2020年8月6日木曜日

<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(5)~(7)(東京新聞)

 東京新聞の連載記事<ふくしまの10年>(1)~(4)の続きです。
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<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(5)ありのまま 村長に報告
東京新聞 2020年8月1日
 二〇一一年三月二十九日午後四時すぎ、飯舘村一円の放射線量の測定を終えた京大原子炉実験所(現・複合原子力科学研究所)の今中哲二助教(69)=肩書は当時=らは、村役場近くの施設に向かった。菅野典雄村長に調査結果を報告するためだ。
 「村長、これは大変な汚染状況です。十五日夜の雨や雪と一緒に放射性物質が地上に沈着したことが、このデータから言えます
 測定値がびっしり書き込まれた地図を広げ、今中さんは汚染は村全体に広がり、とりわけ南部の汚染度が高いことを説明。「(旧ソ連の)チェルノブイリ原発事故での地域区分なら、全住民が移住するレベルを何倍も超える汚染だと確信を持って言えます」とも伝えた。
 聞き入っていた村長は「人為的に(放射線量を)下げていく方法とか、こういう点に注意すれば下げられるというのを教えていただきたい。わらをもつかむ思いだ」。村は農林畜産業が主な産業。生きている牛などを残し、住民がこの地を離れるのは容易ではない。何とか村に残る道にこだわった。
 今中さんは「起きていることを測定して記録、歴史に残すのが私の仕事」とし、避難や除染など行政が決める分野への言及は拒んだ
 村に残る方策を得たい村長はやや不満げな表情を見せたものの、「大変な状況だというのは分かりました。やれることをやっていきたい」。やりとりは終わった。


<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(6)水や原乳が…集団で避難
東京新聞 2020年8月4日
 二〇一一年三月十五日からの雨や雪で、飯舘村全体に放射能汚染が広がった簡易水道の水や、重要な産物である原乳から基準値(当時の暫定基準は三〇〇ベクレル/キログラム)を大幅に上回る放射性ヨウ素が検出されるなど、一週間もしないうちに実害が出てきた
 村は水道水だけでなく、井戸水や沢水も含め飲まないよう呼び掛けるとともに、職員が各戸にペットボトル入りの水を一人当たり十リットル配達するなど対応に追われた。
 首都圏などに自家用車で避難する村民もいた。移動手段はないが避難したい村民もおり、村は国の避難指示に基づかない「集団自主避難」を計画。四月*十九、二十両日、村外から受け入れた避難者も含め計五百九人を、自衛隊のバスと村のスクールバスで栃木県鹿沼市の鹿沼総合体育館に避難させた  (*事務局追記
 緊張が高まる中、県は二十二、二十三両日に村民千三百三十人に表面汚染検査を実施し、全員「異常なし」と判定された。
 さらに二十九、三十両日には、十五歳未満の子どもを対象とした簡易の甲状腺検査も実施された。頭や手などの表面汚染をチェックした後、役場内で最も放射線量が低い議場内で、のど付近にセンサーを当てて値の変化をみる。
 現場を取材した写真家の豊田直巳さん(64)は「子どもたちはマスクをし、整然と並んでいた。受診した約六百人は異常なしとされたが、あんな検査で本当に分かるのか、が正直な感想だ」と話した


<ふくしまの10年・雪が落とした災い>(7)育てた野菜を自ら処分
東京新聞 2020年8月5日
 二〇一一年三月三十日、飯舘村内を撮影して回っていた写真家の豊田直巳さん(64)はビニールハウスで作業をする男性を見つけ、近づいた。
 「ハウス内だから安全だとは思うんだけどな」
 男性は、行者ニンニクや葉ワサビなどを育てる専業農家の菅野隆幸さん(76)。こう言うと、草刈り機のエンジンをかけ、立派に育ったコマツナを刈り始めた。収穫のためではなく、廃棄するためだ。
 村には、福島県から露地野菜や原乳の出荷自粛要請のほか、田植えや種まきの延期を求める通知が出ていた。
 菅野さんは、事態の推移を見守っていたが、コマツナは出荷するには伸びすぎ、既に箱詰めされた約四十箱とともに廃棄を決めた。
 三棟のハウスで作業を終えた菅野さんは「何と言っていいんだか、本当に…。考えようもないことだな」とうつむいた。作付け規模をもっと大きくしようとしていた行者ニンニクなどの畑も高濃度に汚染された。うちひしがれた。

 菅野さんは既に三人の孫らは避難させていたが、自分と妻の益枝さん(73)は、地区の班長をしていたこともあって村内に残った。六月に福島市に避難するまでの間、農家としてやった仕事は、ハウスを取り壊すことだった。
 こうしたつらい状況は野菜農家だけではなかった。酪農家も、乳牛が病気にならないよう乳搾りは続けなければならない。搾っては捨て、搾っては捨てる日々を強いられていた