しんぶん赤旗日曜版2月5日号に、長期にわたり東電福島原発事故裁判を傍聴してきた科学ジャーナリストの添田孝史さんがリポートしました。
これを読むと、東電の経営者たちも最大級の津波に襲われれば福島第1原発の原子炉格納容器の地下部分も水没することを知りながら、同原発を止めたくないために「さらなる調査研究を実施する」として、事実上対策を引き延ばしてきたことが分かります。
こうした原告側の主張は高裁でも行われたにもかかわらず、経営陣は無罪とする判決が下されたのは理解しがたいことです。何らかの政治的な力が作用したのでしょうか。
なお、添田氏には福島第1原発事故の関する「東電原発事故10年で明らかになったこと」(21.2.15 平凡社 840円+税)の著書があります。
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東電刑事裁判控訴審 無罪の不当判決 社員証言で旧経営陣の責任明白
科学ジャーナリスト 添田孝史さん
しんぶん赤旗日曜版 2023年2月5日号
原発新増設や老朽原発の運転延長など、岸田文雄首相が進めている原発回帰への大転換。東京電力福島第1原発事故を引き起こした責任、被災者の苦しみを忘れ去った暴挙です。国と東電の責任は集団訴訟で何度も断罪されてきました。東京高裁が東京地裁の無罪判決を追認(1月18日)した東電刑事裁判でも、当時の社員らの証言で旧経営陣の無責任極まる姿勢が明らかになっています。裁判を傍聴してきた科学ジャーナリストの添田孝史さんがリポートします。
東電刑事裁判 |
そえだ・たかし |
東電の判断を聞いて原電取締役か「こんな先延ぱしでいいのか」
事故を引き起こした東電旧経営陣は、別の原発を運転する会社の取締役が驚くほど、対策をサポっていたことが裁判の証言や証拠から分かります。
控訴審の最大の争点は、政府の地震調査研究推進本部(推本)が2002年7月に発表した「地震発生可能性の長期評価」(長期評価)でした。長期評価に基づく津波予測(高さ15・7m)は、福島第1原発の敷地の高さ(10m)を大きく超える高さです。
ところが武藤栄・元副社長(当時は常務)は、08年7月31日の社内会議ですぐ対策を取るのではなく、「研究を実施する』と発言。対策の先送りを決めました。
十数年にわたり津波の想定を担当してきた社員は、「対策を前提に進んでいる」と考えていました。先送りするという武藤氏の結論は予想外で、「力が抜けた」と証言しました。速記録)
東海第2原発を運転する日本原子力発電(原電)の取締役開発計画室長が、武藤氏の判断を聞き、「こんな先延ぱしでいいのか、なんでこんな判断をするんだ」と言ったー。当時、原電に出向していた東 電社員が検察の調べに供述しています。
他社の役員から見ると、対策を先延ばしにする東電経営陣の判断は理解できなかったということです。
「柏崎刈羽が停止中に福島停止は経営的にどうか」と副社長意向
原電は、長期評価に備えて、建屋に水が入らないようにする水密化などの対策を取ることを決め、08年から工事を始めて東日本大震災までにほぽ終わっていました。それが功を奏して大事故にはなりませんでした。
原電に出向していた東電社員は、武藤氏が対策を先延ばしにした理由について供述しています。「(会議に出ていた東電社員は)柏崎刈羽(原発)も止まっているのに、これで福島も(対策工事の影響で)止まったら経営的にどうなのかって話でね、などと言っていたように思います」
高裁判決は、津波の予見が不確実だったから旧経営陣が対策を先延ばししたかのように描いています。しかし、実際には、柏崎刈羽原発の停止に伴う赤字を拡大させないためだったというのです。
「研究」と称して土木学会で検討してもらい、数年かけるという武藤氏の判断を、「時間稼ぎ」と認識していたことも、社員が証言しています。
指定弁護士から、武藤氏の決定は「時間稼ぎ」だと受け止めていたのではないかと問われた津波想定の担当社員は、「まあ、そうかもしれないですね」と答えています。
「津波対策は不可避」資料に明記していた
08年9月10日、津波想定の担当社員らが福島第1原発の所長らに説明した資料(別掲)には、長期評価を否定することは難しいとして「津波対策は不可避」と明記されていました。
このように、事故前の時点で、他社の役員、東電の担当者は「対策は当然」「不可避」と考えていたことが明らかになっています。もともと安全対策には腰の重い原子力業界ですが、その業界の一般的な水準から見ても、東電旧経営陣の対策先廷ぱしはひどかったということです。
大津波の可能性を知りながら経営を優先して対策を取らなかった東電旧経営陣の責任は、各地の集団訴訟で立証された国の責任とともに逃れることができない明白な事実です。