2019年4月30日火曜日

30- 三重県・芦浜原発の白紙撤回 を振り返る

 平成122000)当時の北川正恭・三重県知事県議会で、「同意と協力が得られている状態とは言い難い」と述べ、中電が南伊勢町に計画した芦浜原発の受け入れについて白紙撤回を表明しました
 
 芦浜原発の計画は1963(昭和38に浮上し、県は1984(昭和59年に原発関連の予算を計上し、県議会も翌年立地調査の推進を決議しました。
 しかし計画を巡っては、反対派が多くを占める南島町と立地推進を決議した紀勢町が対立し、それが激化する中で県は平成9(1997)両町と中電に立地活動を停止する「冷却期間」の設置を要請しました。そして冷却期間明けに知事は白紙撤回を表明し、中電は計画を断念しました。
 
 伊勢新聞が、特集「みえ(三重県)の平成史」の中で取り上げました。
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<みえの平成史> 芦浜原発の白紙撤回 推進、反対で地域分断
伊勢新聞 2019年4月28日
平成12年2月22日の三重県議会本会議。当時の北川正恭知事は、中部電力が計画した芦浜原子力発電所について「同意と協力が得られている状態とは言い難い」と述べ、白紙撤回を表明した。
 
計画は昭和38年、南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる熊野灘沿岸を候補地として浮上した。県は59年に原発関連の予算を計上。県議会も翌年、立地調査の推進を決議した。
計画を巡っては、反対派が多くを占める南島町と立地推進を決議した紀勢町による対立が続いた。推進を決議した県議会では傍聴席から怒号が飛び交い、議長が退席を命じる事態も起きた。
混乱を目の当たりにした県は平成9年、県議会の請願を受けて両町と中電に立地活動を停止する「冷却期間」の設置を要請。北川知事は冷却期間を経て白紙撤回を表明し、中電は表明後に計画を断念した
 
ただ、かつては県も宴席で反対派を説得するなど推進の立場で活動した。北川知事は白紙撤回の表明で「対立が続く中で地元住民は長年にわたって苦しんだ。県にも責任の一端がある」と認めた
 
芦浜原発が計画された土地は、現在も中電が所有している。南伊勢町は25年4月、土地を町に寄付するよう中電に求めたが、中電は「活用方法は検討しており、手放す考えはない」と回答した。
寄付を求めた背景の一つが、東日本大震災の福島第一原発事故。町では震災以降、土地の寄付を求める声が相次いでいた。寄付を受けることで、原発問題を完全に終わりにしようとの考えだったという。
 
白紙撤回から20年が過ぎようとする中で、懸念されるのは歴史の風化。元高校教諭で伊勢市の柴原洋一さん(65)は反対運動の経験を講演で伝え、半年ほど前まで地域誌に連載も寄稿していた。
柴原さんは教諭時代に「講演の内容が一方的だ」として訓告を受けた当時の資料を3年前に請求したが、県教委は「存在しない」と返答。北川知事が住民に意見を聞いた詳細な記録も「不存在」だった。
「若い人たちの多くは、全国で50基もある原発が紀伊半島にない理由を知らない」と柴原さん。「住民が原発の計画を止めた歴史を誇りに思っている。この事実を語り継ぐ活動を続けたい」と話す。
 
一方、取材では「思い出したくない」との声も聞かれた。推進派だった住民の男性は、地域が推進派と反対派に分断された経緯から「芦浜と聞いてよみがえるのは分断。今は地域を一つにしたい」と語った。