2022年5月10日火曜日

信頼を積み重ね道開く 福島の農産物、海外へ

 河北新報が、福島産の農産物の美味さが海外から認められ、徐々に普及しつつある実態を報じました。柿、コメ、モモなどの例を紹介しています。

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信頼を積み重ね道開く 福島の農産物、海外へ(上)波及
                         河北新報 2022年5月9日
 東京電力福島第1原発事故後、一時は世界の55カ国・地域で福島県産の農林水産物の輸入規制が敷かれた。福島の農家は、安全で高品質な農産物を地道に作り続け、逆境を耐え忍んだ。県や農協とタッグを組み、輸入制限が解かれた国へ販路を広げようと懸命だ。輸出拡大を反転攻勢の好機と捉える農業関係者の姿を追った。(福島総局・吉田千夏)

あんぽ柿、中東に
 箱に詰められた鮮やかなオレンジ色が目を引く。福島県北特産の干し柿「あんぽ柿」が今年1月、伊達市の「あんぽ工房みらい」からアラブ首長国連邦(UAE)向けに出荷された。工房の菊池洋介センター長は「あんぽ発祥の地から世界に出せた」と感慨深げだった。
 ローマ字で「Anpo Gaki」と、アラビア語が書かれたシールが貼られ、約180キロが船と飛行機で現地に届いた。
 あんぽ柿は原発事故後2年間、出荷自粛を余儀なくされた。3年前、先に規制が撤廃されたタイとマレーシアにあんぽ柿を輸出しているが、関係者はUAEに目を向けた。
 県によると、中東には原発事故前、輸出実績はない。人や物が集まるUAEに狙いを定め、中東からヨーロッパやアジアなどへ波及効果を狙う戦略だ。2018年ごろ、輸出の可能性を探るため農協や関係団体、生産者らが連携してあんぽ柿輸出研究会をつくった。
 PRと調査で県職員は計3回、UAEの首都ドバイに赴いた。19年2月、当時県農産物流通課主幹の伊藤裕幸さんはドバイで、UAE政府関係者、王族らにあんぽ柿を振る舞う機会を得た。不思議そうな顔をしていた人たちが口に含むと「甘い」と笑顔になった、あの時の表情が忘れられないという。UAEではドライフルーツを食べる習慣があり、商談会でも好感触を持った

調理方法も提案
 輸出の道筋が見え始めたころ、取引業者から「賞味期限を延ばせないか」と難題を突き付けられた。水分量が多く国内で流通するあんぽ柿の賞味期限は約1カ月。ドバイまでは海路で約40日かかる。
 頭を悩ませた関係者は思案の結果、地元の農家が冷凍保存していることに着目。試験を繰り返し、見た目や味、放射性物質濃度などをチェック。1年間は品質に問題がないことを確認できた。
 売り込み方法も工夫した。天ぷらにしたり、切り刻んでナッツとサラダを加えてあえ物にして提供してみた。意外に好評だった。「日本の慣習を押しつけるのではなく現地のニーズに合わせてアピールした」と伊藤さん。現地のレストランへ調理方法を提案するなどし、約10店で扱われることになった。
 現在、福島産農産物の輸入規制が残るのは14カ国・地域。撤廃に向けた交渉は政府が担う。県は情報の正確な発信を進める。台湾や米国などの政府関係者や、インターネット上で影響力を持つインフルエンサーらを招き、放射線検査状況や食品の生産地などを見学してもらうなどした。
 伊藤さんは「直接見て食べて、『大丈夫なんだ』と知ってもらうことの繰り返しと、小さな信頼を少しずつ積み重ねて規制緩和につなげてきた」と振り返る。


品質高めて風評克服へ 福島の農産物、海外へ(中)開拓
                         河北新報 2022年5月9日
「究極のすし米」
 「ジ・アルティメット・スシライス(究極のすし米)」
 香港や米国など計8カ国・地域で、そう呼ばれるコメがある。独自の栽培方法で育った福島県猪苗代町のブランド米「いなわしろ天のつぶ」。東京電力福島第1原発事故後、町主導で農協、農家と一体となり世界の販路を拡大していった。
 町農林課の小板橋敏弘課長は「農家の所得を高めたいという思いがあったが、輸出という選択肢は消去法だった」と打ち明ける。
 町主力品種だった「ひとめぼれ」は原発事故後、業務用として買いたたかれた。風評を克服できる新品種を探していた小板橋課長は、当時唯一の県独自品種「天のつぶ」に着目。売りは多収性で、業務用として市場に出回り始めていた。
 町は天のつぶの品質向上に乗り出す。農薬と化学肥料を減らし、ふるい目幅はコシヒカリより大きい2・0ミリ。約3年後、大粒で粘りが少なく、冷めても味が落ちない「いなわしろ天のつぶ」が出来上がった。
 特徴的に最も合うと考えられた料理がすしだ。世界では空前の和食ブームが起きていた。海外でブランドを確立してから国内に「逆輸入」し、認知度を高める戦略を選んだ。
 海外初デビューは2015年。イタリアであった東北復興のイベントに出展した。「スタンダード・スシライス」としてPRし、現地メディアに報じられた。ただ、流通ルートがなく販売には結び付かなかった。

