福島原発の北西部の避難区域の除染が遅れていて、避難指示解除見込み時期が、発災の2013年3月を基準に、6年後(2019年)、5年後(2028年)、3年後(2016年)に延期されました。特に国直轄の除染が大幅に遅れています。対象になる世帯数は約2000世帯です。
ところで除染は遅れに遅れていますが、除染の基本的な考え方が、いまだに殆ど明らかになっていないという大問題があります。除染でいま明らかになっていることは、除染事業の総元締めに「もんじゅ」の管理で落第を宣言された日本原子力研究開発機構が決まったことと、国の直轄除染では原子力村のゼネコンが軒並み名を連ねていることくらいです。
日本科学者会議(除染問題検討チーム)が2月11日付で、「除染にかかわる提言」という極めて厳しい指摘をしました。
そのごく一部を抜粋すると、
「・・・だが今日の現状は、何をもって除染とみなし、その効果を検証するのかという合意形成もなく、除染技術の確立とその体系化すら進んでいない」
「・・・しかしながら除染の実行力を担保する法令、ならびに実施体制が体系化されておらず、その結果様々な弊害が生じる」
「・・・何を持って除染とみなすのか(定義)、いかにして除染をするのか(方法)、除染の効果をどのように検証するのか(評価)、その統一的基準がない」
「・・・除染計画を策定する際に不可欠な実態把握(放射能計測とマップ化)が不十分」
「・・・本来、除染は国の責任でやるべきものであり、人的資源も専門性も限られ、被災地対応に追われる地方自治体の事業範囲を超えている」
「・・・最後に「除染」は、それ自体が「目的」ではなく、あくまで生活再建に向けた「手段」である」
「・・・合理的な除染策の検討というものが、被災者の福祉や健康、ならびに基本的人権を侵すものであってはならない。除染の是非は科学的合理性のみならず、社会的道義性の観点からも十分に議論される必要があり、二つの観点からの議論の先にしか被災者の健康と生活の安寧は得られない」
という具合です。
そして「真に目指すべきは被災者の生活再建であり、除染はあくまで手段であって、除染の実施が被災者救済の最終目標ではないことも強調しておきたい」と結んでいます。
以下に、河北新報の記事と、日本科学者会議の「除染にかかわる提言」を紹介します。
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避難解除見込み1年延期 飯舘、葛尾1999世帯 除染遅れ
河北新報 2014年3月1日
政府の原子力災害現地対策本部は28日、東京電力福島第一原発事故に伴い一部について、避難指示解除見込み時期を当初の今年3月から1年延期する方針を固めた。両村合わせ1999世帯(6569人)が対象となる。国による除染の遅れなどが理由という。見込み時期は両村の他、南相馬市、大熊町など5市町村に設定されているが、延期されるのは初めて。
対策本部によると、延期するのは飯舘、葛尾両村の避難指示解除準備区域と居住制限区域の一部。飯舘村は1582世帯(5210人)、葛尾村は417世帯(1359人)が対象となる。
政府は平成24年7月に飯舘村、25年3月に葛尾村の避難区域を再編した。その際、放射線量や除染計画、生活基盤の復旧見通しなどを考慮し、避難区域ごとではなく、地域ごとに解除見込み時期を事故後「3年」「5年」「6年」に設定した。
ただ、国直轄除染が遅れ、環境省は25年度内としていた完了時期を葛尾村は2年延ばして27年度内、飯舘村は3年遅らして28年度内とした。今年1月末時点の除染実施率は、飯舘村の宅地が9%、農地が4%、葛尾村は宅地が59%、農地が0・1%にとどまっている。
避難区域の解除見込み時期は、東京電力から一括賠償支払いを受けるため決められた。区域内の住民は解除見込み時期までの期間に生じる賠償額を東電からまとめて受領できる。
対策本部によると、住民の帰還が可能になる実際の解除時期は、政府、村、住民で協議して判断する。精神的損害などの賠償は解除後1年まで続くため、解除見込み時期の延長による賠償総額への影響はない。
ただ、解除の見通しが先延ばしされることで、避難住民の帰還意欲が衰える可能性がある。住民の帰村が進まないと地域の復興が遅れる恐れもある。
旧警戒区域と旧計画的避難区域で、避難区域の解除が決まったのは4月1日予定の田村市都路町だけだ。解除見込み時期が事故後3年となっているのは飯舘、葛尾両村のみ。事故後5年の28年3月は南相馬市、浪江、富岡両町、飯舘、葛尾両村の一部。事故後6年の29年3月が大熊、双葉両町の全域と南相馬市、浪江、富岡両町、飯舘、葛尾両村の一部となっている。
「除染」にかかわる提言
2014 年2 月11 日
日本科学者会議除染問題検討チーム
