99年9月30日に東海村の核燃料加工会社JOC東海事業所の転換試験棟で起きた臨界事故では作業員2人が死亡し、周辺住民ら約660人も被ばくしました。
30日で20年を迎えるに当たり、事故の教訓を学ぶ「原子力安全フォーラム」が7日、東海村で開かれました。
東京新聞の記事を詳報として紹介します。
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東海村で教訓学ぶフォーラムに300人 JCO臨界事故 30日で20年
東京新聞 2019年9月8日
30日で発生から20年を迎える東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)臨界事故の教訓を学ぶ「原子力安全フォーラム」(村主催)が7日、村内の東海文化センターであった。当時、住民避難などの陣頭指揮を執った前村長の村上達也さんら4人が講演し、関係自治体や原子力施設の職員、周辺住民ら約300人が耳を傾けた。 (宮尾幹成、松村真一郎)
事故は、動力炉・核燃料開発事業団(動燃。現・日本原子力研究開発機構=原子力機構)が発注した高速増殖炉「常陽」用の核燃料を製造する工程で発生。大量のウラン溶液を本来の用途と異なる容器に投入した結果、核分裂が安定的に持続する臨界が約二十時間も続いた。作業していたJCO社員三人が大量被ばくし、うち二人が死亡、救助に当たった消防隊員や周辺住民ら約六百六十人も被ばくした。
村上さんは事故対応を「村の存続をかける闘いだった」と回顧。JCOや職員六人は刑事裁判で有罪判決を受けたが、「発注元の旧動燃の責任は問われず、それでいいのかと今でも思う」と疑問を呈した。
「原子力施設の事故は早く封印してしまえという姿勢が、その後の福島第一原発事故を生んだ」とも指摘。「(村にある)東海第二原発は古く、周辺に人口も密集している。再稼働は無理だ」と力を込めた。
事故当時、日本原子力研究所(現・原子力機構)の東海研究所副所長として収束作業に携わった前原子力規制委員長の田中俊一さんは、福島事故と共通する原因として、安全審査体制の不備や事業者の安全意識の欠如を挙げた。各自治体が地域の実態に合わせて防災避難計画を作る必要性を強調。「日本は大きな事故を二度経験した。繰り返さないためには、二つの事故から学び続けなければならない」と語った。
消費者庁長官などを歴任した中央学院大教授の福嶋浩彦さんは、無作為抽出した住民に原発問題を話し合ってもらう松江市の市民グループの取り組みを紹介。同市は全国で唯一、原発が立地する県庁所在地。「東海村でもやってみると面白いのでは」と提案した。
現JCO社長の桐嶋健二さんも登壇して「住民や関係者、社会に大変なご迷惑、ご心配をおかけしたことをあらためて深くおわび申し上げる」と陳謝した。
ひたちなか市から参加した無職木脇紀美子さん(78)は「二十年がたち風化している中で、事故について考える機会になった」と話した。山田修村長は終了後の記者会見で「この二十年の間にも村内の原子力事業所で事故、トラブルは繰り返されているのが現実。安全意識が徹底できていないのでは」と問い掛けた。