2019年4月30日火曜日

WEB特集 証言 日本の原子力 “平成の教訓”

 平成の時代、日本の原子力のどこに問題があったのか。何を教訓として、次の時代に生かすべきなのか。NHKが、当事者のことばから探りました。
 WEB特集で取り上げました。
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WEB特集 証言 日本の原子力 “平成の教訓”
NHK NEWS WEB 2019年4月26日
「日本の原子力って、平成の始まりまでは右肩上がりだったんです。でも、今になって記憶に残るのは、たび重なる事故のことばかりになってしまいました」
まもなく終わりを迎える平成。原子力の関係者に取材していると、よくこんな話を聞きました。世界最悪レベルとなった福島第一原子力発電所の事故。事故をきっかけに、私たちは原子力がもつリスクの怖さを思い知らされました。平成の時代、日本の原子力のどこに問題があったのか。何を教訓として、次の時代に生かすべきなのか。当事者のことばから探ります。(科学文化部記者 藤岡信介)
 
「痛恨の思い」語り始めた当事者
4月中旬。福島県富岡町では、あちらこちらで美しい桜の花が見頃を迎えていました。町の一部は、今も立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域となっています。
家の掃除のため、一時帰宅した男性に同行させてもらいました。北村俊郎さん(74)です。実は北村さんは、国内初の原発を運営した電力会社、日本原子力発電の元幹部です。40年以上にわたって原子力を推進してきました。温暖で過ごしやすい福島の浜通りで余生を送りたい。そう思って建てた家に、北村さんは今も戻ることができません。
空気を入れ換えるため、閉めきっていた窓を開けました。家を建てたときに植えたという桜が満開になっていました。北村さんは半生を振り返り、募らせてきた痛恨の思いを語り始めました。
 
「私はいろいろな意味で原子力を推進してきたのですが、事故が起きた時のことを思い出すと、あんなことがあってはならないと、それはもう痛切に感じます」
なぜ、原発事故が起きたのか。事故の後、自身の被災体験も踏まえながら原子力の課題などを本にまとめ、インターネットでも発信し続けている北村さん。私は、原子力にとって平成はどんな時代だったのか、尋ねました。
「『日本の原子力が、欧米に比べて決して負けていないんだ』という、うぬぼれのようなものがあったところから、この時代は始まったのではないかなと思いますね」
平成が始まった頃、日本の原発は事故やトラブルで止まることが少なく、電力会社などの関係者は「世界最高水準の安全性」を誇っていました
「海外で起きたような重大な事故は日本では起きない」
福井県の敦賀原発や茨城県の東海原発で勤務し、原発の安全管理や人材育成などを担当していた北村さん。当時、「国や事業者は自信に満ちていた」と言います。
 
安定期から、事故・トラブルの時代に
北村さんの証言の背景を探るため、私は、国内最多15基の原発が立地していた福井県へと足を運びました。訪ねたのは、敦賀市に暮らす向和夫さん(71)。高速増殖炉「もんじゅ」の所長を務めました。
 
高速増殖炉「もんじゅ」
もんじゅは、国家プロジェクトとして、次世代の原子力開発を担う組織、動燃=動力炉・核燃料開発事業団、今の日本原子力研究開発機構が、昭和の終わりから平成のはじめにかけて建設しました。発電しながら使った以上の燃料を生み出すとして、「夢の原子炉」と呼ばれていました。
「もんじゅは、日本の原子力開発のシンボル的な存在で、私たちだけでなく、他の電力会社も一緒に官民一体で進めていました。将来のエネルギーのため、日本だけではなくて、大げさかもしれないですが、人類のために開発をしているという使命感がありました」(向さん)
しかし、運転を開始した翌年の平成7年、状況が一変します。空気中の水分に触れるだけで燃える、冷却材のナトリウムが漏れ、火災が起きました。放射性物質が漏れることはありませんでしたが、このとき、事故をわい小化するため、現場を撮った映像を、意図的に短く編集していたことが発覚。社会の大きな不信を招きました
 
