19日、千葉県に避難した住民らが起こした損害賠償訴訟の控訴審判決で、東京高裁は「津波対策の措置を講じるべきだった」として事故の責任は国にもあったと認めました。
毎日新聞が、家族5人で南相馬市から千葉県八街市に避難した斎藤さん一家のこの10年間の状況を報じました。
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「避難者に希望の光」 原発事故、国に責任 他訴訟へ影響期待
毎日新聞 2021年2月20日
東京電力福島第1原発事故で福島県から千葉県に避難した住民らが起こした損害賠償訴訟の控訴審判決で、「津波対策の措置を講じるべきだった」として事故の責任は国にもあったと認めた19日の東京高裁判決。「逆転勝訴」を勝ち取った住民側は「原発避難者の心に希望の光をともしてくれた」と喜び、全国で起きている同種訴訟への波及を期待した。
午後3時過ぎ、東京・霞が関の東京高裁前。判決主文を聞いた弁護士が「国の責任を認める」と書かれた紙を掲げると、法廷に入れなかった支援者らから拍手が湧き起こった。
裁判所に足を運べなかった原告の斎藤美智子さん(60)はこの日、職場でインターネットを通じて吉報に触れた。「原発の安全対策を見つめ直すきっかけになる。諦めずに訴訟を続けてきて良かった」と胸をなで下ろした。
福島県南相馬市で生まれた斎藤さんは、2011年3月11日の東日本大震災の津波で父と母、祖母の3人を亡くし、原発事故に巻き込まれた。
事故後、家族5人で千葉県八街市に避難し、震災前に約16年間、夫婦で営んでいた金属加工会社を八街市で再開した。だが、得意先が見つからず、経営は軌道に乗らなかった。知人を頼って16年に宮城県名取市に移住し、南相馬市の自宅跡地に事務所を開設。車で1時間かけて通っている。
会社の売り上げは最大で7割減った。新しい土地になじめなかった長女(25)は精神的なショックを受け、今も回復していない。「国と東電に、私たちが感じてきた痛みをわかってもらいたい」。斎藤さんは夫の勝美さん(63)とともに原告に加わり、訴訟の推移を見守ってきた。
高裁判決は、斎藤さんの思いに応える結果となった。「国が対策を取っていれば事故は起きなかった。判決を受け止め、二度と同じような事故を起こさない対策をとってほしい」と語気を強める。
原発事故を巡る同種訴訟は全国で審理が続く。判決後に東京都内で記者会見した原告弁護団事務局長の滝沢信弁護士は「東京高裁が良識を持った裁判所であることを示した。裁判長に敬意を表したい」と強調。「各地で闘っている訴訟の方向性を、明確に、説得力のある形で示してくれた。他の訴訟に大いに影響する」と期待を込めた。【秋丸生帆、巽賢司】