福島第一原発事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制起訴された東電の旧経営陣3人の裁判で、東京地裁が全員に無罪の判決を下したことに関連して、植草一秀氏が、「東電原発事件無罪判決が示す裁判所の堕落と腐敗」と題した記事を発表しました。
最高裁は、福島原発の直後にはそれまで司法が、原発の安全性に関して国や重電メーカーの主張をそのまま受け入れてきたことを反省する姿勢を見せました(判事の研修会で)。
しかし2014年5月21日、樋口英明・福井地裁裁判長が関西電力大飯原発3・4号機の運転差し止めを命じる判決を下すと、裁判官の人事を管轄する最高裁事務総局は態度を一変させ、樋口氏を家庭裁判所に異動させ、そのあとに事務総局勤務経験のあるエリート判事を送り込むなどして、控訴審で判決を覆させました。
そうしたことで原発に対する最高裁の考え方を全国の判事に示したのでした。最高裁が時の内閣の意図を忖度した結果であることは明らかです。
かつて小泉・竹中政権によって冤罪をデッチアゲられた経験を持つ植草一秀氏が、司法の在り方を痛烈に批判しました。
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東電原発事件無罪判決が示す裁判所の堕落と腐敗
植草一秀の「知られざる真実」 2019年9月20日
東京電力福島第一原発の放射能事故を巡り、業務上過失致死傷の罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣3人の裁判で、東京地裁は東京電力元会長の勝俣恒久被告、元副社長の武黒一郎被告、元副社長の武藤栄被告の3人に対して無罪の判決を示した。
これが日本の司法の実態である。
裁判所の人事権は内閣が握っている。
日本国憲法は
第七十六条 3 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
と定めているが、多くの裁判官はこの条文に従っていない。
裁判官の人事については、
第六条 2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七十九条 最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
第八十条 下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によつて、内閣でこれを任命する。
の定めが置かれている。
最高裁長官は内閣の指名に基いて天皇が任命する。最高裁の長たる裁判官以外の裁判官は内閣が任命する。下級裁判所の裁判官は最高裁判所の指名した者の名簿によつて内閣が任命する。つまり、内閣が裁判官の人事権を握っている。
内閣が職権を濫用すれば内閣は司法権力を支配できる。安倍内閣はこれを実践している。
裁判官は、本来は「良心に従ひ独立してその職権を行ひ、憲法及び法律にのみ拘束される」存在だが、現実には、内閣が人事権を握っていることを背景に、内閣に従属して職権を行っている。
東京電力福島第一原子力発電所で発生した人類史上最悪レベルの原発放射能事故は、東電が津波対策等を怠ったために発生した人災である。
東北地方で過去に発生した地震と津波の実績を踏まえ、原発の津波対策の不備が指摘されていた。東電の当時の最高幹部が出席した会議で、この問題が討議された。
しかし、東電経営最高幹部は、津波対策に多額の費用がかかることから津波対策を行わなかった。そのために過酷な放射能事故が発生した。東電最高幹部の経営責任は免れない。
このことは、事実関係を正確に把握すれば、当然の帰結として得られる結論である。
裁判所は適切に判断する必要があった。しかし、東京地裁の永渕健一裁判長は旧経営最高幹部3人の刑事責任を問わない判断を示した。
裁判所は政治権力の支配下にある権力機関であり、法の正義は脇に置かれている。
重要なことは、裁判所の判断を絶対視しないことだ。裁判所は法の番人ではなく、政治権力の番人に過ぎない。法と正義に照らして正当な判断を示す機関ではないのだ。
これに代わる司法機関がないから、現在の裁判所が利用されているだけで、その裁判所が示す判断が適正とは言えない。
このことは、この事案に限られたことではない。
森友疑惑で、国有財産が不当に低い価格で払い下げられたが、裁判所は背任の認定を示さなかった。
14の公文書の300箇所以上が改ざんされたが虚偽公文書作成の罪を問わなかった。
国会に虚偽の情報を提供し、国会の審議を妨害したが、偽計業務妨害罪を問わなかった。
甘利明氏のあっせん利得の罪も問わなかった。
裁判所は法と正義に基づいて判断を示す機関ではなく、政治権力に従属する権力機構の一翼を担う存在に過ぎない。
このことを踏まえれば、原発事故を発生させたことに責任を負う東京電力の旧経営最高幹部の罪を適正に問わないことは容易に想定できることなのである。
日本が腐っているのは政治権力が腐っているからであり、政治権力が腐ることに連動して、警察、検察権力、裁判所権力が腐る。
日本が暗黒社会であることを私たちは正確に認識しておく必要がある。
したがって、裁判所判断を絶対視しない感性を保持することが重要だ。
裁判所が無罪としたことはその当事者に責任がないことをまったく意味しない。
絶望の国ニッポンの現実を改めて認識する必要がある。
(以下は有料ブログのため非公開)