は一・八倍の一二六〇ガルだと関電は主張していた。
 私は裁判前は、三〇〇〇ガルのような強い揺れに原発が耐えられるかどうかが争点になると予想していた。ところがふたを開けてみれば、一二六〇ガルが来たらおしまいだというのは争いがなかった。主な争点は「敷地内に一二六〇ガルを超える地震は来ない」という関電の主張の信用性だった。
 それが争点なら難しい工学的判断は不要で、理性と良識があれば簡単に解ける問題となる。地震大国の日本では、原発で基準地震動を超える地震が頻発しており、大飯も「ロシアンルーレット」状態だった。
 日本の国策は「安全な原発を動かす」であって、「何が何でも動かす」ではない。私の「極めて危険だから動かしてはいけない」という判断は、国策にも忠実だったと思っている
 仮に私が日本原子力発電(原電)東海第二原発の差し止め訴訟を指揮するなら、ポイントは三つあると思う。一つは、基準地震動を超える地震が来ないと言えるかどうか。これは他の原発と共通の問題だ。
 東海第二の建設当初の基準地震動は二七〇ガルだが、東京電力福島第一原発事故後に原電が約一〇〇〇ガルに引き上げ、新規制基準の審査も通った。だが、耐震補強工事をしたところで、四倍も耐震性を上げることは可能だろうか。例えば八〇〇ガルの地震に本当に耐えられるのか。これがもう一つの問題になる。
 三つめは、既に原則四十年の運転期限を超えていること。自動車や家電なら老朽化で突然止まっても、その後は安全だ。だが、原発は止まった後がとてつもなく危ない。きちんと冷やすことができなくなれば、四~五時間でメルトダウンする。
 これ以上に争点を広げると、裁判官の能力を超えてしまう。この三つに絞れば誰にでも理解できるし、反論が極めて難しい。

 東海第二の周辺人口が他の原発より多いのは事実だが、人口が多くても少なくても原発事故の深刻な被害に変わりはない。地震大国の日本には、北海道から沖縄まで原発を動かせる場所はどこにもない
 東海第二のように、再稼働の事前同意対象を立地自治体の周辺にも広げる運動は、原発を止める手段としては、裁判による差し止め以外では最も有効だ。(聞き手・宮尾幹成)

<ひぐち・ひであき> 1952年、三重県鈴鹿市生まれ、京都大法学部卒。83年、判事任官。静岡、名古屋などの地裁・家裁、大阪高裁などを経て、2014年5月に福井地裁で大飯原発差し止め判決、15年4月に高浜原発再稼働差し止めの仮処分決定を出した。17年8月、名古屋家裁を最後に定年退官した。

<東海第二原発> 日本原子力発電が1978年11月に営業運転開始。出力は110万キロワットで、電気を東京電力や東北電力に供給していた。東日本大震災時は外部電源を失い、冷温停止まで3日半かかった。都心に最も近い原発で、都庁までの距離は福島第一からの半分程度の約120キロ。重大事故が起きた場合、首都圏全域に甚大な被害を及ぼす可能性がある。
 2018年11月に原子力規制委員会が最長20年の運転延長を認めた。再稼働の対策工事は21年3月までかかる見込みで、資金支援のため、東京電力などが約3500億円を拠出する構図も固まった。再稼働には、東海村や水戸市など6市村の同意が必要で、首長がどう判断するかが焦点になる。

福島第1原発で「高濃度汚染水」漏れ

 福島第1原発1、2号機共用排気筒の底部には強烈な放射性物質が存在し人間が近づくことも危険とされています。
 当初水素爆発を起こしたときに高速流に乗って排気管を通って排気筒に入った放射性物質が排気塔を上昇できずに底にたまったと見られています。そのせいで排気筒に雨水が入ると超濃厚な放射能汚染水に変わります。
 排気筒底部には汚水受けのコンクリート升がついているのですが、台風19号の影響で升に穴が開き、そこから汚染水が地中に浸透していたことが分かりました。
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福島第1原発で「高濃度汚染水」漏れか 線量に大きな変動なし
福島民友 2019/11/28
 東京電力は27日、福島第1原発1、2号機共用排気筒内に入った雨水をためる升から、最大で400リットルの高濃度汚染水が漏えいしたとみられると発表した。台風19号の影響でコンクリート製の升に穴が開き、排気筒を通って汚染された雨水が地中に染み込んだ可能性があるという。東電は、現時点で周辺の放射線量に大きな変動はなく、環境影響はないとしている。

 升は1メートル四方で、雨水が一定の水位までたまるとポンプで自動排水する仕組みだった。台風19号が上陸した10月12日から今月24日にかけ、自動排水をしていないのに急激な水位の低下が計8回確認されたという。
 東電によると、升から漏れたとみられる汚染水の放射性セシウムの濃度は1リットル当たり2150万ベクレル、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質濃度は同2800万ベクレル。東電が原因の調査を進めている。共用排気筒は現在、4段目の解体が行われている。

29- 原子力機構が茨城県に中間報告書提出

相次ぐトラブルで防止策 原子力機構 県に中間報告
東京新聞 2019年11月28日
 日本原子力研究開発機構(原子力機構)は二十七日、(茨城)県内の原子力施設で核物質漏えいなどの事故や物品盗難などのトラブルが続いていることを巡り、大井川和彦知事から求められていた中間報告書を県に提出した。山本徳洋理事が県庁で服部隆全防災・危機管理部長に手渡した。

