東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)には、前日弁連会長の宇都宮健児氏に加えて、細川護熙元首相と舛添要一元厚生労働相が14日、正式に立候補を表明しました。
既に立候補の意向を固めていた細川氏は、この日同じく「原発ゼロ」を訴えている小泉元首相と都内のホテルで会談し、全面支援の約束を得て「立候補する決断をした」とするパフォーマンスを見せました。
政府と原子力村・財界が明確に原発推進に舵を切ったなかで、二人の元首相経験者が「原発ゼロ」でタッグを組むのはやはり画期的なことです。細川氏はまた武器輸出禁止も公約に謳うといわれ、「反安倍政権」を明確にしている点でも注目に値します。
そうしたなか政府や原発推進派からは当然のように、「脱原発を都知事選の争点にしようとするのは疑問」とする牽制が行われています(首相・官房長官発言及び13日付読売社説「東京都知事選 『脱原発』訴える場に適するか」など)。併せて人格的な攻撃も行われています。
それに対して有識者たちは、都政と脱原発は深く関係すると述べています。
保坂展人世田谷区長が朝日新聞の『太陽のまちから』のコーナーに14日、「東京から『原発ゼロ』を進める必然性」題する記事を載せました(同氏は週1回連続投稿しています)。
以下に保坂展人氏の丁寧な反論を紹介します。
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東京から「原発ゼロ」を進める必然性
保坂展人 朝日新聞 2014年1月14日
細川護煕元首相が東京都知事選挙(1月23日告示、2月9日投票)に立候補する、と伝えられています。「原発ゼロ」を掲げる小泉純一郎元首相と連携して、「脱原発」を訴えるという展開に少なからぬ衝撃が広がっているようです。そんななか、さっそく「原発・エネルギー政策を地方選挙で争うべきでない」という牽制(けんせい)球が飛び交っています。
3年で何もかも忘れたのでしょうか。2011年3月11日、東日本大震災の甚大な被害とともに、東京電力福島第1原子力発電所の連続メルトダウンは何をもたらしたでしょう。昨年の夏、官邸の内外から見た原発事故のドキュメントを5~6冊読みましたが、「首都圏3千万人の避難」を念頭に置くという事態が起きていたことは否定しようがありません。それほどまで深刻な状況へと向かっていたのです。
現実に、福島第1原発周辺の16万人の人たちは住み慣れた家を後にして、長期にわたって避難生活を送っています。世田谷区にも400人近い方たちが長期滞在しています。何より原発事故の現場は長期にわたる収束作業が続き、廃炉への道もイバラの道です。汚染水とのたたかいも続いています。
そうした意味では、福島第1原発事故は収束どころか、いまもなお「現在進行中」なのです。
安倍内閣は「原発再稼働」の方針を掲げ、経済産業省は国のエネルギー計画の中で原発を「基盤となる重要なベース電源」として位置づけようとしています。(「消えた『原発ゼロ』むしろ『重要電源』へ」)
このままでは、停止している原発が次々と再稼働のプロセスに入っていくのも時間の問題かもしれません。3・11以後、柏崎刈羽原発や浜岡原発が稼働していた時、福島第1原発事故に相当する重大事故(シビアアクシデント)に見舞われた場合、住民の健康と安全を守らなければならない自治体の責務を果たすことは不可能だと感じました。避難計画すらありませんでした。(「『原発再稼働』の倫理を問う新潟県知事の覚悟」)
今回の原発事故が起きる前は、国が「重大事故は起こらない」としているので、東京でも避難計画等を策定する必要はないと考えられてきたのです。しかし、日本列島は地震の活動期に入っています。強烈な揺れや噴火、津波等の自然災害に耐えうる安全対策は未了です。
にもかかわらず、再稼働のみならず原発を「重要なベース電源」と位置づけるということは、「福島第1原発のような重大事故は、さすがにもう起こらない」と考えることにした、ということでしょうか。原発の輸出を進めたい政府は、国内で原発を止めしまっては、海外への売り込みに支障をきたすと判断しているのでしょうか。
原発の危険性は、立地している県に限るものではないことは、私たちが3年前にイヤというほどに経験していたはずです。放射性物質の拡散は広範囲で、東京でもペットボトルの水を配布するという事態が起きました。世田谷区では空気中の放射線量も繰り返し測定し、給食の放射性物質の検査を今も継続しています。
原発の重大事故時の影響を考えた時、東京もまた被害を回避することは困難です。県境はおろか、場合によっては国境さえ越えてしまうのです。なにより、東京は日本で最大の電力消費地でもあるのです。原発問題に無関係であるはずがありません。
それだけに、細川・小泉というふたりの元首相が東京から「原発ゼロ」を訴え、実現する道を探っていくということには、必然性があると思います。
私は、地方自治体の現場からエネルギー問題に取り組んできました。当初こそ「それは国政の課題で基礎自治体のやることではない」という声もありましたが、現在は「エネルギー問題は地方自治体の現場から変えるしか道はない」と実感しています。
私は以前、このコラムでも、次のように書きました。
<首相経験者の発言が脚光を浴びるのは、永田町政治がこの問題で国民の声を代表していないということも示しているように思います>(「原発ゼロ 小泉・細川連携で流れ変わるか」)
永田町や霞が関では「なし崩し的な原発回帰」が強まっています。多くの人が「脱原発」「原発ゼロ」へと舵(かじ)を切らずにいる政治をよしとしているわけではないのです。