2016年10月31日月曜日

滋賀県高島市で老朽原発の危険性についての学習会

  運転開始から40年を超える老朽原発の危険性について考える学習会が滋賀県高島市で行われ、「グリーンアクション」(京都市)代表のアイリーンさんは「世界では最長でも47年で、最長60年まで認可するのは『未知の領域に踏み込む』」ものと警鐘を鳴らしました。
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老朽原発の危険性考える 高島で学習会、規制委認可に警鐘 (滋賀
中日新聞  2016年10月30日
 運転開始から四十年を超える老朽原発の危険性について考える学習会が二十九日、高島市の安曇川公民館であった。高島市民有志による「原発と高島の未来をちゃんと考える会」が主催し、市民十八人が参加した。
 
 市民団体「グリーン・アクション」(京都市)代表のアイリーン・美緒子・スミスさんは「世界に四百二基ある原発のうち、四十年を超えて運転する原発は一割ほど。最長でも四十七年だ」と紹介。原子力規制委員会が運転開始から最長六十年まで稼働させられることを認可したことに「未知の領域に踏み込む」と警鐘を鳴らした。
 
 「美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会」代表の小山英之さんは、原発が集中する福井県の若狭湾周辺は活断層の巣になっていると指摘し「規制委や関西電力が使用している計算式では、原発を襲いうる地震動が過小評価される」と問題視。規制委が電気ケーブルの劣化に関して具体的な審査基準を持っていないことも指摘した。(角雄記)

千葉県佐倉市でも甲状腺エコー検診

原発事故健康調査 甲状腺エコー検診 佐倉で受診者募集【千葉】
東京新聞 2016年10月30日
 東京電力福島第一原発事故で拡散した放射性物質による健康影響を調べる、甲状腺エコー検診が十一月二十七日、佐倉市王子台六の「生活クラブ虹の街センター佐倉」で行われる。先着五十人限定で、二〇一一年の事故時、十八歳以下だった子どもが優先。来月一日から予約を受け付ける。
 事故による市民の健康不安解消に向け活動する「甲状腺エコー検診in佐倉実行委員会」が主催。同様の活動をする団体が、市民のカンパで購入した検査機器を借り、経験豊富な医師がボランティアで診察する。
 実行委によると、県内では松戸市などが検査費の助成をしているが、佐倉市は助成していない。
 医療機関で受診すると四千~五千円以上が必要で、受診をためらう人もいるという。道端園枝委員長は「私たちだけでは年一回程度の検診が限界。活動を継続し、最終的には行政の助成を実現させたい」と話す。
 受診者には千五百円程度のカンパを募る。問い合わせは道端さん=電080(5447)1729=へ。 (渡辺陽太郎)

31- 震災遺産の学校現場での活用が広がる

震災遺産 教育現場で活用
河北新報 2016年10月30日  
 東日本大震災や東京電力福島第1原発事故を物語る「震災遺産」の学校現場での活用や検討が、福島県内で広がりつつある。保存を進める「ふくしま震災遺産保全プロジェクト」実行委員会(事務局・福島県立博物館)が出前授業などを展開。関係者は「福島の経験を若い世代に継承する取り組みが欠かせない」と語る。
 
 プロジェクトでは津波被災地や原発事故の避難区域などで遺産を収集。ゆがんだ道路標識や避難後に残された新聞の束など計1500点を保全している。
 学校との連携は2015年度に始めた。メンバーはこれまで、高校での出前授業や教員向けの研修会などに10回ほど足を運んだ
 授業では、避難区域となった富岡町の富岡高にあったバドミントンラケットなどの写真パネルを見せ、生徒に印象に残った物を尋ねる。避難所で明かりを取るため、ろうそくを立てたマグカップなどの実物を手に、当時の様子を一緒に考えることもある。
 
 「がれきと聞くと目を背けたくなるが、経験を後世に伝える活動に共鳴した」「小学生は記憶のない子が増えている。教師が活動を知ることは大切」。研修会に参加した教員からはこうした感想が寄せられた。
 生徒たちの積極的な動きも出てきた。福島北高(福島市)では30日、3年生が震災遺産を借り文化祭に展示する。敷地には原発事故で避難する富岡高のサテライト校があり、富岡高関連の遺産を中心に紹介する。
 生徒会顧問の斎藤毅教諭(53)は「教員と生徒が震災とその後の5年半について、きちんと向き合い考える場にしたい」と話す。
 県立博物館の高橋満主任学芸員は「震災を知らない世代が育ち始めている。震災の多様な事実を伝える『物』を通し、何が起きたのか想像力を働かせてほしい」と、震災遺産活用のさらなる広がりに期待する。

2016年10月30日日曜日

30- 新潟日報の泉田前知事への過激ネガキャンに県民が反発したとBJ

 泉田氏の4選立候補引きずり下ろしに向けてネガティブ・キャンペーンを行った新潟日報が新潟県知事選において果たした役割について、ビジネスジャーナル(Business Journal)が総括する記事を載せました。
 同誌はそうした新潟日報の行動が県民の間に「不明朗な動機を持っているのではないか」という疑念を生じさせ、却って米山候補の当選に結びついたとしています。
 
 また泉田前知事がマスコミへの拡散能力を持っていて、岩上安身氏が主宰するIWJや全国紙、週刊誌などのインタビューを積極的に受け入れたことで新潟知事選を全国ネット版に押し上げたことも、米山候補の当選につながったとしています。
 
