2021年7月24日土曜日

どこが復興五輪? 「被災者は今も放置」 原子力緊急事態宣言も発令中

 ジャーナリスト青木 美希さんが「どこが復興五輪? 「被災者は今も放置」 原子力緊急事態宣言も発令中」というレポートを出しました。
 復興五輪を謳った東京五輪ですが、その実態は「フクシマ隠し」でした。レポートは先ずスタート地点となった広野町を中心に、そうした実態を描写し事態を醒めた目で見つめている住民の声を伝えました。
 政府は、原発事故から10年余りが経っているのにいまだに原子力緊急事態宣言を取り消していません。それは年間被曝量が従来の許容値の20倍に相当する20ミリシーベルトまでは居住できるとして、それ以下で避難した人たちを『勝手に避難した』“自主避難者”として徹底的に差別してきた行政を、今後も維持するためです。
 福島県の発表では自主避難者の総数は5万人余ですが、実際はもっと多い筈と言われていて、その大半の人たちいまも生活の困難と闘っています。
 そうしたなかの一人である庄司さんの苦悩が紹介されています。
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どこが復興五輪? 「被災者は今も放置」残酷な現実
 コロナだけでなく原子力緊急事態宣言も発令中
               青木 美希 ダイヤモンドオンライン 2021/07/23
                    ジャーナリスト 
コロナ対応をめぐって賛否の渦巻く中、東京オリンピックがいよいよ開幕する。東日本大震災からの「復興」を掲げて誘致した五輪。ところが、福島の原発は「アンダーコントロール」どころではなく、原子力緊急事態宣言が今も発令中だ。コロナのみならず、原発事故の緊急事態宣言も出たままで開かれる東京五輪。置き去りにされた被災者の声とは――。

組織委に拒まれた地元発案の聖火コース
今年3月25日午前9時40分、東京五輪の聖火リレーが福島県楢葉町・広野町のスポーツトレーニング施設「Jヴィレッジ」をスタートした。リレーはその日の午後、浪江町へ。浪江小学校からは3人の走者が笑顔でトーチを持ち、手を振りながら「道の駅なみえ」まで聖火を運んだ。
その浪江小学校からの聖火を複雑な思いで見守っていた女性がいる。浪江町から首都圏に避難している伊藤まりさん。彼女は最近、フェイスブックメッセンジャーで筆者にこんなメッセージを送ってきた。
「聖火リレーが終わればすぐ解体。ほとんどの国民はそのことを知らないでしょうね(中略)皆さんは私たちが普通の生活ができていると思うのでしょうね。パフォーマンスだけです」
“解体”とは、浪江小学校の校舎のことだ。浪江町は、原発事故で町全域が避難指示区域となり、2017年に町中心部で避難指示が解除された後も人が戻ってこない。事故前には約600人の児童がいた同小も廃校が決まり、校舎の利活用も決まらなかった。
環境省の手で校舎の解体が始まったのは、聖火リレーの翌月。6月に筆者が訪れた際には解体も進み、ロの字型の校舎の一部がなくなっていた
聖火は浪江町に入る前、双葉町を回っている。ところが、大会組織委員会は町側のつくったコースに同意しなかったという。
どんなコースだったのか。案をつくった双葉町教育委員会の橋本仁さんによると、復興が進んだ象徴「JR常磐線・双葉駅舎」とまったく復興が進んでいない「倒壊した家屋」の対比ができるコースだった。結局、そのコースは避難指示が解除されていないことを理由に拒まれ、聖火は双葉駅の周辺を回るだけになった。
橋本さんは今でも「聖火リレーの放送を通じて、復興が進む様子とまったく進んでいない様子の双方を、日本はもとより世界に発信したかった」と残念がる。