 原子力機構の東海再処理施設(東海村)にあるガラス固化技術開発施設では十月、放射線管理区域で緊急時用のトランシーバー六台の盗難が発生。請負企業の作業員が窃盗容疑で逮捕、起訴された。

 報告書によると、その後の調査で、パソコンや監視カメラなど十件二十三台(約百十四万円相当)もなくなっていることが新たに判明。うち三件については既に、ひたちなか署に被害届を提出したという。再発防止策として、管理区域からの物品の持ち出しを全て事前許可制とするほか、請負企業へのガバナンス強化、物品の管理方法見直しなどに取り組むとした。
 原子力機構の施設では、二〇一七年六月に核物質漏えいと作業員被ばく事故、今年一月にも核物質漏えい事故が起きている。報告書では、一月の事故を受けて公表した再発防止策に引き続き着実に取り組み、事故の撲滅を目指すとした。 (宮尾幹成)

2019年11月28日木曜日

トリチウム水放出の場合...「飲料水並み」の基準にと

 福島第1原発で増え続けるトリチウム汚染水の処分に関し、角山茂章県原子力対策監は26日、仮に国が海洋放出を選択した場合でも、放出時の放射性物質の濃度は飲料水並みの厳しい基準を満たす必要があるとの考えを示しました。国の小委員会では放出時の濃度は議論されていないので、それに制限を掛ける新しい提案です
 しかし世界保健機関(WTO)が飲料水の基準1リットル当たり1万ベクレル以下としているのには驚かされますトリチウムがDNAに侵入して破壊するとされているのに、本当に大丈夫なのでしょうか。
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処理水放出の場合...「飲料水並み」の基準が必要 福島第1原発
福島民友 2019年11月27日
 東京電力福島第1原発で増え続ける汚染水を浄化した処理水の処分に関し、角山茂章県原子力対策監は26日、仮に国が海洋放出を選択した場合でも、風評被害抑制のためには放出時の放射性物質の濃度は飲料水並みの厳しい基準を満たす必要があるとの考えを示した。福島市で同日開かれた県内原発の廃炉に関する安全確保県民会議で語った。

 対策監は専門家の立場で県に助言する特別職で、風評を懸念する地元の意見として国の議論に一石を投じる可能性がある。国の小委員会では放出時の濃度は議論されていない
 海洋放出の場合、放射性物質のトリチウムの濃度が法定基準の1リットル当たり6万ベクレルを下回るよう、タンクで保管している処理水を数倍~数十倍に薄めて処分する方法が想定される。
 角山氏は6万ベクレル以下ではなく、世界保健機関(WHO)が飲料水の基準と定める1リットル当たり1万ベクレル以下であれば「風評被害を抑制できるのではないか」と述べた。
 事故前は東電が第1原発からのトリチウム放出総量を年間22兆ベクレル以下にする目標を定めていたことにも触れ「(22兆ベクレル以下が)一つの大きな判断材料になる」とも指摘した。国は処理水を約30年かけて放出する場合、年間約27兆ベクレルの放出が必要だと試算している。

 26日の会合では、経済産業省の担当者が処理水を海洋や大気に放出しても「影響は十分に小さい」とした、政府小委員会の評価結果を地元自治体に伝えた。

女川原発 新基準に「適合」と 確実な安全、保証なく 

 原子力規制委東北電力女川原発2号機が新規制基準に「適合」と判断しまし
 これで9原発16基目です。
 東京新聞が、「審査に時間をかけても、原発の安全性を確実に保証するわけではない」「再稼働を容認した判断の責任は極めて重い」と厳しい口調で報じました。その通りです。
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確実な安全、保証なく 女川原発 新基準「適合」
東京新聞 2019年11月27日
 過去にも地震と津波に繰り返し襲われてきた宮城県に立地する東北電力女川(おながわ)原発2号機が、再稼働の条件の一つを事実上クリアした。原子力規制委員会が原発の新規制基準に「適合」と判断したのは、女川2号機で九原発十六基目。(小川慎一)

 東京電力福島第一原発事故後にできた新基準は、地震と津波対策を強化した。このため、地震と津波の危険性が高い太平洋沿いの原発の審査には長期間を要している。昨年、新基準に適合した日本原子力発電の東海第二(茨城県)は四年超を要した。中部電力浜岡4号機(静岡県)は五年半以上審査が続き、終了が見通せない。
 審査に時間をかけても、原発の安全性を確実に保証するわけではない。東日本大震災では政府や電力会社の「想定外」の津波が福島第一に襲来し、甚大な被害を出した。
 今も多くの人が避難生活を強いられている中で、規制委が被災原発の地震、津波対策を妥当とし、再稼働を容認した判断の責任は極めて重い

 これまでに規制委の審査で新基準に適合し、再稼働した原発は五原発九基で、全て西日本に立地する。ただ、これらもテロ対策施設の完成が期限に間に合わなければ、今後は施設ができるまで動かせなくなる。九州電力川内(せんだい)1号機(鹿児島県)は二〇二〇年三月、2号機は五月に八~九カ月間停止。関西電力高浜3号機(福井県)は同年八月、4号機は十月に停止する見通しとなっている。