 こうした問題提起をされた当事者(新潟日報)が見解表明を求められれば、普通であればそれなりに丁寧な釈明を行うものですが、このケースで日報から来た見解は、『まったく事実ではありません。このような報道をしたことは、一度もございません』という、あまりにも簡単なものでした。
 これではとてもビジネスジャーナルの視点を否定することなどできません。
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反原発知事への過激ネガキャンで自民・大手電力に加担?
批判殺到の新潟日報が真っ向反論
ビジネスジャーナル 編集部 2016年10月29日
 10月16日、新潟県知事選挙で原発再稼働反対派の米山隆一氏(共産、自由、社民推薦)が森民夫氏(自民、公明推薦)を退け、泉田裕彦前知事の路線を引き継ぐことになった。
 その数カ月前、原発再稼働反対を訴える泉田知事が出馬を撤回し、新潟県民の多くが言葉にならない無力感に襲われていた。最後の土壇場で、原発再稼働に危機感を抱いた共産、自由(旧生活の党)などの原発再稼働反対陣営が告示6日前に元民進党の米山氏を擁立し熾烈な戦いが始まった。
 
 その戦いは米山氏の勝利に終わったが、実際の展開は自民対野党といった選挙戦ではなく、原発再稼働に反対する市民グループと、原発ムラ(政府、自民党、経済産業省、東京電力、地元政財界など)、成り行きで自民・公明推薦の森陣営に加担した格好となった地元紙・新潟日報の戦いでもあった。米山氏を支援した市民グループには子供を持つ主婦が圧倒的に多く、どぶ板作戦を展開する市民グループと連携して、共産、自由などの政党が米山候補の組織的支援運動を展開した。対する森陣営は、安倍晋三首相が官邸で自ら森氏に推薦状を手渡すなど、政府が総力をあげた支援体制を敷いた。
 
 そのようななかで特異な動きをしたのが、地元紙の新潟日報だ。発行部数は46万部ほどで、地方紙として全国的にもその名前を知られている。特に原発問題の報道では一貫して東京電力に批判的な記事を展開し、県外でも高く評価されてきた
 しかし、その地方紙がここ数年で変貌を遂げた。その顕著な例が、2015年に発覚した支社報道部長によるツイッターを使った誹謗中傷、脅迫といった一連の事件だ。この報道部長は自分の立場を盾に新潟水俣病弁護団の弁護士を相手に「(ジャーナリストとして)お前の身辺を調べ上げる」と脅迫まがいのことをしていたのが発覚した。
 
異例の事態
  今回も選挙戦直前に、新潟日報は新潟県の第三セクター会社が関与した中古フェリー船購入を問題視した。能力不足で使いものにならない船を購入したとして泉田知事に非難を浴びせ、連日批判的な記事を掲載し続けたのだ。
「それが必要以上に過激な攻撃で、自民党筋が関与し、新潟日報を使った『泉田降ろし』ではないかといった声も聞かれた。さらに、新潟日報は泉田氏に反論する機会を紙面でまったく与えず、それに嫌気がさしたのか、彼は知事選の出馬を撤回するに至った」(マスコミ関係者)
 
 こうした新潟日報による泉田氏への批判の強さについて、10月11日付インターネットメディア「IWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)」記事内で泉田氏にインタビューしたジャーナリスト・岩上安身氏は、「フェリー購入問題に関する新潟日報の記事は2015年12月からこれまで131件で、特に(実質的に県知事選が始まった)7月から9月に集中している」と指摘している。
 そして泉田氏本人も8月31日の会見で、今回の県知事選で出馬を断念した理由として新潟日報による報道を挙げ、「臆測で事実に反し、私の訴えが届かない」と公然と批判。これを受け新潟日報は9月17日、自社サイト上で「泉田知事の言動は極めて異例で、理解に苦しむものだ」「執筆や掲載の過程で、外部から圧力を受けたり、特定の勢力に配慮したりしたことは一度もない」「あずかり知らない『陰謀論』などを基に記事を色眼鏡で見られては心外だ」などとする反論記事を掲載する異例の事態に発展した。
 
泉田氏のメディア展開が功を奏す
 一連の新潟日報の報道を受け一般読者は、日頃は反原発を掲げる新潟日報がなぜ原発稼働反対派の泉田知事に対して、執拗に責め立てるのか理解に苦しんだ。そして予想外の結果だが、このような新潟日報の一連の動きが、米山氏に利したことになる。
 新潟日報が泉田氏への非難報道を続ければ続けるほど、一般市民の間では、泉田路線を継承する米山氏への同情票が増えていった
 元経済産業省官僚の泉田氏も、新潟日報には負けてはいなかった。地元で発言する場を失った泉田氏は、いくつかのメディア展開を迅速に繰り広げた。ツイッターを使って自分の見解を拡散し、手早くフォロワーを増やしていった。フォロワーは現在でも6万人ほどいる。
 
 さらに「週刊朝日」(朝日新聞出版)などの在京メディアで積極的にインタビューを受けて、突然の出馬撤回の理由を語り、「知事個人に対する不気味な動きがある」と訴えた。同時に、強力な訴求力をもつインターネット情報メディアのインタビューも積極的に受け入れ、知事を取り巻く出来事を語り続けた。そのひとつが、前出・岩上氏が主宰するIWJで、泉田氏や米山氏へのインタビューを含め、現地からの映像レポートを繰り返し発信している。
 泉田氏がメディア展開の場を新潟から東京に広げた時点から、全国紙や主要テレビ局の情報番組も新潟県知事選を注視し始めた。そのような注目度が米山陣営に利することにもなる。新潟県知事選は原発再稼働の今後を占う天王山と見られるようになり、泉田氏や米山氏のツイッターをフォローするユーザーは全国に広がり、大げさにいえば、県知事選の動向は全国的な規模でフォローされていった。
 この段階で米山陣営がマスコミの注意を惹いたのは、出遅れた選挙戦の巻き返し策として、誰にでも理解しやすい原発問題だけに的を絞り、それをワンイシュー(単一争点)としたことだ。
 
