2024年6月29日土曜日

29- 【霞む最終処分】(47)~(52)

 福島民報が断続的に掲載している「霞む最終処分」シリーズのバックナンバー、今回は第9部「高レベル放射性廃棄物」((47)~(52))の全編を紹介します。
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【霞む最終処分】(47)第9部 高レベル放射性廃棄物
 寿都町(上) 風のまち投じた一石 地域振興に交付金活用
                           福島民報 2024/06/07
 国内の原子力政策を巡り、国は使用済み核燃料を再処理して使う「核燃料サイクル」の実現を目指す。その過程で生じる高レベル放射性廃棄物の処分先は定まっていない。先送りされ続けてきた最終処分の問題を解決するためには何が必要なのか。国内の動きや海外の先進事例から探る。
 山から吹き下ろす「だし風」が、日本海に白波を立てる。北海道南西部にある寿都(すっつ)町。風力発電機が林立し、羽根が勢いよく回り続けていた。
 全国で初めて町営の風力発電施設を稼働させるなど再生可能エネルギーによる町おこしを進めてきた。「風のまち」と呼ばれる人口2600人余りの港町は、ある日を境に原発から出る高レベル放射性廃棄物を巡り、全国に知られることになる。
 町長の片岡春雄は2020(令和2)年10月、国が進める高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定に向けた第1段階「文献調査」の実施を原子力発電環境整備機構(NUMO)に応募した。全国の市町村が調査に手を挙げるのは13年ぶり。暗礁に乗り上げていた、処分事業の時計の針が動き出した。
 応募書類の提出から約3年7カ月がたった今年5月。「高レベル放射性廃棄物の問題に一石を投じるとともに、調査に伴う交付金を地域振興につなげようと思った」。片岡は町長室のソファに深く腰かけ、決断の真意をよどみなく語り始めた。
    ◇    ◇
 政府は2000(平成12)年、高レベル放射性廃棄物の地層処分の手続きを定めた特定放射性廃棄物最終処分法を制定した。同年、実施主体となるNUMOが発足した。
 最終処分場選定には文献調査、概要調査、精密調査の3段階あり、完了までには20年ほどかかる。2007年に全国で初めて高知県東洋町が文献調査に応募したものの、住民らの強い反対で撤回に追い込まれた。以来、手を挙げる市町村はなかった。
    ◇    ◇
 寿都町は1600年代からニシン漁で栄え、漁業や水産加工が基幹産業だ。人口は4町村が合併し、今の姿となった1955(昭和30)年の1万2955人をピークに減り続けている。
 北海道旭川市出身の片岡は専修大商学部を卒業後、東京都内の企業で営業職を経験した。帰郷後、寿都町職員となり、2001年に町長に就いた。民間で培った「稼ぐ力」を生かし風力発電機の増設や、ふるさと納税の返礼品の充実などで歳入増を図ってきた。
 ただ、町の将来的な財政見通しは明るいとは言い難い。風力発電機は13基が稼働し、売電収入は年間7億円余りに上る。固定価格買い取り制度(FIT)に基づき20年間は安定した財源となるが、風力発電機は順次、FITの期限切れを迎える。売電収入が減るのは確実だった。
 「新たな地域振興策はないものか」。片岡は2019年、町議や産業団体関係者を交えたエネルギー政策勉強会を設立した。持続可能な町づくりのため、エネルギー分野を軸にあらゆる可能性を探るのが目的だった。
 同年末、最終処分事業の説明役として招いた経済産業省職員から高レベル放射性廃棄物の現状を聞いた。文献調査を受け入れると、最大20億円の交付金が得られる。概要調査に進めば、さらに70億円が交付される。一般会計の当初予算規模が50億円余りの町には魅力的な数字に映った。「悪い話じゃないな」。片岡の〝営業マン〟としての嗅覚が反応した。ひそかに応募に向けた検討を始めた。(敬称略)
 
高レベル放射性廃棄物 原発の使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出す再処理で出た廃液をガラスと混ぜて固めた廃棄物。極めて強い放射線を長期間出し続ける。国は地下300メートルより深い岩盤に埋める地層処分で数万年以上、生活環境から隔離する方針。
 