 規制委は七原発十一基を審査中。審査が先行する北海道電力泊(とまり)3号機は、敷地内の断層が地震を引き起こす「活断層」であるかどうかの結論が出ていない。

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28- ローマ教皇「原発やめるべき」と

 フランシスコローマ教皇は26日、東京からローマに戻る特別機の中で記者会見し原発は「完全に安全が保証されるまでは利用すべきではない」と警告しました。
 日本滞在中は、原発を巡っては遠回しに反対の立場を示すにとどまっていましたが、福島原発事故からの避難者と交流し、被害実態を直接聞いたことが教皇に影響を与えたと見られています。
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ローマ教皇「原発やめるべき」 完全な安全必要と警告
東京新聞 2019年11月27日
【ローマ共同】ローマ教皇フランシスコは26日、原発はひとたび事故となれば重大な被害を引き起こすとして「完全に安全が保証されるまでは利用すべきではない」と警告した。教皇庁(バチカン)は原発の是非について立場を明確にしておらず踏み込んだ発言。東京からローマに戻る特別機の中で、記者会見し述べた。

 日本滞在中は、核廃絶への強いメッセージと比べ、原発を巡っては遠回しに反対の立場を示すにとどまっていたが、東日本大震災被災者や東京電力福島第1原発事故からの避難者と交流し、被害実態を直接聞いたことが教皇に影響を与えた可能性がある。

2019年11月26日火曜日

浜岡原発「協力金」の流れをまとめる 浜松の竹内さんが研究誌に

 中部電力浜岡原発を巡る地元への「協力金」提供の歴史について、静岡県近代史研究会員の竹内康人さんが、中電から地元に渡った多額の協力金のうち、当時は非公表だった「覚書」や「確認書」といった資料も明示し、一連の流れが分かるようにした報文を研究誌に載せました
 電力会社から原発の地元に流れる金にはどうしても非公表の部分が含まれますが、忘れてならないのはそれらはすべて電気料金に含まれているという事実です。
 中日新聞の記事を紹介します。
お知らせ
都合により27日は記事の更新ができません。
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浜岡「協力金」流れまとめる 浜松の竹内さん
中日新聞 2019年11月25日
◆非公表だった資料も明示
 中部電力浜岡原発(御前崎市)を巡る地元への「協力金」提供の歴史について、県近代史研究会員の竹内康人さん(62)=浜松市東区=が、収集してきた資料を整理し、研究誌で公表した。中電から地元に渡った多額の協力金のうち、当時は非公表だった資料も明示し、一連の流れが分かるようにした。

 協力金は、建設への地元同意を得るために支払われていた。竹内さんは、1~4号機の建設を巡って少なくとも四十億円の金品が住民組織「佐倉地区対策協議会(佐対協)」に渡ったとする論文をこれまでに発表している。
 今回は、旧浜岡町や佐対協の資料の紹介に焦点を当て、十月発行の「静岡県近代史研究第44号」に掲載した。中電と町が協力金の金額を決めた「協定書」のほかに、当時非公表だった「覚書」や「確認書」といった資料を収めた。

 例えば、2号機の建設に関する覚書では、協定書の開発振興費二億七千万円とは別に、二億三千八百万円を「加算して支払う」などと記載されている。竹内さんは「覚書などは当時、表に出されなかった。資料を見比べると、当時発表されていた以上の資金を中電がどのように渡していたかが見える」と意義を説明する。

 県近代史研究第44号は千五百円。注文は竹内さんにファクス=053(422)4810=で。 (内田淳二)

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「北の大地に核のごみはいらない」と「幌延デー集会」に900人

延長計画案撤回を 幌延デー集会に900人
北海道新聞 2019/11/23
【幌延】高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の道内での最終処分に反対する「11・23幌延デー北海道集会」(道平和運動フォーラム主催)が23日、宗谷管内幌延町の町共進会場で開かれた。道内の労働組合や市民団体のメンバー約900人が参加。日本原子力研究開発機構・幌延深地層研究センター(同町)の研究期間の延長案について、撤回を求める決議を採択した。

 フォーラムの難波優事務局長は「北の大地に核のごみはいらない」とあいさつ。参加者たちは決議採択後、トラクターを先頭に町中心部をデモ行進し、「幌延を核のごみ捨て場にするな」と声を上げた。
(以下は有料記事のため非公開 残り169文字/全文431文字

26- 台風で倒壊した大洗研究所外壁にアスベスト

 9月台風で倒壊した茨城県大洗町にある原子力研究所関連施設の外壁全面に、アスベストを含む板が使われていたことがわかりました。板の総面積は1100平方mでした。
 この研究所には、ほかにもアスベストが使われた施設が複数あるということです。
 アスベストは吸い込むと中皮腫などを引き起こすため、建物解体の際などは適切な管理が法律で定められています
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台風で倒壊 原子力関連施設の外壁にアスベスト 茨城 大洗町
NHK NEWS WEB 2019年11月25日
ことし9月、台風で倒壊した茨城県にある原子力関連施設の外壁全面に、アスベストを含む板が使われていたことがわかりました。飛散の可能性について日本原子力研究開発機構は、測定の結果、空気中の濃度は十分に低く、周辺への影響はないとしています。

茨城県大洗町にある原子力機構の大洗研究所では、ことし9月9日の台風15号で、研究用の原子炉を冷却する高さおよそ17メートルの施設が倒壊しました。
51年前に出来たこの施設は廃止が決まっていて、運転を停止していたため、放射性物質の漏れはありませんでしたが、外壁全面にアスベストを含む板が使われていたことがわかりました。板の総面積は、1100平方メートルにのぼり、倒壊で割れていることからアスベストの一部が飛散した可能性があります。

