東京新聞が「議論の森」のコーナーに「(原子力規制委は)原発推進組織に逆戻りか」という記事が載りました。
我々はこれまで、規制委は曲がりなりにも原発の安全性が最重要であるという前提のもとに原発の規制に取り組んでいるものと思っていましたが、この度 岸田政権が原発の運転寿命の上限を取り去ろうとしたことに規制委が何の抵抗も示さなかったのは大変意外でした。60年超の運転を容認する政府の方針に反対したのが石渡明氏1人だったこともまた意外でした。岸田政権の登場で原発を取り巻く情勢が一挙に福島事故前に戻ったかの観があります。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
<ぎろんの森>
原発推進組織に逆戻りか
東京新聞 2023年2月18日
「原子力安全・保安院」が「原子力規制委員会」に置き換えられたのは、原発の推進と規制が同居するなれ合い体質が福島第一原発事故という過酷な災害を生んだという反省に基づいています。推進と規制とを別の組織に切り離すことが目的でした。
原発事故を二度と起こしてはならない。少しでも安全性に不安があれば運転してはならない、というのが事故の教訓のはずです。
しかし規制委は原子炉等規制法(炉規法)が「原則四十年、最長六十年」と定める原発運転期間を巡り、再稼働の審査などで停止した期間を運転年数から除外して六十年超の運転を容認する新たな規制制度を決めました。
地質の専門家である石渡明委員の反対意見を切り捨てる異例の多数決でした。
決定の性急さを問われた山中伸介委員長は、記者会見で「(炉規法改正)法案のデッドライン(締め切り)があるので仕方ない」と釈明しましたが、原発推進のためには規制を緩めても仕方がない、とも聞こえます。
国民が規制委に期待する独立性はどこに行ってしまったのか。過酷な事故を防げなかった、かつての組織に先祖返りするのでしょうか。岸田文雄政権の原発推進政策に寄り添う性急な決定には、怒りすら感じます。
東京新聞は、十六日の社説「原発60年超容認 規制委の独立性を疑う」で「原発復権を急ぐ政府と歩調を合わせる規制委は、もはや独立した規制機関とは言い難い」と厳しく指摘しました。
本紙には読者から「問題が多く審査に時間がかかった原発ほど長く使えるのはおかしい」 「山中委員長は原発事故から何を学んだのか」などの声が届いています。私たち論説室も思いは同じです。
今年も三月十一日を迎えます。東日本大震災と原発事故から十二年がたちますが、何年がたとうとも、東京新聞は「3・11」を忘れません。
そして震災や事故の教訓を蔑(ないがし)ろにするような動きには、徹底して抗(あらが)い、糾(ただ)していきたいと考えています。 (と)