2021年8月11日水曜日

11- 加須市に10年避難の林日出子さん89歳が東京の長女宅へ

 福島原発事故で埼玉県加須市に避難した福島県双葉町の林日出子さん(89)は8月上旬、約10年間暮らしたこの地を去り、東京都内の1歳のひ孫もいる長女宅に身を寄せました。

 加須市の住民の知り合いも増え、運転免許のない林さんを車で送迎してくれる人や、「私を加須の娘だと思ってね」と生活の困りごとの相談に乗ってくれた人もいて、多くのつながりができたのですが、「いつか体が動かなくなったら周囲に迷惑をかける。今のうちに家族の元に行きたい」との考えから移住を決意したのでした
 加須で知り合った都内在住のボランティアは「東京に来たら、卒寿のお祝いしよう」と声をかけてくれました。林さんは「人って一人では生きられないんだよね。新たな出会いを楽しみに、前を向いて生きていきたい」と語りました。
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原発もオリンピックも「安心安全」? 10年避難の89歳、東京へ
                          毎日新聞 2021年8月10日
 「加須は第二の古里。多くの出会いに感謝したい」——。東京電力福島第1原発事故の影響で、埼玉県加須市に避難した福島県双葉町の林日出子さん(89)は8月上旬、約10年間暮らしたこの地を去った。新型コロナウイルスのワクチン接種を終え、東京都内の長女宅に身を寄せることにしたためだ。旧騎西高校の避難所時代から出会った地元住民や市内に住む町民らとの別れを惜しみつつ、二つの「古里」への思いを胸に新天地へ旅立った。【大平明日香】

生粋の「双葉っ子」 第二の古里に感謝
 加須市の施設で7月下旬、双葉町民向けの交流会で町民4人に交じって談笑する林さんの姿があった。
 「もう出会って10年だねえ」「本当にお世話になりました」
 マスクの下で笑顔の林さんに、主催するボランティア団体「オバトン」代表の藤井むつ子さん(72)=埼玉県鴻巣市=がうなずいた。林さんは、旧騎西高校で炊き出しボランティアをしていた藤井さんとは2011年以来の付き合いだ。高校の避難所が13年末に閉鎖した後も町民同士がコミュニティーを維持できるよう、月2度の交流会を開催してきた藤井さんに「ここに来れば、双葉弁で気兼ねなく話せて楽しかった」と感謝する。
 林さんは双葉町で生まれ育ち、町内の男性と結婚した生粋の「双葉っ子」だ。夫に先立たれて1人暮らしだったが、畑仕事やカラオケ教室などで生活を満喫していた林さんを11年3月、原発事故が襲った。首都圏の親族宅や旧騎西高校を経て、13年10月から加須市内のアパートで暮らした
 林さんは日々、双葉町社会福祉協議会のサロンや交流カフェ、町民有志が借りた農園での農作業などに参加。高齢ながら、背筋を伸ばしてすたすたと歩く姿は町民の中でもひときわ目立つ存在だった。町民有志の農園代表、藤田博司さん(82)は「何事にも積極的で明るい女性。いなくなるのはさみしい」と話す。
 地元住民の知り合いも増え、運転免許のない林さんを車で送迎してくれる人や、「私を加須の娘だと思ってね」と生活の困りごとの相談に乗ってくれた人もいた。多くのつながりができたが、「いつか体が動かなくなったら周囲に迷惑をかける。今のうちに家族の元に行きたい」との考えから移住を決意した。
 一方、住民票はずっと双葉町のままだ。原発から約1キロの距離にあった自宅は解体され、現在は中間貯蔵施設の敷地内にある。20年秋、町の許可を得て自宅跡地の近くを訪れた。ひっきりなしで施設に出入りするトラックの列を見て「双葉町に帰ることを夢みてきたけれど、もうかなうことはない」と涙があふれた。東京オリンピックも「『復興五輪』という言葉がむなしい。感染拡大中なのに『安心安全の大会』だなんて。原発だって同じことを言っていたじゃないか」と声を震わせる。
 90歳の節目を前に始まる東京での生活。近くには、まだ会ったことのない1歳のひ孫が住んでおり、成長が楽しみだ。加須で知り合った都内在住のボランティアは「東京に来たら、卒寿のお祝いしよう」と声をかけてくれた。林さんは改めて実感している。「人って一人では生きられないんだよね。新たな出会いを楽しみに、前を向いて生きていきたい」