これについて、原子力機構は現場を立ち入り禁止にして、9月下旬に空気中の濃度を測定したところ、1リットル当たり最大0.11本で国の基準のおよそ100分の1だったということです。こうしたことから原子力機構では、周辺に影響はなく職員や住民に健康被害のおそれはないとしています。
ただこの研究所には、ほかにもアスベストが使われた施設が複数あるうえ、今回の倒壊の詳しい原因はまだわかっていないことから、今後、再発の防止が求められます。アスベストは吸い込むと中皮腫などを引き起こすため、建物解体の際などは適切な管理が法律で定められています

2019年11月24日日曜日

仙台市 ADRで和解 汚染汚泥の処理で1億3千万円

 東電仙台市に、1213年度の下水道事業・汚染汚泥処理の賠償とし1億3千万円を支払うことでADRで和解しました。仙台市は直接協議で得た1億2千万円と合わせてほぼ請求額を獲得しました。市と東電のADR和解は初めてです
お知らせ
都合により25日と27日は記事の更新ができません。
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仙台市と東電、ADR和解 下水道事業で1億3000万円支払い
河北新報 2019年11月22日
 仙台市は21日、東京電力福島第1原発事故に伴う損害賠償請求の和解仲介手続き(ADR)で、東電が2012、13年度の下水道事業の賠償として、1億3000万円を支払うことで和解したと発表した。市と東電のADR和解は初めて。

 賠償は放射性物質を含む汚泥焼却灰の保管・処分、放射線測定に要した費用。市は11~13年度分として2億5440万円を請求し、直接協議では1億2010万円が支払われ、残りの賠償を15年12月にADRセンターへ申し立てていた。
 今後は14、15年度分の1970万円と17、18年度分の費用も東電に請求する方針。市はこのほか、11~13年度に一般会計で支出した5290万円、11~15年度の水道事業の2530万円の賠償もADRセンターに申し立てしている。

安藤ハザマ、除染事業などで架空発注 裏金捻出

 準大手ゼネコンの安藤ハザマ18年3月期までの5年間で東京国税局から約2億5千万円の所得隠しを指摘されていました。
 東北支店、大阪支店などの社員が下請け業者に架空発注するなどして裏金をつくり、接待私的な飲食などに充てていたということです。
 重加算税を含む追徴税額は1億数千万円に上ります
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安藤ハザマ、除染事業などで架空発注 裏金捻出
TBS 2019年11月23日
 ゼネコン準大手の「安藤ハザマ」が福島第一原発事故の除染事業などで架空発注などを繰り返し、裏金を捻出していたとして、東京国税局からおよそ2億5000万円の所得隠しを指摘されました。

 関係者によりますと、「安藤ハザマ」の東北支店の幹部らおよそ20人が、下請け業者に福島第一原発の除染や土木関連工事で架空発注や水増し発注をして資金を環流させる手口で裏金を捻出していたということです。裏金は取引先への接待のほか、私的な飲食にも流用されたとみられます。
 東京国税局は、これらの支出を経費として認められない「交際費」に当たるとして、およそ2億5000万円の所得隠しを指摘しました。これを含め、申告漏れの総額は去年までの5年間でおよそ3億円、追徴税額は1億数千万円にのぼるということです。

24- 関電、高浜町に計43億円寄付

 福井県高浜町が1970年度以降、関電側から少なくとも計43億円余りの寄付金を受け取っていたことが分かりました。このうち6割超は高浜原発3、4号機の営業運転が始まる直前の80年代前半に集中していました
 円滑な原発運営を推進する狙いがあったとみられます
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関電、高浜町に計43億円寄付 原発運営の円滑化狙いか
共同通信 2019/11/23
 関西電力高浜原発がある福井県高浜町が1970年度以降、関電側から少なくとも計43億円余りの寄付金を受け取っていたことが23日、町の決算書や関係者への取材で分かった。このうち6割超は高浜原発3、4号機の営業運転が始まる直前の80年代前半に集中。多額の寄付金を提供することで、円滑な原発運営を推進する狙いがあったとみられる。

 関電は取材に「相手との関係もあり、個別の寄付実績は差し控える」と回答。電力会社の会計ルールを定めた電気事業会計規則に基づき、有価証券報告書では、電気事業営業費用の「諸費」に計上していると説明した。

2019年11月23日土曜日

木内みどりさんの死を悼みます

 女優の木内みどりさんが18日、急性心臓死で亡くなりました。69歳でした。
 木内さんは、11年3月の福島第1原発事故発生を機に脱原発を訴えるようになりました。
 14年4月には、英ロンドンで行われた脱原発の集会に参加し、英語で脱原発を訴え、作家沢地久枝さんが15年11月に始めた「アベ政治を許さない」運動にも積極的に参加し政権を批判しました。
 7月の参院選では、脱原発を訴える山本太郎氏が立ち上げた「れいわ新選組」が都内で行った街頭演説会で司会を担当しました。

 山本太郎氏は21日、その突然の死を悼んで次のツイートをしました。
「木内みどりさん。はやすぎる。寂しいじゃないですか! 世の中が変わって行く姿を見て欲しかった。 一銭の得にもならない、本業を考えればリスクでしかない。 そのような活動にも積極的に関わってくださった。 自由を愛する本物の表現者。感謝しかありません」
 
