TBSの専門記者室長が、「 ~ 問われる“原子力規制委員会の独立性”」とする記事を出しました。
冒頭で、東電が原発の定検時に見つかった原子炉の損傷を隠蔽してきたことを、ある関係者が内部告発しましたが、通産省、保安院が告発者の氏名を東電に知らせたという事例が紹介されました。要するに通産省も保安院も表向きは内部告発を奨励していますが、真実は同じ穴のムジナであることが明らかにされたのでした。
その後東電が福島原発で大事故を起こしたのを契機に、国は新に独立機関の原子力規制委員会を立ち上げましたが、山中委員長になってから独立性を否定する事例が重なりました。
原発の60年超運転が提起されたときに、山中委員長は「年限の規制は規制委の所掌ではない」と不可解なことを述べて年限については関与しないことを明らかにしました。
その後、年限の規制は規制委の関与する原子炉等規制法の対象から、経産省が管轄する法律に移行されることが分かり、山中氏の発言の意味が分かったのでした。
何のことはない経産省との下打ち合わせに基づいた「フライング発言」だったのでした。こんな風に推進側と規制側が「なあなあ」の関係になっていては、もはや規制機関でなく規制委員会には何も期待できません。改めて規制委の在り方を再検討すべきです。
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原発政策の大転換 問われる“原子力規制委員会の独立性”
萩原 豊 TBS NEWS(JNN) 2023/3/20
専門記者室長
■通産省に送った“内部告発”
手元に、ある手紙の写しがある。
差出人は、米国の原子炉メーカー、ゼネラル・エレクトリック社(GE)の元技術者、ケイ・スガオカ氏。
「私は、多くの沸騰水型炉を検査してきましたが、ここまで傷ついた蒸気乾燥器は見たことがありませんでした」
「しかし東電の要請にもとづく、GE上層部の指示で、ひび割れが映らないように意図的に編集したビデオが通産省向けに作り提出しました」
東京電力福島第一原発1号機の原子炉内の装置に6か所でひび割れがあり、東電とGEが隠ぺいしているという告発を、2000年、通産省(当時)に送ったのだ。
だが、この「トラブル隠し」が発表されるまでに、2年の歳月を要した。省庁再編によって2001年、経済産業省の外局、資源エネルギー庁に新設された、原子力安全・保安院(以下、「保安院」という)が調査を進め、福島と新潟にある東京電力の原発で、合わせて29件もの「トラブル隠し」があったことを発表した。その後、東電の原発17基全てが停止するという事態にまで発展した。
ケイ・スガオカ氏は、2003年、TBSで初めて氏名を明かし、告発の経緯を説明した。スガオカ氏によれば、告発の後、1年間、通産省との間で事実確認のやりとりがあったが、連絡が途絶えたという。
「早いうちに私のことが知れわたり、GEの社員から私を叩きのめすという脅迫があったと聞きました。GEのなかでは、『気をつけた方が良い、頭に銃弾を撃ち込まれるぞ』という話があったようです」
なぜ、内部告発したスガオカ氏の名前が漏れたのか。通産省、保安院が、スガオカ氏の氏名が記された資料を東電サイドに渡していたとされている。
この問題のプロセスからも、原発を「推進」する立場である通産省と電気事業者の、「親密度」がうかがえる。保安院が設置され、一定の独立性が確保されたものの、あくまで経済産業省の一機関であり、安全規制を厳格に担えるのか、その独立性は十分ではないという指摘が専門家からあった。「原子力ムラ」という言葉が広く使われ始めたのも、そのころからだった。
■原子力規制委員会が認めた「60年超の運転」
スガオカ氏の内部告発から11年後。“トラブル隠し”があった東京電力福島第一原発で未曾有の事故が起きた。事故の教訓から、安全管理を立て直すために、新たに設置されたのが、原子力規制委員会だ。
ポイントは、「推進」と「規制」を分離した“独立性”だ。
経産省から安全規制部門を切り離し、環境省の外局に位置付けた。上級機関からの指揮監督を受けずに、独立して権限を行使することが保障されている3条委員会である。事務局として、原子力規制庁を置いた。
原子力規制員会の説明資料に、事故を受けた「原子力規制の転換」として、3本柱が記されている。
1)重大事故対策の強化
2)最新の知見に基づく原子力安全規制の実施
3)40年運転制限の導入
「40年運転制限」とあるが、認可を受ければ20年の延長も認められ、これまで、運転期間は「最長60年」とされてきた。事故の教訓から上限が設けられたのだ。
ところが、今回、原子力規制委員会は、「原則40年、延長20年」の枠組みを維持しながらも、法令等の改正などへの対応や行政処分などで停止していた期間を除外するとして、「60年超の運転」も認めた。
■「急かされた」「デッドライン」
議論を行った原子力規制員会では、委員長を含め5人の委員のうち、石渡明委員1人が、最後まで反対した。
「この改変、法律の変更というのは科学的・技術的な新知見に基づくものではない。それから、安全側への改変とも言えない。審査を厳格に行えば行うほど、将来、より高経年化した炉を運転することになる」
「運転期間が60年を超えても安全だ」という、新しい知見が出てきたから、今回変更しようというものではない、安全性の向上につながらない、と反対したのだ。最終的には、「異例の多数決」となって、了承された。
