高速増殖炉「もんじゅ」の開発計画を全面的に見直す案がやっと浮上したということで、金を食うだけでさっぱり成果の上がらない計画にようやく終止符が打てるのかと、愁眉を開く思いをした人が多かったと思いますが、何んと「もんじゅ」の設備を、原発のごみである高レベル放射性廃棄物を減らすための研究施設に転用して、お茶を濁す案が浮上しているということです。
要するに看板だけを付け替えて、これまでの設備を、多分これまでと似たような陣容で動かし続けようというわけです。そうすればこれまで1兆円あまりを投じて、何の成果も得られなかったという醜態が、それほど目立たずにカムフラージュ出来ると考えたのでしょう。 まことに見え透いた魂胆です。
そもそも10年余りも全く動かないでいる設備を使って、どうして新しい研究が出来るというのでしょうか。あまりにもいい加減な話です。
今後さらに数年、あるいはそれ以上も停止状態のままで推移する可能性の方が高いのではないでしょうか。
また一口に使用済み核燃料の減量(減容?)と言いますが、一体燃料のどの部分をどの程度まで減量または減容できるというのでしょうか。それによる利益は一体何なのでしょうか。
そしてそれは今後どれだけの歳月と費用を投じれば達成できるのでしょうか。
その結果得られる利益は、投入コストと対比して、今の時点でどのように評価されているのでしょうか。
そもそもそれらの事柄は、一体どの程度まで把握されているのでしょうか。
民間会社であれば、新たな研究開発(R&D=Research and development)がスタートするときには、上記の要素が十分に検討され、かなり明瞭になっている必要があります。国費を投じる場合にはより一層厳格であることこそが必要なのに、国民は何も知らないからいい加減でいいというのでは、壮大な汚職に他なりません。
(素人考えですが、何かの操作によって核燃料が減量できるなどということはあり得ない話で、莫大なコストを掛けて仮に分別が出来、そのことで数割減容ができたとしても、それが何かのメリットになるなどということはとても考えられません)
北海道新聞の社説を紹介します。
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(社説) もんじゅ転用 「夢」の乗り換えは論外
北海道新聞 2014年2月16日
政府は、新たなエネルギー基本計画の中で、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県)について実用化の見直しを検討している。
もんじゅを、原発のごみである高レベル放射性廃棄物を減らす研究施設に転用する案が浮上しているようだ。
高速増殖炉は、使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクル計画の中核施設だ。その実用化をあきらめるのであれば、当然、核燃サイクルも白紙に戻すことになる。
この点をあいまいにしたまま、原発のごみの減量という未知数の技術を持ち出すのは、もんじゅの単なる延命策に等しい。
廃炉にして、核燃サイクルから撤退する方策を示すのが筋だ。
もんじゅは、日本の原子力政策のずさんさと無責任を象徴する施設と言える。
高速増殖炉は理論上、発電しながら消費した以上のプルトニウムを生み出すことから、「夢の原子炉」とも呼ばれた。もんじゅは、その研究開発段階の炉である。
通常の原子炉とは異なり、空気や水に触れると激しく反応するナトリウムを冷却材に使う。初臨界に達した翌年の1995年、ナトリウム漏れで火災事故が発生した。
このナトリウムがネックになり、福島第1原発のような重大事故が起きた場合、外部から水を注入して冷やすことができない。
1兆円もの国費を投じながら、トラブル続きで、稼働した期間はわずか8カ月。高速増殖炉は依然、夢の域にとどまっている。
加えて、1万件を超える機器の点検漏れが発覚し、原子力規制委員会は昨年、運営主体の日本原子力研究開発機構に対し、もんじゅの運転再開準備の禁止を命じた。
敷地内には活断層が存在する疑いもある。
現時点で運転再開のめどは立っていない。技術の未熟さ、運営組織の管理能力の欠如を考えれば、いかなる目的であれ、稼働させるべきではない。
転用案は、使用済み核燃料に含まれる半減期の長い放射性物質を核分裂させ、半減期の短い物質への変換を研究するという。
夢のある魅力的な内容かもしれないが、高速増殖炉と同様、実現可能性は疑わしい。
理屈の上で可能なことと、その実用化の間には、場合によっては途方もない隔たりがある。もんじゅこそ、生きた実例だ。
もんじゅと核燃サイクルの破綻を隠すため、危険と巨額の国民負担に目をつぶり、安易に夢を乗り換えるようなやり方は許されない。