共同通信が、岸田内閣が強行しようとしている原発の運転期限延長の問題についてその背景を探る記事を出しました。
この法案の準備がスタートしたのは昨年9月に規制委員長が更田豊志氏から山中氏に交代してからでした。そして運転期限を60年を限度にすること自体を廃止することに関して山中委員長はいち早く、規制委は原発の「年限に関与する立場」にはないと明言しました。それは意外であり理解しがたいものでしたが、後日、年限の規制を原子炉等規制法(規制委が管轄)の対象から外し、経産省が管轄する法律に移行されることが分かり、初めてその意味が理解できたのでした。
その際に山中氏は「10年毎に現行よりはるかに厳しい検査を行う」から大丈夫だと述べましたが、実は安全性をどう確認するのか、その具体案はいまだに何も決まっていないのでした。これでは詐欺に等しく、少なくとも「規制委」の名前は返上すべきです。
そもそも現行の「40年が限度」なのを、一度に限って例外的に20年延長できるとした制度の根拠も不明です。中性子照射を浴びて急激に劣化する原子炉の強度を、「非破壊検査」によって20年先までの安全をどう確認できるというのでしょうか。
原発の再稼働審査は長期化していて10年近くに及んでいるケースもあります。新しい制度ではこの期間は年限のカウントから除外してその分延長できるとされていますが、これでは電力会社の怠慢で遅れた分だけ年限が延びることになり、結果として石渡明委員が指摘したように老朽化した原発が増えることになります。
それだけでなく、今回の法改定の指針には、「一定期間後、必要に応じて(制度の)見直しを行う」となっていて「さらなる運転延長や寿命の撤廃」をにおわせているということです。もう滅茶苦茶の状態です。
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(3月21日)問われる“原子力規制委員会の独立性”
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原発って「寿命」の60年を超えて運転しても大丈夫なの? 原子力規制委員会が方針を大転換、背景に何があった?
共同通信 2023/3/28
これまで最長でも60年としていた原発の〝寿命〟がなくなろうとしている。原子力規制委員会は原発の運転期間の制度を見直し、60年を超える運転を認めることを決めた。原発の運転期間は、東京電力福島第1原発事故を教訓に導入された重要制度だ。それを岸田文雄首相の原発活用方針を受け、数カ月の議論で大転換に踏み切った。審査などで停止していた期間を運転期間に入れないことで、運転開始から60年を超えても原発を動かせるという今回の決定。委員5人のうち1人が見直しに反対する異例の採決で、他の委員からも「せかされた」「違和感を覚える」と不満や疑問の声が漏れた。原発事故から12年、政治や原子力ムラからの独立性を掲げてきた規制委員会の存在意義が大きく揺らいでいる。(共同通信=広江滋規)
▽事故後21基が廃炉に
そもそも福島第1原発事故以前、原発の寿命を定める法律はなかった。その法律ができたのは原発事故後、脱原発を掲げた民主党政権下。原発を運転できるのは運転開始から40年とし、規制委員会の特別な審査に合格すれば1度だけ最長20年延長できることになった。細野豪志原発事故担当相(当時)は「延長できるのは例外」と強調していた。
規制委員会の審査にパスするには、原子炉の徹底的な点検、設備の交換や追加などが求められ、多額の費用がかかる。電力会社は、古くて出力が小さい原発だと、60年運転しても発電で得られる収入より費用の方がかかると判断し、関西電力美浜1、2号機(福井県)や九州電力玄海1、2号機(佐賀県)などの廃炉が次々と決まった。福島第1原発事故前に国内で稼働していた54基のうち、福島第1、第2原発の計10基を含めると21基が事故後に廃炉となった。
▽ウクライナ侵攻で風向き変わる
2012年に自公政権に交代し、電力会社や原発が立地する自治体からは原発推進政策への期待が高まった。しかし、その後もできるだけ原発に頼らない政策が続き、再稼働も順調に進まなかった。その風向きが変わったのは昨年2月に起きたロシアのウクライナ侵攻だ。原油や天然ガスの高騰で電気料金が上がったことに加え、「需給ひっ迫警報」が発令されるほど電力不足も懸念された。
こうした状況を受け岸田首相は昨年8月、既存原発の最大限活用や、次世代型原発を開発・建設する方針を打ち出し、政府は経済産業省を中心に運転期間の見直しや新規建設に向けた検討を始めた。
経済産業省が設置した有識者会議は12月、規制委員会の審査などで停止した期間は運転期間とカウントせず、その分を60年に上乗せして運転できるとする指針をまとめた。サッカーのロスタイムに似た仕組みだ。
この制度だと、現時点で既に審査が9年半続く北海道電力泊1~3号機(北海道)は、少なくとも10年程度は寿命が延びる。指針には「一定期間後、必要に応じて(制度の)見直しを行う」との文言も組み込まれており、さらなる運転延長や寿命の撤廃をにおわせている。
▽現行より厳しい制度?
