僧侶で作家の玄侑宗久氏によるコラム記事「電力地獄」を紹介します。
日本は福島原発事故を起こすまでは原発こそがベストの電源という感覚の下、50基以上の原発を稼働させていました。福島原発の大事故後はさすがに廃炉への道を歩み出しましたが、使用済み核燃料の深地下処分場は決まる見通しも立たず、仮に中間貯蔵施設に収めたとしても30年以内に他所に移設できる見通しもありません。
それなのに岸田政権は「脱炭素」を恰好の口実に、原発の新設にまで言及しました。原発は決して「脱炭素」ではないのにです。
肝心の電力必要量の見通しですが、このところ俄かに普及してきたA I は電力の消費量が莫大で、日本でも26年には22年時の2・3倍にまで伸びるということです。
「そうなると、もはや何による発電なのかなど気にする余裕もなく、とりあえず再稼働もよかろう、新設だってやむを得ない、となりかねないし、気温や湿度、時間帯や曜日によっても違う電力消費量を、精密なA I で予測して対処するしかないという『電力地獄』に陥るしかない」と玄侑氏は述べています。なるほど僧侶にして文学者らしい指摘です。
では原発の新設は可能なのでしょうか。これについては「コスト」で物事を評価する経済界が、建設費が2~3倍に高騰した原発の新設には反対で、「再生エネ」に拠るべきだと正当な主張をしています。そもそも原発は計画してから稼働するまで20年も掛るのでまったく間拍子にあいません。
その点は「原子力ムラ」のうま味を手放したくない経産官僚よりも経済界の方がずっと真っ当な感覚を持っています。
詳細は下記の記事を参照ください。
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(9月7日)日本の原発推進派の主張は“世界の非常識”(古賀茂明氏)
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(日曜論壇) 電力地獄(9月8日)
玄侑宗久 福島民報 2024/09/08
(僧侶・作家、三春町在住)
県内外へ約16万人が避難した原発事故から13年半、今も2万5千人以上の人々が事故以前とは別な場所で暮らしている(県外避難者は2万人強〔R6’5/1時点〕)。あの事故以後の我々は、今後の電力の在り方についても相当真剣に考えていた気がする。
しかし長きに亘る廃炉への道を歩みだした今、高レベル核廃棄物の深地下処分場は決まる見通しも立たず、中間貯蔵施設に収めた核廃棄物も、30年以内に他県に移動することを法律では決めたものの、実現は全く見通せない。そんな重い課題を抱えたまま各地で休眠原発が再稼働することに、私はどうしても不安を覚えるのである。
この地震国における原発の危険性はなにも変わっておらず、それどころか南海トラフ大地震も確実に近づいている。本当に大丈夫なのだろうか……?
震災後の電力問題を真剣に考えるべき時に、一気に我々を思考停止に導いたのはCO2の問題だった。地球温暖化の主因をCO2とする見方が急速に広まり、折しもパリ協定も採択されて、電力はCO2の排出量が少ない風力、太陽光などの再生可能エネルギー、そして原子力へと急速に傾いていった。原発の再稼働や新設も、なんとなく受け入れてしまう雰囲気がいつしか醸成されていったのである。
そこへ今度はAIの登場である。特にチャットGPTなど生成AIが一般人も使えるようになった。この国では、経済至上主義からそれを使うことは前提に、ようやく著作権や肖像権を保護する規則づくりが始まった。しかし各種報道に欠けているのは、AIがどれほど電力を使うのかという視点である。
じつはチャットGPTでの1回の問答は、普通のグーグル検索の約10倍の電力を消費する。たとえばアイルランドでは、AIによる消費電力が国全体の消費電力の5分の1を占め、冬の防寒用の電力が足りなくなる懸念から、電力供給の制限を始めたという。日本でも2022年の使用電力に比べ、26年には2・3倍に増える予想だ。それもこれも、幅広く学習するAIが増加したせいなのだ。
そうなると、もはや何による発電なのかなど気にする余裕もなく、とりあえず再稼働もよかろう、新設だってやむを得ない、となりかねない。しかも電力の綱渡りをうまく乗り切るには、気温や湿度、時間帯や曜日によっても違う電力消費量を、精密なAIで予測して対処するしかないという。嗚呼、これはもはや電力地獄ではないか。
根本的な解決法は、あらためてもう一度、個々人が節電の意識をもつことだろう。そしてカンニング王の生成AIなどに頼らず、自分の頭で考え、そのためにも自ら学び続けることだ。
地獄で仏に出逢えることを、今はまだ信じておきたい。