BIGLOBEニュースに「あれから10年、どんな光景が? 福島第一原発20km圏内の“今”」という記事が載りました。
以下に紹介します。
原文には豊富な写真が載っています。上記の緑字のタイトルをクリックすると原文にジャンプします。
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あれから10年、どんな光景が? 福島第一原発20km圏内の“今”
All About BIGLOBEニュース 2020年12月9日
東京電力福島第一原発20km圏内…富岡町と大熊町の“今”
2011年3月11日に発生した東日本大震災。大地震と津波によって東京電力福島第一原子力発電所でメルトダウン(炉心融解)が発生し、大量の放射性物質が放出されました。
あの日からもうじき10年。現在、原発周辺はどんな様子なのでしょうか。福島県いわき市の旅館、古滝屋の当主、里見喜生さんがガイドを務めるFスタディツアーに参加し、東京電力福島第一原子力発電所から20km圏内に位置する福島県双葉郡富岡町と大熊町の“今”を見てきました。
帰還困難区域が解除された夜ノ森駅の周辺
2020年3月に新駅舎が完成した夜ノ森駅。無人駅として営業が再開されています
最初に案内していただいたのは、富岡町のJR常磐線夜ノ森駅(よのもりえき)。地震や津波の影響はなかったものの、除染しても放射線量が下がらないため建て直された駅です。
震災翌日の3月12日、内閣総理大臣が発した「東京電力福島第一原子力発電所から半径20km圏内からの避難指示」を受け、1万5960人の町民全員が町外に避難しました。
地震や津波の後片付けをする時間もないままの避難でした。
バリケードの向こうは現在も帰還困難区域。立ち入ることはできません
復興に向けた取り組みが段階的に行われて来ましたが、2020年3月10日、JR常磐線夜ノ森駅周辺の町道と県道約1.1kmが帰還困難区域を解除されました。ちなみに帰還困難区域とは、放射線量が非常に高レベルにあることからバリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域のことです。
東日本大震災直後から一部区間が不通のままとなっていたJR常磐線も、同3月14日に富岡駅から浪江駅までの運転が再開されたことで、全線開通となりました。
駅周辺は今もゴーストタウン
喜ばしいニュースですが、実際に訪れてみると駅周辺は静まり返っていました。
道路沿いの商店も住宅も帰還困難区域のまま、駅に行く道のみが解除されています
それは帰還困難区域が解除されたのは、夜ノ森駅周辺と道路のみだからです。駅前の道路沿いは、人っ子一人いないゴーストタウン。この駅を利用する人は、バリケードで覆われた町並みを見ながら、駅に向かわなければなりません。SFの世界のような話ですが、これが現実です。
駅前のゲームセンターも震災当時のまま。理想郷という名前が皮肉めいています
道路沿いには更地も目立ちました。所有者の許可が得られた家は取り壊し作業が行われたそうです。更地になった家の方は、もうこの町には戻ってこないかもしれません。残された家も許可が得られないだけではなく、所有者の所在が不明だったりもするケースもあるそう……。
帰ってきた人は10分の1程度
樹齢100年近い大木が500本ほど植えられている富岡町の桜並木
夜ノ森と聞くと、桜並木を思い浮かべる方も多いかもしれません。春になると道路の両脇に植えられた約500本のソメイヨシノの大木が見事な桜のトンネルを作り、夜にはライトアップもされる富岡町の名所です。この桜並木の一部も帰還困難区域を解除されました。しかし2020年は新型コロナ感染拡大防止のため、ライトアップなどはすべて中止となっています。
立派な門構えの家の屋根は崩れかけ、車庫には高級車が2台ほこりをかぶっていました。車を取りに戻る暇もなく避難したのでしょうか
10歳だった子が大人になる10年という年月。帰れなくなった故郷を思いながら過ごしている場所が、新しい故郷になるのに充分すぎる時間です。帰還困難区域の一部が解除された今も、震災前の10分の1程度の約1800人の人しか戻ってきていません。
富岡町は2023年春頃の避難指示解除を目指し、夜ノ森地区に居住可能なエリアを設ける特定復興再生拠点区域(復興拠点)を整備しています。そのときに果たしてどのくらいの人たちが戻ってくるのでしょうか。
21.1mの津波に襲われた富岡駅も新駅舎に
富岡町でもっとも被害の大きかった富岡駅周辺。18名の方が命を落としました
富岡町の中心、JR常磐線富岡駅です。ここは東京電力福島第一原子力発電所から約15kmに位置します。富岡駅前地区は最大21.1mの津波の被害を受け、駅舎をはじめ、周辺が壊滅的な被害を受けました。こちらも常磐線全線開通に伴い、駅舎とその周辺が新しく生まれ変わりました。
児童公園の一角に作られた慰霊碑。震災以降この公園で遊ぶ子の姿は見られなくなりました
富岡駅近くの児童公園には、東日本大震災の慰霊碑がありました。これは、震災の際にパトカーで避難を呼びかけながら津波に飲み込まれ、殉職した2人の警察官を慰霊するものです。後日、大きくゆがんだパトカーだけが見つかり、1人の方は震災1カ月後に約30km沖合の海で発見され、もう1人の方は今なお行方不明のままだといいます。
東京電力福島第一原子力発電所がある大熊町へ
富岡町を北上し、大熊町に向かいました。事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所のある町です。事故直後に国の指示に従い、全町民1万1505人が町外への避難を余儀なくされました。
国道6号線沿いには郊外型のチェーン店や娯楽施設が並んでいますが、どこも2011年3月11日のまま放置され、朽ち果て、廃墟となっていました。
国道沿いの郊外型の店舗は取り壊しもされず、廃墟と化していました
市街地を抜けしばらくすると、山林の向こうに東京電力福島第一原子力発電所の建物の一部が見えてきました。車内の空間線量はこの日最大の2.05マイクロシーベルト。体には問題のない数値ですが、降り注いだ大量の放射性物質は、地表に残り続けています。
東京電力福島第一原子力発電所近くに来ると、ピーピーと音を立て数値が上昇。体に害はないと知っていても車内に緊張が走りました
除染作業の行われていない山林に住む野生動物、特に土を掘ってえさを探す習性のあるイノシシの体内からは、高い放射線量の数値が出ているといいます。それだけ土が汚染されているということです。
汚染された土の行き先は?
