岸田政権が原発回帰への大転換をすすめるなかで能登半島地震が起こり、石川県の北陸電力志賀原発、新潟県の東京電力柏崎刈羽原発が被災しました。
改めて浮き彫りになった原発の危険性について、科学ジャーナリストの添田孝史さんがリポートした記事がしんぶん赤旗日曜版10日版に載りました。
記事は簡潔にまとめられていますが、重要な指摘が沢山ありますので以下に列挙します。
【複合災害時の避難について】
・能登半島地震では志賀原発に通じる道路の殆どが損壊したため、住民の避難計画は絵に画いた餅の状態でした。
・病人や高齢者が一時的に避難するための放射線防護施設は21カ所(2466人分)新設されていましたが、14カ所でひび割れなどの損傷(1632人分)が起き、うち6カ所(693人分)で一部損壊や停電対応の発電設備の故障で室内高圧化や空気濾過機能が発揮できず、これは防護施設設計上の不備と思われます。
・一般家屋も7万6千棟が一部損壊乃至全壊の被害を受け、「屋内退避」は非現実的であるというしかありません。
【耐震設計 基準地震動の前提条件について】
・至近の日本海海底に最大で96kmの活断層が存在すると想定していましたが、今回の地震では約150kmに渡って一体的に動きました。
・断層の長さが短いほどマグニチュードの想定規模を小さくできるので、これまでは5km離れていれば個別の断層と見做していたのですが、今回17km離れていても連動することが分かりました。
・海底の断層から10km離れた半島の内陸部で崖状に2mも隆起したことも、これまでの知見にはありませんでした。
◎地震についてはまだ分かっていないことが多いということで、こうして得られた新しい知見に基づいて従来の原発の基準地震動を見直す必要があります。
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福島原発事故から13年
安全面でも経済面でも 原発は悪手でしかない
しんぶん赤旗日曜版 2024年3月10日号
東日本大震災・福島第1原発事故から13年。岸田政権が原発回帰への大転換をすすめるなかで能登半島地震が起こり、石川県の北陸電力志賀原発、新潟県の東京電力柏崎刈羽原発が被災しました。改めて浮き彫りになった原発の危険性について、科学ジャーナリストの添田孝史さんがリポートします。
そえだ・たかし=元朝日新聞記者。福島第1原発事故の国会事故調査委員会で津波
分野の協力調査員。著書『東電原発事故10年で明らかになったこと』
(平凡社新書)など
かつて計画された原発が
珠洲市に造られていたら
能登半島北部の海底活断層が1月、マグニチュード(M)7・6の地震を引き起こしました。
ずれ動いた震源断層の真上に、関西電力と中部電力は珠洲原発を造ろうとしていた時期がありました。1970年代に構想が持ち上がったのですが、地元の強い反対で2003年に計画は凍結されました。
今回の地震後、反対運動をしていた人のもとには「計画を止めてくれてありがとう」という連絡がたくさんあったそうです。
もし2000年代初めに珠洲に原発が追られていたらどうなっていたでしょう。
震源となった活断層は、2010年に研究者が初めて報告しているので、これを考えずに原発を造っていたことでしょう。その場合、耐震設計は直下のM6・5程度の地震を想定していたはずです。東京電力柏崎刈羽原発は、07年に直下でM6・8の地震が発生し、変圧器火災や建屋の基礎杭(くい)が壊れるなどの被害がありました。今回のM7・6は、規模でいうと(M6・5の)約8倍ですから、放射性物質を外に漏らすような大事故になった可能性もあります。
地震に伴って海岸は最大4mも隆起しました。能登半島が地震のたびに大きく隆起することは最近になって分かってきたことです。2000年代初めの設計なら想定が不十分で、原発敷地が隆起した時に、冷却に不可欠な取水ができなくなった可能性もあります。
緊急対応も困難です。11年の東電福島第1原発事故では、ほかの電力会社の電源車や、自衛隊、消防、高所に送水する大型ポンプ車などが応援に駆けつけることができました。ところが今回の地震では道路はズタズタです。珠洲原発は孤立無援となり、事故の拡大を防ぐこともできなかったでしょう。
志賀原発は避難路が寸断
六つの防護施設が働かず
1993年に能登半島の西岸で運転を始めた北陸電力志賀原発(2011年から停止中)の問題も明らかになりました。
一つは、前述した道路です。「のと里山海道」など主要な避難路は土砂崩れなどで通行止めとなり、孤立する集落も続出しました。揺れには比較的強いと考えられてきたトンネルも、国道249号の2ヵ所で崩れて不通が続いています。
屋内退避でも課題が浮かび上がりました。福島第1の事故後、原発の周辺では高齢者らが一時避難する放射線防護施設が造られています。寝たきりの人などを移動させることが困難という教訓からです。フィルターを設けたり、建物内部の気圧を高めて外気が入りにくくしたりして被ばくを減らす仕組みです。
ところが今回の地震で志賀原発周辺に21ある施設のうち、6つではうまく防護機能が働きませんでした。建物が壊れて気圧を高めることができなかったり停電をバックアップする発電機が動かなかったりしたためです。
一般家屋の被害も、全壊9千棟を含む7万6千棟に上りました。屋内に退避しようにも建物は壊れ、逃げようにも道も通れない。避難計画は絵に描いた餅で、事故が発生したら被ぱくを避けようがなかったことが明確になりました。柏崎刈羽原発、東北電力女川原発など、再稼働を準備しているほかの原発も事情は同じでしょう。
活断層は最大96kmと想定
今回は150kmが動いた
地震想定の甘さも露呈しました。北陸電力は最大で96kmの活断層が動くと想定していましたが、今回の地震では、約150kmも動いたからです。約17km離れていて、つながっていないと判断していた活断層まで連動しました。原発は基本的に約5km離れた活断層しか連動を想定していませんから、ほかの原発でも想定の見直しが必要です。
活断層が見つかっていなかった場所に、突然2mもの崖が現れたことも驚きでした。地震を引起こした海底活断層から10kmも南に離れた半島の内陸部での出来事で、地面の割れや隆起が起きた範囲は長さ4km、幅100mに及びました。原発はこんな地盤のずれは想定していません。
地震について、まだ分かっていないことが多いのです。
大地震の起こる地域に
多数あるのは日本だけ
岸田政権は原発回帰にかじを切っています。しかし世界地図を見ると、ほとんどの原発は地震と無縁のところにあります。地震と多くの原発が重なっているのは日本だけです(図)。そんな危険地帯で、関西電力高浜1号機のように、地震の知識が十分なかった半世紀以上も前に設計された原発を動かしているのです。
新しい安全設備を備えた原発に建て替えるという話もあります。事故を起こす可能性は下がるかもしれませんが、イギリスの例などを見ると、建設費は東電事故前の10倍を超え、発電コストは再生可能エネルギーを大きく上回ってしまいます。安全面でも経済面でも、原発回帰は悪手でしかないのです。