「大会が近づき、フレコンバッグを隠した」
福島県では、福島市の「あづま球場」が野球とソフトボールの会場になる。福島市に住む40代の男性は市内での通勤中、この10年間ほど毎日、フレコンバッグを見てきた。除染で取り除いた放射性廃棄物や汚染土を入れる、あの黒いバッグだ。
「今もあれを毎日見ているのに何が復興なのでしょうか。フレコンバッグの山は住宅地に近いところにあります。福島市でも五輪の競技が行われると決まると、徐々に鉄製の塀で覆われるようになり、見えなくなっています
毎日新聞と社会調査研究センターが岩手、宮城、福島の被災3県を対象に、今年2月末に実施した世論調査によれば、東京五輪は「復興の後押しにはならない」と答えた人が61%にも達している。コロナ禍を前にして完全にかすんだとはいえ、そもそも福島の人たちは「復興五輪」を冷めた目で見ていたのだ。
福島県南相馬市で生まれ育った庄司範英(のりひで)さんもそんな1人だ。庄司さんは、妻と4人の子どもたちと一緒に戸建て住宅で暮らしていた。事故の際、市は市内全域の住民に避難を呼び掛け。スーパーもコンビニも閉まって食料が手に入らなくなり、庄司さん一家も避難する。
一家は新潟県を転々とした。最初はリゾート地・湯沢町のホテルに4カ月。ホテルの提供期間が終わると、長岡市の一軒家へ移った。避難世帯用に用意された住宅で、家賃9万円は公費で賄われた。
政府と福島県がその住宅提供を打ち切ったのは2017年3月末、「2020年東京五輪」の開催決定から3年半後、本番に向けた準備が本格化し始めたころだった。「除染などの生活環境が整ってきている」という理由からだ。
庄司さん一家は戸惑った。家賃が自己負担になる。1人当たり月10万円だった東電の賠償金は2012年に終わっている。「南相馬市に戻ろうか」と子ども4人に言ったが、4人とも「友だちと離れたくない」と拒んだ。事故以来、各地を転々とし、友だちとは離れてばかりだった。親としても、さすがにもう転校はさせられない
それに、故郷は戻れる状態ではなかった。事故から2年後の春、自宅の雨どい付近で放射線量を測ると、毎時11.49マイクロシーベルト。事故前の空間線量の230倍もあった。あのときは驚きのあまり、「もう帰って来れない」と思ったという。
月9万円の家賃も払えない。郷里の自宅にも戻れない。50歳を超えていた庄司さんにとって、新たな職探しは楽ではなかった。
結局、長岡市では安定した就職先が見つからず、1人で南相馬市に戻り、除染作業員として働くことを決めた。子どもたちのおむつ替えから炊事、洗濯などをずっと担ってきた庄司さんが、初めて子どもたちと離れて暮らすことになったのだ。

避難先で子どもが自死……
庄司さんには、忘れようにも決して忘れられない出来事がある。
2017年6月。除染作業の初出勤を控えていた。家族と別居する前日の夜、庄司さんは長岡市の避難先住宅で4人の子どもたちに夕ご飯を食べさせ、食後は他愛もない雑談でくつろいでいた。長女、次女、次男が自分の部屋に戻っていく。
庄司さんも自分の部屋に戻り、座椅子に座った。すると、障子が開き、中学3年生だった長男の黎央(れお)さんが「お父さん、もう(南相馬に)帰っちゃうの」と言う。いつもは言わない言葉だよな、変だな、と思った。少し弱々しい。そういえば、この1週間、ずっと口数が少なかった。
「うん、来週から仕事だからね」
「いつ帰ってくるの?」
「まだわかんない」
いつ帰ってこられるか、実際に仕事に就いてみないとわからなかった。
その4日後。南相馬での初出勤の日、まだ眠っていた早朝に携帯電話が鳴った。長女の声で「黎央が、黎央が」。それだけ言って電話は切れた。次は妻からだった。「黎央、死んじゃってる」
長岡に戻ると、医師も警察官も家から引き揚げた後だった。庄司さんはその日、眠れずに過ごしたという。通夜の席では、女子の同級生3人が「お父さんが大好きだって言ってました」「一緒にいられなくなって寂しいって」と言っていたが、遺書はなく、本当の理由はわからない。庄司さんは「なぜ」という自問を繰り返すしかなかった。

