2014年5月31日土曜日

上諏訪駅前でも 脱原発行動100回目

 長野県諏訪市でも、脱原発の抗議行動を続けて100回目になりました。
 「脱原発アクション諏訪」の人たちで、2012年7月16日の代々木公園の脱原発集会約17万人)の直後の7月20日からJR上諏訪駅前に立ちました。
  代々木公園の集会に参加した山崎秀訓さん(72)と、集会をテレビで見た毛利大さん(33)が呼び掛けて8月には毎週30人ほども集まるようになりました。
 参加者はやがて10人前後に減りましたが、抗議行動は毎週続けられ、30日に100回目を迎えました。
 
 参加者の1人は、「声は届いているのか不安に思う時もある。しかし人の心を動かす特効薬はない。ここまでやったらやめようという『着地点』は考えたくない」と語っているということです
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脱原発の声届け続ける 上諏訪駅前 抗議行動100回目 
信濃毎日新聞 2014年5月31日
 諏訪地方の有志が毎週金曜日の夕方、諏訪市のJR上諏訪駅前で行う抗議行動「脱原発アクション諏訪」が30日、100回目を迎えた。安倍政権が原発再稼働への動きを強める中で、当初30人ほどいた参加者は10人前後に減った。「原発がない世界を目指そう」という呼び掛けに、素通りする人もいる。それでも参加者たちはこの日も、2年前の夏から変わらぬ訴えを続けた。
 
 午後5時半、3年前に閉じた百貨店のシャッターを背に、10代から70代までの13人が集まった。半分は高齢者、ほかは塾講師や看護師、団体職員らだ。「へぇー(もう)やめるじゃねえか原発」などと書いた十数枚の看板を皆で並べると、ハンドマイクを手に宮坂亨さん(46)=諏訪市=が口火を切った。「今日でとうとう100回目。皆さんが耳を傾けてくれているか分かりませんが、訴え続けます」
 帰宅する人が行き交っていた。駅に降りた市内の男性(72)は「何度か耳にしたと思うがあまり記憶にない。福島のことは気の毒に思う。それでも電気がなければ生活できないし…」。声の方に目をやったものの、歩き去った。
 
 2012年3月、首相官邸前で今も続く金曜日の脱原発集会が始まった。7月16日には作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた東京・代々木公園の脱原発集会に約17万人(主催者発表)が集まった。脱原発アクション諏訪が始まったのは直後の20日だった。
 代々木公園の集会に参加した山崎秀訓さん(72)=同=と、集会をテレビで見た毛利大さん(33)=下諏訪町=が、地方からも声を上げようと呼び掛けた。山崎さんのチラシを見た宮坂さんも加わった。
 8月ごろには毎週約30人が集まるようになった。「マイクを貸して」と声を掛けてくる高校生や、「子どものために言いたい」と加わる30代の母親もいた。「原発を容認しない空気が、社会全体にあった」と毛利さんは振り返る。
 冬を迎えて活動が20回を超えたころ、衆院選で自民党が政権を奪回。安倍政権は一定割合の原発を維持する姿勢を打ち出していく。寒風にさらされて1時間ほど街頭に立つと、指が動かなくなった。活動は40回、50回と数を重ねたが、参加者は1人、2人と減っていった。
 山崎さんは今年3月ごろ、脱原発アクション諏訪の活動に距離を置いた。「同じことを続けても、共感を広げられない。方法を変えた方がいい」と思ったからだという。金曜日に集まる人の中には「急いでも結果は付いてこない」と、山崎さんと異なる考えを持つ人が少なくない。
 山崎さんも「福島の人は今も不安を抱えている。自分ができることは何なのか」と考え続ける。4月から2週間に1度ほど、プラカードを持って朝7時台に上諏訪駅近くの別の場所に立ち、通勤客や学生に呼び掛け始めた。
 30日の上諏訪駅前。集まった人は2、3分ずつマイクを持ち、女性の1人は「安心で安全な社会を子どもたちに伝えるのが私たちの責任」と声を強めた。約1時間後、参加者が看板を片付けると駅前に静けさが戻った。
 道行く人に声は届いているのか―。「不安に思う時もある」と参加者の1人。「人の心を動かす特効薬はない。ここまでやったらやめようという『着地点』は考えたくない」。そう言って駅前を後にした。(熊谷拓也)