平成は、その後も事故やトラブルが相次ぎました。
平成11年、JCO臨界事故。東海村にある核燃料加工会社「ジェー・シー・オー」(JCO)で、核燃料の製造過程で違法な作業が行われ、核分裂反応が連続して起きる「臨界」が発生。作業員2人が死亡したほか、周辺住民などおよそ660人が被ばくしました。
平成16年、美浜原発の蒸気噴出事故。関西電力の美浜原発3号機で配管が破損する事故が起き、吹き出した高温の水蒸気により、作業員5人が死亡、6人が大やけどをしました。
平成19年、柏崎刈羽原発の火災。新潟県中越沖地震で、東京電力の柏崎刈羽原発の「変圧器」と呼ばれる施設が燃えました。住民や自治体に原発の状況が伝わるのに時間がかかるなど、東電の対応が問題視されました。
 
それでも、原発をめぐる裁判のたびに、国や事業者は、「安全性は十分だ」という主張を繰り返しました。
なぜ、国や事業者は、原子力に、事故やトラブルが起きるリスクが伴うことを十分、社会に伝えなかったのか。向さんは「原発を停止させる事態は何としても避けたい」という空気が、業界にあったと証言します。
 
「もんじゅの事故が起きた時、パリの駐在先にいたのですが、一報を聞いて『まさかナトリウムが漏れるなんて』と、とても驚いたのを覚えていて、すぐに日本に戻って対応に当たりました。しかし、事故後の対応を振り返ると、危機管理に対する考え方が不十分だったために、『事故』が『事件』になってしまったと思います。当時の業界は、当面を取り繕って、早く次の段階にいきたい。運転が止まったら、早く再稼働させたい。そういう感じが非常に強くありました。リスクを社会と本当に共有するということが、全く足りなかったんだろうなという反省があります」(向さん)
トラブルが相次いだ頃、元日本原電の北村さんは、原発を推進する業界団体、今の「日本原子力産業協会」に出向していました。
そこで、海外の原発を視察、進んだ安全対策を目のあたりにします。たとえば、原発で重大な事故が起きることを想定した訓練。どのような事故が起きるのか、現場にはシナリオを伏せたままで行われ、事故をどのように収束させるか、実践的に行われていたといいます。日本でも対策を取り入れるよう訴えましたが、かないませんでした。原子炉を冷やす電源の多重化など、安全対策の強化も図れなかったといいます。
「追加の安全対策をするというようなことを言うと、『何だと、前に安全だと言ってたじゃないか』とか、『なんで追加する必要があるんだ』、『じゃあ、前に言ったのはウソか』と、社会から指摘されると言われてしまいました。安全性について疑問を投げかけるようなことがなかなかできなくなっていたんです」(北村さん)
 
安全神話で、自縄自縛に 事故前の福島第一原発
「安全」と言い続け、深刻な事故の「リスク」から目を背けてきた、日本の原子力。いつのまにか築かれていった「安全神話」の中で、身動きが取れなくなっていたのです。
その状況を覆い隠したのが『原子力ルネサンス』。平成の半ばに、世界的に起きた、原子力を再評価する動きです。
「原発を政策の中心にするべきだ」
原発は運転中に温室効果ガスを出さず、環境に優しいとされ、アメリカで推進の動きが強まり、世界各国で建設が一気に増え始めました。日本も国策として原発の海外輸出を打ち出しました。
その方針、「原子力政策大綱」をまとめた原子力委員会の元トップ、近藤駿介さん(76)を訪ねました。
近藤さんは、平成の始まりから事故やトラブルが続き、信頼が地に落ちていた、日本の原子力の信頼を立て直そうと、平成16年に委員長を引き受けました。「国民から信頼できる姿にならないと、原子力の将来はない」と考えていました。各地で一般の人から意見を聞く集まりを開催し、信頼回復を図ったといいます。しかし、世界に原発を売り込もうというときに、リスクもあることを伝えて、水を差すようなことはできない雰囲気だったと証言します。
「原子力を推進する側は、『原子力に伴うリスクをそこまで言わなくていい』と考えていました。リスクをどこまで社会と共有しなければならないのかを言いだすと、本当に大論争になってしまいます。しかし、『潜在的にこんな危険性があるのでこんな対策を取っています。だから、われわれとしては安全だと考えています』という説明を丁寧にする責任と義務は、当然、推進側にあったと思うんですよね。それが十分であったかというと、結果として十分じゃなかったのではないかと反省しています」(近藤さん)
また、リスクに関する情報を独占していた電力会社が、あえてそれを社会に伝えようとはしなかった言います。
「国民に、原子力に関する情報をほしいと思っていただかないかぎり、なかなか取りにも来てくれないし、聞いてもくれなかったのです。正しい情報が伝わるかどうかという観点で、一生懸命、発信に努めましたが、人々の関心を持ってないものに関心持たせることができなかったのです」(近藤さん)
原発に反対する市民団体や専門家の中には、事故のリスクを指摘していた人もいましたが、結果として対策の強化にはつながりませんでした。
そして、原子力に潜むリスクが現実のものとなりました。
今、富岡町には、除染で取り除いた土が、大量に保管されたままになっています。
原子力を推進しながら、原発事故の被災者になった北村さん。平成の原子力の歩みを振り返り、原発の安全性を高める提言ができなかったことに、強い後悔の気持ちを抱いています。
 