 日刊スポーツの記事と、やや古い記事ですが「この人に聞きたい 木内みどりさんに聞いた」(マガジン9)のインタビュー記事(約8000語)を紹介します。
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木内みどりさん脱原発れいわと共闘、チベット支援も
 2019年11月21日
女優の木内みどりさんが18日、急性心臓死で亡くなった。69歳だった。木内さんの公式ツイッターが21日、発表した。

木内さんは、11年3月の東日本大震災による福島第1原発事故発生を機に脱原発を訴えるようになった。18年7月に開局したウェブ番組「小さなラジオ」公式サイトで「私は少しずつ変化してきました」とつづった。変化のきっかけは元京都大原子炉実験所の小出裕章氏が「だまされたあなたにも責任がある」と発言したことだと説明。「『だまされて』きた自分はなぜだまされたのか。大きな新聞やテレビ・ラジオも本当ではないことを報道することがある」と記した。

14年4月には、英ロンドンで行われた脱原発の集会に参加し、英語で脱原発を訴えた。作家沢地久枝さんが15年11月に始めた、国会前での抗議集会にも参加。「アベ政治を許さない」と書かれたポスターを掲げて政権を批判した。15年9月16日深夜、参院特別委員会で安全保障関連法案が強行採決された際は、スピーチを行い「こんな法案、絶対に通さない」と叫んだ。

7月の参院選では、脱原発を訴える山本太郎氏が立ち上げた、れいわ新選組が都内で行った街頭演説会で司会を担当。「このごろの日本は本当に不寛容で。あれはおかしい、それはみっともないとか…どんな格好をしていようが、どんな意見を持とうが自由ですよ」などと訴えていた。

木内さんは「小さなラジオ」公式サイトに「1回きりの人生。致死率100%の人生。67歳の今、あと、何年生きられるのかを考えるようにもなりました。だからこそ始めてみることにしました」と書き残している。

◆木内(きうち)みどり(本名・水野みどり) 1950年(昭25)9月25日、名古屋市生まれ。高校1年時に劇団四季の劇団員募集に応募し合格。主な作品は86年「そろばんずく」(森田芳光監督)93年「大病人」(伊丹十三監督)など多数。95年には是枝裕和監督の劇場映画デビュー作「幻の光」に出演。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ法王が来日した際、レセプションの司会を引き受けた縁から、来日の度に司会を務め、チベットを支援する活動も行った。血液型O。


この人に聞きたい 木内みどりさんに聞いた
マガジン9 2014年6月11日
(その1)
「脱原発」のため、私がやれることは何でもやる
福島第一原発の事故後、各地の脱原発集会やデモで、司会やスピーチに飛び回っている女優の木内みどりさん。「脱原発のためなら、私にできることは 何でもやる」と語る、その強い思いの源泉はどこにあるのか。3・11以前を振り返りつつ、お話しいただきました。
「私にも責任がある」そう気がついて動き出した

編集部 木内さんは、脱原発について積極的に発言をしたり、地方選で脱原発を公約に掲げる候補者の応援をしたり、さまざまな活動をされていますね。日本の芸能界では、自身の社会的スタンスや政治的スタンスを明らかにしない人が多い中で、女優である木内さんは、ご自分の考えをはっきりとおっしゃっている。そもそも、そうした発言や行動のきっかけは何だったのか、お聞かせください。
木内
 きっかけは3・11です。福島第一原発事故後、何が起きているのか、原発がどうなっているのかもまったくわからなくて外出もできず、悶々としていた時期があったんですね。そのときに「たね蒔きジャーナル」(MBSラジオ)の小出裕章さんのお話を聴くようになって、そこだけおいしい酸素があるみたいに感じて、毎日聴いていたんです。iPhoneにも落として、何度も何度も繰り返し聴くうちに事の次第がだんだんわかってきて、それと同時にテレビのニュースも新聞もあまり信じられなくなり、ウェブでの情報を拾うようになっていったんですね。
 そうして半年くらい経った頃でしょうか。小出さんが、原発政策は「国を挙げてやってきたことだから、騙されてもしようがないけれど、騙されたあなたにも責任がある」と。「騙されたことを認識しないと、また騙される、また事故が起きる」ということをおっしゃっていて、その言葉にハッとして「私にも責任があるんだ」というふうに自覚したんです。
 というのは、私の夫の水野誠一は、2001年の静岡県知事選に出ているんですね。私はそのときは政治のことなんか何もわからないし、最初は「絶対嫌だ!」と大反対したんですけれど。どうして彼が県知事選に出たかったかというと、彼の父親の水野成夫は、静岡県の浜岡町(現在は御前崎市の一部)の出身で、フジテレビを設立したり、産経新聞の社長をつとめたりしたのですが、1960年代に浜岡原発の誘致をするときに協力した人なんです。ところがチェルノブイリの原発事故が起きたことで、息子である水野は「浜岡だって危ないんじゃないか」と危機感を持って勉強をし出したんですね。
 県知事選出馬の話が持ち上がったのは、水野は当時、参議院議員だったので、政治がわかっていて、マーケティングがわかっていて、人柄としてもクリーンだということで、地元の学生と主婦が頼みにきたわけです。だからバックも何もなかったんですが、水野は、浜岡原発を止める「いいチャンスだ」と、せっかくチャンスがあってお願いされているのに、「僕は逃げるわけにはいかない」と言ったんですよ。それはやっぱり「人としてかっこいいな」と思ったので、私もひと夏、選挙のためにものすごく頑張ったんです。