 
【霞む最終処分】(48)第9部 高レベル放射性廃棄物
 寿都町(下) 調査受け入れ町二分 町長「町民が最終判断」
福島民報 2024/06/08
 北海道南西部の寿都(すっつ)町は2020(令和2)年10月、高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定に向けた第1段階「文献調査」に応募した。
 進まない問題に一石を投じ、町には地域振興に充てる交付金が入る。地盤の安全性も確認できる―。こうした判断から町長の片岡春雄は応募を模索した。「調査に手を挙げれば、国にも住民にも喜ばれると考えていた」。取材に応じた今年5月、当時の「誤算」を振り返った。
 応募の2カ月前、町の検討姿勢が一部報道で表に出ると、片岡は「計算外」という強い反対に直面した。静かな港町は賛成派、反対派に分かれて揺れる。複数回の住民説明会を重ねた末に「最後は自身の判断」で調査の実施を申し出た。
    ◇    ◇
 「調査には賛成だ。人が減り続ける中、交付金は町にとってプラスになる」。町内で電器店を営む田中則之は文献調査と、第2段階の「概要調査」は一括で進めるべきと語る。ただ、処分場建設までは認めていない。資料の分析と地層そのものを調べた結果がそろわない以上、処分地としての適性は判断できない。「結果が出ない限り賛否は示せない」と事態の推移を見守る。
 反対の立場を取る町内の水産加工業吉野寿彦は「なし崩し的に最終処分場ができるのではないか」と町や国への不信を募らせる。処分場の必要性は分かっていても自然豊かな古里には要らない。水産資源を生かせば、交付金に頼らず町は存続できると信じる。「全国から注目されて以来、町民が二分された」とやるせなさを漏らす。
 道内では、寿都町と前後し神恵内村でも文献調査が始まった。着手から3年超が過ぎた今年2月、原子力発電環境整備機構(NUMO)は「2町村とも概要調査に進むことが可能」との報告書案を示した。次の段階に移るには町村長に加えて知事の同意が要るが、道知事の鈴木直道は「反対の意見を述べる」としている。
 「では、増え続ける廃棄物をどうするのか」。先行きが不透明な中、片岡は現行の候補地選定手続きの妥当性に疑問を呈す。
    ◇    ◇
 片岡は「最終的に処分場を建設するかどうかは町民の判断」と語る。文献調査に応募後の2021年3月に住民投票条例を制定。概要調査に進む前に、町民の意思を問うつもりだ。
 文献調査の対象となるには ①市町村が応募 ②国からの申し入れ受諾―の二つの道がある。寿都町と神恵内村の応募から3年半余りを経て、今年5月には佐賀県玄海町が調査受け入れを表明し、注目を集めた。
 それでも、片岡の目には問題を巡る国民の議論は深まっていないと映る。「寿都のように、住民の賛否が割れる様子を見れば及び腰になる首長は多いだろう」。高レベル放射性廃棄物の最終処分は国策との前提に立ち、候補地を決める仕組みを根本から改めるべきではないか―。「国が候補地を選び、調べる形にしなければ事態は進まない」と改善を求める。
 片岡は東京電力福島第1原発事故に伴い福島県内で生じた除染廃棄物や、溶融核燃料(デブリ)にも注目する。除染廃棄物は県外最終処分が法で定められているが、2025年度以降の方針や工程は示されていない。高レベル放射性廃棄物と向き合う立場から「国は常に難題を先送りしている」と主張する。「法を順守するならば国は福島の廃棄物の処分地選定を早期に進めるべきだ。地元が積極的に声を上げることも重要だ」(敬称略)
 
