2021年1月5日火曜日

福島県を 脱炭素モデル県に

  福島県の郡山、大熊、浪江の3市町が二酸化炭素などの排出量実質ゼロを目指す「ゼロカーボンシティ」を宣言しました。こうした動きを産学官に広げるため、環境省は21年度、脱炭素の分野で全国初となる本県に特化した支援制度に乗り出します。

 小泉環境相は21年の年頭に当たり、福島民友新聞社の取材に答えました。
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脱炭素モデル県に! 再エネ循環都市づくり 復興加速へ特化支援
                      福島民友ニュース 2021年1月3日
 小泉進次郎環境相は2021年の年頭に当たり、福島民友新聞社の取材に答えた。50年までに温室効果ガス排出量を実質ゼロ(カーボンニュートラル)にする政府目標を挙げ「福島から始まったカーボンニュートラルの取り組みが復興と新たなまちづくりにつながるよう後押しする」と語り、脱炭素の動きを復興加速の足掛かりとする方針を明らかにした。(聞き手 社長・編集主幹 中川俊哉)
 県内の脱炭素の取り組みでは郡山、大熊、浪江の3市町が二酸化炭素(CO2)などの排出量実質ゼロを目指す「ゼロカーボンシティ」を宣言。こうした動きを産学官に広げるため、環境省は21年度、脱炭素の分野で全国初となる本県に特化した支援制度に乗り出す。
 太陽光やバイオマス発電などの再生可能エネルギーと水素を生かし、地域内でエネルギー供給を自立、循環させる仕組みづくりにつなげる。市町村や企業、団体、大学などが行う調査、計画策定、環境整備を段階ごとに支援。脱炭素や再生エネ導入拡大の計画をつくり、設備を取り入れる際に費用を補助するほか、浜通りで再生エネや廃棄物処理、脱炭素などの分野で新技術が産業に結び付くかどうか可能性を調べる。

 一方、本県復興に向けては、県内の除染で出た汚染土壌などを一時保管する中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)の建設が進み、各地の仮置き場の解消が加速する見通しだ。環境省は帰還困難区域を除いて21年度内に施設への搬入をおおむね終える計画で、小泉氏は「復興が停滞することのないよう全力を注ぐ」と強調した。
 新型コロナウイルス感染拡大で観光、働き方の両面から注目されたのが、休暇先で働くワーケーションの誘致だ。県は「ワーケーションの聖地」を目指す方針を掲げており、小泉氏は磐梯朝日国立公園などを念頭に「県内のさまざまな地域がワーケーションのポテンシャルを生かせるようWi―Fi(ワイファイ)などの環境整備にも力を入れる」と述べた。
 【小泉進次郎環境相インタビューは福島民友新聞・1月3日掲載紙面をご覧ください】

05- 「福島の事故、風化させない」東電社長

 東電社長が年頭訓示「福島の事故、風化させない」

                        河北新報 2021年01月05日
 東京電力の小早川智明社長は4日、ビデオメッセージで年頭の訓示を行い、全社員に「福島第1原発事故から10年を区切りとせず、事故を風化させることなく福島への責任を全うする」と述べた。
 小早川社長は「いまだに多くの方々が避難を余儀なくされ、地元の復興も道半ばにある」と強調。復興と廃炉の両立に向けて「各組織・個人が主体性を持って業務に関わる必要がある。おのおのが役割に責任を持ち、立場を超えて連携し、信頼を築くことが重要だ」と呼び掛けた。

