2019年3月4日月曜日

<原発のない国へ 事故8年の福島>(4)遠い本格操業 流通に課題

 東京新聞のシリーズ<原発のない国へ 事故8年の福島>の(4)で、漁業の現状をレポートしています。
 かつて福島沖のカレイやヒラメは「常磐もの」として人気でした。いまは試験操業に限定されているのでの量は増えましたが、県外の市場では、産地が福島沖というだけで底値となる状況が続いています。
 県内の漁船は事故前の3分の2の720隻に減り、水産業者は移転や廃業で3分の1に減りました。本格操業の再開はまだ見通せません。
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<原発のない国へ 事故8年の福島>(4)遠い本格操業 流通に課題
東京新聞 2019年3月3日
 漁を終えた船が、続々と港に帰ってきた。午前七時、福島県南相馬市の真野川漁港にエンジン音が響き、全長二十メートルの漁船「第十八海寿丸」が岸に着いた。
 漁師の佐藤重男さん(70)が船の水槽から体長四〇~五〇センチのヒラメやカレイを玉網いっぱいに入れ、岸で箱を用意して待っていた長男の重春さん(41)に渡す。「海に出れば、いくらでも捕れっぞ。試験操業だけであんまり漁に出てねえから、魚がとにかく増えたんだあ」。目出し帽からのぞく佐藤さんの目尻が下がる。
 
 震災前は、東京電力福島第一原発から六キロ南の富岡漁港が拠点だった。大津波は「黒いでっかい壁だった」。高台に逃げて助かったが、船は壊れ、震災後に再建した。富岡町北部、小良ケ浜(おらがはま)の自宅は放射線量が高く、帰還困難区域のまま。避難で県内外を転々とし、南部の広野町に移った。
 漁港まで高速道路を使って車で片道一時間。他の漁師も状況は似たり寄ったりと、佐藤さんは顔をしかめる。「船と車を使うから、漁に出るたんびに燃料代がかかる。魚は捕っても売れねえしなあ。とにかく活気がねえよ」
 
 福島沖は黒潮と親潮がぶつかる豊かな漁場として知られ、カレイやヒラメは「常磐(じょうばん)もの」として人気だった。しかし、原発事故で一変。県内の十漁港はほぼ復旧したが、漁船は七百二十四隻と、震災前よりも四百隻以上減った。試験操業で漁に出る日と出荷できる魚種が制限されている。
 
 津波で被災して四年前に再建した小名浜魚市場(いわき市)。午前十一時、ヒラメやヤリイカなどの競りが始まると、仲買人ら二十人が値札を入れた。フロアは清潔だが、千二百平方メートルの広さの半分ほどしか魚が並ばず、がらんとしている。漁協指導部の中野聡さん(43)は「震災前はずらっと並ぶほどだった。人もあふれるぐらいでしたよ」。
 県外の市場では、産地が福島沖というだけで底値となる状況が続く。放射性物質の検査で安全性を確認しながらの出荷だが、「放射能汚染」というイメージが離れない。福島第一原発で汚染水の浄化処理でも取り切れない放射性物質トリチウムを含む水の海洋放出が有力視され、追い打ちをかけようとしている
 
 流通の担い手も減ってしまった。県内の水産業者は移転や廃業で震災前の三分の一に。「水揚げを増やしても、売れなければ値崩れする。売ることの支援に手が回らなかった八年のツケですかね」と中野さん。本格操業の再開はまだ見通せない。(小川慎一)
 
◆水揚げ量 震災前の15%
 東京電力福島第一原発事故で休止に追い込まれた福島沖の沿岸漁業は2012年6月、海域と魚種を限定した試験操業として再開した。17年3月には原発10キロ圏を除く全海域で可能となり、約200種が出荷できるようになったが、操業はまだ週4日に限っている。水揚げ量は年々増えているものの、18年は4010トンと震災前の15%だった。
 
 魚介類に含まれる放射性物質の濃度は、11年度は3割強で食品基準(1キロ当たり100ベクレル)を上回ったが、14年3月以降は基準超えは1件のみ。クロダイやカサゴなど8種類の出荷制限が続く。県漁業協同組合連合会はより厳しい基準(1キロ当たり50ベクレル)を設定して気を配っている。