福島県を襲った台風と豪雨によって、原発被災地の双葉郡から県内各地に避難した人たちも多数が床上浸水などの被害を受けました。富岡町は現在も町民約1万2800人のうち9割がいわき市など町外で暮らしているなど、双葉郡内の各町は避難先での被災状況を把握するのに務めていますが、地元でないのでなかなか順調にはいきません。
避難先でようやく腰を落ち着けられる新居を建てたのに、そこが洪水で泥にまみれ、冬を迎えても片付けや修理が終わらずに、かつての仮設住宅暮らしに逆戻りし、窮屈な年越しを迎える被災者もいます。
河北新報が2本の記事を出しました。
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原発事故避難先での台風被災、福島県内325世帯 居住広域で即時支援難しく
河北新報 2019年12月8日
台風19号では東京電力福島第1原発事故の避難者も二重に被災し、福島県内では避難先で計325世帯が家屋浸水などの被害を受けた。原発事故で被災した双葉郡内には全域避難が続く自治体もあり、全国に広域的に散らばった住民への即時支援の難しさが浮き彫りとなった。
■電話で安否確認
原発事故で双葉郡から県内各地に避難し、台風19号でも被災した世帯数は富岡町108、浪江町84、大熊町79、双葉町27、楢葉町22、葛尾村3、川内村2。広野町は被害が確認されていない。多くが夏井川や好間川が氾濫したいわき市内で、床上床下浸水のほか車の水没も含めた。
二重で被災した住民が最も多かった富岡町は2017年春に一部を除き避難指示が解かれた後も、町民約1万2800人のうち9割がいわき市など町外で暮らす。
台風対応で町は警戒レベル4以上の避難勧告・指示が発令されたエリアに住む県内外の町民を抽出し、電話で安否確認。水や食料を町のいわき、郡山両支所に準備したほか、町社会福祉協議会と連携し高齢者や独居世帯も訪問した。
町総務課の林紀夫課長は「台風が過ぎた後の安否確認にならざるを得ず、直接的、即時的な支援の難しさを認識させられた。町外で何をどこまでできるか、考えなければならない」と悩ましさを口にする。
■延べ70人を派遣
町は各種証明書発行手数料の免除や町税減免といった支援を打ち出すとともに、郡山市や大玉村など4市町村に職員派遣を打診。いわき市には臨時給水所の運営などに延べ70人を派遣した。
「町民が世話になっている被災自治体を支援することが生活再建にもつながると考えた」と林課長。双葉町や大熊町も被災自治体に職員を派遣した。
全町避難する双葉町はいわき市に仮役場を置く。町生活支援課の担当者は「町内での対応と異なり職員がパトロールをしたり、消防団から連絡をもらったりして状況確認することができない」ともどかしさを打ち明ける。
■「備え」呼び掛け
帰還困難区域を除き避難指示が解除されている浪江町も電話で県内外の町民の安否を確認したが、台風襲来と同時にはできなかった。被災自治体に浸水地域の情報を尋ねながら、町民が居住しているかどうか絞り込んだ。
町二本松事務所生活支援課の担当者は「地元でないだけに、住所の大字小字を見ただけでは浸水の有無を判別しにくい」と語る。町総務課の安倍靖課長は「居住する市町村のハザードマップを日頃から確認し、災害に備えてほしい」と呼び掛ける。
台風で「仮設」暮らしに逆戻り 福島の原発避難者またため息
河北新報 2019年12月8日
広範囲に甚大な被害をもたらした台風19号は、東京電力福島第1原発事故で古里を追われた避難者の暮らしを再び直撃した。ようやく腰を落ち着けられた新居は泥にまみれ、冬を迎えても片付けや修理が終わらない。かつての仮設住宅暮らしに逆戻りし、窮屈な年越しを迎える被災者もいる。(報道部・吉田尚史)
ひっそりとした仮設住宅に冷たい風が吹き、風除室がガタガタ音を立てる。長屋造り、二間だけの狭い空間。原発事故で避難した当初の記憶がよみがえる。
「2度も避難することになるなんて」。福島県富岡町から避難し、郡山市の自宅が浸水被害を受けた無職守岡正子さん(76)は11月中旬、市内のプレハブ仮設住宅に息子と入居した。8年前、富岡町民ら原発避難者向けに整備され、現在はほとんど空室だ。
5年ほど前、同県大玉村の仮設住宅を出て郡山市に新居を購入した。近くを流れる阿武隈川支流の逢瀬川が氾濫し、水が床上まで達した。「天災だから何ともしようがないよねぇ」と自らに言い聞かせる。
2階で生活を始めたが、台所がないため弁当を食べる毎日。体が疲れ、富岡町に戻ろうか思案していた時、町から仮設住宅入居の打診があった。台風19号で被災した町民の数世帯がいわき、郡山両市内の仮設住宅に入るという。
エアコンの調子が悪いため、こたつとヒーターを持ち込んだ。「部屋が狭いのは辛抱しなきゃ。日当たりもいいし、逆に部屋が早く暖まる」。前向きに考えるようにしている。
リフォームを終え、再び自宅に戻れるのは年を越す見通しだ。「隣近所は空き部屋だけど、富岡の人がいずれ入ると思うんだ」。静かな廊下を見渡しながらつぶやいた。
全町避難が続く同県双葉町の無職広畑良一さん(68)は、避難先のいわき市の自宅が被災した。新居を構えて3年余り。「ついのすみかと思い、覚悟を決めて建てたのに…」と肩を落とす。
家の前を流れる夏井川が氾濫し、床上まで浸水。泥をかき出し、拭き掃除などをこつこつするが、1カ月が過ぎても終わりが見えない。床にくっきりと黒い染みが残り、ため息が出る。
「もうほかに行くところはねえよ」。原発事故で避難先を県内外で5回以上も転々とした。周囲に高い建物もなく、土地柄も古里に似ていたことが気に入り、いわき市郊外に腰を落ち着けた。双葉町の家は動物に荒らされて取り壊した。
2階で妻と暮らす。寝付きが悪くなり、体重も落ちた。朝起きて1階に降りると泥の臭いが鼻を突き、気分が落ち込む。「原発事故で避難した時を思い出しちまう。家を直しても、また来年、大きな台風が襲ったらどうなるんだろうか」