 一方、森陣営は地元財界を支援組織としているだけに、地元経済再生をメインに67項目の公約を挙げ、原発だけに公約を集約した米山候補とは対照的な選挙戦略を見せている。結果的には、マスコミも報道しやすい原発問題だけが語られる選挙戦となり、原発再稼働に反対する米山陣営に勢いがついた。
 
変わる選挙報道
 選挙取材に動いたのはインターネットメディアだけはない。朝日新聞などの主要全国紙も本社から支援要員をかなり送り込んだ。実際に、米山氏の当確を最初にいち早く報じたのは地元の民放テレビ局だが、新聞媒体では朝日新聞が最初だった。それに次いでNHKが当確を報じ、選挙速報と報道内容では新潟現地と東京で政府の反応などを取材する全国紙とNHKが強さを見せていた。ここでも、地方のニュースを知るために地元紙を読む時代が終わりを告げ、地方紙、全国紙を問わず、一刻も早くニュースを自社ウェブサイトにアップするかどうかで評価が分かれる時代になったといえる。
 
 ユーザーのほうも、たとえばYahoo!ニュースのフォロー欄でキーワードを登録すれば読みたい記事を即時にチェックできる。地元の主要な記事をフォローするだけなら、地方在住でも地元新聞に頼る必要もなく、全国紙のサイトで自分が住む地域情報をスマートフォン(スマホ)でチェックすれば事足りる。
 いまや、ニュースを発信するほうも、それをフォローするユーザーも変化し、その結果、選挙活動や選挙報道も変化を遂げている。後発だった原発再稼働反対派の米山氏も圧倒的な劣勢を巻き返し、ツイッターなどのソーシャルネットワークをフルに活用して、一気に森候補に差をつけた。今回の新潟県知事選は、選挙が本格的なネットの時代に突入したことを見せつけている
 
 新潟県民の間では、新潟日報が政府や原発ムラの片棒をかついで「泉田降ろし」に加担したと受け止めた向きが多いが、実際に同紙がそのような意図を持っていたのかは、謎のままだ。しかし、県知事選挙直前の泉田氏に対する同社の報道姿勢が、そのような疑惑を生んだのも事実だろう。「週刊朝日」(9月16日号)は、自民党新潟県連関係者のコメントとして「(新潟日報社の)小田敏三社長は以前から泉田氏に批判的で、今回の『泉田降ろし』キャンペーンは特に凄まじかった」と報じている。
 
 以上みてきたような、新潟日報が政府・自民党筋や大手電力会社の意向を受けて「泉田降ろし」を行ったという見方や、中古フェリー船購入問題に関して泉田氏本人に紙面上で反論する機会を与えなかったという見方について、新潟日報は当サイトの取材に対し、次のように回答した。
「まったく事実ではありません。このような報道をしたことは、一度もございません」
 
 今後、新潟日報は米山新知事にどのようなスタンスで接するのか、目が離せない。(文=編集部)

2016年10月29日土曜日

29- 新潟日報の原発報道に早稲田ジャーナリズム大賞 奨励賞

 新潟日報社の長期連載「原発は必要か」を核とする関連報道が、27日、「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の奨励賞(公共奉仕部門)に選ばれました。
 「原発は必要か」は、昨年12月から今年6月まで掲載した長期の連載で、柏崎刈羽地100聞き取り調査をするなどして、原発の立地に伴う経済波及効果は限定的だったことを明らかにしました。新潟日報はそれ以前にも、2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が被災したことを受けて始めた「揺らぐ安全神話」福島原発事故後に「原発危機」「再考原子力」の長期連載を重ねるなど、原発問題に熱心に取り組んできました。
 
 そうした新潟日報社が、原発再稼働に慎重姿勢を貫く泉田知事を執拗に攻撃する連載を組んで、遂に泉田氏を知事選立候補断念に追い込んだのは何とも不可解なことでしたが、それはいわば会社の上層部が「反泉田グループ」と組んで行ったものなので、上述の記者魂とは別の次元の問題と見るべきでしょう。
 この受賞を機に今後もこれまでと同じ視点で原発問題に取り組んで欲しいものです。
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本紙原発報道に奨励賞
早稲田ジャーナリズム大賞発表
新潟日報 2016年10月28日
 早稲田大は27日、「石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞」の大賞2作品、奨励賞2作品を発表した。公共奉仕部門の奨励賞に新潟日報社原発問題取材班の長期連載「原発は必要か」を核とする関連報道が選ばれた。本社の受賞は初めて。
 早稲田ジャーナリズム大賞は、文化と公共の利益に貢献したジャーナリストの活動を発掘、顕彰する目的で2000年に創設され、今年で16回目。「公共奉仕」「草の根民主主義」「文化貢献」の3部門に計146件の応募があった。
 
