小高避難指示解除から4年 亡き妻、心はともに 白岩守さん
福島民報 2020/07/11
東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示が二〇一六(平成二十八)年七月に南相馬市小高区で解除されてから十二日で四年となる。白岩守さん(61)は同年秋に避難先から小高区に戻った。古里での再出発を喜んだのもつかの間、妻ちどりさんが病に倒れ、四十八歳の若さで天国に旅立った。帰郷してわずか半年後だった。地元には妻と共に生きた証しが息づく。「これからも小高に住み続ける」と決意を胸に刻む。
急な別れだった。守さんは長期間の避難生活による心身の疲れが原因だったと考えている。震災関連死の審査を弁護士に相談したが、認定の壁は高く、断念した。妻の死後、残された家族で支え合いながら生きてきた。心にぽっかりと空いた穴をゆっくりと埋めようとしている。
一家の大黒柱として守さんは一九九四年から二十年余りの間、福島第一原発の作業員として働いた。仕事中心の生活となり、家族と向き合う時間を十分に持てなかったことが今では申し訳ない。一人前になったわが子たちを見て、妻への感謝の思いが込み上げる。自らの職場の事故で平穏な生活が揺らいだ。故郷を追われ、妻まで失った。悔しさ、無念さが募り、複雑な感情があふれてくる。
毎朝、仏壇にご飯を上げるたびに、妻と過ごした幸せな日々の記憶がよみがえる。三十二歳の時、職場のクリスマス会で出会い、すぐに意気投合した。一九九一年四月に結婚し、三人の子どもに恵まれた。
残る家族が心の支えだ。共に暮らす長男正伊(まさよし)さん(28)は幼い頃からの夢をかなえ、高校で数学を教えている。長女真千子さん(27)は仙台市、次男正訓(まさのり)さん(25)は福島市に住み、それぞれ社会人として奮闘している。
生前、妻は介護福祉士として、社会福祉の向上に貢献していた。小高区に居住する三千七百五十人のうち半数が六十五歳以上の高齢者。介護施設は満床状態が続き、通いたくてもかなわない人もいる。「子どもからお年寄りまで幅広い世代が生き生きと暮らせる小高になってほしい」。妻が描いた故郷の明るい未来の実現を願う。
原発事故から十年目を迎え、古里と妻を思う気持ちは日増しに強くなる。「家族と地元暮らしができる喜びをかみしめ、笑顔で生きていく」と亡き妻に誓っている。
■居住者6月末で3750人 今春、認定こども園開園
南相馬市小高区の居住者は六月末現在、三千七百五十人で、前年同期から百五十一人増えた。
東京電力福島第一原発事故前は約一万三千人が住んでいた。事故前に住民票があった住民のうちで戻っているのは三千百六人。帰還率は三割に満たない。
区内では今春、市立おだか認定こども園が開園した。二〇一八(平成三十)年十二月に開店した公設民営の商業施設「小高ストア」、昨年一月に開所した復興拠点施設「小高交流センター」と合わせ、地域ににぎわいを生み出している。