福島第1原発事故の東電旧経営陣の刑事責任を巡る東京地裁の19日の判決について、大手紙があまり批判しない中で、河北新報は、2日にわたり批判する記事を掲げました。
以下に紹介します。
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<虚像の「15.7m」>東電強制起訴・無罪判決(上)
白紙化の夏/経営懸念 対策先送り
河北新報 2019年09月21日
東京電力福島第1原発事故の刑事責任を巡り、東京地裁は19日の判決で「大津波は予測できなかった」として強制起訴された旧経営陣を免責した。事故前に示されていたはずの「15.7メートル」の津波予測は虚像だったのか-。判決と公判記録を基に、津波対策を「先送り」した原発事業者の意思決定過程の核心を描く。
(福島総局・斉藤隼人、近藤遼裕、報道部・柴崎吉敬)
■研究を提案
主文が読み上げられた瞬間も微動だにしなかった。
裁判長に促されて被告席に戻る際、被告の武藤栄元副社長(69)は騒然とする傍聴席を一目見た。直前まで硬かった表情には安堵(あんど)がにじみ、余裕すら漂っていた。
「大変多くの皆さま方に多大なご迷惑を掛けました。当時の役員として改めて深くおわび申し上げます」
閉廷後間もなく武藤氏が報道各社に出した談話は、A4判用紙1枚にわずか3行。勝俣恒久元会長(79)、武黒一郎元副社長(73)の両被告も同様に「迷惑を掛けたことへのおわび」を短く表明した。
武藤氏は津波対策を検討した現場から最も頻繁に報告を受け、対策の保留を判断した「キーマン」と見られていた。
2008年6月10日、東電の津波対策担当者は「最大15.7メートル」の津波が原発を襲うとの試算を武藤氏に伝えた。従来想定の3倍近く、海抜10メートルの原発敷地が浸水する規模だった。
試算は国の地震予測が根拠となった。阪神・淡路大震災後、国は防災強化を促すため地震学の権威らの議論を基に一元的な見解を公表するようになった。
担当者は「国の機関による評価であり、取り入れるべきだと思った」と法廷で証言。現場レベルではそうした認識が共有され、防潮壁建設など対策の検討も進めていたとされる。
だが再び担当者らが一堂に会した同年7月31日、武藤氏は提案した。「研究を実施しよう」
外部機関に数年単位の検討を委ね、対策を事実上先送りした瞬間だった。国の予測に基づき津波に備える方針は同年2月、被告3人の異論なく承認されたはずだった。担当者は「予想していなかった結論で、力が抜けた」と振り返る。
■調書を一蹴
なぜ対策は実施されなかったのか。公判で、その核心が初めて明かされた。
「新潟県中越沖地震(07年)で柏崎刈羽原発が停止し、経営が悪化していた。さらに(対策の実施で)福島第1も止まるのは何とか避けたかった」
原子力設備管理部ナンバー2の元幹部は調書で、判断の背景に経営事情があったことを告白した。
しかし東京地裁は詳しい理由を示さずに調書を「疑義がある」と一蹴。予測自体も「客観的な信頼性はなかった」と結論付け、武藤氏の判断を追認した。
「想定津波高が10メートル以下だったら、(安価で済むため)国の予測を踏まえた対策を取っていただろう」。元幹部はこう述べ、後悔の念を口にしている。
被害者側の代理人の海渡雄一弁護士は判決の問題性を強く批判した。「国家機関の予測を考慮しなくていいと裁判所が言ってしまった。原発事故を許すような異常な判断だ」
<虚像の「15.7m」>東電強制起訴・無罪判決(下)
想定外の春/軽視の試算値 実像に
河北新報 2019年09月22日
東京電力福島第1原発事故の刑事責任を巡り、東京地裁は19日の判決で「大津波は予測できなかった」として強制起訴された旧経営陣を免責した。事故前に示されていたはずの「15.7メートル」の津波予測は虚像だったのか-。判決と公判記録を基に、津波対策を「先送り」した原発事業者の意思決定過程の核心を描く。
(福島総局・斉藤隼人、近藤遼裕、報道部・柴崎吉敬)
■「時間稼ぎ」
「今度は津波か」
東京電力の武黒一郎元副社長(73)が一言漏らした。部下の武藤栄元副社長(69)が2008年8月、福島第1原発を襲う津波が「最大15.7メートル」に達するとする試算と、対策保留の方針を伝えた場面だ。
勝俣恒久元会長(79)には09年2月、当時の幹部から「14メートルの津波が来ると言う人もいる」との報告があった。「15.7メートル」と条件が一部違うだけで、ともに02年に国が公表した地震予測に基づく試算。海抜10メートルの原発敷地を優に超える。
勝俣氏は後に法廷で「懐疑的に聞こえた。いずれ必要なら報告がある」と捉え、特に問題意識を持たなかったことを明かした。
3人は第1原発事故の刑事責任を問われ、業務上過失致死傷罪で強制起訴された。公判では、武藤氏が08年7月に津波対策を保留した後も現場レベルでは必要と考え、具体的に行動していた証拠が複数示された。
「津波対策は不可避」。第1原発所長ら向けの同年9月の説明会で、津波対策担当者はこう記した資料を配布した。「国の地震予測を否定するのは難しく、現状より大きな津波高を評価せざるを得ない」との理由が添えられた。
10年8月には津波対策担当者の提案で関連分野のチームが集まり、第1原発の津波対策を具体的に検討する会議を設置した。
しかし現場の危機感は経営層に共有されず、「不可避」のはずの対策は施されなかった。担当者の一人は対策を保留した判断について「時間稼ぎだったのかもしれない」と証言した。
東電は試算を約3年間伏せ続けた。原子力安全・保安院(当時)に初めて伝えたのは11年3月7日。4日後、15.5メートルの津波が原発を襲う。試算との差はわずか0.2メートル。「虚像」として軽視された試算値は、最悪の実像となった。
■被災者失望
東京地裁は19日に言い渡した判決で「事故前、原発には極めて高度の安全性は求められていなかった」と判断。「3人は責任ある立場だったが当然に刑事責任を負うわけではない」として「大津波は想定外」と強調する3人の主張を全面的に認めた。
大事故を扱う公判や津波訴訟などで通常盛り込まれる被害者感情に配慮した文言や、旧経営陣3人に対する説諭も一切聞くことはできなかった。
判決後の記者会見で、検察官役の石田省三郎弁護士は「原発は一度事故が起きれば取り返しのつかない施設。地裁の判断は本当にそれでいいのか」と非難。市民1万4716人による告訴・告発の先頭に立ってきた武藤類子さん(66)=福島県三春町=も失望を隠さなかった。
「私たちは司法に訴えるしかなかった。被害者は誰も納得できない。福島の犠牲は一体何だったのか」