JR上諏訪駅前で100回目の抗議活動をする「脱原発アク
ション諏訪」の参加者=30日、諏訪市

関電神戸支店前での反原発行動が100回目

  東日本大震災による福島第1原発事故を受け、2年前から金曜日に欠かさず関西電力神戸支店前で市民らが続けてきた反原発行動が30日、100回を迎えました
 先日福井地裁で大飯原発の再稼働を認めない判決が出たこともあり、この日は最多時と同じ約500人が参加しました
 
 東京首相官邸前行動は、2年前の3月29日にスタートして5月2日で100回目を迎えましたが、神戸は2012年7月にスタートし、その後1回も欠かさずに継続して30日に100回目を迎えました。
 主催者「ゼロこねっと事務局長の橋本銀河さんは、「福井の判決などプラスの流れもある。思いを広げ続けたい」と話しています
 
 関電は福井県の若狭湾沿いに、美浜原発、大飯原発、高浜原発の3つの原発で計11基を持っています。
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反原発訴え続け100回目 関電神戸支店前で市民行動
神戸新聞 2014年5月31日
 東日本大震災による福島第1原発事故を受け、関西電力神戸支店(神戸市中央区)前で市民らが続けてきた反原発行動が30日、100回を迎えた。2年前から金曜日に欠かさず実施。最近は参加者も減っていたが、福井地裁で大飯原発の再稼働を認めない判決が出るなどの動きもあり、この日は最多時と同じ約500人が参加した。(宮本万里子)
 
 反原発行動は、東京・首相官邸前など各地で続いており、神戸は2012年7月、若者らでつくる「ゼロこねっと」の主催で始まった。当初、約100人いた参加者はここ1年半ほど50人前後に減っていたが、ゼロこねっと事務局長の橋本銀河さん(28)は「福井の判決などプラスの流れもある。思いを広げ続けたい」と話す。
 
 この日、参加者は関電神戸支店前で「原発いらない」と声を上げた後、繁華街を行進。原発への賛否を通行人にシールを張って示してもらうボードを掲げたり、福島県から子どもと一緒に西宮市に避難している女性の「出口の見えない将来に途方に暮れています」などというメッセージを配ったりした。
 
 在住地の関東から関西に移住を望み、時折母の実家がある神戸に来ている鈴木順子さん(45)は「社会が変わらず、絶望的になることも。原発のことを話しにくい雰囲気も強まっていて不安」と心境を語った。
  
 「原発ゼロ」をアピールする市民ら=30日午後、神戸市中央区(撮影・中西幸大)

島根・川内原発 避難計画続報

 (元記事)
5月29日島根原発は避難に30時間以上 川内原発は風向きを考慮せず
 30日に開かれた原子力防災連絡会議で、島根・鳥取両県の担当者は、島根原発重大事故時の避難・移動手段として、自家用車最大約19万台とバス450台を想定していることを明らかにしました。
 対象の住民数は約47万人で、初詣や冬季などの状況を設定し避難シミュレーションによれば、その9割が避難を終えるまでに最長33時間を要するということです。
 
 一方、九州電力川内原発周辺からの避難計画は住民が自家用車で避難することを想定した推計時間であることが分かりました。対象住民数は21万で、そ割が圏外に出るまでに最長で29時間かかります。
 
 事故時に数百台のバスを調達することが困難と見られている中では、すべて自家用車で避難するという想定の方が現実的と思われますが、その場合は、一部の人たちが避難から取り残されることはないのか、それをどうして防ぐのかを地域ごとに綿密に計画を立てておくということが新たな課題となります。
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島根原発、避難に最長32時間超 事故想定シミュレーション
東京新聞 2014年5月30日 
 島根、鳥取両県は30日、中国電力島根原発(松江市)で重大事故が起きた場合に、原発から30キロ圏の両県の住民約47万人が計画に基づき圏外に避難するまで最長32時間45分必要だとする避難シミュレーションを公表した。この日開かれた自治体担当者が参加する原子力防災連絡会議で発表した。
 