規制委員会は経済産業省の動きに機敏に反応した。昨年10月には経済産業省資源エネルギー庁の担当者を呼んで議論の状況を聞き、原発の運転期間を定めた原子炉等規制法の改正に着手。11月には、運転開始30年後からは最長10年ごとに原発の劣化状況や安全性を繰り返し確認する新しい制度案を示した。運転期間については経済産業省の指針を追認し、経済産業省が所管する電気事業法で定め直すことになった。
規制委員会の山中伸介委員長は「現行よりはるかに厳しい制度になる」と強調。しかし肝心の60年を超えた原発の安全性をどう確認するのか、具体的な対応は先送りされた。
規制委員会は国会日程を見据え、今年2月8日の定例会合で新制度案を正式決定しようとした。しかしここで地震や津波など自然災害対策の審査を担当する石渡明委員が待ったをかけた。「これは安全側への改変とは言えない。この案には反対する」
▽市民感覚の意見
現在、泊1~3号機に加え、中部電力浜岡3、4号機(静岡県)、日本原子力発電敦賀2号機(福井県)など再稼働審査が長期化している原発のほとんどは、地震、津波対策に問題を抱えている。石渡委員は、新制度ではこうした原発の運転期間が延び、結果として老朽化した原発が増えることを「二律背反になる」と指摘。要するにこの新制度では安全性は向上しないという主張だ。
一方で山中委員長らは「原発の寿命が何年だろうが、節目ごとに厳しく安全性を確認し、駄目なら運転を認めなければいい」という考え。結局この日は多数決による決定を見送り、5日後に臨時会合を開き改めて議論した。
しかしそこでも石渡委員は「原子力安全のために厳格に審査し、長引けば長引くほど運転期間がその分だけ延びていくのは非常に問題だ」と持論を曲げなかった。石渡委員は「事業者側の責任で審査が中断したのに、その分まで運転期間を延ばしていいよという制度になるのなら、審査をしている人間としては耐えられない」とまで言い切った。日本原子力発電が敦賀2号機の審査に使う書類を勝手に書き換え、審査が一時中断したケースが念頭にあったとみられる。
山中委員長は「考えが根本的に食い違っている」と採決に入り、賛成4人、反対1人で新制度案は決定された。ただしその際、2人の委員も議論の進め方に不満をあらわにした。原子炉安全工学が専門の杉山智之委員は「外から定められた締め切りを守らないといけないという感じで、せかされて議論してきた。ここで決を採って進んでしまっていいのか」と吐露。放射線影響が専門の伴信彦委員も「制度論ばかりが先行して、サブスタンス(本質)である60年超え運転をどう規制するのかが後回しになった。私も違和感を覚える」と語った。
石渡委員はその後、記者会見の要請などには応じておらず、胸の内は分からない。しかし後日、調査に訪れた東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)では報道陣に「別の機会にお話しすることもあろうと思う」と含みを持たせた。規制委員会事務局の原子力規制庁職員は「石渡委員は地質の専門家。原子力に漬かりきっていない分、市民に近い感覚を持っている」と評する。
▽原子力規制は未知の領域に
福島第1原発事故は、当時の規制機関、原子力安全・保安院が原発を推進する経済産業省の下に置かれ、電力業界などに取り込まれ骨抜きにされたことも一因とされた。このため、規制委員会は独立性、透明性の確保を掲げ、電力会社や推進官庁、立地自治体との面会や協議は公開したり議事録を残したりしてきた。
だが今回の制度見直しでは、規制委員会が公式に議論を始めた昨年10月より前の7~9月に原子力規制庁が経済産業省と7回、非公式で面談をしていたことが判明。きっかけは脱原発を目指す市民団体への内部通報だった。面談で使った資料は公開しないままだ。
経済産業省が描いたシナリオ通り、結論ありき、スケジュールありきで進んだように映る今回の制度見直し。背景には規制委員会の人事の影響があるとの指摘がある。規制委員会が公式に議論を始める直前の昨年9月には、委員長が更田豊志氏から山中氏に交代したことだ。更田氏は規制委員会発足時からのメンバーで、電力会社などに厳しい姿勢を貫いてきた。
国内で運転中の原発のうち、最も古いのは「46歳」の関西電力美浜3号機(福井県)。今年6月には「48歳」の関西電力高浜1号機(福井県)が東日本大震災後の長期停止から再稼働する。
原発推進派は「米国では80年までの運転が認められている」と強調しているが、世界で最高齢はインドのタラプール1、2号機の「53歳」にとどまる。
規制委員会は本当に60年を超える原発の安全をチェックできるのか。山中委員長は「これから未知の領域に入っていく」と話している。