 
【霞む最終処分】(49)第9部 高レベル放射性廃棄物
 玄海町(上) 原発の町示した矜持 「適地」選定の呼び水に
                           福島民報 2024/06/09
 佐賀県玄海町の九州電力玄海原発に続く国道204号は朝夕、作業員を乗せたバスや車が絶え間なく往来する。沿道には作業員が定宿とする旅館やホテルが10軒ほど立ち並んでいる。三方を玄界灘に囲まれた岬「値賀崎(ちかざき)」にそびえる原子炉建屋から生み出される電気は、九州地方の人々の営みを支え続けてきた。
 玄海町は国の原子力政策の一翼を担い、半世紀にわたり原発と共存してきた。町長・脇山伸太郎は5月10日、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定に向けた第1段階に当たる文献調査の受諾を表明した。文献調査はこれまでに北海道の寿都町と神恵内村で実施されたが、原発が立地する自治体としては初めての決断だった。
 「調査に伴う交付金が目的ではない。最終処分場の適地が見つかるための呼び水になればありがたい」。受諾表明後の記者会見で、脇山は国の原子力政策に長年貢献してきた町の立場に触れた上で、受け入れに込めた思いを語った。
    ◇    ◇
 町の人口は4900人ほど。玄界灘の豊かな水産資源を生かした漁業、ハウスミカンなどの農業が基幹産業だ。国は1965(昭和40)年、全国で原発建設を進めるに当たり、立地候補地の一つとして玄海町を選んだ。町議会は新たな産業の創出に向け、原発誘致を決議。1975年10月、九州で初となる玄海原発1号機が営業運転を開始した。以来、経済発展に伴い増え続ける電力需要に符合するように、最大で4基(出力計347万8千キロワット)が稼働した。
 2011(平成23)年3月の東京電力福島第1原発事故の発生後、1、2号機は老朽化に伴い廃炉が決まり、現在は3、4号機の2基(出力計236万キロワット)が運転している。構内では社員や協力会社の作業員合わせて約3500人が働く
 町は全国で初めてプルサーマル発電を受け入れ、原発事故発生後には当時の町長・岸本英雄が他の立地自治体に先駆けて再稼働を容認した。原子力政策への協力を惜しまず、原発と共に発展してきた町には「日本のエネルギーを支えてきた」(町関係者)との矜持(きょうじ)が根付く。
    ◇    ◇
 住民が「原発がなければ、玄海はない」と言うほど、町は原発立地の恩恵に浴してきた。2基が廃炉となったものの、町の財政は潤いを保っている。100億円規模の一般会計当初予算のうち、歳入の6割程度は電源3法交付金や固定資産税など原発関連だ。町の財政需要に占める収入の割合を示す「財政力指数」は1・18(2022年度)。人口は県内の20市町で最少ながらも、県で唯一、財政面で豊かとされる地方交付税不交付団体となっている。
 「お金目的じゃない。その言葉通りだ」。町旅館組合の男性組合長は脇山の発言に同調した。玄海原発の目と鼻の先にある旅館で育った男性は、北海道を舞台とした高レベル放射性廃棄物最終処分の動きに関心を寄せてきた。一向に全国的な議論にならない現状にもどかしさを募らせていた。昨年11月から組合員と協議を重ね「廃棄物の発生原因を有する自治体の責務として、国に協力すべき」などとする請願を起案した。
 組合を含む町内3団体がまとめた文献調査を求める請願は4月、町議会に受理された。「調査への応募、受け入れの考えはない」と首尾一貫した発言をしてきた脇山の心は、揺れ動くこととなる。(敬称略)
 
 
【霞む最終処分】(50)第9部 高レベル放射性廃棄物
 玄海町(下) 廃棄物処分 日本の問題 「国が議論リードを」
                            福島民報 2024/06/11
 九州電力玄海原発が立地する佐賀県玄海町を対象とした、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場選定の第1段階「文献調査」は10日、始まった。
 調査を巡る動きが表面化したのは4月15日だ。旅館組合など町内3団体が町議会に出した、調査への応募を求める請願が町議会の原子力対策特別委に付託された。請願は26日の本会議で賛成多数で採択された。
 5月に入ると、経済産業省は幹部を町に送り、調査を申し入れた。7日には町長・脇山伸太郎と経産相・斎藤健の会談が組まれた。斎藤は「調査は処分場選定に直結しない」と強調。調査に否定的だった脇山は会談後、持論と議会の判断との「板挟み」になったと胸中を明かし、5月10日に「住民の代表である議会の採択は重い」と調査に応じる考えを示した。
    ◇    ◇
 高レベル放射性廃棄物を生む原発の立地自治体として、全国的な議論喚起を目指し調査を受け入れた玄海町だが、最終処分場の候補地となる可能性があることに複雑な思いを抱く住民もいる。脇山の表明から10日余りが過ぎた5月下旬。漁港で漁の準備をしていた男性(67)は「町民は何らかの形で原発の恩恵を受けてきた。反対とは言いづらい」と声を潜めた。交付金などによる地域振興を期待する一方、「余計な施設は持ってきてほしくない」と本音ものぞかせた。
 経産省は2017(平成29)年、全国を最終処分場の適地と不適地に色分けする「科学的特性マップ」を公表。玄海町に関しては地下全域に炭田が広がり、将来的に採掘する可能性がある不適地としていた。国は町への申し入れに先立ち、原子力発電環境整備機構(NUMO)に地層の再確認を依頼した。
 NUMOは、マップには石炭など鉱物が存在し得る範囲を広く示したとした上で「(玄海町には)炭田の存在が確認されていない範囲もある」との報告書を作成。経産省は「調査の実施見込みあり」と判断して申し入れに踏み切った。
 一度は不適地とされながらも調査が始まった点について、請願の採決で反対した町議の宮崎吉輝はマップ自体の形骸化を指摘する。最終処分場は地下300メートルより深い岩盤に、6~10平方キロの範囲で整備される。宮崎は町面積が約36平方キロであるとして「多くの住民が暮らす真下に処分場が広がることになる」と安全性への懸念を口にする。
    ◇    ◇
 文献調査に続く第2段階「概要調査」に移るためには、地元首長に加えて知事の同意が必要となる。玄海町のある佐賀県知事の山口祥義は反対の姿勢を崩しておらず、調査が進展するかは不透明だ。
 文献調査に賛成派の町議の松本栄一は原発立地町の玄海でさえ、住民の間で最終処分への理解は進んでいないと指摘。国やNUMOに対して「もっと地域に入って考え方や取り組みを伝え、住民の意見を聞く努力をすべきだ」と注文する。
 東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県で発生した除染廃棄物は県外での最終処分が法律に明記されているが、処分への具体的道筋は示されていない。原発に大量に残る使用済み核燃料や溶融核燃料(デブリ)の扱いも全くの白紙だ。
 松本は福島の現状も含めて「原発からの廃棄物は必ず、処分しなければならない。国は棚上げを続けてきた」と批判する。原発の問題を日本全体で考える時期に来ているとし、「地元任せではなく、国がより議論をリードしなければ物事は進まない」と語気を強めた。(敬称略)
 