「今になって思えば、周りの流れとか雰囲気とか、そういうものに飲み込まれていたんだなと思います。異論を言う人を除外しようとする力がどうしても組織の中で働いてね。自分もやっぱり組織の一員です。組織の中で除外されてしまったり、潰されたりしてしまうことを恐れて、何も言えなくなってしまう。ブレーキがどうしてもかかったのです。勇気をもって言うことができなかったんです」(北村さん)
 
新たな時代に向けて
原発事故が起きるまで、原子力のもつリスクに真摯(しんし)に向き合ってこなかったという当事者たちの証言。改めて平成は、国や電力事業者が社会との対話に失敗を繰り返してきた時代だったと思います。
一見、情報公開を進めてきたようで、肝心な情報を伝えるのに後ろ向きでした。福島第一原発がいわゆるメルトダウンしていたことについて、東京電力は2か月間認めず、それが当時の社長の指示だったことも事故から5年にわたり、公表しませんでした。事故のあとも、不都合な情報はできるだけ出さないという電力会社の姿勢は厳しく指摘せざるをえません。
そんな原子力も含め、私たちの暮らしに欠かせないエネルギーをどう確保するか。原発を続けるにせよ、やめるにせよ、どちらを選択するにしても、大きな課題があります。
原発を続ける場合、安全対策を強化し、国の審査に合格しなければなりませんが、潜在的なリスクは減少してもゼロにはなりません。また、処分場が見つからない、使い終わった核燃料から生まれる、いわゆる「核のごみ」を出し続けることにもなります。
一方、やめる場合には、太陽光や風力といった再生可能エネルギーを中心に電力の安定供給を図らなければなりませんが、導入を増やすには送電網の整備が必要で、当面は大きなコストがかかります。また、火力発電に頼れば、温室効果ガスの排出が減らず、課題はいろいろとあります。
では、どのようなエネルギーを選択するのか。エネルギーをめぐる国民的な議論は、原発事故の直後には盛り上がりましたが、その後はすっかり下火になりました。私たちの子どもや孫の世代、その後も持続可能なエネルギーをどう選択していくのか。新たな時代に向け、国は限られた関係者だけで議論するのではなく、より多くの人たちが参加できる場を設け、私たちも、積極的に参加することが必要だと思います。

30- 三重県・芦浜原発の白紙撤回 を振り返る

 平成122000)当時の北川正恭・三重県知事県議会で、「同意と協力が得られている状態とは言い難い」と述べ、中電が南伊勢町に計画した芦浜原発の受け入れについて白紙撤回を表明しました
 
 芦浜原発の計画は1963(昭和38に浮上し、県は1984(昭和59年に原発関連の予算を計上し、県議会も翌年立地調査の推進を決議しました。
 しかし計画を巡っては、反対派が多くを占める南島町と立地推進を決議した紀勢町が対立し、それが激化する中で県は平成9(1997)両町と中電に立地活動を停止する「冷却期間」の設置を要請しました。そして冷却期間明けに知事は白紙撤回を表明し、中電は計画を断念しました。
 
 伊勢新聞が、特集「みえ(三重県)の平成史」の中で取り上げました。
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<みえの平成史> 芦浜原発の白紙撤回 推進、反対で地域分断
伊勢新聞 2019年4月28日
平成12年2月22日の三重県議会本会議。当時の北川正恭知事は、中部電力が計画した芦浜原子力発電所について「同意と協力が得られている状態とは言い難い」と述べ、白紙撤回を表明した。
 
