元経産省官僚の古賀茂明氏が掲題の記事を載せました。
IAEAは原発の安全対策として5段階の深層防護基準を制定していて、その最終段階は「第5層:異常に対応できなくても、人を守る」というもので、「重大事故時に住民が安全に避難できるようにしておく」と定めています。
ところが日本の「原子力規制基準」ではその第5層:「過酷事故が起きた時の避難計画」が完全に脱落しています。これは規制員会が意識的に除外したもので、そうしないと規制基準審査で合格が出せない事態になるからです。現在も原子力規制委が避難計画の審査を行うことはなく、素人である内閣府が代行しています。
24年の元日に起きた能登半島地震では志賀原発に近い家屋が大々的に倒壊したため、原発事故発生時に5~30キロ圏内の住民が屋内退避することが果たして可能なのかという問題提起がされました。しかし規制委は検討する振りだけはしましたが全く的外れな対応に終始し、現在も未解決のままで放置されています。
対照的に米国では、ニューヨーク州のロングアイランドに建設されたショアハム原発は10年以上かけて1984年に完成しましたが、避難計画が不十分だという理由で稼働できず廃炉が決まりました。
その際に問題となったのは陸路の渋滞で、それを回避するための船での避難が計画されましたが、ハリケーンが来ていたらどうするかという反論に対応できず、避難計画が不十分だとされたのでした。
要するに避難計画に実効性がないということで廃炉になったのですが、日本で避難計画の実効性が問題になった例は「東海村第2原発」のケースのみで、その他は避難計画の実効性などろくに問題にもされずにいるというのが実態です。
避難計画が「絵に描いた餅」であってはならないことは余りにも当然なことです。
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参院選前に知られると「不都合な真実」 柏崎刈羽原発の避難計画は「原子力規制委員会が審査していない」ことを知っていますか? 古賀茂明
古賀茂明 AERA 2025/07/08
国際原子力機関(IAEA)が各国に求める「深層防護(Defense-in-depth)」をご存じだろうか。これは、原発の安全性を確保するために、必須とされる5段階の安全対策のことだ。
第1層:異常の発生を防止する
第2層:異常が発生してもその拡大を防止する
第3層:異常が拡大してもその影響を緩和し、過酷事故に至らせない
第4層:異常が緩和できず過酷事故に至っても、対応できるようにする
第5層:異常に対応できなくても、人を守る
というものだ。
東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きるまで、日本ではこの5層の防護という考え方が無視されてきた。しかし、事故後はさすがに無視できなくなり、これに基づいた規制基準を作ることになった……はずだった。
しかし、結論から言うと、ほとんどの人が気付かぬまま、大変な欠陥基準ができてしまった。「異常に対応できなくても、人を守る」という第5層の防御が完全に抜け落ちた規制基準になったのだ。
そこにはいろいろな言い訳があるのだが、真相を言えば、第5層まで基準に入れて原子力規制委員会が審査すると、日本の原発は全て動かせなくなるというのがその理由だ。
第5層の防御の肝となるのが、過酷事故が起きた時の避難計画である。
その重要性を示す良い例がある。それは、米国ニューヨーク州のロングアイランドに建設されたショアハム原発の事例だ。1984年まで10年以上かけて建設された原発が、避難計画が不十分だという理由で稼働できず廃炉が決まった。
その際問題となったのは、陸路の渋滞とそれを回避するための船での避難計画だった。電力会社は、多少の悪天候でも運航できる専用の大型船の傭船契約を結んで確実に避難できるとしたが、その時にハリケーンが来ていたらどうするかという反論に対応できず、避難計画が不十分だという結論になった。
6月27日、東京電力柏崎刈羽原発の事故発生時などの広域避難計画「緊急時対応」が了承された。
これを聞いた人は、避難計画について、専門家が厳格な審査をしてその安全性にお墨付きを与えたと思うだろう。
しかし、これは全くの間違いだ。そもそも、原発の安全性について規制基準に基づいて専門家により厳格な審査を行うはずの原子力規制委員会が、避難計画の審査を行うことはない。