編集部 県知事選のときは、水野さんは浜岡原発の危険性を正面切って訴えたのですか?
木内
 はい。静岡空港建設反対と浜岡原発停止を言ったんですが、浜岡の話をすると、場がシラーっとなって、人がすーっと引くのがわかるんですよ。私もそのときは原発のことをまったく理解していなかったから、側で聞いていて「また難しい話をし出した」みたいな。「ねえ、浜岡の話題はやめない?」なんて言っていたくらい、わかっていなかったんですよね。
 結局、選挙は現職にダブルスコアで負けて、そのとき身に沁みたのは、有権者のみなさんの県政への無関心ぶり。私は原発の話はしなかったけれど、福祉政策とかいっぱい訴えたんです。でも、全然手ごたえがなくて、この無関心ぶりはすごいなって。
 あと、選挙の結果が出た後で、地元の財界の人たちから「もっとうまくやれば勝たせてやったのに」みたいな話も聞いたりして、私は政治の素人ですから、そういう選挙のあり方に「なんて嫌な仕組みなんだろう」と絶望したんです。それで政治とか選挙とか、どんどん嫌いになってしまって

編集部 それから10年後の2011年3月11日に、福島第一原発事故が起きた。
木内
 事故が起きてから「ああ、本当に起きちゃったんだ…」と。そこに小出さんの「あなたにも責任がある」という言葉が心に響いて、静岡県知事選のときに、もう少し原発の問題を理解して動いていたら、ちょっとは違っていたかもしれないという思いが、一気にわき上がってきたんですね。「私にも責任がある」って気づいてしまったんだから、「できることは全部やるぞ」と決意したのが、今やっているいろいろな活動のはじまりです。

国内外の脱原発運動に参加して

編集部 現在は脱原発集会の司会ほか、多彩な活動をされていますね。
木内
 ツイッターで発信したり、脱原発集会に参加したりしているうちに「司会をしてください」とか「官邸前抗議でスピーチをしてください」とか、そういう機会がだんだん増えていきました
 その流れで、この4月にロンドンの日本大使館前での脱原発集会で、英語でスピーチというのを大胆にもやってしまったんですけれど(笑)。その脱原発集会では、キャサリン・ハムネットという著名なデザイナーもスピーチをして。30年くらい前、彼女が来日したときに私は雑誌で対談をしているんです。そのとき彼女がプレゼントしてくれたTシャツには「WORLDWIDE NUCLEAR BAN NOW」というメッセージが大きなロゴで書いてあって、かっこいいTシャツなんですけれど、当時はそのメッセージが全然わからず、わかろうともせず着ていたんですよ。
 それで3・11後に、「あっ」と思ってTシャツを見てみたら、「全世界のすべての核を今すぐ禁止せよ」という意味だったことに気がついたんです。そこでまた、彼女がこれをくれた30年前に、今やっているように全身全霊で反対運動をしていたら、原発をめぐる状況はどうなっていただろうという思いが、ますます自分の中で強くなっていったんです。

編集部 ロンドンの脱原発集会では「私の人生は、福島の事故後に完全に変わり、脱原発のためにできることはすべてやろうと決心した」とスピーチをしていますね。
木内
 だからね、3・11以前の私から見たら、もうとんでもないことをしているわけで、そういう流れになってしまっている自分に、いちばん驚いているのは自分だし、怯えているのも自分なんです。でも勇気を出してやればやれないことではない。それに、私はどこの組織にも所属していないし、自分の考えを自由に言えばいいんだから、ひとつずつやっていくと、それなりに達成感はあるんですよ。ロンドンの脱原発集会では、キャサリンがものすごく喜んでくれて「一生友だちでいよう」って言ってくれたり。
 あとはアメリカに「NUCLEAR HOTSEAT」という大きなウェブサイトがあって、これはスリーマイル島の原発事故後に立ち上がったサイトなんですね。そこが3・11の3年目に、ポッドキャストで福島特集を世界に発信するというプロジェクトを組んだんです。それで小出さんや山本太郎さんや水野の他、私も「インタビューに答えてください」と言われて、「私ごときが」とためらったのですが、自分の気持ちを喋ればいいんだと思ってお話ししました。

編集部 木内さんの、脱原発を訴える活動は、日本国内だけでなく、世界にも広がっているんですね。
木内
 でも、いろいろやらせてもらって思うのは、デモや集会のやり方ももっと考えなきゃいけない。私もデモに行ったり、座り込みに行ったり、署名したり、お金を寄付したり、お金を集めたり、やって、やって、やって、やって…。だけど、やっているうちに「なーんにも変わらないじゃない、デモを何万回やってもおんなじじゃないのーーーっ!!!」というもどかしさが大きくなっていったんですね。
 「さようなら原発1000万人アクション」という集会でも、私は何回か司会をしていますが、例えばデモをするときでも、せっかくノーベル賞作家の大江健三郎さんが先頭を歩いてらっしゃるのだから、「KENZABURO OE」とプラカードを出したり、動画に英語のテロップを入れたりすれば、世界の人が見てくれるじゃないですか。デモや集会のやり方や発信の方法を変えていくことは、本当にこれからの課題だと思います。

