浪江町津島地区の住民640人が古里の原状回復などを求めた訴訟は30日、福島地裁郡山支部は国と東電の責任を認める判決を出しました。
毎日新聞が原告の小椋正吉さん(79)のこの10年を追いました。
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津島原発訴訟 「勝訴」も複雑な思い 福島地裁郡山支部判決
毎日新聞 2021年7月31日
東京電力福島第1原発事故で帰還困難区域となった福島県浪江町津島地区の住民640人が、国と東電に古里の原状回復などを求めた30日の判決。福島地裁郡山支部は国と東電の責任を認めたが、原状回復請求を認めず、原告団は複雑な思いで受け止めた。
午後3時半ごろ、弁護団が地裁支部前で「勝訴」「国と東電を断罪」などと書かれた旗4本を掲げると、近くの公園に集まった原告団からは「ありがとう」など感謝の言葉と共に拍手が送られた。
支部近くで吉報を待った原告団副団長で浪江町議の佐々木茂さん(67)は「いい判決だったとは思う。ただ、笑顔の原告団も皆、10年間、古里を取り戻したい思いを抱えながら本当に苦労してきた。生活圏全体の除染が認められ、実行されない限り、我々の古里の原状回復とは言えない」と語った。
佐々木さんの自宅は2023年春までに避難指示が解除される見通しの「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)外にある。与党は20日、拠点外について、希望する住民全員が20年代のうちに帰還できるよう求める提言を政府に提出。提言では拠点外の除染について帰還希望者の「帰還に必要な箇所を除染」すると記した。
佐々木さんは「提言は我々に寄り添った内容とは思えず、今回の判決で少しでも後押しできればと思っていた。原状回復請求が認められなかったことは残念だが、帰還困難区域のこれだけ多くの人が、国や東電に原状回復請求をした事実は大きく評価されるべきだし、政府にも我々の主張についてしっかりと考えてもらいたい」と話していた。【磯貝映奈】
亡き母、妻に「戦い抜く」
国と東電の責任を認めた判決について、津島地区から伊達市に避難している原告の小椋正吉さん(79)は「一安心だ」と喜んだ。事故直後の混乱で母テルさん(当時90歳)を亡くし、今年4月には妻タカヨさんが77歳で死去した。小椋さんは新盆の準備で裁判所に行くことはできなかったが「家族皆で戦ってきたので良かったと報告したい」と話した。
津島地区では家族10人で暮らしていた。原発事故で妻子や孫が避難した後も、寝たきりだった母テルさんを移動させることができず、警察や自衛隊から避難を説得されながら、誰もいなくなった津島で介護を続けた。
テルさんは2011年4月下旬、川俣町の施設に入所したが、同年8月に亡くなり、震災関連死に認定された。小椋さんは「津島では孫とご飯を取り合うくらい元気だった。まだまだ長生きできたのでは」と悔やむ。
妻タカヨさんが心筋梗塞(こうそく)を起こしたのは、金婚式を迎えた15年秋ごろだった。津島では郵便局に20年以上勤め、雨や雪の日でもバイクで配達を続けた。明るい性格で住民からも親しまれていたタカヨさん。原発事故の5年ほど前に退職し、事故後は小椋さんと旅行を楽しんでいたが、津島でやりがいを感じていた畑作業や近所との付き合いはなく、こもりがちになった。
小椋さんは提訴後、裁判所前でプラカードを掲げ行進し、ビラ配りにも参加したが、タカヨさんが寝込むようになってからは介護に専念した。「丈夫だった家内が俺より先に行くなんてがっかりした」
津島の自宅は23年春ごろまでの避難指示解除を目指す特定復興再生拠点区域(復興拠点)から外れた。母も妻もいなくなり、まもなく自宅は解体する。一部だけでも残したかったが、子どもたちからは「管理できない」と反対された。
それでも、古里を思う気持ちは強い。「俺は更地にプレハブを建てて、人生あそこで死んでもいいと思ってる。家内がいれば一緒にいられたけど、一人じゃ寂しいかな」。ぽつり、つぶやいた小椋さん。「原発事故さえなかったら、津島さいてゆっくり人生送ってたのかな」と悔しさが募る。
裁判は1審判決が出ても、古里を取り戻す戦いは続く。「破壊したものを元通りに戻すのが国と東電の役目だ。控訴審になっても最後までやるしかない。意地を見せなくちゃしょうがない」と力を込めた。【寺町六花】