2019年12月18日水曜日

「避難先で定住したままの方がいい」福島移住の大山さんが松戸市で現地報告 

 震災後、福島県に移住して被災地を取材してきた大山晃平さんが松戸市で開かれた「松戸・東北交流プロジェクト」の忘年会で現地の様子を報告しました。
 大山さんは「広島の百倍以上の放射能がばらまかれた。除染してもいまだ高線量が測定される」原発汚染水の海洋放水の動きに「海外は黙っていない。常磐ものの魚が食べられなくなってしまう」と語り、避難者に「ここに定住したのであれば、そのままでいた方がいい」と苦渋の表情で呼び掛けました
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「避難先で定住したままの方がいい」 福島移住の大山さん現地報告
東京新聞 2019年12月17日
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故による東北地方からの自主避難者と市民らの交流拠点「黄色いハンカチ」(松戸市)を運営する東日本大震災復興支援松戸・東北交流プロジェクトの忘年会が十六日、市内で開かれた。震災後、福島県に移住して被災地を取材してきた大山晃平さん(73)が現地の様子を報告した。

 大山さんは震災当時、松戸市内に住んでいたが、原発事故と、それに続く多くの住民の避難に、「広島、長崎に投下された原爆の縮小版」と大きなショックを受けた。「原発の今後を見つめ続けていく」と二〇一六年一月、福島県いわき市に引っ越した。同県内の浜通りを訪ね、プロジェクトが毎月発行している「黄色いハンカチニュース」にルポを連載している。
 同県浪江町や大熊町、南相馬市、楢葉町などの様子を、原発の遠景や人通りの絶えた駅前商店街などの写真を交えて伝えた大山さんは「広島の百倍以上の放射能がばらまかれた。除染しても、いまだ高線量が測定される」と指摘。原発汚染水の海洋放水の動きに、「海外は黙っていない。常磐ものの魚が食べられなくなってしまう」と警鐘を鳴らし、避難者に「ここに定住したのであれば、そのままでいた方がいい」と苦渋の表情で呼び掛けた。
 このほか浪江町出身で代表を務める門馬正純(まさのり)さんが「今年、相次いで台風に襲われた県内は、地震だけでなく風や雨の対策も必要なことが分かった」と振り返った。 (林容史)