 
【霞む最終処分】(51)第9部 高レベル放射性廃棄物
 スウェーデン 信頼獲得に長い歳月 失敗教訓に対話重ね
                           福島民報 2024/06/12
 日本から約8千キロ離れた北欧最大の国スウェーデン。首都ストックホルムの約120キロ北に位置するエストハンマル自治体のフォルスマルクは、海や森に囲まれた美しい景色が広がっている。
 1986(昭和61)年、世界中にその名が知れ渡った。フォルスマルク原発の作業員の靴から高線量の放射性物質が検出されたことを機に、ソ連が隠していたチェルノブイリ原発事故が明るみに出た。
 この地は2009(平成21)年、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場の建設予定地に決まった。2022(令和4)年には事業計画が政府から承認され、2030年代後半の稼働を目指している。
    ◇    ◇
 スウェーデンは使用済み核燃料を再処理せず、銅製の容器「キャニスター」に入れ、地下約500メートルの岩盤に処分する方針だ。同国のヴァッテンフォール社など電力事業者4社の共同出資会社スウェーデン核燃料・廃棄物管理会社(SKB社)が地層処分事業を担う。
 SKB社はエストハンマル自治体の18歳以上の住民を対象に毎年、処分場建設に関する意向調査を実施している。直近の調査では86%が建設に賛成と答え、反対は9%だった。
 高い支持率を得るまでには約40年もの歳月と労力を要した。「あの時の失敗から学んだ」。SKB社の広報担当者は振り返る。1980年代、住民にしっかりとした説明をせず調査を始めたところ、猛反発が起こり撤回した苦い経験がある。時間をかけて住民と向き合い、対話を重ねてきた。
 対話の際の重要なキーワードとして「ペイシェント(忍耐)」「グッドシューズ(いい靴)」「コミュニケーション」を挙げる。忍耐強く、多くの家に何度も出向いて説明するには丈夫な靴が要る。何より、住民とコミュニケーションを取る姿勢が大切だと説く。
 スウェーデンでは日本の文献調査に相当するフィージビリティ調査と、概要調査に当たるサイト調査の2段階を経て、建設予定地を選ぶ。処分場の建設地を決める際にはいくつかの自治体が手を挙げ、2カ所に絞り込まれた
 岩盤に亀裂が少なく、地下水の流れが遅いなど長期安全性の確保に重要な地質学的条件を満たしたエストハンマル自治体が選ばれた。自治体の職員は「国の未来を左右していることに責任と誇りを持っている」と胸を張る。一方、選ばれなかった自治体では、悲しみのあまり、地元のスーパーで「なぐさめセール」が行われたという。
    ◇    ◇
 NPO法人ハッピーロードネット(広野町)の企画で昨夏、浜通りと北海道、青森、茨城、福井各県の高校2年生13人が高レベル放射性廃棄物について学ぶためスウェーデンを訪ねた。最終処分場の建設予定地や最終処分の技術試験を行っているエスポ岩盤研究所、使用済み核燃料を保管するキャニスターの研究所などを視察し、日本の最終処分事業との進め方の違いについて理解を深めた。
 参加した磐城桜が丘高の生徒は「自分たちの生活を支えている電気やエネルギーについて理解を深めるのが重要」、原町高の生徒は「自分事として考えなければならない」とそれぞれ感想を語った。
 現地で合流した経済産業省資源エネルギー庁放射性廃棄物対策課長の下堀友数は「最終処分場の選定には、長い時間がかかる。スウェーデンと比べれば日本はスタート地点に立ったばかりだ」と受け止める。その上で「若者をはじめ、あらゆる世代がこの問題に向き合うことが大切」と強調した。(敬称略)
 