2021年1月2日土曜日

「脱原発依存」で新産業創出を 会田・前柏崎市長

 地元新潟県柏崎市生まれで、2004年から2016年まで3期にわたり柏崎市長を務めた会田洋氏に毎日新聞がインタビューしました。
 会田氏は在任中、07年7月の中越沖地震に、11年3月の東日本大震災・福島第1原発事故に遭遇しその対応にあたりました。
 福島原発事故までは原発は安全で事故もないとされてきたものの実はそうではなかったことが誰の目にも明らかになり、それからは「安全性を第一にしながら原発を徐々に減らし、将来的には原発に依存しないまちにしなければいけない」と考えるようになったとしています。
 柏崎刈羽の再稼働へのスタンスを問われ、「在任中には原子力規制委の審査が終わらず、市長として再稼働について明確に言えるような段階ではなかった。再稼働について『容認する』と言ったことはない」と語りました。
                  お知らせ
      都合により3日と4日は記事の更新が出来ません。ご了承ください。
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崩れた安全神話 「脱原発依存」で新産業創出を 会田・前新潟県柏崎市長
                      毎日新聞 2021年12月日1月1日
 中越沖地震と東日本大震災。柏崎刈羽原発の立地市長として二つの災害を経験した前新潟県柏崎市長の会田洋さん(73)に、当時の対応や、原発に対する考えを聞いた。【内藤陽、井口彩】
 −−原発に対する考えに変化は?
 ◆市長に就任した時、1号機の運転開始から19年たっていた。地元には原発を巡る推進と反対の長い抗争の歴史があり、市民が一つにまとまりにくい状況が今も続いている。就任までは大きな事故もなく、市長としては「あくまでもまちの安全性を確保しながら、原発と共存する」というスタンスだった。
 しかし

 −−柏崎刈羽の再稼働へのスタンスは
 ◆市が行ったアンケート(「エネルギー政策に関する市民意識調査」2020年2月)では、再稼働についての問いはないが、直ちに ▽徐々に ▽できる限り——を合わせた9割近い市民が原発を減らしていってほしいと答えており、市民の大多数と私は同じ考えだと思う。
 だが私の在任中には原子力規制委員会の審査が終わらず、市長として再稼働について明確に言えるような段階ではなかった。再稼働について「容認する」と言ったことはない。「当面する再稼働はともかく、将来に向けて原発を減らしていかなければならない」というのが当時の言い方だった。

 −−中越沖地震で、発生2日後に消防法に基づく「緊急使用停止命令」を出した経緯は
 ◆発生当日、安倍晋三首相(当時)に同行する形で私も原発に行った。3号機変圧器の火災は鎮火していたが、道路も配管も波打ってズタズタだった。
 翌日に立ち入り調査した市消防本部から報告を受けた時に、同行した総務省消防庁の担当者が「消防法の使用停止命令をかけるべきだ」と言って帰った、ということを聞いた。それで初めて「そんな規定があるのか。どうする?」となった。「状況から見て使用停止命令をかけるべきだ」という方針は決まったが、「どういう状態になったら解除するのか」ということが特に議論になった。

 −−その後はどのように運転再開したのか
 ◆東電がさまざまな安全対策を講じ、原子力安全・保安院や原子力安全委員会が安全確認をした。県技術委員会も「国の評価は妥当」という結論を出した。その段階で地元の市長としての判断を迫られた。「安全に対する技術的な問題がクリアされたのなら、運転再開を認めざるを得ない」。そう考えた。
 しかし、原発の運転再開に不安を持っている市民がいる。できるだけ丁寧に説明して理解を得る努力をした。東電や保安院もそれぞれ説明会を開いたが、相当荒れたと聞いた。私は市長としての考えをまとめた文書を全戸配布し、市民からの意見を募った。市内6カ所で市民説明会を開き、私自身が出席して直接市民の声を聞き、ほとんどもめなかった。

 −−東日本大震災での対応は
 ◆事故からまもなく福島県双葉町の井戸川克隆町長(当時)から夜遅くに「柏崎に町民3000人を受け入れてほしい」と電話があった。「これは大変だ。3000人はちょっと無理だ」と。翌朝、森民夫・長岡市長(当時)に電話をかけて「柏崎で2000人受け入れるから、残り1000人を受け入れてもらえないか」と依頼し了解を得た。結果として双葉町民は埼玉県加須市に行くことになったが、実際に受け入れていたら大変だったろう。
 事故が進むにつれて柏崎市に続々と避難者が集まった。一時は2000人超と県内で最も多くなった。原発から逃げるのに、なぜ避難先が原発のある柏崎なのか。当初は分からなかったが、避難者には原発関係者が多いことが次第に分かってきた。以前に柏崎で原発関連の仕事をしていた ▽夫は福島だが家族は柏崎にいる ▽仕事上の知り合いがいる——などの人々だ。福島と柏崎の両方を行き来して、柏崎に土地勘があったのだろう。
 市では被災者サポートセンター「あまやどり」を設置。見守り訪問や交流の場の提供などの避難者支援にあたったり、福島原発の立地4町に支援のため職員を派遣したりした。