他の独立した専門家による審査も行われない。
原子力防災会議という、単に大臣などが集まった素人集団が「了承」するだけ。そのトップは首相だ。東京電力など原子力ムラとベッタリの自民党の首相が避難計画に問題なしと言ったということでしかないのだ。
ツッコミどころ満載の避難計画
これは法律的には何の意味もない。だから、新聞は、避難計画の了承を再稼働の「事実上」の条件と呼んでいる。法律的要件ではないのだ。
石破茂首相は「国は万が一の事態が発生した場合にも、国民の生命や財産を守る重大な責務を負う」と述べた。実は、首相のこの言葉がポイントだ。
避難計画がザルだということは誰の目にも明らかだが、カネのために動かさざるを得ない自治体の長が住民を納得させるために、「首相が責任を取ると言った」と言えることが必要なのだ。
事故の責任を首相が取ると言ったところで、何の意味もない。命が奪われ、ふるさとが失われた時に石破首相に何ができるのか。それでもなお、首相に大見得を切らせ、住民に黙ってもらうという歌舞伎の芝居が必要とされる。お手軽な「免罪符」と言っても良い。
ちなみに、柏崎刈羽の避難計画はツッコミどころ満載だ。例えば、避難の手段は基本的に自家用車を使うことになっている。学校で被災した子どもたち、高齢者施設や障害者施設で移動が困難な人たちはバスで逃げることになっている。だが、そんなことはほぼ無理だ。自治体職員もわかっている。
日本で実際に原発事故が起きるのは、大地震の時だろう。東日本大震災でも大渋滞で身動きできないという状況が生じた。
日本人は協調的で行政に協力する。役所が必要最小限の荷物だけ積んで車1台で避難せよと言えばそれに従う。そういう馬鹿げた想定をしているのだろう。
避難が必要だとなった時、その時点では、どれくらいの期間避難が必要なのか見当もつかない。福島のように年単位で戻れないかもしれない。そう考える人々は、家にある自動車全てを使ってできる限りの家財道具を運ぼうとする。自分たちの命と生活に関わる問題である。住民には、自分たちで自分たちの身を守る権利がある。これを批判することなど誰にもできない。
柏崎刈羽地域なら、2台、3台自家用車を保有している家も多い。その全てが一斉に道路に出ればどうなるのか。誰でも想像できる。しかも、多くの車がガソリンスタンドに集中してその周辺は全く交通が麻痺することは確実だが、そういう事態にどう対処するか、何らかの規制をするのかなどについては避難計画には書かれていない。
さらに、問題なのは、地震で多数の死傷者が出た場合や道路が寸断された場合について何も書かれていないことだ。大地震による原発事故の際にほぼ確実に生じる事態だが、150ページを超える資料の中で想定さえされていないのだ。
原発の再稼働につれて報道も減っている
こんなひどい計画が了承されるのは、再稼働ありきで、地元住民を「騙す」ために作られた避難計画だからである。柏崎刈羽原発で作られた電力は東京電力により首都圏に送られる。住民のための発電所ではないのに住民の安全を無視してなぜ動かすのか。
こんな避難計画のまま再稼働を承認する自治体の長がいるとすれば、まさにカネのために住民を売る大罪人だと言って良い。
私がさらに問題だと考えるのは、マスコミが、この欠陥についてほとんど報じないことだ。福島の事故後数年の間は、各地の原発の避難計画について、かなり詳細な報道がなされた。しかし、原発の再稼働が進むにつれ、避難計画についての報道は激減した。
今回も、避難計画が了承されたことで再稼働の手続きが一歩進んだという経済産業省の発表をそのまま垂れ流している記事がほとんどだ。大スポンサーの原子力ムラの手前、強い批判はできないからなのだが、もはや報道機関としての役割を放棄したと言っても良い。
本来なら、新聞の1面で大きな見出しをつけて、避難計画の欠陥を大々的に報じるべきだったがそれをしない。原子力規制委員会が避難計画を審査していないという事実さえ伝えないから、ほとんどの国民は知らないままだ。
原発については、柏崎刈羽に限らず、避難計画以外にも大きな問題が山積している。