 シミュレーションでは、自家用車最大約19万台とバス450台を移動手段として想定。初詣や冬季などの状況を設定し、自治体の指示で原発に近い地域から段階的に避難した場合に、30キロ圏の住民9割の避難が終わるまでの時間を試算した。(共同)
 
 
30キロ圏外へ最長29時間 川内原発 避難推計
東京新聞 2014年5月30日
 鹿児島県は二十九日、九州電力川内(せんだい)原発(薩摩川内市)で重大事故が起き、住民が自家用車で避難する際の推計時間を公表した。半径三十キロ圏の住民約二十一万人の九割が圏外に出るまでに、最長で二十八時間四十五分、最短で九時間十五分かかると見込んだ。南九州自動車道が使えない場合が最長で、幹線道路の渋滞地点で交通誘導が実施されれば最短になる。 
 
 国の原子力災害対策指針が示す「避難指示から二十四時間以内に三十キロ圏外に出る」との目安は「おおむね守られる」(県危機管理局)としている。
 川内原発は原子力規制委員会の優先審査を受けており、全国の原発で最も早く再稼働する可能性がある。三十キロ圏内にある七市二町は今回の結果を避難計画見直しに役立てる考えだ。
 だが推計は「五キロ圏の住民約五千人の避難を優先しようとしたが、五~三十キロ圏の住民の四割が自主避難を始めてしまった」とのシナリオを基本としており、全住民が一斉に自主避難するパニック状態は想定していない。市町別の避難時間も出しておらず、実効性には疑問が残る。
 推計は自家用車一台当たりの乗車人数や季節などを変えた十三のケースごとに、三十キロ圏住民の九割が圏外に出るまでの時間を算出した。
 乗車人数が少ないほど避難完了は遅れる。交通誘導がある場合、一台四人なら最短の九時間十五分だが、二人では十八時間十五分。誘導なしの場合は渋滞が長引くため、四人乗りでも十一時間四十五分、二人なら二十二時間が必要になる。
 南九州道が使えず避難時間が最長となるケースも乗車人数は二人の想定。九割の避難完了後も三十キロ圏内の一般道では渋滞が続き、その解消にはさらに約七時間を要するとしている。
 観光ピーク時の八月の休日に観光客約一万五千人が三十キロ圏内にいる想定では、観光客を含めた避難の完了に二十五時間(乗車二人)を要する見込み。
 五キロ圏住民の九割が三十キロ圏外に出るには、最短で五時間、最長十六時間半かかると予測した。
 
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2014年5月30日金曜日

生活苦に陥る 「避難区域」を解除された被災者たち

 
 国は4月1日に福島県田村市都路地区を避難指示区域から外して、元居住者たちに帰還を促しました。
 しかしまだ空間線量が高すぎてとても居住は無理と思われます。
 では、帰還を拒否すればどうなるのでしょうか。1年後には月々の精神的賠償が打ち切られるので、多くの人たちは生活苦に陥ります。しかし行政からは「自主避難者」としてわれて、自己責任の問題として放置されます。
 
 現実に、緊急時避難準備区域の指定を11年9月に解除された川内村の20キロ圏外の避難住民は、12月分を最後に1人当たり月10万円の精神的損害賠償を打ち切られました85歳の住民はいま、以前の農業が出来なくなった上に月4万円(国民年金)の生活を強いられています。 
 
 安心して戻れるものであれば、そして以前の「社会的な生活環境」が得られるものであれば、誰しもが帰還します。しかしそうではありません。
 日本では年間積算線量20ミリシーベルト以下の地域を「居住適」として帰還を促し、もしも拒否すれば、その後の生活は自己責任とされてしまうのです。
 
