原発立地自治体としては異例の「脱原発」を唱えた茨城県東海村の村上達也村長(70)が20日、4期16年の任期を終えました。
退任の記者会見で、東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を振り返り、「最後の2年半は心臓破りの坂だった。日本人は経済優先の生活スタイルや価値観を見直すきっかけとするべきだ」と語り、今後はフリーな立場で脱原発の発言を続けていきたいという考えを示しました。
村上氏は福島第1原発事故後、「日本は原子力を制御する資格も能力もない」として、日本原子力発電東海第2原発の再稼働に反対しました。そして昨年には全国の市区町村長ら86人ほど(現在)が結集する「脱原発をめざす首長会議」をつくり、その世話人を務めています。
(関連記事)
2013年9月11日「東海村 村上村長はなぜ脱原発に?」
2013年4月29日「脱原発をめざす首長会議 が開かれました」
2013年4月8日「東海村で 第3回脱原発サミット」
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「脱原発」の東海村長が退任
NHK NEWS WEB 2013年9月20日
原発が立地する自治体のトップとしては異例の脱原発の主張を続けてきた茨城県東海村の村上達也村長が20日退任し、今後はフリーな立場で脱原発の発言を続けていきたいという考えを示しました。
東海第二原発が立地する東海村の村上村長は20日、任期満了を迎えて退任しました。
平成9年に初当選した村上村長は、おととしの福島第一原発の事故などを受けて原発が立地する自治体のトップとしては異例の脱原発の主張を続けてきました。
退任にあたって記者会見した村上村長は「東日本大震災が起きてからの2年半は、東海第二原発の是非を巡る論議などさまざまな問題が起き、心臓破りの坂を乗り越えるような心境だった」と述べました。
そのうえで「原発事故をきっかけに国民1人1人が原発の是非について考えるべき時が訪れた。今後はフリーな立場で自分の考えを発言し続けたい」と述べ、今後も脱原発の発言を続けていきたいという考えを示しました。
また、この後の退任式では、村の職員に対し「東海第二原発について村としての方向性を決めざるをえない時がくるので、その時に向けて知識と経験を積み続けてほしい」とあいさつし、職員に見送られながら村役場をあとにしました。
村上村長に替わって東海村の新しい村長に就任する前の副村長の山田修氏は、東海第二原発の運転再開の是非について「住民の意見を幅広く聞きたい」として、予断を持たずに判断する考えを示しています。