「放射能が怖くてヤクザがやってられっかっての!」 1Fの水素爆発に直面したヤクザが取った行動とは
「ヤクザと原発 福島第一潜入記」鈴木 智彦
文春オンライン 2020年10月11日
30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が起こった——。鈴木氏が福島第一原発(1F)に潜入したレポート、『 ヤクザと原発 福島第一潜入記 』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の1回目)
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ヤクザと一緒に被災地支援
2011年3月12日、東京電力福島第一原子力発電所(1F)の1号機が水素爆発を起こした瞬間……私は水と食料と往復分の軽油を詰め込んだトラックの助手席に座っていた。4トン車4台編成で、私以外のメンツは運転手を含めすべて現役暴力団だ。郡山を過ぎ福島市に入る直前で、AMラジオから爆発を伝えるニュースが流れてきた。
「おい、やばいんじゃねぇの?」
「ええ、やばいんでしょうね」
門外漢が額をつきあわせたところで、風邪用のマスクをする程度の知恵しか浮かばない。
先頭の幌車が止まり、後続もそれにならう。私が乗ったトラックは最後尾に停車した。
30代から40代の若手組長が中心で、20代の組員も4人いた。おのおのがタバコに火を付け、作戦会議が始まる。矢継ぎ早に吸っては消し、次々と吸い殻が地面にポイ捨てされていった。焦燥感に駆られた暴力団を刺激しないようゆっくり拾い、携帯タイプの灰皿にいれるが、すぐにパンパンになった。
「とにかく急ごう。デコスケ(警察官)がごちゃごちゃ言ってきたら面倒になる」
「ニュース観ただろ。街が丸ごと津波にのみ込まれたんだ。ヤクザも堅気も関係ねぇ。それに俺たち、なにもパクられるようなことしてねぇし」
東日本大震災で、物資の支援を行ったのは、同行取材した関東の暴力団だけではない。住吉会や稲川会など、東北に多くの傘下団体を持つ組織はもちろん、山口組をはじめ、ほぼすべての団体がなんらかの救援活動を行っていた。義援金の領収書は匿名でもらう。世間に喧伝すれば売名行為だと叩かれるが、なにか証(あかし)が欲しいのだろう。
「『伊達直人』で頼むよって言ったんだけど、それは出来ないっていうからさ。仕方なく匿名にした」(福島県南相馬市に物資を運んだ広域組織幹部)
普段、縁のない感謝状を誇らしげにみせてくれた暴力団幹部は、私が知っているだけで20人以上いる。沖縄のある総長は日持ちのする地元の名産品を大量に送った。カップ麵等ならともかく、こうした食料が被災者に届いたかどうかは分からない。
一団のリーダーだった首都圏近郊の広域組織2次団体若頭は自らハンドルを握り、ひたすら走り続けることを選択した。
3号機の原子炉建屋が黒煙を上げ爆発
被災地に入り、惨劇を目のあたりにすると原発事故のことはすっかり頭から消えた。目的地の宮城県では、支援物資の窓口となったNPO法人は、山口組支援部隊の受付もしており、暴力団耐性があって、冷静な指示を出された。それに従い、組員総出で物資を下ろす。冷え切った東北の夜でも汗が止めどなく流れ、上着で刺青を隠していた組員たちも最後にはTシャツ姿になった。
〈住民たちが引くかもしれない……〉
一瞬そう考えたが、住民をはじめ誰も気にしている様子はない。最初は遠巻きにこちらを見ていた警察官も顔を伏せ、パトカーはすぐに去った。肉体労働の他、住民からリクエストを訊き、メモするのは私の役目だった。当時はなにもかもが足りなかった。
13日の深夜、東京にとんぼ返りした暴力団たちは、「交代で仮眠を取りながら今度は岩手県に向かう」と威勢がよかった。いまや反社会勢力と呼ばれ、存在を全否定されている暴力団は、一般人から慣れない感謝の言葉を大量に浴びせられ高揚していた。
「あんた……どうする?」
同行したいのは山々だが、翌日、2月に発売された『潜入ルポ ヤクザの修羅場』の著者インタビューがあるので断った。14日、取材の直前、自宅でテレビを観ていると、3号機の原子炉建屋が黒煙を上げ爆発した。喫茶店で暴力団の四方山(よもやま)話をしていても、衝撃的な映像が頭から消えない。取材が終わった後、先日のトラック部隊に電話した。
「また爆発だろ? 知ってる。気をつけろって? ああ、マスクは持ってっけど、そんなもんでいいのかよ? もういい。切るぞ。放射能が怖くてヤクザがやってられっかっての!」
若頭はハイテンションでまくし立て、一方的に電話を切った。もちろん暴力団のすべてが勇ましかったわけではない。同じ組織の若手組長は家族を引き連れ、九州に避難していた。支援活動を行った場合でも、多くは堅気の知人を派遣し、自ら被災地に乗り込んだ暴力団はごくわずかだ。自宅に戻るとタイミングよく知り合いの社会部記者から電話があった。