60年超の老朽化した原発の運転を認めるかどうかは、極めて重要な課題のはずだが、10月から、わずか4か月ほどの議論だった。しかも、現在の原発が運転開始から60年を迎えるのは、10年先の話だ。なぜ、結論を急いだのか。多数決の後に、賛成した委員や委員長が語った言葉が気になる。
杉山智之委員
「これ言っちゃっていいのかな、というところはあるのですけれども、我々がこれを決めるにあたって、外から定められた締切りを守らなければいけないという、そういう感じでせかされて議論をしてきました。そもそも、それは何なんだというところはあります」
山中伸介委員長
「法案提出という最後のデッドラインというのは、これ決められた締め切りでございますので、そこはやむを得なかったところはあるかなと、というふうに思いますけども」
「決められた締め切り」「デッドライン」という言葉からは、今国会に法案提出をしたい政府側に歩調を合わせているのではないか、と見られても致し方ないだろう。
原子力規制委員会の活動原則には、第1項に、こう掲げられている。
「(1)独立した意思決定
何ものにもとらわれず、科学的・技術的な見地から、独立して意思決定を行う」
“安全の番人”である規制委が、政府側が指定した「デッドライン」にとらわれていたのであれば、この原則に反しているだろう。何より、安全よりも日程優先であったなら、極めて問題だ。
経産省と原子力規制庁の間で、7月ごろから、7回の面談や30回以上の電話で頻繁に打ち合わせを重ねていたことも明らかになっている。情報を入手したNPO原子力資料情報室の指摘があったことから、内部調査によって公表されたのだった。
こうした議論の過程について、長崎大学の鈴木達治郎教授(元内閣府原子力委員会 原子力委員長代理)に聞いた。
「寿命延長については、議論が足りないというのが私の意見ですね」
「法案を出さなきゃいけないので、何月何日までに決めてください、これはおかしいです」
事務側の姿勢も問題視する。
「経産省と規制庁の役所の間で、陰で検討をしていたということで、そちらの方が長い期間です。結局、原子力規制委員会の信頼性を損ねることになります。本当に、原子力規制委員会は独立しているのか、ということに対する疑念を持たざるを得ない」
原子力規制員会の“独立性”への疑念。厳しい指摘だ。
■「運転期間」が経産省所管の法律へ
さらに根本的な指摘がある。
今回の法案では、「運転期間」について、原子力規制委員会が所管する法律(原子炉等規制法)から削除して、推進側の経産省が所管する法律(電気事業法)に移管しようとしている。これでは、「推進と規制の分離」が揺らぐことにならないか、という疑問だ。
原子力小委員会の委員で、原子力情報室の松久保氏はこう指摘する。
「将来的に見直しが可能だと、つまり更なる延長ありきの話になっている。電気事業法に移すことによって、延長もやりやすくなるということだと思う。これまで安全規制として入れてきた法律を、推進の法律にしてしまうということになると、非常に問題だ」
こうした疑問に山中委員長はどう答えるのか。会見で直接質問した。
「制度の枠組みについては、十分議論したつもり」
「運転期間については、長時間議論して2020年に見解を決定した。運転期間は、安全規制ではない、という決定。運転期間に対して、我々が物申すことはできない」
「ある基準を設けて、劣化がどうですか、という比較を行って、その基準に達するかどうかの評価を行うのが、我々の安全規制だ」
■原発への信頼は?
確かに、政府が掲げる「脱炭素社会の実現」「電力の安定供給」は重要な課題だ。世界的に気候変動対策が求められ、またウクライナ侵攻で露呈したエネルギー供給の不安定、それに伴う電気代の高騰にも対応する必要がある。ただ、「原発の建て替え」や「60年超の原発運転」と直接的に結びつくものでもないだろう。
福島第一原発事故から12年で、政策を大転換して、今後、原発を積極的に進めるのであれば、「安全への信頼」が最重要だ。それは、第一に、「原子力規制委員会の独立性」にかかっていると言える。
山中委員長は会見で、「決して福島のことを忘れたことはない」と語った。私もチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故から10年目と20年目に、高い放射線で汚染された立ち入り禁止区域を取材した。福島第一原発事故では、発災翌日から福島に入った。原子炉の各種データが急変し、相次いだ水素爆発。住民の皆さんの困窮と憤り…。30キロ圏内の地域は、チェルノブイリと重なる様相だった。記憶は鮮明で忘れようがない。日本は世界最悪レベルの原発事故を経験した国であり、「地震大国」でもある。だからこそ、海外より高い水準の、「安全への絶大な信頼」が不可欠だろう。原発政策は、より慎重であっていいはずだ。
「規制の虜(とりこ)」。規制する側が、規制される側に取り込まれ、本来の役割を果たさなくなってしまうことを、米経済学者のジョージ・スティグラー博士が指摘した。福島第一原発事故の国会事故調査報告書で引用されている。再び、「虜」に陥ってならない。今後、国会での熟議とともに、真摯な説明を求めたい。
(萩原 豊 TBS解説・専門記者室長)