原発や政治について、「言えない」社会の空気

編集部 一方で、脱原発に向けて、行動する人々は多数派とはいえません。それは社会の中に、政治的な話をするのはタブーだというような空気が漫然とあるからではないでしょうか。原発の話題を出すと「引かれるんじゃないか」と思ってしまったり、若い人たちからも「友だちと政治の話はしにくい」という声を聞きます。
木内
 たぶん、1人1人が自分の足で立っていないんだと思うんです。誰かが褒めてくれたり、誰かが認めてくれたり、何かの会に所属したり、支え合っていないと倒れてしまう人が多いというか。だから、原発再稼働はおかしいと思っても動けなかったり、「こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか」と気にしてなんにも言えなくなってしまうんじゃないですか。
 もともと私は1人で行動するのが好きなんですね。小学生の頃からヘソ曲がりで、学校の集団行動も大嫌いだった(笑)。3・11以降「できることは全部やる」と決めてからも、グループ活動は苦手なので、動くのはいつも1人。だから考えも誰とも似ていないと思うんですよ。知識の足りないこの自分の頭で判断しているので。その代わり、本当に知りたいことを知ってきたから、私はこの考えで最後までいこうと思っています。

編集部 本来はそうやって組織や会に属さない、それぞれ自立した個人がつながっていくのが理想ですね。どんな運動でも人と人の結びつきが生まれますから。木内さんは、原発問題に関わるようになって、交友範囲もずいぶん変わったのではないですか
木内
 3・11前と後では、友人はかなり入れ替わっちゃいました。「なんだかすごい頑張っているのね…」みたいな、冷やかな言い方をする友だちは「もう会ってくれなくてけっこうです」って(笑)。私のほうで、そういう人たちは色あせてしまったんですね。あれだけの事故が起きて、原発の危なさが見えたのに、全然興味を持たないでいられることが、私にはわからない

編集部 芸能界に限らず、私たち一般社会においても、なかなか、政治や原発の話題は出しにくいわけで…。でも、何かきっかけをつくって、話しかけていくことは大事ですね。
木内
 そう、先日も友人のお誕生日会で久しぶりに会った知人がいるんです。彼女は、政治に関してしっかりとした自分の考えを持っているので、せっかくの会なのに、2人で「いや、そうじゃない!」「私はそうは思わない!」なんて、ちょっと言い合いになったんですね。でも、おたがいの意見は違うけれど、彼女は「こういう場で政治の話をするのは初めて」と言うんです。「本当はこうあるべきよね。日本の女の人はやらなさ過ぎ。そこは問題だから大いにやりましょう」と言っていました。だから、私もひるまずに、原発のことを聞いてくれそうな人がいたら、どこでもどんどん喋ろうと思うんですよ。
(その2)
「熱」を持って動いていこう 脱原発候補者の選挙応援に駆けつけて

編集部 前回は、脱原発運動に関わるきっかけと、活動の内容などを伺いました。そこから2月の都知事選をはじめ、地方選で脱原発を公約とする候補者の応援もされるようになったんですね?
木内
 選挙に関しては、私はどこの党とも関係がないし、どの組織にも属していないので、はっきりしているのは、とにかく原発を止めたい。それだけなんです。原発を止められそうな人がいたら、その候補者を全力で応援する。だから都知事選のときは、脱原発を訴えて出馬した宇都宮(健児)さんの応援をすることは、早い時期に決めたんです。

編集部 選挙期間中はあちこちの集会の司会をしたり、それこそ全力で協力されていましたね。
木内
 先にお話ししたように、脱原発集会のやり方を変えなくちゃいけないと思っていたので、選対(選挙対策本部)でも私なりに「こうしたらどうか」といろいろな考えを伝えました。
 例えば2013年の参議院選で三宅洋平さんが出てきて「選挙フェス」をやったときには、「こういう選挙のやり方があるんだ!」と目からウロコでしたよね。だから選対では、これまでの選挙の闘い方にこだわらず、「(応援演説では)政治家の話は心に響かないからやめましょう」ということも言ったんですよ。官邸前で脱原発を訴えている人たちでも、政治を自分の言葉で語れるようになった人たちがいるんだから「そういう人たちに喋ってもらいましょうよ」とかね。

編集部 都知事選の選挙運動の途中で、沖縄の名護市長選の応援にも行かれていますね。
木内
 名護市長選が1月にあって、現職の稲嶺進さんはずっと辺野古への米軍基地建設に反対されていて、熱い思いを持った方ですよね。私は、宇都宮さんから稲嶺さんへの応援の檄文を届けに行ったんです。
 名護のみなさんは、意識が高かったですよ。石破茂さんが「(基地容認派が勝てば)500億の振興基金を出す」って言ったでしょ。でも、普通のおじいちゃん、おばあちゃんでも、沖縄戦の記憶が生々しくあるからかもしれませんが、札束でひっぱたかれても動じない。びっくりしたのは、車を運転していたら、ガソリンスタンドのスタッフの若い男の子が「名護のことは名護が決める」と書いたプラカードを掲げているんです。「かっこいい!」と思いましたね。

編集部 都知事選の後は、4月の衆議院鹿児島2区の補欠選挙にも駆け付けていますね。
木内
 都知事選では自分なりにやれることはやったし、しばらく選挙とか政治からは離れていようと思っていたんです。そうしたら、ロンドンの脱原発集会でスピーチをしてむこうの空港にいたときに「川内原発の再稼働を阻止するチャンスだ」という電話がかかってきたんですよ。「私、ちょっと、行けないですよ!」と言いながらも「ああ、私は結局行くんだろうな」って。もうね、自分でわかるんですよね(笑)。