「ヤクザのボランティア活動って本当なの?」
「写真撮ってきたけど、使えないと思うよ。お宅の会社でそんな報道できっこねぇじゃん」
「そうだけど……あとで写真送ってくんない?」
「まずいって。許可もらわないと渡せない」
「絶対勝手に使わないから。約束するから」
新聞やテレビ局には、時折暴力団オタクのような記者がいる。彼はその筆頭だ。信用はしているが、暴力団は内部で足の引っ張り合いをしているケースが多い。迂闊(うかつ)に写真を渡し、それが報道されれば、当事者が処分される可能性もある。
福島で働く人間を探している
電話は鳴り続けた。暴力団か記者かそのどちらかで、うたた寝すら出来ない。
〈阪神・淡路大震災と同じく、どうせステレオタイプの記事しか書けねぇじゃん〉
居間の食卓にラップトップ・パソコンを持ち込み、テレビの原発事故報道にかじり付きながら、必死に暴力団専門誌の原稿を書いた。原発のことが気になって、暴力団のことなど考えたくなかった。
このときはまだ、自分が1Fに潜入することになろうとは、夢にも思っていなかった。
原発取材のきっかけは、「震災直後、T建設が1Fに大量のダンプを送っているらしい。怪しい」という暴力団からのたれ込みだった。2010年末、ある仕手筋がT建設の株価誘導を行っており、暴力団社会の住民にとって、T建設は注目の的だったのだ。
「ちょっと調べてくんねぇかな?」
指定暴力団幹部からの依頼は、恐喝のネタ探しを手伝えという意味である。曖昧に返事をして電話を切った。断れば角が立つ。かといって引き受けることもできない。
4月15日、いわき市に向かったのは、地元近くに住む友人宅へ差し入れをするためだ。
〈そういえばT建設って言ってたっけ……〉
たれ込み通り、通行止めになっている“いわき四倉(よつくら)インター”から先、1Fのすぐ近くまで通じている高速道路を、たくさんのT建設のダンプが走っていた。どこから土砂を積み、どこに降ろしたのか分からない。もちろん、調べる気もない。
当時は毎日、10本近い電話が暴力団からあった。そのすべてが「福島で働く人間を探している」というものだ。日雇い労働者の供給地として有名な寄せ場・ドヤ街の代表格は、東京の山谷(さんや)、大阪のあいりん地区である。地理的条件を考えれば福島に近いのは山谷だが、暴力団系のアングラな求人を探すなら、突出した規模を持ち、まるで治外法権のスラム街ともいうべき後者の方がてっとり早い。迷わず大阪に向かった。放射能パニックの東京都とはうってかわって、大阪の街は普段通りの賑わいだった。
4月20日までの1週間は、大阪の西成(にしなり)区のあいりん地区に出向いて原発作業員の募集を探していた。共同通信がスクープしたネタはすでにこの時からあった。
「東日本大震災後、宮城県で運転手として働く条件の求人に応募した男性労働者から『福島第1原発で働かされた。話が違う』と財団法人『西成労働福祉センター』に相談が寄せられていたことが(中略)分かった。(中略)労働者らを支援するNPO法人釜ケ崎支援機構は『初めから原発と言ったら来ないので、うそをついて連れて行ったともとられかねない。満足な保障もない労働者を使い捨てるようなまねはしないでほしい』と話した。あいりん地区は日雇い労働者が仕事を求めて集まる『寄せ場』としては国内最大とされる。同センターは大阪府が官民一体で労働者の職業の確保などを行う団体」(2011年5月8日)
日当50万円と豪語
5日間ほどあちこち回っても、噂話以上の証言は見つからなかった。ゴールデンウイーク後半、ようやく共同通信がスクープできたのは、作業を終えた労働者が大阪に戻り、社民党系のNPOを通じて相談したためである。
確かに募集要項には宮城県女川町(おながわちょう)での作業と書いてあった。勤務地を偽ったのだから違法行為に違いない。が、その後、当人は現地で賃上げ交渉を行い、1万2000円の日当は2倍になった。とりあえず納得したと解釈すれば、極端に悪質な違法行為には当たらない。厚労省がガタガタ騒いでいるのはマスコミの目を逸(そ)らすためだろう。本来、問題にすべきは4日目になってようやく線量計を渡されたことなのだ。
ただ、当事者がノートの切れ端にメモした測定値を見る限り、そう問題のある数値ではないという。共同通信がその後配信したニュース(5月13日)には当事者の談話が載っている。
「精神的ストレスで心臓がパクパクする感じがした。長生きなどいろんなことを諦めた」
精神的ストレスには個人差があるのでなんとも言い難い。
一泊2400円の定宿に荷物を置き、通称「センター」と呼ばれる『あいりん労働公共職業安定所』に向かった。目的は事故を起こした1Fでの求人票を確認すること、センターの前で労働者を集める手配師に直接取材するためである。求人票はあっけなく見つかった。手配師は20人に直撃してすべて取材拒否だった。
なぜ手配師にコンタクトを取ろうとしたのか?