 あのチェルノブイリ原発事故で、旧ソ連は年間積算線量1~5ミリシーベルトの区域を「移住権利ゾーン」と設定し、住民が移住を選択した場合、住民が失う家屋などの財産を補償ました。つまり年間5ミリシーベルト以上の区域は強制退去させたのですが、それでも30年近く経過した今日、ウクライナやベラルーシでは深刻な健康被害、平均寿命の極端な短命化が起きて問題になっています。 (チェルノブイリ地方はその後ソ連が崩壊したときに、ウクライナやベラルーシとして独立しました)
 
 年間積算線量20ミリシーベルト以下は「居住適」とする日本の政策がどんなに誤ったものであるかは言い尽くしようもありませんが、それを今度は兵糧攻めで強制しようとしているわけです。
 
 東京新聞の「こちら特報部」は27日、生活苦に陥る 避難区域を解除された被災者たち」を特集しましたが、次のように記事を結んでいます。 
 
 「漁民は水俣をつぶす気か」。水俣病の原因企業チッソの企業城下町だった水俣の多数派市民はかつて、同社に抗議する漁民をこう非難した。再稼働推進派は「事故の危険より、国力低下を憂えろ」と説き、福島の避難者は不安を漏らすことを許さない空気を感じている。半世紀前の水俣が繰り返されている
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生活苦に陥る 「避難区域」を解除された被災者たち 
 東京新聞 こちら特報部 2014年5月27日
 福島原発事故の避難指示区域の解除に伴い、生活苦に陥る被災者らが増えている。月々の精神的賠償が解除後、1年で打ち切られ、なお避難生活を続ける人びとは自主避難者扱いにされるためだ。
 帰還するか、移住するかの判断を被災者に委ね、その選択を保障するのが東京電力や国の務めのはず。ところが、現実には帰還を押し付け、後は自己責任という「棄民化」政策が進んでいる。(上田千秋、榊原崇仁) 
 
◆原発事故の避難区域解除で被災者に生活苦 
 「単純に安全、安心でないから、皆、帰ろうと考えない。核燃料を抜き取っている4号機で何かあれば、真っ先に被害を受ける。事故の恐怖感は拭えない」 
 福島県川内村の住民約220人が暮らす同県郡山市の南1丁目仮設住宅。自治会長を務める志田篤さん(65)はそう話した。
  
 昨年12月、志田さんを驚かせる出来事があった。「皆の生活が苦しいことは分かっていたけど、はるかに想像を超えていた」 
 志田さんは昨年10月、高齢の避難者の支援を目的にNPO法人「昭和横丁」を設立。全国の市民団体などから米や衣服、トイレットペーパーなどの支援物資を集め、12月に郡山市内3カ所の仮設で配った。 
 「さすがに、誰かが一度使った古い布団や毛布は余るだろうと思っていた。ところが、そんなものまでわれ先にと持ち帰り、米や衣服もすぐになくなった」 
 
 なぜ、人びとは困窮しているのか。川内村は事故後、福島第一原発から20キロ圏内が警戒区域(2012年4月に避難指示解除準備区域と居住制限区域に再編)、20キロ圏外は緊急時避難準備区域とされ、大半の住民は村外に避難した。 
 緊急時避難準備区域の指定は11年9月に解除。この区域からの避難住民は12年8月分を最後に、1人当たり月10万円の精神的損害賠償を打ち切られた。その後は自主避難者扱いだ。 
 
