2013年9月19日木曜日

幼稚園が敗訴なら東電は起訴されなければおかしい

 東日本大震災の津波で送迎バスが流されたために死亡した4人の園児の遺族たちが起こした損害賠償訴訟で、仙台地裁は17日、揺れの大きさから津波は予見できたとして「安全配慮を怠った」幼稚園側に約1億7千万円の賠償を命じる判決を言い渡しました。

 その一方で、ご存知のとおり福島の住民が東電や政治家に対して原発事故の責任を問うた告訴では、検察は「これほどの大津波は想定外で、予見は出来なかった」として不起訴にしています。その間に矛盾はないのでしょうか。

 以前に、地上に降った放射性物質は東電の所有物ではなく無主物であるとした東電の主張を認めるかのようにして、ゴルフ場への損害賠償はしなくてよいとした判決もありました。
 何となく東電のような巨大企業には甘く、逆に弱小の企業や組織には厳しい判決という気がします。

 「かっちの言い分」という人気ブログが、この幼稚園敗訴の問題を取り上げています。
 以下に紹介します。
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幼稚園児死亡裁判で「大津波予見できた」で賠償。それなら、検察の「想定外の大津波で不起訴」はないはずだ  
かっちの言い分 2013年9月17日

 今日、3.11の大津波の際、幼稚園バスが行先の判断を誤まり、園児を死亡させたとして訴えられていた裁判で、以下の記事のように「大津波は予見出来た」と賠償命令が出た。
大津波予見できた」と賠償命令 仙台地裁、幼稚園児死亡訴訟
(東京新聞) 

 東日本大震災の津波で送迎バスが流され、死亡した私立日和幼稚園(宮城県石巻市、3月に休園)の園児5人のうち、4人の遺族が「安全配慮を怠った」として、園側に約2億6700万円の損害賠償を求めた訴訟で、仙台地裁(斉木教朗裁判長)は17日、園側に約1億7千万円の賠償を命じる判決を言い渡した。

 園側が大津波の襲来を予見できたかどうかが争点だったが、斉木裁判長は「津波の危険性を予見できた」と判断した。津波の犠牲者遺族が管理者側に賠償を求めた訴訟での判決は初めて。遺族らは「激しい揺れで、津波の危険を予見できた」と主張した。
 幼稚園側は、これほど大きな津波は予見出来なかったと反論したが、揺れの大きさから予見出来たとして敗訴した。 (共同)

 これを聞いて直ぐに思ったのは、東電の福島原発のことである。既にこのブログで何回も取り上げているが、福島の住民が東電経営者、政治家に対して原発事故の責任を問うて告訴したが、検察は、これほどの大津波は想定外で、予見は出来なかったとして不起訴にした。

 検察の言い分は、幼稚園側の反論と同じである。その言い訳が、裁判所によって否定されたということである。本来、世の中で最も危険な原発の危機管理は、幼稚園の危機管理などとは月とスッポンほどレベルが違う。日本のように地震の多い国は、そもそも想定外だから原発事故を起こしてよいというものではない。想定外という言葉を使うこと自体、もう管理責任を問われると思わなければならない。

 裁判は判例の世界である。大小は関係ない。ある裁判で、想定外ではなく「予見出来た」と判断されたのである。危機管理にさらに高いレベルが要求されている原発事故に、「想定外」は通用しない。

 検察審査会の起訴状の中には、今回の裁判の結果を必ず書いておかなければならない。そうすると、審査員に不正が無い限り、強制起訴は必然と思われる。そうならねばならない。