 本社の長期連載「原発は必要か」は、昨年12月から今年6月まで掲載した。
 柏崎刈羽地域の100社への聞き取り調査と、原発建設前から約40年間の統計データの分析により、東京電力柏崎刈羽原発と立地地域経済の関係は薄く、原発の立地に伴う経済波及効果は限定的だったことを示した。
 さらに、東電福島第1原発事故後の福島県の現実を取材し、賠償や農業再生に向けた制度が不十分な実態を浮き彫りにしたほか、世界各国が再生可能エネルギーの導入を積極的に推進している状況などを取材。原発が必要かどうかを多角的に検証した。
 
 早稲田大は授賞理由を「丹念な取材で、具体的な数字を挙げつつ柏崎刈羽原発の地元への経済的な恩恵の薄さを証明した。住民の目線に立って再稼働の是非を切実かつ多角的に問いかけた」とした。
 
 本社は原発問題について、県民の命と安全を守る観点から、2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発が被災したことを受けて始めた「揺らぐ安全神話」以降、福島原発事故後に「原発危機」「再考原子力」を展開。「原発は必要か」まで4つの長期連載を積み重ねてきた。
 
 公共奉仕部門の大賞は日本テレビの「南京事件 兵士たちの遺言」、草の根民主主義部門の大賞は山陽新聞の「語り継ぐハンセン病 瀬戸内3園から」、同奨励賞は菅野完氏の「日本会議の研究」だった。文化貢献部門の受賞はなかった

2016年10月28日金曜日

最高裁がひそかに進める原発訴訟『封じ込め工作』(現代ビジネス)

 瀬木比呂志明大教授は、48歳で裁判官を依願退職して現職に就きました。
 その2年後に『絶望の裁判所』(講談社現代新書 2014年)を刊行し評判となりました(2015年刊行の『ニッポンの裁判』で城山三郎賞を受賞)。
 その瀬木氏が最高裁判所の「闇」を描いた『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著)が10月28日に刊行されます。
 
 日本の裁判に関心を持っている人で、裁判官が良心のみに基づいて判決を下していると思っている人は殆どいないのではないでしょうか。原発訴訟も勿論その例に漏れない・・・というよりも一層顕著です。
 そういう中で近年の大飯原発高浜原発の運転差止仮処分で勇気ある決定・判決を下した樋口英明裁判長山本善彦裁判長は称賛されますが、本来であれば当然の判決と評されるべきものでした。
 
 現代ビジネスに、「最高裁がひそかに進める原発訴訟封じ込め工作の真相 日本の裁判所は権力補完機構なのか」と題した 瀬木比呂志教授のインタビュー記事が載りましたので、以下に紹介します。(長文で、本編では完結していません)。
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最高裁がひそかに進める原発訴訟封じ込め工作の真相
 日本の裁判所は権力補完機構なのか
 瀬木 比呂志 現代ビジネス 2016年10月27日
 明治大学教授 元裁判官       
    瀬木比呂志(せぎ・ひろし) 1954年生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。1979年以降、裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。2012年、明治大学法科大学院専任教授に転身
 司法権力の中枢であり、日本の奥の院ともいわれる最高裁判所の「闇」を描いた『黒い巨塔 最高裁判所』(瀬木比呂志著)が10月28日に刊行される。
 
 本作では、自己承認と出世のラットレースの中で人生を翻弄されていく多数の司法エリートたちのリアルな人間模様が描かれているが、実は、この作品には、もうひとつの重要なテーマがある。最高裁判所がひそかに進める原発訴訟の「封じ込め工作」だ。
 福島第一原発事故以後、稼働中の原発の運転を差し止める画期的な判決や仮処分が相次いでいるが、最高裁はこのような状況に危機感を覚え、なりふり構わぬ策を講じている、という。原発訴訟をめぐって、いま最高裁で何が起きているのか、瀬木さんに話を聞いた。
 
 最高裁の「思惑」
 ― 前回のインタビューでは、最高裁判所の権力機構のカラクリと、そこで働く裁判官たちの生態についてうかがいました(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49800)。今回は『黒い巨塔 最高裁判所』のモチーフとなっている、最高裁内部で進行する原発訴訟封じ込め工作についてお聞きします。
 『黒い巨塔 最高裁判所』の時代背景は1980年代後半ですが、2016年現在、最高裁内部でひそかに進められている原発訴訟封じ込め工作をルポルタージュした作品を読んでいるかのような感覚がありました。
 瀬木 本作は純然たるフィクションですが、大飯・高浜原発訴訟(仮処分を含む)など、福島第一原発事故の後で多くの熾烈な原発訴訟が係争中である事実からインスパイアされた部分があることは、否定しません。
 また、本作の初稿を書いている時にも、小説の中で描いているのと似たような事態が現実の世界で起こってくる、現実が僕が想像した事態を密着しながら追いかけてくるような、そんな時期もありました。
 そのため、おっしゃるとおり、時代を過去に設定していながら、あたかも現在ないし近未来の日本を描いているような雰囲気も出てきたのだと思います。前回のインタビューでもお答えしたとおり、これは、SFが始め、やがては主流文学にも広まった文学形式である「パラレルワールド小説」でもあります。
 ですから、この小説が、あたかも現代、あるいは近未来ディストピアを描いたかのような印象を読者に与えるとすれば、著者のもくろみは、その点では成功したといえると思っています。
 本書の中で、原発訴訟と広い意味でそれに関わる裁判官たち、あるいは政治家やジャーナリストの暗躍がどう描かれているかについては、いわゆる「ネタバレ」になるため、詳しい説明は控えますが、私は、現在の最高裁、あるいは裁判所内部でも、この小説に描かれているのときわめてよく似た事態が進行している可能性はある、そうみています。
 具体的にいうと、最高裁と最高裁事務総局は、現在では、間違いなく、電力会社や政権寄りの判決、決定(仮処分の場合)が出るように強力に裁判官を誘導しようという意図をもっているだろうし、また、例によって外部からは明確にはわからない巧妙な形で、そのような誘導を行っている、あるいは行う準備を進めているだろうと思います。
 さらに、過去の事実や文献等から推測してみますと、以上と並行するような何らかの立法の動きが出てくることも、ありうると思います。
 
