28日に福島市のあづま球場で五輪の開幕戦を行った野球で、日本は勝ち星をあげました。日本代表の稲葉篤紀監督は現役時代から福島で野球教室を続けています。
福島での教室は、震災の後にJAからの依頼を受けて13年から。子どもたちを喜ばせようと毎年、稲葉監督を中心に開かれてきました。
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侍J稲葉監督、野球通し児童と絆 震災後、福島県内で「教室」
福島民友 2021年07月30日
東日本大震災からの「復興五輪」の理念を掲げ、野球は28日に福島市のあづま球場で開幕戦を行った。現役時代から福島で野球教室を続ける日本代表の稲葉篤紀監督にとって、関わりが深い地での逆転サヨナラ勝ち。試合後には「福島の人たちに何かを感じてもらえたのではないか」と興奮を抑えてかみしめるように話した。
福島との縁が生まれた原点には、2010年4月に試合前のグラウンドでくも膜下出血で倒れ、37歳で亡くなった元巨人コーチの木村拓也さんの存在がある。1972年度生まれのプロ野球選手で構成する「47年会」。現役選手が多かった当時、まとまって活動することは少なかったが、木村さんが「野球を通して何かを残したい」と呼び掛けてオフに野球教室を始めた。
福島での教室は、震災の後にJAからの依頼を受けて13年から。子どもたちを喜ばせようと毎年、47年会の会長を務める稲葉監督を中心に全員で反省会を開いて内容を進化させた。今では指導者講習会から野球指導、小学生の選抜チームとの試合と、一日中びっしり詰まったスケジュールになった。
福島で最初に野球教室を開いたのが、改修前のあづま球場。「よく勇気や感動を与えると言うけれど、それは(受ける側が)どう感じるかだと思う。全力で立ち向かっていくだけ」。新型コロナウイルス禍で無観客開催となり直接、福島の子どもたちの前でのプレーはかなわなかったが、戦いぶりで伝えられたものがあると信じている。