人間関係を重視
 最初のターゲットにしたのは、アラブ首長国連邦(UAE)やカタールの富裕層だ。日本貿易振興機構(ジェトロ)の支援を受けて国際見本市などで出展を重ね、販売網を構築した。
 中東でのビジネスは、他地域以上に人間関係が重視とされるという。小板橋課長は政府要人に会い、貿易業者らとの関係も深めた。「福島の米は買えない」と断られても諦めなかった。数カ月間、検査証明書や生育状況を送付し続けるなどした結果、15年度にUAEとカタールに計420キロを出荷できた
 品質には自信があった。イタリアで「スタンダード・スシライス」としたいなわしろ天のつぶを、中東では「ジ・アルティメット・スシライス」の商品名で売り出した。
 次に狙いを定めたのが香港だ。原発事故前、県産農産物の主要輸出先だった。規制品目を調べると、コメは含まれていなかった。飛び込みで商談会に参加するなどした。17年度に約360キロ、18年度には約3トンを輸出した。
 アジア貿易の中心地での評価は、すぐに世界へ広がる。アゼルバイジャンとスイス、カナダ、フランスの業者から契約の申し出があった。「ブランドが確立されてきた」。関係者は手応えを感じた。
 昨年9月、米国が輸入規制を撤廃。会津よつば農協はJTBと在米福島県人会らの支援を受けて同12月、20キロを輸出した。同農協ふるさと直販課の五十嵐健一課長は、米国での販路拡大を見据える。
 海外での商品名「究極のすし米」が今、実際の評価に近づいている。「自ら名乗るのではなく、相手に認められてこそブランド米だ」。小板橋課長はそう感じている。


緩和追い風に販路拡大 福島の農産物、海外へ(下)挑戦
                          河北新報 2022年5月9日
輸出の道を模索
 福島県矢祭町の農業法人「でんぱた」は3月、米国に約800キロの町産コシヒカリ「矢祭米」を出荷した。タイ、フランスに次いで3カ国目の輸出となった。
 東京電力福島第1原発から南西に約80キロ離れた町。事故によるコメの出荷制限はなかった。それでも事故後、出荷した首都圏では「産地名のタグを外して」と言われた。でんぱたの鈴木正美代表(64)は涙が出る思いで破り捨てた。
 原発事故から4年たった2015年。原発から離れた同町は国などからの支援がないのではないか、と懸念した東北大の学生から「復興に役立ちたい」とのメールがでんぱたに届く。
 学生5人の尽力で実現したのが、タイ・バンコクでの矢祭米のPR販売だった。学生の熱意とともに矢祭米の可能性を感じた鈴木代表は、PR販売に協力した現地の日本人男性と共に輸出の道を模索するようになる。17年、魚沼産コシヒカリに次ぐ高価格でバンコクの日系スーパーに並んだ
 タイ向けの販路は、輸出事業始動から4年目に男性が急逝し途絶えてしまう。それでも粘り強く交渉し、フランスと米国へ輸出した。鈴木代表は「輸出は法人の事業に厚みを持たせてくれる。これまでの関係を大切にしながらタイの販路も復活させる」と意気込む。
 皇室に届ける献上桃の郷(さと)、福島県桑折町でモモ、あんぽ柿などを作る感謝農園平井の平井国雄代表(71)も海外向け販売を進める。

県出身者も応援
 16年に国内で初めて、モモの食品生産過程の安全性を担保する国際認証「グローバルGAP」を取得。生産したモモは17年、インドネシアのスーパーに並び、甘く、程よいかたさが評判を呼んだ
 18年も出荷を求められたが凍霜害などで生産量が減って断念した。平井代表は今年、同じスーパーへの出荷に再挑戦している。
 新鮮なモモに加え、年中安定した出荷ができるようモモの加工品を送る計画だ。冷凍機械を備えた加工場を農場に整備し、障害のある人にも雇用の場を提供するなど事業拡大に向かう。
 今、品質が良い福島の農産品に追い風が吹き始めた。米国の輸入規制が昨年9月に撤廃され、台湾も今年2月に放射性物質の検査証明書の添付を条件に規制を緩和。英国も規制撤廃の議論が進む。
 県県産品振興戦略課は「ここ数年の緩和措置は福島にとって意義深い」と強調する。これまでの努力で開拓した東南アジアや中東への戦略が功を奏し、規制を継続する国々にも県産農産物の評判が波及し、緩和の流れができてきた。
 海外で暮らす県出身者も応援する。世界24カ国・地域にある県人会は原発事故後、世界各地で復興応援の催しや県産品の販路拡大の支援を続ける。13年には各国の県人会を結ぶ「ワールド県人会」が誕生、結束を強める。満山喜郎会長は「福島の名は世界に広がっており、もっとたくさんの可能性がある」とさらなる海外展開に期待する。