 「こっちでは、お金がかかるようになった。ぎりぎりの生活が続いている」。一人暮らしの矢吹一郎さん(85)はそう語った。 
 村にいた時、住民の多くは自家消費分の米や野菜を栽培し、みそも手作りだった。井戸水を使っていたため、水道代もかからなかった。ところが、仮設では食料品はスーパーなどで買うしかない。それなのに賠償金を打ち切られ、矢吹さんの収入は現在、月4万円余りの国民年金だけだ。 
 若い世代は新しい仕事を見つけられても、高齢者はそうはいかない。矢吹さんは「好きこのんで避難を続けているのではない。戻れないから戻らないだけだ」と憤りを隠さない。 
 避難指示が解かれても、家屋は震災で壊れ、畑は動物に荒らされたまま。ほぼ手つかずの森林など、除染も十分ではない。それに加えて、住民が不安視するのは医療が不十分なことだ。村では事故前、近隣の双葉町や大熊町、富岡町などの病院を利用していた高齢者が多かった。いまは閉鎖された。村にも医療機関はあるが、規模が小さい。 
 この仮に住む女性(83)は「村に戻ればお金がかからないのは分かっているけど、病院までの距離が遠くなってしまう。ここなら近くにいくらでもあるので離れにくい」と話した。 
 
◆金銭支援惜しむ政府 公的保険減免や高速・医療費無料も風前 
 川内村の遠藤雄幸村長は12年1月、緊急時避難準備区域の住民を対象に「帰村宣言」を出した。4月からは、避難指示解除準備区域の解除も視野に村民の長期宿泊を認めている。 
 しかし、村民は帰村に消極的だ。村の人口は4月1日現在、2739人。避難指示が解かれた村西部は2412人で、全体の9割近くを占める。村は帰村者を「週4日以上を村内で暮らす住民」と定義しており、その数は1396人に上る。ただ、文字通り、自宅に戻って生活する「完全帰村者」に限ると639人で、村の人口の23%にとどまる。
 
 川内村は本年度、帰村を促す対策を次々に実施する予定だ。帰還住民らに、村の商店などで使える地域振興券を1人当たり10万円分出すほか、住宅の新築は400万円、アパート建設は3000万円まで補助する。 
 一方、自主避難者扱いとなった住民に対する支援はない。「『村の生活環境を整えているから早く戻ってきて』が村のスタンス」(村総務課)という。 
 
 こうした事態は川内村だけではない。同様に緊急時避難準備区域だった広野町全域、南相馬市と田村市、楢葉町の一部もそうで、やはり11年9月で避難指示は解かれた。かつての警戒区域や計画的避難区域では避難指示が続くが、4月には田村市都路地区で指示が解除され、楢葉町も今週中に解除時期を示す。 
 ただ、被災者は追い込まれている。解除の1年後には月額10万円の精神的損害賠償が打ち切られるほか、仮設住宅は解除の有無にかかわらず、使用期限は来年3月まで。根本匠復興相は16日の記者会見で「延長は自治体の判断次第」と発言。自治体側が避難指示を解いた後、「延長不要」とすれば、避難を続ける住民は路頭に迷いかねない。 
 首都圏の被災者を支援する「東京災害支援ネット」代表の森川清弁護士は「住居を自分で借りると、東京なら1世帯で10万円前後必要になる。仕事も簡単に見つからない中、ただでさえ家計が逼迫(ひっぱく)しているケースが少なくなく、非常に重い負担になる」と語る。 
 
 そもそも政府は金銭的支援を惜しんでいる。 
 新旧の避難指示区域では現在、介護保険や国民健康保険、後期高齢者医療制度の保険料などが減免されているが、長くても来年2月末までと期間が区切られている。これらの区域の住民以外でも、今は離散家庭の高速道路無料化や、18歳以下の医療費無料化などが実施されているが、いつまで続くかは不透明だ。 
 福島県からの避難者による「ひなん生活をまもる会」の代表で、いわき市から東京に避難している鴨下祐也さん(45)は「家族ばらばらで避難する例が目立つ現状で、高速の無料化が終わったら、家族の絆が断ち切られてしまう」と語る。 
 
 ちなみにチェルノブイリ原発事故で、旧ソ連は年間積算線量1~5ミリシーベルトの区域を「移住権利ゾーン」と設定し、住民が移住を選択した場合、住民が失う家屋などの財産を補償した。日本では20ミリシーベルト以下の地域で帰還を促し、もしも拒否すれば、その後の生活は自己責任とされてしまう。 
 