 露骨すぎる人事異動
 ― 私は、まさにそのように読みました。「ああ、原発訴訟はこのように統制され、このように決着させられてゆくのか……」といった、暗いリアリティーをひしひしと感じたのです。
 でも、現実の世界では、2014年5月の大飯原発差止め判決、2015年4月と2016年3月の2つの高浜原発差止め仮処分(前の2つの判決、仮処分は樋口英明裁判長、最後の仮処分は山本善彦裁判長)と、稼働中の原発の運転を差し止める画期的な判決、仮処分が複数出ましたね。
 日本の原発の構造は基本的に同じで、立地や技術上の問題点も共通していますから、こうした裁判に続く方向の裁判が、続々と出てくる可能性はないのでしょうか?
 瀬木 まず、僕は、原発に関しては、推進派、反対派などといった二項対立的な図式に色分けして考えるべきではないと思っています。
 唯一の問題は、「日本の原発が、まずは間違いなく安全であるといえるか。再び悲惨な事故を起こさないといえるか」という問いであり、この問いに明確にイエスといえるような状況ができているか否かだけが、問題だと思います。僕自身、元裁判官の学者ですから、そうした観点から、また、白紙の状態から、客観的に、この問題を考えてきました。
 そういう検討を経ての、原発、原発行政、原発訴訟についての僕の分析の大筋は、この小説でも骨格として使っています。そして、これまでの分析、検討の結果、僕は、福島第一原発事故は、日本の原発に関するずさんな安全対策、危機管理の結果としての人災という側面が大きく、また、その原因究明も相当に不十分、にもかかわらずなし崩しの再稼働への動きが進んでいるというように、現在の状況をみています。
 ですから、原発訴訟が今おっしゃったような方向に進めばいいとは僕も思いますが、客観的な予測としては、司法、政治、世論の方向が今のままだとすれば、より悲観的ですね。
 その根拠を述べましょう。
 第一に、福島第一原発事故後、今おっしゃった判決や決定がある一方で、高浜原発に関する第一の仮処分の取消し決定(2015年12月)など、福島第一原発事故以前の裁判の大勢、その枠組みに従う方向の判決や決定も、同じくらい出ているからです。
 第二に、最高裁が、『ニッポンの裁判』でもふれた2012年1月の司法研修所での裁判官研究会から1年余り後の、2013年2月に行われた2回目の研究会では、強力に「国のエネルギー政策に司法が口をはさむべきではない。ことに仮処分については消極」という方向性を打ち出していると解されるからです。この研究会については、文書も入手しています。
 第三に、原発訴訟については、過去にも、ことに判決の時期が近付いたときに、最高裁寄りの裁判長がその裁判所に異動になって事件を担当するといった動きが出ているという事実があります。
 福島第一原発事故後はそれがいっそう露骨で、先の高浜原発差止め仮処分取消し決定に至っては、異動してきた3人の裁判官すべてが最高裁事務総局勤務の経験者なのですよ。これが偶然的なものだとしたら、宝くじ上位当選レヴェルの確率でしょうね(笑)。もう、120パーセントの露骨さです。
 
 ■報じないマスメディアの問題
 ― 私も、原発には昔から関心をもっていて、原発訴訟についても断片的な情報はもっていたのですが、そこまで露骨な誘導が行われているとは恥ずかしながら知りませんでした。
 福島第一原発事故後は原発行政に批判的な大手新聞社も、今おっしゃったようなところまで踏み込んだ報道は行っていませんね。もしも、多くの国民が、瀬木さんのおっしゃったような実態を知れば、黙ってはいないと思うのですが。
 瀬木 残念ながら、僕の知る限りでは、少なくとも今では、大手新聞社やテレビの司法担当記者で最高裁に対して批判的な議論を息長く展開できるような気骨のある記者は、ほとんどいないのではないかと思わざるをえないですね。
 たとえば、新聞の看板ではあるが実際に読む人は限られる社説では、原発の危険性を声高に、あるいはある程度詳しく論じている場合はあります。しかし、司法記者が行う社会面の報道では、おおむね裁判所の判決を淡々と報じ、型通りに解説するにとどまっています。
 先ほどの高浜原発差止め仮処分取消し決定に関わった裁判官についての不可解な異動、過去の経歴などは、欧米のメディアなら、原発の始まった国であるアメリカでさえ、徹底的に暴き、叩いてゆくと思います。
 しかし、日本では、ほとんど取り上げられていません。僕の発言、文章を除けば、一部の週刊誌、ネットメディアくらいだと思います。先のような裁判官たちの経歴は、「意見」ではなく、インターネット上でも容易に調べられる明らかな「事実」であるにもかかわらず、です。
 なお、僕の文章は、果敢な有力地方紙、また、大全国紙関係では比較的自由なその周辺メディア上のものであって、かつ、あくまで、「学者、元判事である瀬木教授が書く」という形であって、直接の報道ではないですね。
 もっとも、最高裁事務総局は、問われれば、「この裁判官たちの人事も定期の普通の異動であって、特段の意図はない」と答えるでしょう。そこに込められた主観的意図を「証明」することは難しい。しかし、少なくとも、「事実」を報道し、それに適切な「評価」を加えることはできるはずです。
 だって、主観的意図の証明なんて、ニューヨーク・タイムズにだって、ル・モンドにだって、ガーディアン(イギリス。スノーデン報道で注目された比較的先鋭な自由主義紙)にだって、およそできっこないような種類の事柄ですよ。当たり前です。最高裁長官、事務総長、事務総局人事局長にインタビューして認めさせるくらいしか手段はないんだから(笑)。
 しかし、だからといって、「書かない」という選択を、欧米の自由主義的新聞、中道派新聞が、採るでしょうか? 国民が最注目する裁判の担当についての先のような不自然な人事は、明らかにおかしい。報道機関には、その事実を広く知らしめる、国民、市民に対する「義務」、「責任」があるはずです。
 残念ながら、日本のマスメディアの司法担当記者、より広くいえば報道部門の記者の多数派は、思考停止しているか、最高裁判所等の権力に対して大変遠慮して、自己規制をしているようにみえますね。そのことは、たとえばさっき挙げたような海外の3つのメディアとの比較でも明らかです。
 なお、付け加えれば、僕は、この3つのメディアが手放しでいいなどとは全く思っていません。たとえば、ニューヨーク・タイムズには、近年、権力に寄り添うような方向の記事も、出てきていると思います。ただ、基本的な姿勢の違い、そうした意味での客観性や批判精神は、なお失っていないと思います。それが、ジャーナリズムの国際標準だと思います。
 