代表 石井 秀樹(福島大学)
1.はじめに
日本科学者会議は、2011 年3 月11 日に発生した福島第一原発事故による放射能物質の汚染問題について討議を継続してきた。現状を鑑みれば、国や自治体による「除染」の進捗率は著しく低く、所期の効果を上げていないことはもとより、社会的議論が交錯し、今後の見通しすら立たないのが実情である。我々は、除染問題が原子力災害における広範な諸問題の一つであると認識しつつも、除染のあるべき方向性を示すべく、科学的見地からの原則的提言が必要だと判断した。ここに提言と除染問題の所在と背景を示すが、関係機関ならびに広く科学者の検討を期待する。
2.【提言】
① 被災者の生活再建と除染の位置づけの明確化
・被災者は、被曝低減に向けて「除染」もしくは「避難」を主体的に選択できる権利を有し、国はその実現と生活再建に向けた支援を継続しなければならない。
・除染それ自体は「目的」ではなく、あくまで被曝低減に向けた「手段」である。除染には限界があり、除染の実施をもって生活再建が達成されるとは限らず、除染計画と実施をもって避難の権利を奪ってはならない。また必要に応じて再除染も実施しなければならない。一方、十分に被曝量の低減が期待できない場合は、除染が困難であることを社会的に開示し、除染に代わる代替案を示した上で、除染を実施しない選択をとることも重要である。
② 国の責任下での詳細な汚染実態の把握とその公表
・空間線量(μSv/h)ではなく、土壌の汚染度(Bq/㎡もしくはBq/kg)による汚染実態の把握とそのマップ化を進めること。
・詳細な汚染マップに基づいた除染計画の策定を徹底すること。
・除染実施前後の計測を実施し、除染効果の評価を徹底すること。
③ 除染と放射性廃棄物の管理に関する国民的討議
・除染に関する国民的討議を多角的に行うこと。
(特に除染の目的、到達目標、実施対象、経済的合理性、経済的負担その他の検討)
・放射性廃棄物の管理(最終処分場、仮処分場の設置)に関する合意形成を図ること。
④ 除染は国の責任で行うことの明確化、ならびに除染に関わる法令の体系化
・除染の定義と到達目標を明らかにすること。
・国家や地方自治体、および除染の実施主体の役割と権限を明らかにすること。
・不適切な除染の管理と取り締まりを徹底すること。
⑤ 除染の計画・実施・評価を管理する、国及び地方自治体から独立した第3者機関の設置
・第3者機関は、除染の計画・実施・評価を多角的視点から管理し、問題の改善を促すこと。
・第3者機関は、除染作業者の地位と人権を保障し、外部被曝の軽減ならびに労務・健康管理を徹底すること。
・国及び地方自治体は、除染の計画・実施・評価の場に地域住民が主体的に参画できる権利を保障するとともに、除染の実施主体と地域住民が相互理解を深めるための対話と学習の場を形成すること。
⑥ 国の支援による除染技術の研究・開発の促進
・国内・国外の英知を集めた産学官連携による除染技術の研究開発を促進すること。
・研究開発は工学分野にとどまらず、生態学や農学などの環境学の視点も導入すること。
3.【問題の所在・背景】
放射性元素を人為的に消滅することは事実上不可能であり、その消滅は放射性壊変による自
然減少を待つしかない。それ故、「除染」とは、放射能に汚染された物体を別の場所へ「移動」し、これを「隔離」「遮蔽」する処置にすぎない。「廃炉」も基本的に同様であり、チェルノブイリ原発4号炉では石棺を構築し、放射性物質と放射線が外部に漏れ出さぬよう「隔離」と「遮蔽」をしてきた。ウクライナやベラルーシでは、チェルノブイリ原発周辺を除いて基本的に除染は実施せず、深刻な汚染地は放棄され、それに準ずる地域では汚染度に応じた土地利用がなされている。一方、日本では、宅地や道路の生活インフラに加えて、農地や森林の除染が争点となっている。
だが今日の現状は、何をもって除染とみなし、その効果を検証するのかという合意形成もなく、除染技術の確立とその体系化すら進んでいない。そればかりでなく、最終処分場や中間貯蔵の設置、ならびに膨大な除染廃棄物の移動の目処すら立たず、除染廃棄物は行き場を失い、除染を実施した地域では「仮処分場」が点在している。さらに除染の賛否や実現可能性に関わる社会的議論が停滞・閉塞しているが、そもそもこれを検討するための具体的データすら乏しいのが実情である。これでは除染に伴う労力、期間、費用の算出すらできない。放射能汚染の状況は一様ではなく、生活者の外部被曝の評価、除染計画の立案、営農計画や土地利用計画の策定など全ては実態把握から始まる。だが生活空間レベルの放射性物質の分布マップすらない。