スウェーデンの原発事情 1979年の米国スリーマイルアイランド原発事故を受け、1980年の国民投票で原発からの段階的な撤退を決定し、廃炉を進めてきた。その後、温暖化対策や安定的なエネルギー供給の観点から建て替えを認める法案を可決した。現在はオスカーシャム、リングハルス、フォルスマルクの各原発で計6基が稼働している。
 
 
【霞む最終処分】(52)第9部 高レベル放射性廃棄物
 結論なく過ぎた半世紀 国の覚悟いまだ見えず
                           福島民報 2024/06/13
 人類が原子力の平和利用を進めていた1954(昭和29)年、旧ソ連のオブニンスク原発が世界で初めて営業運転を始めた。遅れること12年。1966年に日本原子力発電東海発電所(茨城県東海村)の商用炉に火がともり、国内でも原発との歩みが始まった
 エネルギー資源に乏しい日本の原子力政策では、原発の使用済み燃料を再処理し、プルトニウムなどを再利用する「核燃料サイクル」が進められてきた。仕組みを回すためには、抽出後に残る高レベル放射性廃棄物を埋設する最終処分地が欠かせない。にもかかわらず、原発の稼働開始から60年近くを経ても最終処分のめどは立っていない
 各原発の使用済み燃料プールなどに保管されている核燃料は約1万9千トンに上る。現在の貯蔵上限値約2万4千トンの約8割に達しており、処分場の確保は一刻を争う。
    ◇    ◇ 
 東京電力福島第1原発では廃炉作業に伴う放射性廃棄物が増え続けている。最終的な処分の在り方は定まっていない。福島県内の除染で発生し、中間貯蔵施設(大熊町、双葉町)に一時保管中の土壌は2045年3月までに県外で最終処分すると法律で「約束」されている。しかし、期限まで21年を切っても除染土壌の行き先は霧の中にある。
 政府は昨年夏、福島第1原発からの処理水の海洋放出を決める過程で「その場しのぎ」「結論ありき」ともとれる進め方を重ねた。長崎大教授(原子力政策)の鈴木達治郎は一連の政策決定の問題点を「最終的な強行姿勢を含め、国に対する国民の不信感が高まった」と指摘する。
 鈴木は宙に浮いた高レベル廃棄物と、原発事故に由来する廃棄物の最終処分に共通する問題として「国が前面に立ち、責任を負う覚悟が見えない」点を挙げる。原発を国策とする以上は自治体や事業者任せではなく、国が科学的な根拠に基づいて複数の処分適地を選び、協議を主導する手法に転換するよう訴える。「廃棄物が存在する限り、最終処分の問題は避けては通れない。だが、国民的議論は始まってすらいない。国は結論ありきではなく、幅広く声を聞く対話の場を設ける必要がある」と政府に積極的な行動を求める。
    ◇    ◇ 
 知事の内堀雅雄は「廃炉の問題は国の責任において対応すべきである」との姿勢を貫いている。双葉町長の伊沢史朗は福島第1原発と中間貯蔵施設のある町として最終処分の実現を求めてきた。「復興のために、と覚悟して中間貯蔵を受け入れた町民の思いを背負い、国が最後まで取り組むよう訴え続ける」と強調する。
 ただ、現状では除染土壌や溶融核燃料(デブリ)などの問題がいつ解決するかは見通せない。県内には「県がより積極的に関わるべきだ」との指摘もある。
 福島第1原発ができるまでの双葉郡の主な産業は農業だった。勤め先は限られ、多くの住民が首都圏などへの出稼ぎを余儀なくされた時代がある。原発の立地に伴う交付金は立地町をはじめとする地域を潤した。2011(平成23)年3月に原発事故が起きるまで県には年間20億円超の交付金が入り、中通りや会津地方の発展にも充てられた
 「原発事故に絡む廃棄物の最終処分は国の責任だ。それと同時に福島県民も向き合い、考えなければならない問題だろう」。高レベル廃棄物の処分場選定に向け、文献調査を受

け入れた北海道寿都町長の片岡春雄は語る。福島の復興を託す次世代に恥じぬ対応とは何か、県民一人一人に問われている。(敬称略)

 =第9部「高レベル放射性廃棄物」は終わります=