 前出の志田さんは「原発事故の被害者は全員、賠償をもらい続けていると思われがちだが、とんでもない誤解だ」と強調する。 
 「東電は国が救済しているのに、避難している高齢者たちは誰からも守られていない。頼れる親戚や子どもがいない人たちもいる。国は帰還を前提とした政策をとらないでほしい」 
◇ 
 「昭和横丁」は支援物資や支援金を募集している。問い合わせは電080(1387)2302へ。 
 
<デスクメモ>
 「漁民は水俣をつぶす気か」。水俣病の原因企業チッソの企業城下町だった水俣の多数派市民はかつて、同社に抗議する漁民をこう非難した。再稼働推進派は「事故の危険より、国力低下を憂えろ」と説き、福島の避難者は不安を漏らすことを許さない空気を感じている。半世紀前の水俣が繰り返されている。(牧)
 
 

福井地裁の樋口英明判事に激励の手紙を

 反原発の理論的リーダーのひとりである広瀬隆氏が、5月21に大飯原発の運転差し止めの画期的な判決を出した福井地裁の樋口英明判事に対して、激励の手紙を出そうと呼びかける文書を発表しました。
 
 判決文哲学的かつ科学的反論しようのないものであると高く評価したうえで、今後樋口判事には、電力会社がマスメディアを通じて、さまざまな形特に人事面などで強大な圧力を加えはずなので、国民はそれを監視していく必要があると述べたうえで、同判事に激励の手紙を出そうと呼びかけています。
 
 文書の後半では、判決文で、広瀬氏が特にすぐれていると感じた箇所が列挙されています。その部分は判決文の要約とも位置づけられます。
 
 27日のブログ「日々担々」に掲載されたので、以下に転載します。
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広瀬隆さんより 福井地裁の樋口英明氏に激励の手紙を出そう
日々担々 5月27日
 全国のみなさま広瀬隆です
 
 5月21日、福井地裁が、まことに哲学的かつ科学的な、反論しようのない原子力発電所の危険性を指摘した判決文を書いて、大飯原発3・4号機の運転差し止めを関西電力に命じました。
 これは一電力会社である関西電力に対して命じられた判決ではありません。日本全土のすべての原発の運転差し止めを命じた内容です。
 
 この見事な判決文を書いた裁判長の樋口英明氏には、今後、電力会社と国家および週刊誌などのメディアを通じて、強大な圧力が、さまざまな形で、特に人事面などで加えられるはずです。しかしこの判決の内容すべて事実に基づいているのですから、高裁でも最高裁でも、この事実を隠蔽することはできません。勝てます。
 
 日本のテレビと新聞は、この判決文に書かれた厳粛な事実を、これから自分たちの調査によって実証し、自らの言葉で国民に対して何度も説明し、理解させる義務があります。日本政府を追及する義務があります。だが、彼らは今後もそれをしないでしょう。彼らは、ジャーナリスト精神を持っていないからです。運転差し止め判決が出たという、中身のないニュースしか報道しないのです。
 だから、私たち国民が、この事実を伝えあってゆかなければなりません。
 
 これを見過ごしては、樋口英明氏が守ろうとしてくれた私たちの生命の存在価値がありません。
 急いで、下記に激励の手紙を出そうではありませんか。みなさまの周囲の多くの人にも呼びかけてください。
 
宛先 樋口英明氏  〒910-0019  福井県福井市春山1-1-1  福井地方裁判所
 民事部
 
 手紙の封書の表書きには、「激励」、「判決に感動」、「全面的支持」など、みなさまの手紙の文意を示す一言を宛て名の横に書いたほうがよいと思います。はがきでもよいです。その手紙が裁判所に全国から山のように配達されれば、世の中の空気は変ります。私たち国民の良識が先手をとりましょう。
 
 判決文のなかで、特にすぐれていると私が感じた点を挙げておきますので、みなさまが手紙を書かれる時の参考になさってください。
 
個人の生命、身体、精神および生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制化においてはこれを超える価値をほかに見出すことはできない。
 
