福島は山菜や野生キノコの名産地として知られていますが、野生キノコについては会津地方の例では、原発事故から11年が経っても4町村を除く55市町村が今も制限の対象になっています。
下郷町にある総業250年の「大内宿三沢屋」は、旬のキノコを多彩な料理に仕上げることで評判だったのですが、いまはそれも叶わずに「家族を事故で失ったような思い」と、食材として使用できない現状を嘆きます。当然経営にも影響が出ています
福島民報が報じました。
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【戻せ恵みの森に ―原発事故の断面―】
山の恵み 誇り奪われたまま 野生キノコ今も制限
福島民報 2022/5/1
東京電力福島第一原発事故は、県民から山の恵みを奪った。原発事故発生前、野生キノコや山菜などは食卓を彩り、身近な存在だった。事故から11年たっても出荷制限が続いている。県内の林産物を巡る現場を追う。
原発事故の影響で原子力災害対策特別措置法に基づく野生キノコや山菜などの出荷制限が市町村単位で出て以来、流通や販売の規制が続く。野生キノコについては、会津地方の4町村を除く55市町村が今も制限の対象になっている。
会津地方では多彩な種類のキノコが採れるとされる。キノコ狩りの名人が山を歩きながら、独自の「狩り場」で採取してきた。
下郷町の観光名所大内宿にある飲食店「大内宿三沢屋」は地場産の野生キノコをふんだんに使った料理が売りだった。「ここでしか味わえない珍しい品を提供するのが誇りだった。それを奪われたままなんだ」。社長の只浦豊次さん(67)は、食材として使用できない現状を嘆く。
約250年前の創業で、9代目に当たる。こだわりの手打ちそばや餅に加え、会津地方各地から仕入れた旬のキノコを多彩な料理に仕上げ、「本日限定のごちそう」として振る舞ってきた。マツタケの炭火焼き、シシタケの炊き込みご飯、キノコの刺し身、鍋、塩漬け…。遠くから足を運んでくれた客が喜んで料理を食べてくれた。それを見るのが生きがいだった。
しかし、100キロ以上離れた福島第一原発の事故のため、只浦さんは自慢の品を出せなくなった。出荷制限が出た当時の心境を「家族を事故で失ったような思いだった」と表現する。
近隣には野生キノコの出荷制限の対象となっていない市町村もあるが、その場所の食材は仕入れていない。下郷町は全ての野生キノコが制限対象のため、他地域の野生キノコを使ったとしても、消費者に不安や誤解を与えかねないと考えているためだ。
原発事故発生前から通ってくれている常連客からは「本日限定のごちそう」の再開を願う声が相次いでいる。
只浦さんが感じているのは、やり場のない悔しさだ。「都会で育った頭のいい役人や大手電力会社社員から見れば、単なる山のキノコかもしれない。でも、自分たちにとっては宝物なんだ」
原発事故で奪われたのは、自慢の品を提供し、客の笑顔を見られる喜びだけではない。目玉の食材を失ったため、経営にも影響が出ている。