使用済み核燃料の最終処分はほぼ不可能だ。最終処分場を受け入れる地域がない。各原発敷地内で永久保管するしかないが、住民の手前そんなことは口にもできず、そのうちできますと言い続けている。それを非難する記事もほとんど見かけなくなった。なぜ、最終処分場ができるという前提に立ったままの記事を書き続けるのだろう。経産省の担当官僚でさえ、そんなことはできないことは百も承知で、自分の在任期間中は演技を続けているだけなのに。
また、事故が起きた時の避難計画を作っているのに、事故が起きた時の損害賠償については、昔の制度のまま放置していることも知られていない。政府が一種の保険を運営しているが、それで支払われるのは、原発1基あたり最大1200億円だ。
福島第一原発の事故対応費用は、廃炉、賠償、除染・中間貯蔵などを含めて約23・8兆円という試算(2024年、資源エネルギー庁の発電コスト検証WG)がある。1200億円は1%にも満たない。しかも、事故対応費用は今後も時間とともに膨らんでいくのは必至だ。
この事実もほとんど報道されてないので、多くの人は知らないままだ。
さらに、そもそも日本の原発の耐震性が、民間の耐震住宅よりもはるかに低いこともほとんど報じられていない。三井ホームの耐震住宅が5115ガル(ガルは加速度。揺れの強さを示す)、住友林業では3406ガルに耐えられるのに、日本の原発の基準地震動(耐震性と考えて良い)は、高くても1000ガル程度でしかない。これについて、電力会社は、原発の敷地内に限ってはそれほど大きな揺れは生じないと言い続けている。南海トラフ地震の震源域に入っている四国電力伊方原発については、何と、原発直下で南海トラフ地震が起きた時でさえ、大して揺れないと言うのだから驚きだ。
争点にならない原発再稼働
原発復活による問題は、国民の安全が脅かされるということにとどまらない。
詳しくはまた別の機会に紹介するが、原発が再稼働し、さらには新増設もあるとなれば、再生可能エネルギーへの投資を減少させる効果が生じる。
その結果、日本では、再エネ電源の増加が抑制され、そのために、日本の太陽光パネル産業は、世界トップの座を滑り落ち、今やほとんど壊滅状態だ。日本の太陽光パネルを買う国はない。
また、風力発電も大手メーカーが全て撤退した。海外メーカーに頼るしかない。
「経済安全保障」という掛け声をよく聞くが、やっていることは全く正反対である。
さらに、原発を日本海に並べて稼働させているのは、国防上も大問題だ。原発は、戦時においては絶好の標的になり、破壊されれば深刻な放射能被害を受ける。攻撃すると脅されただけでも、全ての原発停止で大停電必至だ。今後は、膨大なコストをかけて、原発防衛のための体制を整えなければならない。原発推進は、安全保障の観点では、最悪の政策だ。
これほどまでに原発をやめるべき理由がはっきりしているのに、これまで述べたとおり、マスコミの原発に関する報道は大きく減っている。あるテレビ局のディレクターは、能登半島地震の時でさえ、視聴率が取れないという表向きの理由で北陸電力志賀原発の状況を報道することが後回しにされたと嘆いていた。
マスコミにおける原発事故問題への関心の低下あるいは報道自粛が、国民の間の「原発無関心」を生み、知らず知らずのうちに「原発安全・クリーン神話」復活に手を貸している。
国民の関心が下がれば、政党もこれを取り上げなくなる。
自民党は原子力ムラの利権を守りたい。国民民主党は電力や重工メーカーの労組の支持を得るために露骨に原発推進策を掲げる。立憲民主党もやはり労組忖度で、原発新増設を認めないとは言うが、逆に再稼働は黙認だ。
今回の参議院選挙では、柏崎刈羽などの原発が争点になることはなさそうだ。
そして、選挙が終われば、政府が、柏崎刈羽原発再稼働を強引に推し進めるのは確実だ。
花角英世新潟県知事は原発立地自治体への「電源三法交付金」という補助金の対象地域の拡大を石破首相に要請し、首相は前向きな姿勢を示しているという。カネをもらえない地域の住民の反対が強いから、カネを出せばいいんだろうといういつもの自民党の姿勢だ。「政治家から住民への逆賄賂」と私は呼んでいる。これが決定打になってしまうのか。
だが、まだ望みはある。新潟県民の良識だ。柏崎刈羽原発の再稼働については、新潟県民の粘り強い反対運動があり、県知事も安易な同意はできない。
だが、万一住民の力が及ばなかった時は、もう一度原発事故が起きたり、北朝鮮が原発を狙う恐れが出てきたりしない限り、「亡国の原発推進」は止まらないのかもしれない。