計画は昭和38年、南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる熊野灘沿岸を候補地として浮上した。県は59年に原発関連の予算を計上。県議会も翌年、立地調査の推進を決議した。
計画を巡っては、反対派が多くを占める南島町と立地推進を決議した紀勢町による対立が続いた。推進を決議した県議会では傍聴席から怒号が飛び交い、議長が退席を命じる事態も起きた。
混乱を目の当たりにした県は平成9年、県議会の請願を受けて両町と中電に立地活動を停止する「冷却期間」の設置を要請。北川知事は冷却期間を経て白紙撤回を表明し、中電は表明後に計画を断念した
 
ただ、かつては県も宴席で反対派を説得するなど推進の立場で活動した。北川知事は白紙撤回の表明で「対立が続く中で地元住民は長年にわたって苦しんだ。県にも責任の一端がある」と認めた
 
芦浜原発が計画された土地は、現在も中電が所有している。南伊勢町は25年4月、土地を町に寄付するよう中電に求めたが、中電は「活用方法は検討しており、手放す考えはない」と回答した。
寄付を求めた背景の一つが、東日本大震災の福島第一原発事故。町では震災以降、土地の寄付を求める声が相次いでいた。寄付を受けることで、原発問題を完全に終わりにしようとの考えだったという。
 
白紙撤回から20年が過ぎようとする中で、懸念されるのは歴史の風化。元高校教諭で伊勢市の柴原洋一さん(65)は反対運動の経験を講演で伝え、半年ほど前まで地域誌に連載も寄稿していた。
柴原さんは教諭時代に「講演の内容が一方的だ」として訓告を受けた当時の資料を3年前に請求したが、県教委は「存在しない」と返答。北川知事が住民に意見を聞いた詳細な記録も「不存在」だった。
「若い人たちの多くは、全国で50基もある原発が紀伊半島にない理由を知らない」と柴原さん。「住民が原発の計画を止めた歴史を誇りに思っている。この事実を語り継ぐ活動を続けたい」と話す。
 
一方、取材では「思い出したくない」との声も聞かれた。推進派だった住民の男性は、地域が推進派と反対派に分断された経緯から「芦浜と聞いてよみがえるのは分断。今は地域を一つにしたい」と語った。

2019年4月29日月曜日

大飯差し止めた樋口元裁判長 津で講演

 2014年に関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を認めない判決を出した福井地裁の元裁判長樋口英明氏(66)が28日、津市で講演し「原発の危険性が分かった以上、それを伝えていくのが私の責任だ。特に、何の責任もないのに負担を負ってしまっている若い世代に伝えたい」と語りました。
 
 上記判決における樋口氏の数々の名言は多くの人々の胸に刻まれました。
 その一部を下に示します(要約文の文責は当事務局です)
 
 原発は一旦大事故を起こせば人格権という根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く少なくともそうした事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その運転差止めが認められるのは当然である
 
 被告は、地震学の理論上導かれる当該地域の最大ガル数が700で、それを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来している被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。
 
 被告は原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、大事故によってこれを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると考えている。
 
 原発の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原発でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原発の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。
 
 同判決はその後最高裁事務総局の介入によって覆されましたが、それは多分に政治的な意図によるもので、上記の論理が否定されたわけではありません。
 
  関連記事
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大飯差し止め元裁判長、津で講演 原発危険性「若い世代に」
共同通信 2019年4月28日
 2014年に関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働を認めない判決を出した福井地裁の元裁判長樋口英明氏(66)が28日、津市で講演し「原発の危険性が分かった以上、それを伝えていくのが私の責任だ。特に、何の責任もないのに負担を負ってしまっている若い世代に伝えたい」と訴えた。
 
 樋口氏は、原発の稼働を巡っては首相のほか地元自治体の首長、原子力規制委員長、裁判官が責任を負っていると指摘。「そのうちの誰か1人が判断すれば原発を停止させられるのに、そうなっていない」との見方を示した。

「対テロ施設」未完の原発 規制委の停止判断は当然

 24日に原子力規制委が「対テロ施設が期限までに間に合わない原発は、その時点で停止させる」と決めたことを受けて、各紙は一斉に規制委の判断を当然とする社説を掲げました。    (4月25日)対テロ施設未完の原発は停止 規制委 期限延長認めず
 