除染対象には、①宅地、②道路、③農地、④森林の4つがある。除染の本来の目的は、被災者の生活再建だが、期待される効果は「外部被曝の低減」から「農作物の吸収抑制」までさまざまである。また除染は部分的な除染では完結しないこと、ひいては除染により新たな別の弊害が生じるジレンマも存在する。たとえば遠方から放射線が届く場合、局所的除染だけでは空間線量は下がらない。空間線量を十分に下げるためには半径数十m規模での除染が必要であり、一定規模での除染をしなければ効果は少ない。また畑の除染は農作物の吸収抑制ができたとしても、肥沃な土壌を奪う。土壌の形成に伴う時間は、放射性セシウムの半減期以上に長く、除染は農地の生産力の低下という痛みを伴う。稲作では水を介したセシウム吸収が問題となる。平成24年度、平成25 年度の米の全量全袋検査の結果を鑑みればリスクが想定される圃場の割合は少ないが、米のセシウム吸収は土壌汚染との相関関係が認められず、土壌の交換性カリウムや水源のセシウム含有量に左右される。宮城県栗原市で2012年に最大240Bq/kg の玄米が確認されたが、交換性カリウムの欠乏や水源のセシウム汚染次第では、土壌汚染が軽微でも、基準値を超えるコメが生産される可能性もある。つまり農作物の放射性物質の低減を一つ挙げたとしても、除染は唯一・絶対の方法ではない。土壌の化学組成や水源の汚染実態も踏まえた複合的対策が不可欠であり、地域の自然の多様性、及び技術や制度の限界といった不確実性も踏まえて、除染のあり方を柔軟に考えなければならない。
つまり除染のあり方・方法は、目的に応じて変わる。除染をする際には、除染対象毎にニーズを洗い出し、対象地毎に目的と到達目標を明確化した上で、汚染実態と環境に応じて手段を極細かく選択する必要がある。また除染の目的を地域や世帯毎に明確化するためにも、除染事業者と当事者の相互理解を図り、除染の計画・実施・評価に地域住民が主体的に参画する権利を保障することが重要であり、合意形成や学習に資する場を構築することが必要であろう。
福島県では2012年夏以降、各自治体で除染計画を策定し、大手ゼネコンに代表される主体が除染作業を進めている。しかしながら除染の実行力を担保する法令、ならびに実施体制が体系化されておらず、その結果様々な弊害が生じる。
第一は、何を持って除染とみなすのか(定義)、いかにして除染をするのか(方法)、除染の効果をどのように検証するのか(評価)、その統一的基準がない点である。それ故、不適切かつ不完全な除染が横行し、地域により除染効果に差が出ている。
第二は、除染計画を策定する際に不可欠な実態把握(放射能計測とマップ化)が不十分な点である。放射性物質の分布マップがあれば汚染や環境に即した然るべき除染方法が選択でき、除染を優先すべきエリアが検討できる。必要かつ十分な除染の見極めることで過剰な資本や労働力の低減、仮置き場や中間貯蔵施設の負荷低減を検討することも必要である。特に労働資本の投入は除染作業者の外部被曝の低減に直結する問題であり、除染作業者の人権問題として認識する必要がある。
第三は、除染の実施主体は各自治体であることから、市町村域を超えた合理的な計画策定や、専門的対応や判断が困難な事である。本来、除染は国の責任でやるべきものであり、人的資源も専門性も限られ、被災地対応に追われる地方自治体の事業範囲を超えている。それこそ復興庁などの国家レベルの機関が指導力を発揮しなければならない。
最後に「除染」は、それ自体が「目的」ではなく、あくまで生活再建に向けた「手段」である点ならびに「除染」は放射性物質という物理的実体に即して科学的見地からの対応が求められる一方、極めて社会的・政治的な問題であることを強調しておきたい。たとえばガラスバッジによる個人被曝の積算線量は、空間線量から見積もられた値に比べて、平均値で3割ほどの外部被曝に止まることが明らかにされている。こうした科学的知見は、除染の優先度や対象エリアを検討するデータとされ除染エリアや避難エリアの縮小を支持するデータとなる可能性もある。だが依然として高い外部被曝が強いられる地域や個人も少なくなく、合理的な除染策の検討というものが、被災者の福祉や健康、ならびに基本的人権を侵すものであってはならない。除染の是非は科学的合理性のみならず、社会的道義性の観点からも十分に議論される必要があり、二つの観点からの議論の先にしか被災者の健康と生活の安寧は得られない。そして除染の計画や実施をもって、個人が故郷から避難する権利を奪ってはならないこと、また移住や避難をした人々にとっても、放射能汚染からの故郷の再生は悲願であることから、「除染」と「移住」は二者択一の選択とはならない。真に目指すべきは被災者の生活再建であり、除染はあくまで手段であって、除染の実施が被災者救済の最終目標ではないことも強調しておきたい。