【復興を問う 帰還困難の地】(19)
放射線量が帰還阻む 自宅解体後も望郷の念
福島民報 2020/08/15
避難生活を送っている三春町恵下越(えげのごし)の災害公営住宅(恵下越団地)から月一、二回、一時帰宅で家の様子を見に行った。帰るたびに室内はネズミに汚されていた。数年前にはガラス窓を突き破ったヤマドリの亡きがらがあった。誰も住まないと家は傷む。網戸は自然とぼろぼろになった。大切にしていた我が家が朽ち果てていくのをただ見るしかなかった。
昨年秋、特定復興再生拠点区域(復興拠点)の整備に伴い環境省が取り壊した。今では基礎さえ残っていない。
解体は妻カツさん(72)や家族と話し合って決めた。「思い入れはあったが、仕方がない。五十年は持つと考えて建てたんだけど」
足場を組む作業を見に行ったが、自宅を取り壊す様子は目にしないようにした。古里での暮らしが消し去られるようで、胸が苦しくなるからだ。解体の終わった現場を訪れた際、モミジの木を自ら加工した階段の足場を持ち帰った。今でも時折、見つめながら「普通の生活」を送っていた日々を思い返す。
野行行政区は三十四世帯。解体されずに残るのは復興拠点の外を含めて数軒程度とみられる。村は家屋を失った住民が滞在できるよう、復興拠点内にある野行集会所の隣接地に宿泊施設を整備する。既に、福島市にあった仮設住宅一棟を移した。間仕切りを施して四部屋にする予定だ。
野行集会所のすぐそばにあったカツさんの実家も、今は更地になった。「宿泊施設ができれば、俺が利用するよ」。古里で過ごしたいとの思いは強い。
政府は復興拠点について、二〇二二(令和四)年春頃までの解除を目指している。村内では飯舘村のように拠点内外の避難指示を一括解除する「特殊事例」を目指す動きはない。大槻さんは住民の帰還が進むかどうかは、住宅が残っているかどうかより、放射線量が問題になると考えている。
野行行政区を囲む豊かな森は、原発事故により放射性物質で汚された。環境省は復興拠点の除染を進めているが、拠点外や周辺の森林の除染に関する方針はいまだに示していない。
村によると、野行集会所の空間放射線量は二〇一四(平成二十六)年八月時点で毎時四マイクロシーベルト超だった。今年七月二日時点では毎時一・四マイクロシーベルトまで下がった。だが、大槻さんが森林の近くにあった自宅周辺を測定すると、現在も毎時二・五マイクロシーベルト程度の数値が出る。
「国は森林を含めた地域全体の除染をすべきだ。今のままでは暮らせない」。除染の行く末が見通せない現状にいらだつ。