 ■全国の裁判官への「警告」
 ― 日本のマスメディアのあり方については、本当におっしゃるとおりだと思います。その問題点は、本書でも、フィクションという形ではありますが、これまた非常に的確に、かつ深く描かれていますね。
 ところで、大飯原発差止め判決の樋口裁判長は、名古屋地裁に異動になったように記憶していますが、それでも、執念で、職務代行という形で、第一の高浜原発差止め仮処分決定を出しましたね。これは、相当に異例のことでは?
 瀬木 異動は、名古屋地裁ではなく、名古屋家裁です。
 そして、この異動は、この裁判長のこれまでの経歴を考えれば、非常に不自然です。地裁裁判長を続けるのが当然のところで、急に家裁に異動になっている。キャリアのこの時期に家裁に異動になる裁判官は、いわゆる「窓際」的な異動の場合が多いのです。また、そういう裁判官については、過去の経歴をみても、あまりぱっとしないことが多いのです。
 しかし、樋口裁判長の場合には、そういう経歴ではなく、家裁人事は、「青天の霹靂(へきれき)」的な印象が強いものだと思います。
 第一に地裁の裁判の現場から引き離す、第二に見せしめによる全国の裁判官たちへの警告、という2つの意図がうかがわれますね。
 ただ、形としては、家裁とはいえ、近くの高裁所在地である名古屋の裁判長への異動ですから、露骨な左遷とまでは言い切りにくいものになっています。
 こういうところが、裁判所当局のやり方の、大変「上手」なところだともいえます。また、彼の裁判が非常に注目されている状況で、あまりに露骨な左遷はできなかったという側面もあるでしょう。
 ― しかし、こうした圧迫によっても、この裁判長の決意は変わりませんでしたよね。その意味では、最高裁事務総局のコントロールは失敗したことになりませんか?
 瀬木 そうですね。この裁判長についていえば、そういえるかと思います。
 しかし、この人事の本質は、さっきも申し上げたとおり、全国の裁判官、とりわけ原発訴訟担当裁判官に対しての、はっきりとした「警告」です。
 この異例の人事のもつ意味は、どんな裁判官でも、ことに人事異動や出世にきわめて敏感な昨今の裁判官ならなおさら、瞬時に理解します。稼働中の原発を差し止める判決、仮処分を出すような裁判官は、人事面で報復を受ける、不遇になる可能性が高いのだと。
 その名前が広く知られることになった先の樋口裁判長でさえ、しかも直後の異動で、それをやられているのですからね(通常は、『絶望の裁判所』にも記したとおり、最高裁の報復は、ある程度時間が経ってから行われます)。
 関連しての問題は、マスメディアが原発訴訟に注目しなくなってからの彼の処遇です。より微妙かつ陰湿な人事が行われる可能性も否定できません。山本裁判長の今後の人事と併せ、世論の監視、バックアップが必要なのです。
 福島第一原発事故以前の原発訴訟で勝訴判決を出した2人の裁判長についてみると、これも『ニッポンの裁判』に記したとおり、1人が弁護士転身、もう1人は、定年まで6年余りを残して退官されています。ことに後者の退官は気になります。
 また、詳細にふれることは控えますが、国の政策に関わる重大事件で国側を負かした高裁裁判長が直後に自殺されたなどという事件も、僕自身、非常にショックを受けたので、よく覚えています。
 少なくとも、定年の65歳までもうそれほど長い任期は残っていない50代半ばくらいより上の裁判長でないと、広い意味での統治と支配の根幹に関わるような裁判について勇気ある判決が出しにくいということ、これだけは、厳然たる事実でしょうね。
 また、原発稼働を差し止めた裁判官には、東京ないしその周辺におおむね勤務し続けかつ最高裁でも勤務した経験のあるような裁判官がいないことも、事実です。
 ― まるで、アメリカの謀略映画を見ているような感じがして、こわいですねえ。
 