 各紙のタイトルは例えば下記の通りです。
 25日
原発のテロ対策遅れ 安全に猶予は認められぬ(毎日新聞)
原発テロ 対策規制委の判断は当然だ(南日本新聞)
原発テロ対策 期限延長却下は当然だ(北海道新聞)
 26日
原発テロ対策/危機意識が甘すぎないか(神戸新聞)
原発テロ対策  規制委は厳格さを貫け(京都新聞)
原発テロ対策 安全軽視を繰り返すのか(信濃毎日新聞)
原発テロ対策 問われる危機意識の欠如(新潟日報)
原発テロ対策/電力会社の甘えは許されぬ(河北新報)
 27日
原発テロ対策 安全に甘えは許されない(熊本日日新聞)
不適合 原発 規制委の停止判断は当然(西日本新聞)
原発のテロ対策 規制委の存在も問われる(高知新聞)
原発のテロ対策施設 安全の要 拙速では済まぬ(福井新聞)
 
 業界では、「伊方原発3号機の運転差し止めを命じた17年12月の広島高裁決定以降、原子力規制委はより厳しくなったといわれているようです。
 高裁決定では、「伊方原発3号機が新規制基準に適合するとした原子力規制委の判断は『不合理』である」と指摘しました。同仮処分は期限付きでその後事実上取り消されましたが、原子力規制委は存在意義を問われたわけです。
 動機は何であれ「不適合な原発」に厳しく対処するのは当然のことです。
 
 西日本新聞の社説を紹介します。
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「不適合」原発 規制委の停止判断は当然
西日本新聞 2019年4月27日

原子力発電所の新規制基準は東京電力福島第1原発事故のような過酷事故を二度と繰り返さないために設けられた。その原点に立ち返れば、原子力規制委員会が下した判断は当然だ。
規制委は、原発への設置が遅れているテロ対策施設「特定重大事故等対処施設(特重施設)」について、事業者側が求めた経過措置期間の延長を認めず、5年の設置期限内に完成しなければ「基準不適合」として運転を停止させることを決めた
 
新規制基準下で最も早く再稼働した九州電力の川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)は来年3月に、2号機は来年5月に設置期限を迎えるが、特重施設の完成は1年程度遅れる見込みという。期限後は完成検査が終わるまで運転できない。運転中の関西電力と四国電力の3原発5基も期限内に工事が終わらず順次、運転停止となる。玄海原発3、4号機(佐賀県玄海町)も同様に期限に間に合わず運転を停止させられる見通しだ。
 
特重施設は大型航空機を衝突させるようなテロ攻撃に備える拠点だ。その性格上、詳細は公表されてないが、中央制御室に代わる第2制御室のほか、炉心損傷など重大事故が起きた際に放射性物質の外部放出を抑制するためのフィルター付きベント設備などが含まれる。「世界一厳しい」と政府が強調する新規制基準で義務付けられた。
特重施設がないまま再稼働が認められたのは、規制の適用を猶予されたためだ。当初の期限は「新規制基準施行から5年」の2018年7月だったが、審査の長期化を受け、各原発での再稼働の主要審査終了を起点とする「本体の工事計画認可から5年」に延長された経緯がある。
 
事業者にとっては、想定外の急展開だったかもしれない。
九電の原子力発電本部長など電力5社の原子力部門の責任者が顔をそろえ、施設の完成が「遅れる」と規制委に伝えたのは17日の意見交換会の場だ。特重施設の審査に時間がかかり、工事も大規模になったと訴え、期限延長などの対応を検討してもらう腹づもりだったようだ。
 
確かに期限が来たからといって、直ちに原発の安全性が損なわれるわけではない。しかし、期限が迫ってから突然、「実は間に合いません」と言って、何とかしてもらえると思っていたのなら論外だ。更田豊志委員長が「工事の見通しが甘かっただけでなく、規制当局の出方に対しても甘かった」と苦言を呈したのはもっともだ
 
