2021年4月11日日曜日

トリチウム汚染水放出 菅自民党政権の欺瞞と狂気

 菅首相が、政府は13日にリチウム汚染水を海洋放出する方向の決定を行うとして、それが「政治の責任」であると意味不明の発言をしました。一体その何が政治の責任なのか全く納得できません。政治評論家の森田実氏は「政治の責任どころか、責任の放棄ですよ。どうせ最初から海洋放出を“原子力ムラ”と一緒に決めていたのでしょう」と述べました

 日本の政府は、福島原発事故が起きるとそれまで年間被曝許容量を1ミリシーベルトとしていたものをいきなり20ミリシーベルトに上げ、今もそれを維持しています。
 従来はキロ当たり100ベクレルのものを放射性物質として容器に入れて厳重保管するとしていたのに、その基準をいきなり8000ベクレルに上げ、逆に食料の安全基準の上限を100ベクレルに決めました。驚くべき場当たり政策です。

 ところでトリチウムの危険性についてですが、トリチウムは物性的に水と同じなので体内に取り込まれてDNAを破壊します。その理屈は簡単に言うと、DNAの二重らせん構造同士は水素の結合力でつながっていますが、その水素の一部がまずトリチウムに置換されるとやがてヘリウムに変わるので、結合力を失いバラバラになります。
    ⇒(19.10.8)西尾正道医師がトリチウムの“海洋放出”は絶対に不可と
 1974日本放射線影響学会で「トリチウムは極めて低い濃度でも染色体に異常を起こす」と発表され日本原子力研究開発機構が作成したネット上の原子力百科事典ATOMICAでもトリチウムの危険性を指摘しています。
 ところが福島原発事故が起きトリチウム汚染水の海洋放出が現実化すると、こんどはトリチウムは殆ど無害という説が流布されるようになりました。これは原発事故が起きると同時に被曝許容量が大幅にアップした事実と共通しています。

 そもそもトリチウム汚染水は現在の保有量125万トンで収まるものではなく、1日140トン(年間約5万トン)が100年~200年以上先に廃炉が完了するまで延々と発生し続けます。太平洋側には北に向かう黒潮だけでなく南に向かう親潮もあり決して一様ではないので、太平洋岸は半永久的にリチウムで汚染され続けることになります。
 そうなれば日本の近海漁業は壊滅することになります。
 日刊ゲンダイが政府の姿勢を厳しく批判する記事を出しました。
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<ポンコツは「それが政治の責任」と陶酔> 汚染水放出 菅自民党政権の欺瞞と狂気
                         日刊ゲンダイ 2021年4月9日
                        (記事集約サイト「阿修羅」より転載)
 最悪のやり方だ。いくらなんでも酷すぎる。
 どのように処理するのか問題となっていた福島第1原発の敷地内に保管されている「汚染水」について、菅政権は福島県の海に捨てることを決めてしまった
 7日、全漁連の岸宏会長と面談した菅首相は、「海洋放出に向け政府の方針を決定したい」と伝え、会談後、記者団に「福島復興について汚染水の処分は避けて通れない課題だ」とコメントした。来週13日にも関係閣僚会議を開き、海洋放出を決める予定だ。
 現在、福島第1原発の敷地内には、放射性物質トリチウムを含んだ「汚染水」が、125万トンも保管されている。タンク1000基分だ。「汚染水」は毎日、140トン発生し、東電によると、このペースだと2022年秋にはタンクの容量を超えるという。タンクを増やそうにも敷地内には空きスペースもない。海洋放出する場合、手続きや設備工事に2年ほどかかるため、急いで決定する必要があるという。
 しかし、これはどうみても被災地の切り捨てではないか。
 福島の漁業は、3・11から10年かけてやっと明るい兆しが見えてきたところだ。原発事故後、水揚げ量を制限する試験操業がつづいていたが、今年3月に終わり、本格操業への移行がはじまったばかり。津波で破壊された福島県浪江町の「請戸漁港」も2020年4月、9年ぶりに競りが再開され、最近は「常磐もの」として評価の高いヒラメなどは値が戻りつつあった。
 でも、福島の海に「汚染水」を捨てたら、風評被害が広がり、福島の漁業は壊滅してしまうだろう。
 10年間、歯を食いしばり、我慢を重ねてきた漁業関係者の苦労は、すべて水の泡である。
「汚染水の海洋放出が決まったら、もう福島の漁業は成り立たないでしょう。しかも、海洋放出は、福島原発の廃炉まで50年、100年とつづく可能性が高い。福島の海を殺すのも同然です。多くの漁業関係者は心が折れ、廃業してしまうのではないか。どこが東北の復興なのでしょうか」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
 菅政権は「東北の復興」を最優先に掲げていたはずだ。東京五輪は“復興五輪”だったのではないか。どうして「汚染水」を福島の海に捨てるのか。