 ■芸術的ともいえる思想統制
 ― 私たちは、瀬木さんの一連の著作や文章が出るまでは、裁判官は「法の番人」としての誇りをもって、公正な審理を行っていると信じていました。
 でも、「法の支配」とは無縁の、上命下服、上意下達の見えざる過酷なシステムがあることを『絶望の裁判所』で知り、また、そこで行われている裁判のリアルな悲惨さを『ニッポンの裁判』や瀬木さんのその後の発言で知って、本当に驚愕しました。
 ジャーナリストの魚住昭さんが、『絶望の裁判所』について、「最高裁に投じられた爆弾。十年に一度の破壊力、衝撃」と評されたことを思い出します。それくらい、誰も、何も、知らなかったわけです。
 瀬木 きわめて巧妙かつ複雑なシステムですよ。すべてが、「見えざる手」によって絶妙にコントロールされている。ある意味、芸術的ともいえる思想統制です。まさに超絶技巧です(笑)。
 建前上は、すべての裁判官は、独立しているわけです。裁判官は、法と良心に照らして、みずからのよしと信じる判決を書くことができる。
 建前上はそうです。欧米先進国と同じ。
 ところが、特に、権力や統治、支配の根幹に関わる憲法訴訟、行政訴訟、刑事訴訟、そして原発訴訟(これは民事と行政の双方がある)のような裁判では、結局、ごく一部の良心的な裁判官がある意味覚悟の上で勇気ある判断を行うような場合を除けば、大多数は、「どこを切っても金太郎」の金太郎飴のような権力寄りの判決になる。
 独立しているはずの裁判官が、あたかも中枢神経系をもつ多細胞生物を構成する一個の細胞のように、一糸乱れぬ対応をとる。最高裁長官を頂点とする最高裁事務総局がその司令塔であることは今や公然の秘密ですが、外部からは、どこに中枢があって、どのような形で統制が行われているのかが、そのシステムの構造が、とてもみえにくい。
 しかも、多くの裁判官は、精神的「収容所」の囚人化してしまって、自分がそういう構造の中にいることすら見えなくなっている。
 実際には、退官した裁判官や、ヴェテラン裁判官の中には、「大筋瀬木さんの分析したとおりだ」と言っている人も多いと聞きますし、裁判所当局によって無効化され悪用されたところの大きい「司法制度改革」に協力してしまった弁護士(これには、左派の、弁護士・元裁判官弁護士の一部も含まれています)を除けば、弁護士も、少なくともそのハイレベル層は、そうではないかと思います。
 僕の分析についての反応は、学界もほぼ同様で、ことに民事訴訟法学界の長老たちの多くは「やはりそうだったのか」という感想です。法社会学者の多くも同様。また、東大で授業を受けたことのある民法学界の長老がわざわざ僕の講演会におみえになり、後から、専門誌に載せられた賛辞の文章をお送り下さったこともあります。
 もっとも、中堅若手の裁判官の中には、「我々はちゃんとした裁判をしているし、雰囲気も自由」と反発する人もいます。
 しかし、もし本当にそうなら、『ニッポンの裁判』で詳しく分析したような、およそほかの先進諸国には例のない惨憺たる裁判の現状は、どう説明するのでしょうか? あいつぐ裁判官の不祥事、ことに、2000年以降9件も起こっている目立った性的不祥事(実に裁判官300人に1人です)の数々は、どう説明するのでしょうか?
 弁護士数激増にもかかわらず民事事件新受件数は逆に減少し、ことに複雑な大きい事件が減っている傾向、そして、やはり2000年度以降の3回の大規模アンケートで民事訴訟利用者の満足度が2割前後とやはり惨憺たる低さであることは、どう説明するのでしょうか?
 2冊の新書で詳細に論じたこうした事柄についてのきちんとした反論がない限り、さっきのような反発に、およそ説得力はないと思います。
 
 ■知られざる裁判官「協議会」の実態
 ― ところで、『黒い巨塔』を読むと、裁判官協議会が、暗黙の、最高裁事務総局の方針、意向伝達機関として機能していることがよく理解でき、また、暗澹たる気持ちにもなりました。この裁判官協議会というものには、何か法的な裏付けがあるのでしょうか?
 瀬木 これは、最高裁が、建前上は、裁判官の自由な協議を行う場として、やってきたものです。
 本書の記述と重複しますが、裁判官協議会のあらましについて説明しましょう。協議会を主催するのは、最高裁事務総局です。協議会には、たとえば執行や破産等の特定の事件を対象とする小規模不定期のものと、全庁参加の大規模定期的なものがあります。後者の中で最も重要なのが、民事局の、全庁参加の協議会でしょうね。
 この協議会は、年一度、秋に開催され、全国から高裁裁判官、主として地裁裁判長クラスの判事が参加します。全国の裁判官たちに与える影響の大きい重要な会合です。この小説の中の原発訴訟協議会では、原発訴訟に民事と行政があるため、民事局と行政局の共催となっています。
 こうした協議会は、学者たちが行っている研究会とは全く性格が異なります。名称こそ「協議会」ですが、その実態は、基本的に、「上意下達、上命下服会議、事務総局の意向貫徹のためのてこ入れ会議」に近いものです。
 テーマは、民事局等の事件局が、最高裁長官や事務総長の意向に基づきつつ決定し、出席者は高裁長官や地家裁所長が決めます。出席者のうち東京の裁判官や事務総局と関係の深い裁判官に対しては、事前に一定の情報提供や根回しが行われることもあります。
 もっとも、協議問題は、事件局が決めたテーマに沿って、協議会に参加する全裁判所、つまり「各庁」が提出します。あくまでも、「建前」は、裁判官による自主的な意見が述べられる場なのです。しかし、これにも抜け穴があって、東京の出席者や事務総局と関係の深い出席者は、事件局の求める協議問題を「やらせ」で出題することがあります。事務総局の課長や局付が、内々にお願いして、提出してもらうのです。
 以上のとおり、実際には、最高裁事務総局主導の、その意向を伝える協議会という側面が強いのです。
 ― つまり、実際には露骨な上意下達のテコ入れ会議なのですが、あくまでも、建前上は、裁判官の自主的な協議の場と位置付けられているのですね。
 瀬木 そうです。参加する裁判官は皆、そのことは知っていますが、もちろん、誰も問題にしない。ふれてはいけないタブーですから。
 協議は粛々と行われます。司会は、東京高裁のヴェテラン裁判長が務めるのが慣例になっています。同種の問題をまとめた問題群ごとに、出題を行った裁判所の裁判官がまずみずから意見を述べ、その後、議長が、発言者を求めるというのが通例です。
 「協議会」でありながら、みずから積極的に発言する裁判官は多くないのが普通です。そうした発言者がいないことも多く、そのような場合には、議長が一人、二人の裁判官に意見を求めます。
 