新規制基準を守らず、原発の安全性向上にきちんと向き合わない事業者に、原発を運転する資格はない。このことを肝に銘じるべきだ。

29- チェルノブイリで近く解体用クレーン運用へ

チェルノブイリ事故から33年 解体用クレーン、近く運用
共同通信 2019年4月27日
 【モスクワ共同】旧ソ連ウクライナで1986年に起きたチェルノブイリ原発4号機の爆発事故から26日で33年を迎えた。原発解体に向けた作業が続く現場周辺を訪れたフロイスマン首相は26日、4号機を覆うシェルター内部で、原発解体に必要となるクレーンや換気システムの設置がほぼ完了し、5~6月に運用が始まると明らかにした。
 
 4号機は日米欧や欧州復興開発銀行などの支援により、2016年11月に耐用100年の鋼鉄製シェルターで覆われた。シェルター内部にクレーンなどを整備する工事の完了は当初予定の昨年末からずれ込んだものの、今月25日には72時間の試験運用を終えた

2019年4月28日日曜日

原自連など3団体 経団連のエネルギー提言を批判

 経団連は、原自連からの意見交換や公開討論の開催を申し込みに対して不可解な理由をつけて応じないまま8日、原発推進のエネルギー政策に関する提言を発表しました。
 原自連原子力市民委員会、環境エネルギー政策研究所(ISEP)3団体26日、記者会見を行い同提言を批判する見解を発表しました。
 
 原自連の代表は、「未来のない原発に固執するのでは国を危うくする」「原発は日本経済全体に対して多大な損害を与える。採算が見えず、あまりにも無謀なリスクが高い原発にそこまで突っ込むのかと語りました。
 ISEPの飯田哲也所長は提言は「矛盾と間違いだらけだ」と批判しました。
 原子力市民委員会の菅波完さんは「福島事故の責任が忘れ去られている。教訓を学んでいないことが最大の問題」と強調しました。
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経団連を叱る 原自連など3団体 未来ない原発 固執は国危うくする
エネルギー提言 共同会見で批判
 しんぶん赤旗 2019年4月27日
 原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連:顧問=小泉純一郎、細川護熙両元首相)はじめ3団体は26日、日本経済団体連合会(経団連)が8日に発表した原発推進のエネルギー政策に関する提言を批判する見解を発表し、東京都内で共同記者会見しました。
 会見したのは原自連と原子力市民委員会、環境エネルギー政策研究所(ISEP)。
 
 経団連が発表した提言「日本を支える電力システムを再構築する」は、原発再稼働の取り組み強化や原発の新・増設、最長60年を超えての運転期間延長などを求める原発回帰の内容。
 原自連は、経団連の中西宏明会長が今年1月に、エネルギー政策に関して「一般公開の討論をすべきだと思う」との発言を受け、経団連に意見交換や公開討論の開催を申し込みました。しかし、経団連は意見交換に応じないまま、提言を発表しました。
 
 原自連は、提言に対し「未来のない原発に固執するのでは国を危うくする」と指摘。原自連の吉原毅会長(城南信用金庫顧問)は、「(原発は)日本経済全体に対して多大な損害を与える。採算が見えず、あまりにも無謀な、リスクが高い原発に、そこまで突っ込むのか。この提言書について公開討論会を何度でも提案します」と語りました。
 
 ISEPの飯田哲也所長は、政府が昨年まとめたエネルギー基本計画を踏襲したものと指摘し、提言は「矛盾と間違いだらけだ」と批判しました。
 
 原子力市民委員会の菅波完さんは「福島事故の責任が忘れ去られている。教訓を学んでいないことが最大の問題」と強調しました。

28- 全17原発に検査不正製品

全17原発に検査不正製品 ケーブル、蓄電池 重要機器にも使用
東京新聞 2019年4月27日
 電線大手フジクラや日立化成などの製品で発覚した一連の検査不正問題で、東京電力福島第一原発を含む国内にある全十七原発に、これらのメーカーから必要な検査をしなかったケーブルや蓄電池などが納入され、重要度の高い機器でも多く使われていたことが二十六日、電力十社や原子力規制委員会への取材で分かった。十社は納入状況を順次公表しているが、全原発に不正検査品が納入されていたことが判明するのは初めて。
 
 十社は問題の製品の一部を交換し、それ以外は性能試験や点検などで影響がないことを確認でき、使用を継続するとしている。ただ、無数の機器で制御される原発は、小さな部品や機器の不調が事故を招きかねず、機能が十分に働かなければ緊急時の対応が遅れる恐れもある。電力会社による調達や管理の難しさが浮き彫りとなった。
 