 −−なぜそこまで避難者の受け入れに尽くしたのか
 ◆柏崎市、刈羽村と4町とは同じ東電の原発がある縁で、以前から年1、2回持ち回りで交流を続けてきたので、ひとごとではなかった。4町は全く推進一色で、「柏崎には原発反対の人がいて大変だね」と冷やかす町議もいた。その人たちが被害を受け、心中いかばかりだったか。避難先に町長を訪ね、避難者の惨状を目の当たりにして、避難者が何人来ようと、なんとかしなければいけないという思いだった。

 −−新エネルギー産業創出への取り組みは
 ◆原発に依存しないまちづくりには、原発に代わる新たな産業が必要だ。将来に向けて原発に依存しないという方向性を市民が共有し、併せて地域のさまざまなポテンシャルを結集して新たな産業構造構築の可能性を探ることだ。福島事故後「明日の柏崎づくり事業」として勉強会、講演会、シンポジウムなどに取り組んだが、そう簡単にできるものではなかった。

 −−昨年の市長選で現職の桜井雅浩氏が再選を果たした
 ◆6、7号機の再稼働問題が主要な争点の一つになったのは間違いない。だが市長選はあくまで次の4年間のまちづくりのリーダーを選ぶもの。原発を含めたさまざまな課題に対し民意が示されたということで、再稼働の是非を問う住民投票ではない。4年間の桜井市政に対する市民の評価や今後への期待が高かったということだ。
 廃炉産業や地域エネルギー会社設立など、原発に代わる産業が必要だという問題意識は似ているが、桜井氏はもともと原発推進派で私は慎重派。立ち位置はそれほど遠くはないが、向いている方向は違うのかもしれない。再稼働については、市民の中にさまざまな意見があるので、それを改めて丁寧にくみ取る努力をしたうえで、判断することが非常に大切だと思う。

新潟県と原発のおもな出来事
1975年 3月 東京電力が柏崎刈羽原発1号機の原子炉設置許可を申請
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  85年 9月 柏崎刈羽1号機が営業運転開始
  96年 8月 巻町の住民投票で東北電力巻原発の建設に反対多数
  97年 7月 柏崎刈羽7号機が営業運転開始、全号機が完成
2001年 5月 刈羽村の住民投票で柏崎刈羽プルサーマルに反対多数
  02年 8月 東電の原発トラブル隠しが発覚
      9月 県などが柏崎刈羽プルサーマルの事前了解を取り消し
  04年10月 自民、公明が推薦する泉田裕彦知事が初当選
  07年 7月 中越沖地震、柏崎刈羽が被災し全号機が停止
  09年 5月 中越沖地震後初めて柏崎刈羽7号機が起動
2011年 3月 東日本大震災 東電福島第1原発事故
  12年 3月 柏崎刈羽6号機が定期検査、東電の全原発が停止
      4月 柏崎刈羽の運転差し止めを求め住民らが東電を新潟地裁に提訴
      7月 泉田知事の要請で、県技術委が福島事故の検証を開始
      9月 原子力規制委員会が発足
  13年 3月 県が福島事故を受けた初の大規模な原子力防災訓練
      6月 規制委が原発の新規制基準を決定
      9月 東電が新規制基準に基づく柏崎刈羽6、7号機の審査を申請
  16年 2月 東電が福島事故の炉心溶融を隠す、県技術委の議論で発覚
     10月 柏崎刈羽の敷地が津波で浸水恐れ、規制委の審査で発覚
     10月 野党3党が推薦し再稼働に慎重な米山隆一知事が初当選
  17年 1月 米山知事が「三つの検証」の検証委設置を表明
      2月 柏崎刈羽の免震重要棟が耐震不足、規制委の審査で発覚
     12月 柏崎刈羽6、7号機が新規制基準に基づく規制委の審査に合格
  18年 6月 自民、公明が支持する花角英世知事が初当選
  19年 1月 県が原子力災害広域避難計画の原案を公表
      8月 東電が柏崎刈羽の1基以上の廃炉を桜井雅浩柏崎市長に表明
  20年 4月 柏崎刈羽の使用済み核燃料税を経年累進化する柏崎市条例が成立
      9月 県技術委が福島事故検証の報告書を大筋でまとめる
     10月 規制委が柏崎刈羽6、7号機の保安規定を認可、全審査が終了

