2016年3月25日金曜日

高浜原発 関電が仮に控訴で逆転勝利しても損害賠償請求などはできない

  大津地裁は39日、関電高浜原発3、4号機に対する住民側の申し立てを認め、稼働を停止する運転差し止めの仮処分決定を出しました。
 それに対して関電の八木誠社長は、318定例記者会見で、上級審で判断が覆った場合の損害賠償請求について、「現時点では何も決めていないが、一般的に逆転勝訴した場合、損害賠償請求は検討対象になる」と述べました。
 
 素人としては、「そんな話は聞いたことがないが、損害を被ったというのなら提訴くらいはできるのかな」と思ってしまいますが、そんな提訴をすることは法律的に認められないということです。
 関西学院大教授で弁護士でもある宮武嶺氏が、同氏のブログ:Everyone says I love you ! で
そのことを分かりやすく説明していますので、以下に紹介します。
 文中の太字強調部分は原文に従っています。
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関電の八木社長が高浜原発仮処分で
逆転勝訴したら 「原告に損害賠償請求できる」。
  んなわきゃねえだろ!
Everyone says I love you ! 2016年03月24日
 
 甘利にも、いやあまりにも呆れたのでいつになく口汚い表題になってすみません。
 
 2016年3月9日、大津地裁は去年9月の福井地裁に続いて、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)を巡り、住民側の申し立てを認め、稼働を停止する運転差し止めの仮処分決定を出しました。
 まさに、条理と情理を尽くした名決定でした。
 
 ところが、上級審で判断が覆った場合の損害賠償請求について、関電の八木誠社長が3月18日に電気事業連合会で電事連会長としての定例記者会見をした際に
「極めて遺憾で到底承服できない」
と言ったのは裁判に負けたんですからわかりますが、それに加えて
「現時点では何も決めていないが、一般的に逆転勝訴した場合、損害賠償請求は検討対象になる」
と言ってしまいました。
 
 あのですね。
 裁判に勝ったら負けた側に対して
「なんでそんな裁判起こしたんだ」
 とか
「一審でそっちが勝ったもんだから、こっちが損しちゃったじゃないか」
とか、そんなに簡単に損害賠償請求ができるなら、スラップ訴訟問題なんて解決したも同然です。
 
 たとえば、DHCの吉田会長が澤藤先生のブログ記事が気に入らないと言って裁判を起こしてきて、澤藤先生が完全勝利しているわけです(今から澤藤先生を関電、吉田会長を住民側に例える非礼をお許しください)。
 だからといって、裁判で勝った側の澤藤先生が、負ける癖に裁判を起こしてきて損害をかけられたとDHCと吉田会長に簡単に損害賠償請求出来るわけではありません。
 DHCと吉田会長が裁判を起こしたことが不法行為と言えなければなりません。つまり、裁判を起こすことが違法で過失があると言えなければならないのです。
 
 スラップ訴訟を許さない仕組みの構築は、我が国の司法制度のこれからの課題です。
 
 さて、もちろん、結果として裁判に負けたから、裁判を起こしたことが違法で過失があるということにはなりませんよね。
 裁判とは一方が勝って一方が負けるものなのですから、相当常識外れに不当な裁判で、明確に不法な意図が認められるような極めて特殊な例外的場合でないと、裁判を起こしたこと自体が不法行為だなんてことにはなりません
 
 今回の高浜原発の操業停止仮処分を求めた住民らは、もちろん自分たちの生命、財産、人格権などを守るために訴訟を起こしているのであって、正当な権利を守るための裁判ですし、多くの人の命や健康にかかわる裁判ですから、普通よりむしろより公益性の高いものといえます
 関電の八木社長の言動こそ、自分たちに逆らうものに対する恫喝であり、こちらのほうがむしろ違法の可能性さえあります。
 そして、ほんとうに住民に裁判を起こしたら、それこそがスラップ訴訟なのです。
 
 この仮処分を申し立てた弁護団は3月22日、関西電力に当てて抗議文を送付し、
「仮処分申し立ての断念や、新たな申し立てに対するけん制が目的としか考えられず、どう喝だ」
として、八木社長に発言の撤回を求めました。
 DHCといい関電といい、大企業の横暴、消費者軽視も極まれりと言えます。
 
 弁護団の抗議文の締めくくり。
「御社のような社会的責任ある大企業は、そのような卑劣な行為に及ぶべきではありません。本件各原発の運転の可否は、御社が今般申し立てた仮処分異議事件において、正々堂々と主張を戦わせ、その上で司法の判断に従うべきものです。
 私たち、全国で原発の廃絶のために闘っている脱原発弁護団全国連絡会及び高浜原発仮処分滋賀訴訟弁護団は、貴殿に対し、記者会見における上記発言を撤回されるよう、強く求めるものです。」
 どちらが堂々としているかは明らかです。
中 略
   「100年後の人々へ (集英社新書)  小出裕章 著 集英社 
「元々は、地質学者になりたかったのです―」。鉱石採集が大好きだった少年は、「核の平和利用」のキャンペーンに呑み込まれ、原子力開発の夢を追うようになった。だが、いち早くその詐術と危険性に気づき、その後、原発をなくすための研究と運動に半生を捧げてきた工学者・小出裕章は、三・一一から三年が経過しようとしている今、何を思うのか。そして、過去からの膨大な負債に苦しむであろう一〇〇年後の人々に「こんな事故を起こした時代に、お前はどう生きたのか」と問われる場面を想像しながら述べた言葉とは?
 
原子力ムラなんて言葉は生ぬるくて、まさに核マフィアと言った方がいいんでしょうね。
全く尊大というか傲岸というか、およそ広い意味での公害が問題になった事案で、加害企業とされた側が住民を訴えてやるだなんていった話は記憶にありません。