JBpress9日号に科学ジャーナリスト 添田 孝史氏による「敦賀原発2号機が再稼働不可に、指摘されてきた活断層の存在を長年認めなかった日本原電の罪」という記事が載りました。記事中には全ての関係資料(*1~*10)が明示されていますが、残念ながら「オンライン版」では辿ることはできません。
敦賀原発と活断層の問題は、1)敷地内にある浦底断層は活断層なのか と、2)浦底断層から枝分かれした断層が、浦底断層と一緒にずれ動くことはないのか の2段階に分かれていて、1)については1980年に活断層であることを指摘されてから28年目の2008年に日本原電はようやく認め、2)については、規制委はその16年後の今年、枝分かれした断層が浦底断層と一緒に動く可能性は否定できないことを結論づけたと述べています。
その間日本原電が提出した関係資料には1000カ所の改竄や誤記が指摘されました。「犯罪的」と呼んだ専門家もいました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
敦賀原発2号機が再稼働不可に、指摘されてきた活断層の存在を長年認めなかった日本原電の罪
: 添田 孝史 JBpress 2024/8/9
科学ジャーナリスト
日本原子力発電(日本原電)の敦賀原子力発電所(福井県)は、1970年に運転を始めた日本で2番目に古い原発だ。しかし、それは活断層でずれ動く地盤の真上に造られていた。
1980年代から活断層の存在が指摘されていたが、日本原電は報告書の書き換えなどで結論を引き延ばそうとし続けた。原子力規制委員会は8月2日に、ようやく運転を認めない方針を明確にした。規制当局が仕事をしたと評価できる一方で、もともと造ってはいけない場所だったのに、結論まで時間がかかりすぎたように見える。
■直下の活断層で不合格宣告
規制委は8月2日に開いた会合で、敦賀2号機の直下に活断層があることは否定できないから、新規制基準に適合しない、再稼働は認めないという結論をまとめた。日本原電は追加調査をして審査の継続を求めていくと話しているが、規制委の判断を覆すのはとても難しそうだ。
敦賀原発はどう危ないのか。
敦賀原発1号機と2号機は、活断層である浦底断層(地図の太い赤線)*1から250mほどしか離れていない。原発の敷地には、浦底断層から枝分かれした断層(ひび割れ、破砕帯)が多数存在する。
浦底断層は地震を起こすと3m以上ずれ動く。その時、原発直下にあるひび割れも一緒にずれて、原発の建物や設備を壊す恐れがある。また、浦底断層が動くと、原発がどれだけ揺さぶられるかの予測もまだ不確実な部分がある。活断層直近の揺れは記録が少ないから、予測する理論が正しいのか、十分確かめられているとは言えないのだ。
*1 「日本原子力発電(株)敦賀発電所 敷地の地質・地質構造 関係資料」p.16
■ 浦底断層は活断層か
敦賀原発と活断層の問題は、以下の2段階に分かれている。
1)敷地内にある浦底断層は活断層なのか
2)浦底断層から枝分かれした断層が、浦底断層と一緒にずれ動くことはないのか
1)について、日本原電は、活断層であることを2008年にようやく認めた。2)について、規制委は、枝分かれした断層が、浦底断層と一緒に動く可能性は否定できないことを、今回の会合で結論づけた。
敦賀原発は、敦賀市議会が1962年に誘致を決議し、65年、日本原電が設置許可申請を提出した。この申請書では、敷地東方の山麓に、断層のような地形があると認めているが、「調査の結果、この断層の活動は洪積世中期前(十数万年前)に終わっており、その後動いた形跡は認められない」と書いている*2
2号機は1979年に設置許可申請を提出。この時の添付書類*3には、断層について「最近の地質時代に活動したものではないと判断される」と記述している。
この申請を審査した原子力安全委員会の資料*4には、「当該断層はこれをおおっている6~8万年前の古土壌に変位を与えておらず、当該断層の活動した年代は6~8万年前以前までであり、最近の活動性はないものとしていることは妥当なものと判断した」と書かれている。
*2 敦賀発電所原子炉設置許可申請書添付書類 1965年10月p.4-2
*3 敦賀発電所原子炉設置変更許可申請書(2号炉増設) 昭和54年3月 添付書類一~七p.6-3-19
*4 原子力安全委員会月報 4(10)(37) 1981p.23
■政府が認めた活断層を「活断層ではない」と否定
このころから、活断層の研究が進んだ。
1980年に、日本中の活断層分布を地図化した『日本の活断層』(東京大学出版会)が刊行され、この中で、敦賀原発敷地内の断層は確実度3(活断層である可能性がある)とされた。
1991年に出版された『新編 日本の活断層』は、断層を確実度1(活断層であることが確実なもの)に格上げし、浦底断層と命名した。
