新潟日報に掲題の記事が出ました。
柏崎刈羽原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案の審議は、臨時新潟県議会で16日から3日間の日程で行われる予定です。
福島第1原発の大事故以降、原発の再稼働の是非を問う都府県条例の審議はこれまで大阪市、静岡県、新潟県などで行われましたが、残念ながらいずれも各議会で条例案の制定が否決されています(大阪市議会12.2.14、東京都議会12.6.24、静岡県議会12.10.11、新潟県議会13.11.23)。
原発誘致の段階でその可否を求める住民投票は、東北電力(新潟県)巻原発建設計画に関して旧巻町で1995年に自主管理により実施され、投票数の95%が反対しました。
引き続き1996年8月には全国初の住民投票が行われ、6割が反対を示しました。
新潟日報は政治者の小原隆治早大教授(地力自治)に住民投票の歴史や意義などについて聞きました。
また旧巻町の原発住民投票を主導した元巻町長 笹口孝明氏に当時の反対運動や住民投票の経過などを聞きました。
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柏崎原発再稼働県民投票条例案審議へ 民意とずれ 解決の手段
電力消費地への問題提起も
新潟日報 2025年4月6日
東京電力柏崎刈羽原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案の審議が16日から、県議会で始まる。住民投票の仕組みや意義などについて地方自治が専門の早稲田大の小原隆治教授(66)に聞いた。 (報道部・天谷友紀)
政治学(地力自治)小原隆治教授=早大=
小原隆治 こはら・たかはる
1959年、長野県生まれ。早稲田大大学院修了。成跳火教授などを経て、2010
年から早大政治経済学術院教授。著書に共編「震災後の自治体ガバナンス」(東
洋経済新報社)など。
-全国では、どのようなケースで住民投票が実施されてきましたか。
「原発や基地、産業廃棄物処分場に関する是非を問う場合だ。『Not In My Back Yard』の頭文字を取った、NIMBY(ニンビー)施設と呼ばれ、必要かもしれないが『わが家の裏庭にはお断り』というものが多い」
「以前は1996年の旧巻町の東北電力巻原発計画を巡る住民投票のように特別な例として10年間で数件程度だった。その後、平成の大合併で全国的に実施された。現在でも公共施設の建設に間するケースなどで年に数件ほどある。沖縄県では米軍飛行場の辺野古移設を巡る県民投票など、県レベルで2回行われている。
ー住民投票の結果で政策は変わるのでしょうか。
「住民投票には、投票結果が議会の議決結果と同じとする 『決定型』と、投票結果を尊重する『諮問型』がある。柏崎刈羽原発再稼働の是非を問う県民投票は諮問型と聞く。諮問型であってもこれまで投票結果が放棄された例は少ない」
ー首長と議員を住民が直接選挙で選ぶ二元代表制の下、住民投票はどのような際に行われるべきですか。
「みんながハッピーになるわけではなく、アンハッピーな人も出てくる難しい問題には、議会だけで判断するより住民の声を聞いた方がいいこともあり得る。だが、何でも住民投票をやればいいということではない。スイスでは移民労働者を認めるか認めないか、宗教施設建設の是非など憲法で保障されているようなものを住民投票で上書きすることが行われてきた」
-なぜ住民投票制度があるのでしょうか。
「私たちは選挙をし、選ばれた人が、いろいろなことを決めていく。だが、選挙時点では予想されなかった争点が出てきたり、思うような行動を政治家がしてくれなかったりするなど民意と政治のずれが出る。その際、住民投票で解決しようという発想が出てくる」
―今回の条例案は賛成か反対かを選ぶ方式を想定していますが、原発再稼働問題は二者択ーでは諮れないという意見もあります。
「原発再稼働問題は究極的に再稼働をするかしないか二つの選択肢だ。素人には判断できないとの主張もあるが、実際に住民投票をやるのであれば、素人だからこそ勉強する機会を提供し、意味ある住民投票にしていくことが大事だ」
-県民投票を求める有効署名は約14万3千筆に達しました。
「身近なエネルギー問題について考える重要な機会になったのは大きい。再稼働を巡る新潟県の動きについてどう考えるか、東京など電力消費地の人たちへの問題提起にもなる。仮に今後、原発再稼働派の知事が当選したとしても、原発再稼働問題に対しては慎重に判断しないといけないというブレーキにもなる。
全県民が関わるべき 旧巻町の原発住民投票を主導 元町長 笹口孝明氏
原発を巡る県レベルの住民投票は2011年の東京電力福島第1原発事故以降、これまで本県を含む6都県の議会で採決されたが、いずれも否決されている。市町村では、1996年8月、旧巻町(現新潟市西蒲区)で東北電力巻原発建設計画の是非を巡り全国初の条例に基づく住民投票が行われ、投票数の6割が反対の意思を示した。
旧巻町で住民投票を求める運動が起きたきっかけは、原発に慎重姿勢だった当時の町長が、94年8月に一転して原発推進を掲げ、町長選で3選したことにある。その2カ月後、住民らによる「巻原発住民投票を実行する会」が発足した。
会の立ち上げに携わった元巻町長の笹口孝明氏(77)は「原発問題は生命や健康、財産に関わるもので、子や孫に影響するかもしれない。原発に焦点を絞り、町民の判断を仰ぐべきだと考えた」と語る。
95年には同会が中心となり、自主管理による住民投票を実施。住民投票に隨成、反対敵司方のチラシが飛び交う「チラシ合戦」も繰り広げられたが、結果は投票数の95%が反対の意思を示した。
96年1月には、住民投票の早期実施を公約にした笹口氏が町長選で初当選。同年8月に行われた条例に基づく住民投票では、反対が61%を占め、原発建設に再び「ノー」を突きつけた。
その後、町は投票結果の尊重を求める住民に原発建設予定地内の町有地を売却。原発推進派の町民が住民訴訟を起こしたものの敗訴し、03年に東北電が巻原発計画を白紙
撤回した。
96年の住民投票では投票率が88%を超えるなど住民の関心が高かった。笹口氏は「町民は原発について、長きにわたり考えてきた下地があった」とみる。
東京電力柏崎刈羽原発の再稼働の是非を問う県民投票条例案の審議は、県議会臨時会で16日から3日間の日程で行われる。笹口氏は「原発再稼働は重大な問題なので、全県民が関わって当然だ。こうした運動が起こったことを知事や議員も正当に受け止めて判断してほしい」と語った。