その後庄司さんは妻と離婚し、1人で南相馬市に戻っている。「自分のせいだ」と自らを責め、うつになり、半年ごとに入退院を繰り返す。「こころのケアセンター」の訪問支援を受けているが、精神状態は一進一退だ。
この7月、筆者が電話し、「今月の25日に会いに行きますよ」と約束した際にも「そのときまでは生きていないと思います」と口にしていた。

重度精神障害相当の人は全国平均の2倍近い
原発事故に関わる、深い心の傷――。
庄司さんのような被災者は、決して珍しくない。避難指示が出た12市町村などの約20万人を対象に福島県が毎年実施する健康調査(2019年実施版)によると、回答者3万0674人のうち、57%が重度精神障害相当となった。
年ごとに徐々に減ってきてはいるものの、平常時の全国平均(3%)の2倍近くという状態が続く。そうした中、帰還困難区域の住民と原発周辺の年間世帯所得600万円以下の被災者に対して継続されていた医療費の一部負担金免除措置も打ち切られようとしている
庄司さんは「医療費がかかるようになると、困ります。もし入院するようなときがあったら、どうしたらいいのか」と動揺を隠せない。筆者がこれまでに会った原発避難者にも、避難生活で心身の治療が必要となった人は数多い。医療費免除まで打ち切りになったら、受診を控える人も出てくるだろう
彼らの避難生活はもう10年以上。そうした人々に関する報道量も減った。見えないところで、彼らは今も、経済的にも身体的にも、そして精神的にも追い詰められている。
南相馬市で3つの仕事を掛け持ちしながら中学生の子どもを育ててきた50代の女性は「収入が減り、これで医療費が打ち切られたらカウンセリングにも通院できなくなります」と訴える。コロナ禍で最近、収入源が1つなくなった。コロナの感染予防のための時短要請で、飲食店が営業を縮小してしまったからだ。
この女性は「周囲にもうつやPTSDになっている人が多いです。政府は人間を人間としてみていないですね。殺したいんでしょうか。原発事故に続いて、また棄民です」と話す。
40代男性は事故後、妻と娘と共に新潟県へ避難した。5年前、避難先で妻が突然「息苦しい」と倒れて急死。娘はまだ小学生だった。男性は一人で子育てをしながら、カウンセリングを受け続けている。「医療費打ち切りはきついです。病院に毎月かかっていますから。睡眠薬も出してもらっています。切られたら、ほんと、どうしよう…」

東京五輪は3兆円超、復興予算は激減へ
今年6月下旬、東京五輪の開幕まで1カ月というタイミングで、筆者は浪江町の帰還困難区域を訪れた。居住が禁じられている区域だ。一部エリアでは今も除染が行われている。
10年以上も無人が続き、どの家も木や背の高い草に覆われてしまった。どんな建物だったのか、見当もつかない家も目立つ。2階までツタや木に覆われた木造家屋もあった。家々には銀色のバリケード。そこには黒地に白い字で「内閣府」と印字されたラベルが貼ってある。
大会組織委員会が2020年12月に公表した数字によると、東京五輪の予算は1兆6440億円にもなる。国や都の「関連経費」を合わせると、全体では3兆円を超えるという(2020年12月23日付朝日新聞)。
かたや「復興五輪」の“地元”である被災地向けの予算は大幅に削られていく。政府の復興予算は、2021年度からの5年間で計1兆6000億円になる見込みだ。2020年度までの5年間では計6兆5000億円だったから、約4分の1に激減することになる。
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長は、福島市で7月28日に開幕する野球で始球式を行う予定だ。氏は共同通信のインタビューで、東日本大震災の被災地での開催は「甚大な被害を受けた町や地域の復興を示すことになる」と語っている。フレコンバッグの集積場などを見ることもなく、避難者の肉声を聞くこともなく、「復興」を口にし、駆け足で福島を去っていくのだろう