福島原発事故から3年を迎えるのを前に、当時原発の安全規制を担う原子力安全委員長として対応に当たった班目春樹氏が、時事通信のインタビューを受けました。
班目氏は緊急時の情報伝達に大きな問題があったと振り返り、「今の原子力規制委がその訓練をしているかというとしていない。あり得ないようなシナリオの中で上がってくる情報を委員長がどう判断するか、訓練を積まないといけないのに一番大切なことをやっていない。あれだけの事故があっても何も学ばないなら、『規制』をする資格がない」、と「事故に学ぶ姿勢」が足りないことを厳しく批判しました。
確かに現行の規制委はハードウエア(設備)の検討に重点を置く一方で、緊急時の情報発信・伝達の問題や住民の被曝防止については観点そのものが抜けています。
傾聴に値する元原子力安全委員長の意見です。
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「事故に学ぶ姿勢足りず」=新規制は「ハード偏重」
-班目氏〔東日本大震災3年〕
時事通信 2014年3月2日
東京電力福島第1原発事故から3年を迎えるのを前に、原発の安全規制を担う原子力安全委員会(廃止)のトップとして対応に当たった班目春樹元委員長が時事通信のインタビューに応じた。班目氏は緊急時の情報伝達に大きな問題があったと振り返り、後を継いだ原子力規制委員会が進める安全規制について「ハードウエア偏重で、事故に学ぶ姿勢が足りない」と懸念を示した。
-事故対応の問題点は。
指揮命令系統がマニュアル通りに動かない中、それぞれが自分の役目を認識できず右往左往してしまった。非常時は臨機応変にやらざるを得ないが、そのことが伝達できていなかった。緊急時の情報のやりとりの仕方も徹底的に反省し、訓練を積み重ねないと駄目だ。
-当時、最悪の事態をどこまで想定したか。
(2011年)3月11日深夜から翌朝にかけ、楽観と悲観の両極端に振れていた。ある時はもう現場は逃げ出しているのではないか、チェルノブイリ(旧ソ連の原発事故)のように空から砂でも水でもまくしかないと考えた。
-転機になったのは。
4号機の水素爆発(3月15日)まで、ずるずると行ってしまった。(政府と東電の)対策統合本部ができたのがポイント。あれがなければ、東電と首相官邸の連絡の悪さはそのままだった。情報の集まる所で判断するのが正しい姿だ。
-今後は規制委が判断する。
その訓練をしているかというと、していない。ハードウエアの議論ばかりだ。規制委が大きな権限を持ったのだから、あり得ないようなシナリオの中で上がってくる情報を委員長がどう判断するか、訓練を積まないといけない。
-規制委は事故の反省を生かしているか。
規制委は私を呼んで話を聞かなくていいのか。当時のコミュニケーションがどうだったかなど、一番大切なことなのにやっていない。あれだけの事故があっても何も学ばないなら(規制を)やる資格がない。
-再稼働の動きが進む。
私も本当にいいのか悩んでいる。やるならば、安全とは何かを一からきちんと考えて、国際的にも胸を張って言えるようにしないと。規制委が言う「世界一厳しい基準」は設備だけ。安全かどうかの評価能力が必要だ。
-安全性は高まったか。
いろいろなことを想定するようになったという面では、1000倍くらい高まったとは思う。だが、もっと安全にしていく駆動力(姿勢)みたいなものは相変わらずだ。
-福島の廃炉作業は。
溶融燃料取り出しは30年でも無理。(作業員の)被ばくを考えたらやめた方がいい。形状もめちゃくちゃだし、高レベル廃棄物よりも危険。それを言うと進まなくなるから、長期計画は曖昧にして30年後とかにしている。
-汚染水問題も進まない。
トリチウムは希釈して流すしかないと思うが、規制委がもっと先頭に立たないといけない。放出限度を決めているのは規制委だから、説明責任がある。
-原子力に対する自身の見方は変わったか。
事故からもっと学ばないといけないと考えている。学ばないまま忘れてしまっていいのかと。いま原発を動かしても、あしたすぐ事故になるとは思わないが、学ばないのはひど過ぎる。
◇班目春樹氏略歴
班目 春樹氏(まだらめ・はるき)東京大大学院から東芝総合研究所を経て、75年に東大講師(原子力工学)、90年同教授。01年から経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会で委員などを歴任。07年の新潟県中越沖地震では、被災した東京電力柏崎刈羽原発の調査・対策委員長を務めた。10年4月に東大を退職し、原子力安全委員会の委員長に就任。12年9月の廃止まで務めた。