除染作業が行われていた大熊町の民家
大熊町の民家の庭先では除染作業が行われていました。地表部を削り、汚染土や草木などの廃棄物を、黒い袋 (フレコンバッグ) に入れていく作業です。環境省によると汚染された土は、除染現場や仮置き場に“安全に保管”された後、国が建設した大熊町と双葉町の中間貯蔵処理施設に運び、減容化されます。そこで“安全に保管”され、30年以内に県外の最終処分場に運ぶのだそうです。
……本当でしょうか。最終処分場がどこになるのか、現在も決まっていません。
国道6号線沿いの仮置き場。本当にこれで“安全に保管”されているといえるのでしょうか?
福島県内の除染は、帰還困難区域を除いて2018年3月で完了しています。国道6号線沿いには、除染作業で排出された汚染土がフレコンバッグに詰められ、“安全に保管”されている仮置き場をいくつも見ることができました。
緑色のマスクをつけたトラックが、何十台も列を連ねて走行するのも珍しくありません
県内各地の除染現場や仮置き場に置かれていたフレコンバッグは、トラックに載せられ、中間貯蔵処理施設へと運ばれています。1日当たりのトラックの数は約2400台にもなるそうです。フレコンバッグが積まれているトラックは、「環境省 除去土壌等運搬車」と書かれた緑色のマスクを正面に付けているのですぐにわかります。
誰のための環境にやさしいエネルギーなのか?
原発から20km圏で目立ったのが、太陽光発電システムのソーラーパネルです。原子力の代替エネルギーとして、再生可能な太陽光が注目され、大規模太陽光発電所(メガソーラー)の建設ラッシュが続いています。東京電力福島第一原子力発電所事故の被災地を、再生可能エネルギーの拠点にしようとして誘致に力を入れているのです。
福島県内全体でもメガソーラーの建設が進み、その発電能力は2020年6月には全国1位となりました。
……と書くと、環境に負荷をかけない電気を生み出す取り組みに思えます。
何十年に渡り、田畑を受け継いできた農家が多い地域です。土づくりをし、作物を育ててきた田畑が汚染され、除染された跡地にできたメガソーラーの畑。地元の人はどんな思いで見ているのでしょうか
しかし、メガソーラーが設置されているのは、農家が米や野菜を栽培していた田畑だった場所です。田畑がなくなってしまうと、除染作業後に帰還したくても戻ることができないでしょう。しかもこれは、地元、福島のための施設ではありません。ここで作られた電気は東京電力が買い取り、関東へ送られているのです。
阿武隈高地の山の稜線に沿って、延々と続く送電線。すべて関東に電気を送るための鉄塔です
メガソーラーの向こうには阿武隈高地の稜線に沿って大きな鉄塔が並び、無数の送電線が関東圏へ電気を送っていました。送電線銀座とでも呼びたくなるような景色です。事故を起こした東京電力福島第一原子力発電所で作られていた電気も、この送電線を使って関東に送られていました。
地元の農家が代々受け継いできた田畑が放射線で汚染され、除染後にメガソーラーの畑となり、都会の電気を作る。それが果たして社会や環境にやさしいことなのでしょうか。再生可能なエネルギーの活用という美名の下、福島県の大地を犠牲にして関東に送る電気を作ることは、結局、原子力発電所と同じことを繰り返してはいないでしょうか。
富岡町や大熊町のあちらこちらで見かけた東北電力の看板。福島は東京電力管内ではないことを改めて思います
東京電力福島第一原子力発電所の事故を通して私たちが本当に考えなければならないことは何かを、メガソーラーの畑が問いかけているようにも思えました。
まずは知ること。そして考えること
Fスタディツアーのガイドをしてくれた里見喜生さん
スタディーツアーを案内してくれた里見さんは、「何が正解か不正解かではなく、まずは知ってほしい。知って考えてほしい」と話します。
東京電力福島第一原子力発電所で起きた事故は、日本のみならず世界中に衝撃を与えました。そこで起きたことは、福島の人だけではなく、1人ひとりが考えなければならない“エネルギーとどう向き合うか”という問題です。10年経っても変わらない原発事故の被災地の“今”を正面から見据え、私たちの暮らし方も問い直さなければならないのかもしれません。
Fスタディツアーへの受付はサイトから行われています。興味があったらぜひ参加して、東京電力福島第一原発20km圏内の“今”を見に行ってみてください。
(文 :筑波 君枝(ボランティアガイド))