日雇い労働者を集める手配師の多くはヤミ業者で、バックには暴力団が寄生している。募集会社の登記簿をあげたところで無意味だ。福岡県から始まった暴力団排除運動のおかげで、警察さえフロント企業の実態を摑めない。役員として登記簿に名前を載せている間抜けな暴力団員などいない。
これまでのパイプを駆使してあちこち取材した。暴力団の多くが作業員確保に乗り出している事実は確認できたが、やはり手配師の談話はとれなかった。
「そんな取材は無駄や。他のヤクザがなんのシノギをしとるんか知らんし、こっちも教えんのやで。よしんばその噂が本当だったとしようや。だからなんや、いう話やないか。国が作業員をよう集めへんのやろ。わしらがやってなにが悪い」
とある山口組系幹部はそう胸を張り、彼の募集していた作業員の待遇を教えてくれた。日当8万円。作業は電柱の除去、および設置だという。もしこの幹部を通して作業に従事した場合、一日あたり5000円がこの幹部の取り分になる。10人紹介し、それぞれが10日働けば、それだけで50万円の儲けだ。きわめて暴力団らしいシノギと言っていい。
住民票さえあれば特別なスキルはいらん
大阪で取材している間、ほぼすべての指定暴力団が作業員を集めていることが分かった。北海道から沖縄まで、そのどれも日当がべらぼうに高い。5万円から20万円が相場で、なかには日当50万円を保証すると豪語した組幹部もいる。組織を追われた破門者がブローカーになっているケースもあった。これは日当が7万円。いずれも一般的な日雇い労働ではあり得ないほど高額だ。
水素爆発直後、高額な日当が出たらしいことは分かっていた。が、この段階で確証はなく、専門的なスキルを持ったプロが対象だろうと予想した。にもかかわらず、取材した暴力団員たちは、「誰でもええ」と断言した。
「条件は40歳以上、で、65歳以下の男。ただ住民票がないヤツはあかん。それさえあれば特別なスキルはいらん。いまなら第一陣に間に合うで。第一陣は4月26日出発や」
確認のため信用のおける暴力団を3カ所選び、それぞれの指示に従って応募した。話の真偽を調べるには、実際に現場に出るのが手っ取り早い。
「万が一があっても、国が保険をかけてくれるから心配いらん。わしが間に入る以上、写真が撮れるようしたるわ」(独立組織幹部)
しかし5月の半ばを過ぎても、いっこうに招集の電話がない。暴力団が人集めをしていることは間違いないが、本当に暴力団ルートで集められた人間が1Fで作業しているかどうかは疑わしい。考えてみれば、暴力団の話は怪しかった。たとえば、日当はすべての作業を終えたあと事務所を通じての精算だと言われた。その時点で「そんな額は払えない」と居直られたらおしまいだ。
あとで分かったことだが、東電は1Fの事故対応に追われ、協力企業への危険手当の額を出していなかった。そのため日立や東芝といったプラントメーカーも、その2次請けや孫請けも、4月の締めは通常の金額で決算している。あくまで推測だが、高額の日当を撒き餌にしている暴力団は補償金目当てではないのか。後日、作業員が健康を害したとか、精神的苦痛を味わったと言い立て東電を強請(ゆす)る。これが成功するなら高額の日当を払ってもペイできる。
それに原発の敷地内に立ち入るには放管手帳がいる。これを申請するなら、運転免許証のコピーを求められるはずだ。写真が載っている上、記載してある番号を照会すれば、前科や罪状もすぐに分かるため、免許証ほど理想的なIDはない。実際、共同通信が報じた労働者は初めての原発労働だったが、大型自動車免許の保持者である。住民票を求められること自体、おかしな話だ。
「頭頂部が被曝したんですね。ハゲが進むんでしょうか?」
原子炉建屋の方に見えた黒い煙の正体とは へ続く (鈴木 智彦/文春文庫)