福島原発事故においては・・・原子力委員会が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討した(これは2011年3月11日から2週間後の3月25日に、原子力委員会委員長・近藤駿介が250キロメートル圏内の住民避難の可能性について緊急事態の警告書を出したことを指摘している)。この250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断することはできないというべきである。
 
原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電源によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告(電力会社)において自認しているところである。しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。
 
我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものである。岩手宮城内陸地震は大飯(およびすべての原発立地地点)でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震である。この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎない。(よって)1260ガルを超える地震は大飯原発(およびすべての原発立地地点)に到来する危険がある。
 
福島原発事故の原因について国会事故調査委員会が地震の解析に力を注いできたが・・・その原因を将来確定できるという保証はない。(まして事故の渦中にあっては、複雑きわまりない防護システムを機能させようとしても、放射能放出を未然に防ぐこと自体が不可能である、という説明)。
 
関西電力(およびすべての電力会社)は、基準地震動を超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし・・・現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年(2005年)以後10年足らずの間に到来しているという事実を直視すべきは当然である。・・・これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すというしかない。
 
この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発(およびすべての原発)に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。
 
使用済み核燃料は本件原発(およびすべての原発)においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉圧力容器のような堅固な設備は存在しない。(この危険性を実証したのが、福島原発事故における4号機の使用済み核燃料プールからの放射能大汚染の危機であった・・・という説明。)
 
本件(およびすべての原発の)使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。
 
コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原子力発電所の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。
 
福井地方裁判所民事部第2部
裁判長裁判官  樋口英明
     裁判官  石田明彦 
     裁判官  三宅由子
 

2014年5月29日木曜日

島根原発は避難に30時間以上 川内原発は風向きを考慮せず

 島根原発(松江市)の避難計画で、島根、鳥取の両県がまとめたところによると、原発から30キロ圏に住む両県の住民約47万人が圏外に逃げ切るまでに最大で30数時間かかることが分かりました。
 
 また九州電力川内原発の住民避難計画では、放射性物質が流れる方向を決めるの向きを考慮せずに、避難先1カ所しか指定していないことが分かりました
 福島原発の事故では、SPEEDIの情報が公開されなかったために、放射能が濃厚に流れた北西方向(飯館村方面)に避難した実例があります。
 県や当該市町は「事故の状況を踏まえて対応する」としていますが計画に盛り込まれていなければ住民の不安払拭されません。 
 
 どちらのケースでも、バスと運転手の手配が実際に可能なのか否かについては不明です。
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住民避難に最大三十数時間 島根原発事故で試算
東京新聞 2014年5月28日
 中国電力島根原発(松江市)で重大事故が起こった際、島根、鳥取の両県がまとめた避難シミュレーションで、原発から30キロ圏に住む両県の住民約47万人が圏外に逃げ切るまでに最大で三十数時間かかると試算したことが28日、自治体関係者への取材で分かった。
 
 シミュレーションは、原発に近い地域から段階的に自家用車やバスなどで避難した場合にかかる時間を、様々な状況に場合分けして試算。冬季に積雪があった際には、30時間以上かかるという。
 
 両県は試算の詳細について、自治体関係者が参加する30日の原子力防災連絡会議で報告する。(共同)
 
 
原発事故時避難計画 放射性物質拡散考えず
南日本新聞 2014年5月28日
 九州電力川内原発1、2号機(薩摩川内市久見崎町)の重大事故を想定し、原発から30キロ圏の9市町が策定した住民避難計画は、放射性物質の広がり方や方向を左右する風を考慮しておらず、避難先は1カ所しか指定していない。県や当該市町は「事故の状況を踏まえて対応する」としているが、住民の不安を払拭(ふっしょく)するには程遠い。
  住民の不安は避難先や経路が風下に当たる恐れがあるのに、複数の避難先が確保されていないからだ。避難は自治会・地域単位が基本。避難先の自治体は複数であっても、自治会に割り当てられた避難所は1カ所なのが現状だ。