「放出ありき」で代替案を無視
 政府は汚染水の海洋放出について、「人体への影響はほとんどない」「放出するのは国の基準を下回った水だ」などと、「安全」を喧伝しているが、大嘘だ。トリチウムが危険な放射性物質なのは間違いない。
 実際、1974年に開催された日本放射線影響学会では、「トリチウムは極めて低い濃度でも染色体に異常を起こす」と発表されている。
 原発推進派の「日本原子力研究開発機構」が作成したネット上の原子力百科事典「ATOMICA」さえ、トリチウムの危険性を指摘している。
 原子力大国の米国も、トリチウムの危険性をしっかり認識している。飲料水1リットルに含まれるトリチウム濃度の基準について、WHO(世界保健機関)は1万ベクレル以下としているが、米国は740ベクレル以下。世界基準と言えるWHOの13倍も厳しく規制しているのだ。
 これほど危険な「汚染水」を一度、海に放出してしまえば、取り返しがつかない。別の処理方法を模索すべきだ。
 日本テレビの統括プロデューサーだった加藤就一氏の著書「ごめんなさい、ずっと嘘をついてきました。」(書肆侃侃房)によると、1979年に米国で起きたスリーマイル島原発事故の際、電力会社は約9000トンもの汚染水を「蒸発」させたという。日本でも可能なのではないか。
 それに、東電はタンクを設置するスペースがないと訴えているが、原発周辺の中間貯蔵施設にタンクを移す「代替案」だってあるはずだ。ジャーナリストの横田一氏がこう言う。 
代替案がいくつか示されているのに、政府はとにかく海洋放出ありき。他の方策を丁寧に検討すべきですが、そんな様子は全く見えてきません
 サッサと海に流すなど、あまりに乱暴だ。

原子力ムラの大宣伝に加担する大メディア
 菅政権だって、原子力ムラだって、トリチウムの含まれた汚染水を海に捨てたらどうなるか、百も承知のはずだ。なのに嘘を並べて強行しようとしているのだから度し難い。
 特にヒドイのは、政府の主張を垂れ流している大新聞テレビだ。
 菅首相が全漁連会長に海洋放出を伝えた翌日の報道は、「一定レベルまで汚染度を下げれば、健康上の問題が生じない」「トリチウムは雨水や人体などに存在し、臓器にも濃縮されない」「海洋放出も韓国やフランスなど各国で行われている」などと、政府の喧伝に加担するような内容のオンパレード
 しかも、「汚染水」ではなく「処理水」という表記がほとんどだった。いつ「汚染水」は「処理水」になったのか。もし、本気で「健康上の問題が生じない」と信じているなら、ぜひ、“処理水”を毎日ガブ飲みしてもらいたいものだ。
「原子力ムラは、原発事故後に安全基準を変えたり、ベクレルやシーベルトなど複数の単位を用いて数字の見せ方を変えるなど、国民の目をくらますあらゆる手を講じている。目的は、原発の早期再稼働です。本来厳しく追及すべき大手メディアも、菅政権の方針や原子力ムラの意向に沿った専門家の意見ばかりを報じている野党や反対意見を持つ専門家の見解を報じないのは、バランスを欠いています。国民の方を向いているとは思えませんし、これでは原子力ムラとグルと見られても仕方ありません」(横田一氏=前出)
 国際放射線防護委員会(ICRP)は勧告で、一般人の被曝上限を平常時は年間1ミリシーベルトとしているが、日本では原発事故後、年間20ミリシーベルトまで緩和した。基準を変えて国民を騙してきた政権に「トリチウムは安全」なんて言われても誰も信じない

これこそ責任の放棄だ
 ところが、「汚染水」の海洋放出を決定した菅は、「責任をもって決断するのがこの政権だ」と陶酔しているというのだから、完全にトチ狂っている。どうして「汚染水」で福島の海を殺すことが政治の責任なのか。
“政治の責任”の意味をわかっていないのではないか。国民の生命と財産を守ることが、政治の最大の責任である。いま一番大事な“コロナ対策”が失敗つづきなのに、よくも“政治の責任”などと胸を張れたものだ。
 しかも、国民の多くがコロナ禍に襲われ、自分のことで精いっぱいのこのタイミングなら、海洋放出を決定しても騒がれないというチンケな計算も垣間見える。
 政治評論家の森田実氏はこう言う。
菅首相の決定は、政治の責任どころか、責任の放棄ですよ。最高責任者に必要なことは、難しい問題を解決しようと呻吟することです。ところが菅首相は、汚染水の海洋放出という一番安易な方法を選択している。どうせ最初から海洋放出を“原子力ムラ”と一緒に決めていたのでしょう。しかし、汚染水の海洋放出を決定したら、自民党は選挙で有権者から鉄槌を下されますよ。日本の有権者はおとなしいですが、臨界点を超えると声をあげるのが特徴です。復興五輪を掲げ、聖火リレーを福島からスタートさせながら、平気で汚染水を福島の海に捨てようとしている。いくらなんでも欺瞞がすぎます」
 この政権は、いったい誰のために政治をしているのか。