2004年1月、政府の地震調査研究推進本部は、浦底断層を主要活断層帯の一つと認め、全長約25kmで、M7.2程度の地震を起こす危険性があると予測した*5
一方、日本原電は、2004年3月に3、4号機増設の申請書*6を提出したが、この時も、浦底断層を活断層とは認めなかった。
私は2006年4月に敦賀原発敷地内での浦底断層発掘調査を取材に行ったが、日本原電はブルーシートで隠して現場を見せなかった(写真)。
原子力安全・保安院が追加調査を指示し、その結果、2008年になって日本原電はようやく浦底断層を活断層だと認めた。
産業技術総合研究所が2012年に発表した論文*7によれば、浦底断層は最近7000年間に2回地震を起こしている。最近の地震は4500年前以後、1回のずれの量は3m以上だった。
原子力規制委員会の有識者会合は、2013年5月に、浦底断層から枝分かれして2号機の直下を通る断層について、「耐震設計上考慮する活断層である」とする評価書*8をまとめた。
日本原電は2015年11月に再稼働に向けて申請を出した*9が「直下の断層が将来ずれ動く可能性はない」と、有識者会合の評価を認めていなかったため、規制委で審査が続いていた。ようやくその結論がまとまり、「再稼働は認められない」と宣告されたわけだ。
*5 地震調査研究推進本部 地震調査委員会 柳ケ瀬・関ケ原断層帯の長期評価について
*6 敦賀発電所原子炉設置変更許可申請書(3号及び4号原子炉の増設):添付書類一~七
*7 浦底-柳ケ瀬山断層帯の形状・規模と過去の活動に関する検討
*8 原子力規制委員会 敦賀発電所敷地内破砕帯の調査に関する有識者会合「日本原子力発電株式会社 敦賀発電所の敷地内破砕帯の評価について」
*9 日本原子力発電株式会社「敦賀発電所2号機の新規制基準への適合性確認審査の申請について」
■日本原電の評価を巡り専門家が「犯罪に当たる」「どこかで変な力が…」
1980年に疑いが指摘されてから、日本原電が浦底断層本体を活断層と認めるまで28年もかかった。それから、原発直下の枝分かれ断層が、浦底断層と同時に動く可能性が否定できないと規制委が認めるまで、さらに16年も費やした。
この間、専門家から「犯罪的」とまで言われるほど悪質な調査や報告を日本原電は続けた。
2008年2月、原子力安全委員会が開いた専門家の会合*10で日本原電の調査や評価について、活断層の研究者は、こう指摘した。
「あれを専門家がやったとすれば、犯罪に当たると思います」
「事業者の下できちんと野外調査をやった人たちは、それはおかしいですよと言ったんじゃないかと思うんです。だけどどこかで変な力が働いて、普通だったら一番考えにくいようなことを報告書に書いてしまったということがあったのではないかと思うんです」
東京電力福島第一原発の事故後も、日本原電の姿勢は改まらなかった。再稼働に向けて2015年に申請をしてからも、審査のため提出した資料に誤記が1000カ所以上見つかったり、地質データを書き換えたりしていた。
*10 原子力安全委員会耐震安全性評価特別委員会 地質・地盤に関する安全審査の手引き検討委員会(入倉主査)第2回 2008年2月1日p.16
■リスク評価の反映に時間がかかりすぎるリスク
敦賀原発1号機の設計は1960年代前半。そのころは、耐震工学の専門家らの間では「活断層が地震を起こす」という基礎的な認識さえまだ不十分だったようだ。
その後、活断層の研究が進展した。万一事故を起こすと被害が甚大な原発のような施設は、その成果を早く取り入れるべきだったのに、日本原電は、それを避け続けた。
1号機は、41年間運転した後、2011年1月に運転停止。2015年に廃炉が決まった。
2号機は約4000億円かけて建設、1987年に運転を開始し、東電事故後の2011年5月から運転を停止していた。まだ正味24年しか使っていないから、日本原電は経営的にあきらめきれなかったのだろう。
今回は、原子力規制委員会が、事故が起きる前に、リスクの高い原発にストップをかけた。しかし、浦底断層が確実な活断層と評価されてから30年以上かかっている。科学の進歩を生かしてリスクを調べ直し、危ない原発を止めていくことは、東電事故後でさえ難しく、電力会社の体質が変わっていないことを、見せつけられた事例だった。
【添田 孝史(そえだ・たかし)】
科学ジャーナリスト。1964年生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科修士課程修了。90年朝日新聞社入社。大津支局、学研都市支局を経て、大阪本社科学部、東京本社科学部などで科学・医療分野を担当。原発と地震についての取材を続ける。2011年5月に退社しフリーに。東電福島原発事故の国会事故調査委員会で協力調査員として津波分野の調査を担当。著書に『原発と大津波 警告を葬った人々』『東電原発裁判』(ともに岩波新書)などがある。