2019年4月11日木曜日

福島・大熊町で一部避難指示解除 課題は山積

 原発事故に伴う全町避難が続いた福島県大熊町について、10日午前0時、一部地域の避難指示解除されました。原発事故から8年余り立地自治体の解除は初めてです。
 
 解除されたのは居住制限区域だった大川原地区、避難指示解除準備区域だった中屋敷地区で、両地区の面積は約30平方キロで町全体の38%を占めますが住民登録者数は367人と35%にとどまります。
 その中でも、これまでの見通しがはっきりしない中での長期避難や居住環境整備の遅れから帰還を見送る住民も多く、解除の現場には光と影が入り交じります。
 
 役場庁舎などがあった町の中心部は、放射線量が高い帰還困難区域のため、町は大川原地区を復興拠点と位置付け、新庁舎や災害公営住宅の建設などを進めてきました。新庁舎は14日に開庁式を行い、57日から業務を開始します
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大熊町、避難指示解除の“現場” 入り交じる光と陰「戻れる」「遅すぎた」
産経新聞 2019年4月10日
 東京電力福島第1原発事故で福島県大熊町の全域に出されていた避難指示の一部が10日、解除された。原発立地自治体(大熊町、双葉町)の避難指示解除は初めてで、事故から8年余りを経て、大熊は、ようやく復興への歩みを本格化させる。慣れ親しんだふるさとの再生を心待ちにする住民がいる一方で、これまでの長期避難や居住環境整備の遅れから帰還を見送る住民も少なくない。解除の現場には光と影が入り交じる
 
 《解除されたのは、除染を終えた中屋敷地区と大川原地区で町の約4割の面積を占める。ただ、両地区の3月末時点の住民登録は138世帯367人で町の人口の3・5%にとどまる
 《両地区は、日中の立ち入りは可能だった。帰還に向け夜間の滞在も認められていたが、その登録も21世帯48人だけだった》
 「解除しても特に変わらない」。登録した1人で昨年6月から自宅で暮らす末永正明さん(75)は急ピッチで復興工事が進む町内の慌ただしさを横目に冷静に受け止める。
 この8年の間に、避難先で新居を建てた住民も多く、近くには帰還してくる世帯はない。妻のとし江さん(71)も掃除に来てはくれるものの、こうした環境を敬遠し、南相馬で離れて暮らしている。
 《町には線量の高い帰還困難区域も残り、引き続き立ち入りは禁じられる。診療所の開設や幼小中一貫校の開校は、それぞれ令和3(2021)、4(22)で環境整備は遅れる
 
 こうし中での一部の避難指示解除。「帰れない人のことを考えると、自分たちだけが、喜んではいられない」。末永さんは複雑な心境を明かす。
 不安もよぎる。末永さんは月に1度ほど、肩の治療で通院している。だが、医療施設が充実する南相馬まで足を運ばなければならず、しかも前泊を強いられている。「まだ車の運転ができるからいいが、将来、どうなるのか」
 
 《帰還困難区域に役場は位置するため、町は新庁舎を大川原地区に建設し、5月から業務を始める。6月には災害公営住宅の入居も開始される》
 
 福島県いわき市の応急仮設住宅で暮らす山本重男さん(69)も、入居を予定する1人だ。63歳の妻と暮らすという。
 山本さんは震災の時、福島第2原発で作業員として働いていた。町には、原発に携わる関係者も多く暮らしていた。ただ、事故で散り散りになることを強いられた。
 あれから8年。再び元のような活気が戻るとは、思ってはいない。だが、山本さんは戻る決断に踏み切るという。帰還困難区域にある思い出が詰まった自宅を気にかけているためだ。
 「あと10年は生きられると思う。その間には戻れるかもしれないからね。少しでも近くにいて自宅をどうするか考えたい」。期待を寄せる。
 《ただ、8年の歳月は重くのしかかる。町が1月に行った住民意向調査では、町に「戻りたい」と答えた住民は14・3%にとどまり、「戻らない」との回答は55・0%にも上った》
 
 会津若松市の仮設住宅に住む中野浅子さんも大熊に戻らない決断をした。
 70歳を過ぎ、車のない身にとっては、買い物や病院に通うのが辛いためだという。「若い人がいないのもさびしい」と訴える。
 《福島県の11市町村に出された避難指示は平成26年4月以降、順次解除されてきた。最初に解除された田村市の一部は帰還率が81・3%に上るが、29年4月に解除された富岡町の一部は9・9%にとどまる。解除時期が事故から年数を経過するほど、帰還率が低くなっている実情も浮かぶ》
 中野さんは、震災前は大川原地区に隣接する地域で暮らしていた。だが、事故で住み慣れた自宅を離れざるを得なくなり、7年もの間、仮設住宅の暮らしを強いられてきた。
 災害公営住宅の入居が始まる6月を機に、仮設住宅を退去し、会津若松に新居を構えた長女夫婦宅に身を寄せるつもりだ。「1年とか、2年とかならまだしも遅すぎたんだ」。中野さんは自分に言い聞かせるように、そうつぶやいた。
 避難区域とは 平成23年3月の東京電力福島第1原発事故で放射性物資が拡散し、住民の生命・身体の危険を回避するために国が指定した。放射線量が高い順に「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に分類。帰還困難区域は、年間積算量が50ミリシーベルトを超え、5年間経過しても20ミリシーベルトを下回らない恐れがあるとして、設定された。南相馬市、浪江町、大熊町、双葉町、富岡町、飯舘村、葛尾村の7市町村の一部で指定され、今も住民の避難が続いている