会田洋(あいだ・ひろし)氏
 1947年3月、柏崎市生まれ。東大工学部卒。大阪市、長岡市の職員を経て2004年に柏崎市長に就任。市長を3期12年務め、07年7月の中越沖地震、11年3月の東日本大震災・福島第1原発事故の対応にあたった。

新潟県内 野生の食用キノコ事情

 11月3日、「魚沼きのこの会」のメンバー10数人による恒例(年3、4回)のキノコ狩りに同行した毎日新聞の記者が、新潟県魚沼地方を中心とする「野生の食用キノコ」の事情について報じました。
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原発事故で野生キノコ食用自粛に…文化の継承と安心、両立させる仕組み必要
                          毎日新聞 2021年1月1日
 2021年、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故から10年になる。東電柏崎刈羽原発は原子力規制委員会の全審査を終え、焦点は再稼働の地元同意の可否に移った。この10年、東電の二つの原発と新潟はどのように関わり、新潟に何をもたらしたのか——。県内の人々への取材を通じ、改めて考えたい。【井口彩】
 紅葉が山を彩る11月3日。湯沢町の公園に「魚沼きのこの会」のメンバー十数人が集まった。
 事務担当を務める同町の大竹文雄さん(64)が説明した。「チャナメツムタケにムキタケ、ムラサキシメジ……。今の時期、山にはおいしいキノコがいろいろあります」
 同会は1995年、魚沼地域のキノコ研究を深めようと発足。年に3、4回集まってキノコを採りに行ったり、持ち寄ったキノコの品評会をしたりしてきた。居住地は県内外を問わない。参加目的も「キノコの種類を知りたい」「珍しいキノコを探してみたい」などとさまざまだ。
 一行は、数組に分かれて周辺の山の中へ。記者は会長の中平隆政さん(67)=南魚沼市=とともに同町三俣の山に入った。一見するとただ落ち葉が積もっただけの地面に、目をこらすと大小さまざまなキノコが顔をのぞかせている。
 山に入って30分ほどたったころ「こっちにナメコがありました!」と声が上がった。見ると、コナラの木に二、三十個のナメコがびっしり生えている。下からすくうようにもぐと、簡単に採れた。
 約1時間半、キノコ採りをした後は、町の料理店で納会をした。けんちん汁やチキンのトマト煮込み、白あえなど、色とりどりの料理がテーブルに並ぶ。大竹さんが採り、店に提供したキノコがほとんどの料理に使われている。
 記者も一緒に食べた。普段食べているキノコよりも格段に風味や食感がいい。「こんなにおいしいものが、食べられなくなっているなんて」。頭の中にこんな感想がよぎった。なぜならこのキノコは、出荷・食用自粛の対象だからだ。
                    ◇
 魚沼地方では、古くからキノコや山菜などの山の幸を採って食べる文化が受け継がれてきた。冬になれば、高さ数メートルの白壁がそびえる日本一の豪雪地帯。春から秋にかけて収穫されるキノコは、農作物の採れなくなる冬場の貴重な栄養源だった。
 同会メンバーで、十日町市・松之山温泉の旅館「凌雲閣」で16年まで約30年にわたり料理人を務めた滝沢博さん(73)も、幼いころからそうした文化に慣れ親しんだ一人だ。「採ったキノコを塩漬けしたり乾燥させたりする保存法は、自分も近所の人もみんな生活の中に取り入れていた」と振り返る。
 しかし福島原発事故で、湯沢町のキノコを巡る状況は一変した。
 12年10月、同町三国の山中で採れた「シロヌメリイグチ」から、国の基準値「1キロ当たり100ベクレル」の4・5倍に当たる、1キロあたり450ベクレルの放射性セシウムを検出。同月に県が実施した緊急調査では、湯沢 ▽神立 ▽土樽 ▽三俣 ▽三国——の同町5地区で採取された野生キノコ7種でいずれも基準値を下回ったが、県は「まだ安全とは言い切れない」として出荷・食用の自粛を呼びかけた。
 同町産の野生キノコは、以後も断続的に基準値を超える放射性物質を検出している。19年7月にはナラタケのみ解除されたが、湯沢町の野生キノコはいまだに自粛要請が続いているのだ。
 高齢化で、キノコ採りに山に入る人が減り、キノコを食べる文化が姿を消し始めつつある中で起きた原発事故。「我々の仲間でも、事故後にキノコを食べなくなった人がいた」(滝沢さん)。町の直売所でキノコを売ったり、旅館で地物のキノコ料理を出したりすることも自粛しなければならなくなった。
 それでも、同会では変わらず湯沢町でキノコを採り、食べてきた。「高い数値が出たのは町の公園の中の水が集まってくるところ。放射性物質は水とともに集まりやすいから、それ以外は問題ない」というのが、メンバーの共通見解だからだ。中平さんは淡々と語る。「気にする人は食べなければいいし、気にしない人は自己責任で食べる。自分としては、(高齢で)先もないし、放射性物質の影響を受ける確率よりも、毒キノコの方がよっぽど怖いですよ」
 キノコを食べる文化は、食べる人がいないと守れない。彼らは、意図こそしていないが、脈々と続いてきた食文化を絶やさないよう持ちこたえる一つの“とりで”になっているのではないか。
 食文化の継承か、食の安心か——。放射性物質の専門家は、この二つを両立させる仕組みが必要だと指摘する。
 放射性物質による植物や土壌への影響を研究する、量子科学技術研究開発機構の田上恵子グループリーダーは、そもそも「いまの基準を超えるキノコを食べたとしても、健康には全く影響がない」と断じる。
 現行の基準は1キロ単位の数値を基に決められているが、1キロものキノコを一度に食べることはそうなく、採れる時期も限られる。摂取する放射性物質の量は、毎日食べるコメなどに比べて少なく、身体への害が出るレベルまで被ばくするとは考えにくいという。
 安心して食べられる「上限値」が日本にはないことも問題だという。田上さんによると、1986年のチェルノブイリ原発事故で影響を受けたノルウェーでは、キノコを餌にするトナカイの肉を食べる先住民族の文化を守ろうと、年間に食べる上限量を決めた上で、1キロ当たり数千ベクレルのトナカイ肉の食用を認めた。
 田上さんが強調するのは、リスクをきちんと評価することだ。「政府による保証がないために、基準値を超えたものを食べることに対する『罪悪感』が生まれてしまう。基準値を確実に超えない種類は規制を外すなど、キノコを食べる文化を守りつつ、できることがあるのではないか」