 実は、重要なのは、議論ではなく、担当局が発表する「局見解」なんです。各問題群検討の最後には、民事局(この小説では、民事・行政局共催の協議会なので、行政局も)の課長たちが、すでに書面にまとめられている局議の結果を、「局見解」として述べます。この見解は、本来、当日の議論を踏まえたものであるべきですが、草案となる原稿はすでに出来上がっており、当日の議論については申し訳程度にふれるだけです。
 つまり、最高裁事務総局は、そもそも協議会参加裁判官たちの議論など最初から重視していないのです。事務総局関係者は「局見解」を述べるために出席し、裁判官たちの大多数も「局見解」を聞くために参加しているにすぎません。
 だから、多くの出席者は、各庁の意見は聞き流していても、局見解だけは必死でメモします。そこで鉛筆やシャープペンシルが一斉に動き始める様は、スターリン時代のソ連の会議もかくやと思わせる異様な光景です。一度見たら決して忘れられません。
 協議会終了後に、その結果を、関係局、事務総局が、いわゆる「執務資料」というものにまとめます。事務総局の執務資料は味も素っ気もない白い表紙のものと決まっているので、裁判官たちは、これを「白表紙(しらびょうし)」と呼んでいます。そこに掲載された「局見解」は、全国の裁判官たちに絶大な影響を与えます。
 実際、水害訴訟や原発訴訟など、協議会が開かれた訴訟類型の判決では、「白表紙」中の局見解と趣旨を同じくする判決があるのはもちろん、中には、表現までそっくりの「丸写し判決」まで存在しました。
 
 ■日本の裁判所は「権力補完機構」
 ― これはもう、「法の支配」とはおよそ無縁の、権力による統制システムそのものですね。「法の番人」の頂点にあるはずの最高裁判所の司法行政部門である最高裁事務総局のエリート裁判官たちが、「法の支配」を有名無実化する判決統制、思想統制の執行者になっている。これは、何というか、もう、ブラックジョークの極みですね。
 瀬木 そうですね。
 「法の支配」ではなく「人の支配」が行われているのが日本の裁判所なのだということは、本書でも、小説という枠組みをこわさない形で、明確に、詳細に描いています。
 これは、欧米先進国の人間にはおよそ理解できないシステムでしょう。世界的にみても、いわゆる先進諸国で、こうした説明不能な奇怪な司法システムをもっている、もち続けている国は、おそらく、ほかには存在しないと思います。
 韓国が、日本にならう形でよく似た制度を採っていましたが、民主化後、市民の批判が大変に強くなったため、アメリカ的な法曹一元、つまり、経験を積んだ弁護士等の在野法曹から裁判官を採用する制度に踏み切りました。
 また、たとえば北朝鮮、あるいはそれよりはベターであろう中国でも、近代的な意味での司法が本当に成立しているのかはかなり疑問ですが、しかし、ある意味、権力の中枢がどこにあるかは明瞭ですから、システムの問題は、わかりやすい。
 ところが、裁判所に限らず、日本の権力システムは、表と裏の二重構造になっている上、本当の中枢、意思決定機関がどこにあってどのように意思決定が行われているのかがよくわからないし、そもそも、何を守ろうとしているのかについてすら、よくわからない。
 おそらく、権力の内部にいる人間でさえ、多くは、正確に理解できていないのではないでしょうか。僕は、自分の見聞きした経験から、そう思います。
 その特色を別の言い方で述べれば、日本の裁判所は、本来あるべき「権力チェック機構」ではなく、「権力補完機構」だということです。
 このことは、実は、マスメディア、日弁連、あるいは東大等の官学的傾向の強い大学等をも含め、日本の組織には非常によくあることで、それが、裁判所では、「象徴的」な、かつ「表と裏では大変な落差がある」という形で、出ているのだと思います。
 ― 「日本の裁判所は権力補完機構に堕している」。日本の司法の実態をこれ以上端的に現している言葉はないような気がします。
 ところで、原発再稼働を推し進めたい勢力は、頻発する原発訴訟、そして、稼働中の原発の運転差止め判決、仮処分について大変苦慮しており、こうした現状を抜本的に解決する方策を検討している可能性もある。次回は、このお話を中心に、さらに詳しくうかがいたいと思います。(つづく)