 十七原発は、建設中の電源開発大間(青森県)と東電東通(青森県)を除く国内の全原発。検査不正を巡っては、二〇一七年十月に神戸製鋼所がデータ改ざんを公表後、複数企業で相次いだ。
 電力十社や規制委によると、フジクラや子会社いずれかの不正製品は全原発で納入を確認。絶縁抵抗の検査などを一部実施していなかった。大半の原発は、原子炉の冷却系統につながる難燃性の電力ケーブルなど重要度の高い設備で使用。通信ケーブルで確認された原発もあった。
 
 検査の未実施や結果の不適切な記載が見つかった日立化成の蓄電池や電源装置は、停電の緊急時に使うが、十原発に納入されていた。
 ほかに東電柏崎刈羽(新潟県)や中国電力島根(松江市)は非常時の原子炉冷却系統に、一部検査をしなかった東京計器の油圧弁を使っていた。
 データ改ざんのあった油圧機器大手KYBの免震・制振装置は、中部電力浜岡(静岡県)、四国電力伊方(愛媛県)、日本原子力発電敦賀(福井県)へ納入され、神戸製鋼所や三菱マテリアルの関連会社のデータ改ざん製品は、北海道電力泊(泊村)などで使用されていた。

2019年4月27日土曜日

原発避難者に退去通告 退去しなければ家賃は倍額になると

 福島県は、東京都や埼玉県などに避難して国家公務員住宅に住む77世帯に対して、「3月末日の退去」を文書3月28日付で通知しました。退去しなければ「家賃を2倍請求する」と書かれていました。
 2倍にされると単身者用住宅で4〜5万円、家族用で約12万円となります。生活拠点から避難した人たちにそんな稼ぎはありません、
 福島県は、旧避難区域(南相馬市、浪江町、川俣町、葛尾村、飯舘村)から逃れてきた2,200世帯に対しても仮設住宅、借り上げ住宅の無償提供を打ち切りました。
 
東北の復興なくして、日本の再生なし。被災者の声を聴き、その声を復興につなげていく」と安倍首相は3月8日、復興推進会議で語っていますが、ただ空しいばかりです。
 
 田中龍作ジャーナルの記事を紹介します。
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原発避難者に退去通告 さもなくば家賃倍額請求
田中龍作ジャーナル 2019年4月25日
 原発被災者に対してムチをあげて襲いかかるのが、この国の行政なのだろうか。
 
 福島県は、原発事故から避難して東京都や埼玉県などの国家公務員住宅に住む77世帯に対して、生活拠点課名で「3月末日の退去」を文書で通知した。退去しなければ「家賃を2倍請求する」とも添えられていた。文書は3月28日付けだ。
 
 2倍にされると単身者用住宅で4〜5万円、家族用で約12万円となる。生活拠点だった福島を追われてきた避難者に満足な稼ぎがあろうはずもない。別の公営住宅に入居するのは至難の業だ。
 福島県が追い出しにかかっているのは、国家公務員住宅に住む避難者ばかりではない。
 旧避難区域(南相馬市、浪江町、川俣町、葛尾村、飯舘村)から逃れてきた2,200世帯に対しても仮設住宅、借り上げ住宅の無償提供を打ち切ったのである。
 福島の自宅に帰ろうにも放射線の線量が高く、子どもの健康を考えれば、帰るわけにはいかない。自宅に帰らずに暮らすには、現在の収入に家賃分を上乗せした金額を稼がなければならない。ダブルで働けと言うのか。被曝とは別の健康被害に見舞われるだろう。
 
 「復興大臣は今すぐ避難者と会え」・・・福島からの避難者や支援者らが、きょう、復興庁前で抗議の声をあげた。
 安倍首相はハコモノを作ることしか頭にないようだ。
 
 「東日本大震災からの復興は、内閣の最重要課題です・・・(中略)東北の復興なくして、日本の再生なし。被災者の声を聴き、その声を復興につなげていく」(3月8日、復興推進会議・原子力災害対策本部会議合同会合)
 
 安倍首相は口では「被災者の声を聴き」と言うが、実際の施策は真逆だ。
 
~終わり~