2024年3月23日土曜日

住民を見殺しにした枝野官房長官(植草一秀氏)

  植草一秀氏が掲題の記事を出しました。

 同氏のブログは記事の前半部分のみが公開されるので、3・11事故における枝野官房長官の言動に関する部分はありません。
 公開された記事では、3.11福島第1原発事故時に制御棒が挿入されてウランの分裂は停止しましたが、それまでに原子炉内に生成していた「核分裂生成物」が原子炉の中に膨大にまっていて、そこから出される崩壊熱21万キロワット相当)によって炉内の温度が上昇を続け、炉心溶融が起きた過程について小出裕章氏の説明を紹介しています。
 そして最終的には原発所員の決死の活動で格納容器の爆発は防止できましたが、福島第1原発では3月11日夜の時点でメルトダウンに至ることが判明していたので本来はその時点で国は原発周辺住民に対する避難指示出さなくてはならなかったと述べています。

 なお枝野幸男氏について記憶に残っていることは、当時本人が、放射能による影響について「直ちには影響はない」と繰り返していた(もともと仮に数十ミリシーベルトを浴びても直ちには影響は出ません)ことと、家族は海外に避難したという噂があったことなどです。
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住民を見殺しにした枝野官房長官(植草一秀氏)
               植草一秀の「知られざる真実」 2024年3月22日
毎年3月11日になると東日本大震災を特集する。
しかし、この日が過ぎると震災の話などなかったかのように忘れ去る。
本年1月1日には能登半島で大地震が発生した。
いずれの問題も最重要のテーマは原発。
フクシマ原発は起こしてはならない事故が引き起こされたもの。
フクシマ事故は東日本を喪失する危機を伴った。

大地震が発生した際、火力発電所は火を止めることで水の沸騰を停止させ、即座に安全な状況に移行する。
しかし、原発はウラン燃料のエネルギー量が大きすぎるために核分裂反応を止めても沸騰が続き、水が蒸発するとウラン燃料がむき出しになって溶け出す=メルトダウンする。
正常時には原発自身の発電でモーターを回して水を循環させられるが、核分裂反応を止めると原発自身で発電できなくなり、外部電源によってモーターを回して水を循環させなければならない。

京都大学原子炉実験所元助教の小出裕章氏は次のように指摘する。
「出力100万キロワットの原発の場合、原子炉の中では、ウランが核分裂して3倍の300万キロワット分の発熱をしている。
大地震の際は制御棒を入れて核分裂反応を止めるが、実は300万キロワットのうちの21万キロワット分の発熱は、ウランの核分裂で出ているわけではない。
それまでに生成された「核分裂生成物」が原子炉の中に膨大にたまっており、「崩壊熱」を出している。
制御棒でウランの核分裂反応を止めても、21万キロワット分の崩壊熱は止められない。」

「福島でも核分裂反応は止まったが、崩壊熱を止めることができないまま、電源が何もなくなり、冷やせないために炉心が溶けて、(放射性物質が)大量に出てしまった。」
本年1月1日に能登半島でマグニチュード76、最大震度7の地震が発生した。
最大震度を観測したのは輪島市と志賀町。志賀町では最大加速度2828ガルの揺れを観測した。

この志賀町に北陸電力志賀原子力発電所が立地する。
小出裕章氏は次のように指摘した。
「志賀原発が10年にもわたり停止していたことが何より幸いだった。
原発の使用済み燃料は発熱しているが、10年たつと発熱量は運転停止直後に比べ、千分の1以下に低下する
今回の地震で志賀原発は外部電源の一部系統が使えなくなり、非常用発電機も一部停止した。
稼働していたら、福島第1原発と同様の経過をたどったかもしれない。

志賀原発が運転停止から10年経過していたために大惨事を免れた。
地震発生で露わになったのは避難計画の無意味さだった。
放射線量を測定するモニタリングポストも使用不能に陥った。
屋内退避をしようにも家屋が倒壊して屋内退避は不可能だった。
避難に自動車、船を利用することとされていたが、道路は崩壊し、港湾は隆起のために使用不能に陥った。

2011年3月11日の地震で東京電力福島第一原子力発電所は外部電源を失った。
外部電源が地震で断たれた上、非常用電源も使用できず、モーターで水を循環させることができなくなり、そのために1号機から3号機までの原子炉核燃料がむき出しになり溶け落ち=メルトダウンした。
メルトダウンが始まるまでの時間は電源が失われてから、わずか4~5時間である。

福島原発では3月11日夜の時点でメルトダウンに至ることが判明していたが、原発周辺住民に対する避難指示が出されなかった。
この問題を私は2011年11月に上梓した『日本の再生』(青志社)https://x.gd/stUsS 第1章に詳述した。




3月11日午後3時42分には原子力安全・保安院に対して、東京電力から福島第1原発1、2号機で炉心を冷やす緊急炉心冷却装置(ECCS)が稼動しなくなったとの報告が入っている。

これを背景に同日午後7時3分に「原子力緊急事態」が宣言された。
政府は3月11日午後9時23分に福島第1原発から半径3キロ以内の住民に避難を指示したが、半径3キロから10キロ以内の住民には屋内退避を指示したのである。
しかし、事態は変わらず、3月12日になって午前5時44分に福島第1原発から半径10キロ圏内の住民に対し、10キロ圏外への避難指示を出した。
本来は3月11日の夕刻、遅くとも「原子力緊急事態」を宣言した午後7時には半径10キロ圏内の住民に10キロ圏外への避難指示を出すべきだった。
政府は国民の命を守る行動を取らなかった。
この罪は万死に値する。

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