1キロあたり760ベクレル
 県内の農産物から検出された放射性セシウムの最高値。2012年に十日町市で捕獲された熊肉から検出した。国は熊肉の出荷制限を指示し、20年10月に一部解除された。山菜のコシアブラも14年から津南町、魚沼市、南魚沼市、湯沢町で同116〜220ベクレルを検出。現在でも4市町で国による出荷制限が続いている。

福島医大が「県民健康調査」で国際シンポ

「県民健康調査」で福島医大が国際シンポ 福島で2月13、14日
                        福島民友 2020年12月29日
 福島医大放射線医学県民健康管理センターは来年2月13、14の両日に福島市のザ・セレクトン福島で国際シンポジウムを開く。
 震災と原発事故から丸10年の節目を前に、同センターが取り組む県民健康調査の現状や今後の展望について情報発信する。
 新型コロナウイルス感染防止対策を徹底して開催する。海外から英国、オーストラリア、オーストリア、スイス、フランスの専門家がオンラインで参加する。
 2部構成で開き、第1部では神谷研二センター長がこれまでの成果について講演するほか、県民健康調査の中の各調査についてセンターの教員が説明する。
 第2部は「県民健康調査のこれから」と題し、立谷秀清相馬市長らが講演する。
 参加無料。事前申込制で、特設ホームページにある申し込みフォームやファクスなどで申し込む。会場参加とオンライン参加の2種類ある。

 希望者多数の場合は抽選になる。問い合わせは国際連携室(電話024・581・5455)へ。 

02- 福島 県外避難者2万9307人 前回より52人減

県外避難者2万9307人 前回調査比52人減、福島県が発表
                        福島民友 2020年12月30日
 福島県から県外への避難者数は2万9307人(8日現在)で、前回調査(11月11日時点)から52人減少した。県が28日に発表した。
 都道府県別の避難者数は、茨城が3066人、東京が3011人、栃木が2756人など。

 復興庁による毎月の調査に基づき、県が集計した。 

2021年1月1日金曜日

01- 新年のごあいさつ

新年おめでとうございます

 昨年は多くの皆様にご訪問いただきましてありがとうございました

 今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます

                          2021年 元旦