編集部 木内さんが応援した有川美子さんは、山本太郎さんの「新党ひとりひとり」が擁立した候補者ですね。福祉政策と、川内原発の再稼働阻止、消費税増税反対を訴えていました。
木内
 山本太郎さんが、誰かいないかと見つけた介護福祉士の人です。この有川さんという人がすごくいい人で、東京からも太郎さんの選挙を支援した人たちがいっぱい行ったんですけれど…。1位当選した自民党の陣営は、とにかくお金を使った選挙をやっていました。2位の民主党の候補者は、30人くらい民主党の議員の秘書さんたちが応援に来ていたんですが、数人ずつに分かれて「選挙に行こう」と書いた紙を持って歩いているだけ。民主党、あれじゃ勝てるわけがない。「何やってるの?」と呆れました。
 私たちは、お金はないけれど情熱はあったと思うんですが…。

編集部 鹿児島2区の有権者の反応はどうでしたか?
木内
 この補欠選がいかに大事な選挙か、一生懸命訴えたんですけれど、届かなかったですね。「今度の選挙は全国が注目しています」と言っても、投票日も知らない方も多くて。川内原発がどれだけ危ないか伝えても、「でもねえ、原発のおかげで暮らしているしね」と言う人もいました。

編集部 地方選こそ、生活に密着した身近な選挙なので、もっと多くの人に関心を持ってほしいですね。来年は統一地方選挙がありますし。
木内
 鹿児島2区では有川さんは5858票しかとれなくて、自民党の候補者が6万票で、民主党の候補者が4万票。だけど、有川さんのツイキャスを見たり、ツイッター、フェイスブックで追いかけて、寄付もしてくれて、応援もしてくれた人たちがいっぱいいるんです。
 だから、希望は感じています。5858票は種火なんですよ。「この種火は絶対に消えない」という感触はあるんですね。自民党の組織票に比べたら少ないかもしれないけれど、熱があるから。「この熱はいつか伝わっていくよ、フワーッと伝わったら、あるときボッと火がつくよ」と私は思うんです。それは夢見ています
 三宅洋平さんなんかも、あちこちの地方の市長選や町長選で、熱心に支援活動をやっています。地方選では、これまで選挙に出ようなんて思わなかった人が出始めているでしょう? そういう選挙戦では、ネットの分野で活動している若い人たちも動き出しているので、小さいところから3年後、5年後、10年後を目指して、着々と地固めはできていると思うんですね。

一人ひとりが 「熱」を持って動けば変えられる

編集部 木内さんはこの3年間、脱原発運動に尽力してこられて、そのつながりで政治や選挙にも関わるようになりました。最近の重要な問題としては、安倍政権は解釈改憲による集団的自衛権の行使容認を進めようとしていますが、そのへんはどう思われますか?
木内
 私はずっと脱原発ばっかり訴えてきたので、集団的自衛権のことは実感としてわからないんですけれど。ただ、去年の夏、報道写真家の福島菊次郎さんのドキュメンタリー映画の上映と写真展と講演が横浜であって、私もイベントに参加したんですね。そのとき菊次郎さんが、「このままじゃ戦争が始まる。今は戦前なんだ」というようなことをおっしゃっていて、あれから1年近く経って、状況は1歩、2歩、3歩、4歩、5歩くらい進んでいるのだろうから、「本当にそうなんだろうな…」とは感じます。
 イベントでは、菊次郎さんに「あなたは女優さんなんだから、あなたが読んでください」と言われて、『あたらしい憲法のはなし』という冊子をその場でいきなり渡されて朗読したんです。『あたらしい憲法のはなし』というのは、「戦争放棄」のことがわかりやすく書いてあって、素晴らしいですね。あれ、日本国憲法が公布された年に配られた中学生用の教科書らしいですね。

編集部 1947年の5月3日に憲法が施行された後、当時の文部省がつくって配布したものですね。憲法に書かれている内容を、中学生向けに分かりやすく解説してある。
木内
 横浜のイベントの後、府中でも菊次郎さんのイベントがあって、また「読んでください」とリクエストされて読んだんです。そのときはちゃんと読み込んでいって、この素晴らしい冊子を配ろうと考えたのは誰なのか知りたくなったんですね。それで「もともとの発案者を探すプロジェクトをつくろうよ」と私は言っているんですけれど。

編集部 木内さんが感じているはがゆさのようなものを、私たちも感じています。原発再稼働を目論み、集団的自衛権の行使容認に突き進もうとしている現政権の暴走を止められないでいます。原発も憲法も、大事な局面にあるのに、世の中の大多数は、無関心だったりと。
木内
 私はね、社会と自分は同じ大きさだと思っているんですよ。だって、私が死んじゃったら自分にとっての社会もなくなってしまう。だから、大きな社会があって、その中にちっぽけな自分がいるんじゃなくて、この社会イコール自分だというふうに考えているんですね。だとしたら、こんな社会で生きるのは嫌だ、原発のない社会にしたい、戦争をしない国にしたいと思ったら、自分が動いて変えていくしかないじゃないですか。
 そのとき大切なのは、「熱」じゃないかと思うんです。脱原発の運動やいくつかの選挙戦を経験してわかったのは、どれだけ熱を持っているかで、伝わり方は全然違ってくるということ。偉い政治家が言うことよりも、普通のお母さんの言葉にふっと胸を打たれたりしますよね。権威とか、肩書とか、権力とか、武器とか、そんなもので世の中を動かすことはできない。心に伝わるあたたかいものでなければ、原発も戦争もなかなか止められないと思うんですね。1人ひとりが熱を持って行動すれば、きっと社会は変わります。