福島原発事故のとき、日本は結局、避難区域を半径20キロメートル圏内にとどめました。専門家にはもっと避難区域を広げるというシミュレーションをさせましたが、結局は最低限の基準を採用するしかありませんでした。それはどうしてだったのでしょうか。
日本経済新聞記者の前野雅弥氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』に記述したところによると、政府が20キロ圏内17万人の避難を決めて指示を出した時には、大手元売り系列のガソリンスタンドにはすべて休業状態で肝心の車への給油が出来ませんでした。
それで15日になってから急遽政府が要請して東京方面から33台のタンクローリーが福島に向かいました。タンクローリーの運転は郡山市までで、それ以降は自衛隊によって20キロ圏内まで運ぶ予定だったのですが、自衛隊が来ていなかったためガソリンはそこで止まってしまいました。タンクローリーは放射能で汚染されるので当初から現地に捨てて帰る予定になっていました。
11日に津波の被害を受けた福島第1原発は、12日の朝には1号機の核燃料の一部が露出し、午後にはメルトダウンが始まり、午後3時36分に1号機の建屋が水素爆発を起こしました。
しかし東電が頑なにメルトダウンを認めなかったので、日本は米軍にも正確な情報を伝えることが出来ず、業を煮やした米軍は本国から原発の専門家を呼び寄せて、独自に原発の状況を把握したのでした。それは兎も角、ガソリン問題一つとっても日本には非常時の対応が出来て居なくて、後手後手の状態であった実態が明らかにされました。
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福島原発事故の本当の恐怖…なぜガソリンは届かなかったのか
前野 雅弥 幻冬舎ゴールドオンライン 2022/11/2
日本経済新聞記者
福島原発事故のとき、日本は結局、避難区域を半径20キロメートル圏内にとどめました。専門家にはもっと避難区域を広げるというシミュレーションをさせましたが、結局は最低限の基準を採用しました。なぜこのようなことになったのでしょうか。日本経済新聞記者の前野雅弥氏が著書『田中角栄がいま、首相だったら』(プレジデント社)で解説します。
3月11日夜の東京は平穏だった
田中角栄は戦後政治の中で初めて登場した庶民宰相であり、卓越したエネルギーと突破力を持った政治家だった。それは間違いない。しかし、同時に人間でもある。大きなミスを犯した。そのことも最後に指摘したい。以下のルポルタージュ【後編】はその証左である。
原子炉の爆発への導火線に火がついた。
仮に6基の原子炉のうち1つが爆発したとしても大変だ。
そうなれば福島県は壊滅だ。首都、東京も無事で済むはずはない。日本が吹っ飛ぶかもしれない。地震の発生から1時間で、官邸は最悪の事態を頭に入れて動き始めた。
もちろん、その可能性があること、しかもその可能性が一定程度以上の確率であることは、すぐには公にされなかった。
「メルトダウンする可能性があるということと、実際にメルトダウンするということは違う」(福山哲郎)
いたずらに危機感をあおれば、パニックを引き起こす。断片的に情報を流せば却って恐怖だけが先行し、取り返しのつかないことになる。政府はそう判断した。
福島県や宮城県など被災地の深刻さとは裏腹に、3月11日夜の東京は平穏だった。確かに混乱はあったが、パニックと呼ぶほどのことではなかった。
「ひょっとしたら東京は放射能で汚染されるかもしれない。自分たちは今、未曽有の危機と直面している」
東京でそう自覚していた人は、ほとんどいなかった。「死」は遠く彼方にあった。地震の影響で新宿駅では9000人、横浜駅では5000人が足止めされたが、金曜日の夜ということもあったせいか、「どうせ帰れないなら」と朝まで飲み明かしたサラリーマンも少なくなかった。駅の近くで営業している居酒屋は、どこも人でいっぱいだった。
しかし、福島は違った。
東京から200キロメートル離れただけなのに、福島第1原発ではこの11日の夜以降、悪夢に悪夢が重なっていった。12日の朝には福島第1原発の1号機の核燃料の一部が露出してしまっていること、午後にはメルトダウン(炉心溶融)が始まっていることを経済産業省が発表したが、右往左往しているうちに12日の午後3時36分、1号機の建屋が水素爆発を起こした。
これに3号機が続き、3月14日の午前11時1分に水素爆発を起こした。そして4号機も……。
もはや住民たちは福島にとどまっていることはできなかった。
12日の午後6時25分には、福島第1原発から半径20キロメートル圏内の住民17万7503人に避難指示が出された。それまで応急的に出されていた避難指示は半径10キロメートル圏内の住民を対象としていたが、これを一気に広げたのだった。
避難対象となる住民は、それまでの3倍強に膨れあがった。
そして全員が「死」に直面していた。原子炉が爆発するかもしれない。いや、確実に爆発するはずだった。
一刻の猶予もなかった。放射能の猛毒が今まさに住民たちに狙いを定め、襲いかかろうとしていた。1分1秒でも早く原発から遠ざかることが必要だった。
なのに―。油がなかった。住民たちが避難する車を走らせるガソリンがなかった。地震が起きたのは金曜日。週末に備えてガソリンスタンドもタンクは満タンにしておく。
だいたいどのスタンドのタンクにもガソリンはたっぷりあった。しかし、これを売る人がいなかった。「危険だから」。大手元売り系列のガソリンスタンドにはすべて休業が命じられた。住民たちの多くは放射能汚染の恐怖におびえながら、燃料が切れた自動車を眺めながら一歩も動くことができなかった。
アメリカの決断と日本の決断の差
事態が動いたのは15日だった。
政策調査会長と国家戦略担当大臣を兼務する福島県選出の玄葉光一郎が、総理の執務室に飛び込み、菅直人に直談判したのだった。
「とにかくガソリンを送ってほしい」
「福島の住民たちはガソリンがなくて一歩も動けない。『避難指示は出した。しかし、ガソリンがなくて住民たちは逃げられなかった』では政治家として通らない」
玄葉は菅直人に強く迫った。菅直人は玄葉の目の前で「経済産業省の大臣に直接、電話を入れた」。
官邸が被災地にガソリンを送るように指示したその日、アメリカは苛立ちの頂点にあった。
この国ではいったい誰が情報を持っているのか。原発は爆発するリスクがあるのか、ないのか。東京在住のアメリカ人は9万人いる。日本に居住するアメリカ国籍の人間はどうすればいいのか。原発事故が発生して4日もたつというのに、何ひとつ明確なことはわからなかった。ダメだ、これでは。話にならない。
駐日大使のジョン・ルースは、官房長官の枝野幸男に電話を入れた。
「アメリカの知見を提供し、日本の努力を最大限支援するため、アメリカの原子力の専門家を官邸の意思決定の近くに置いてほしい」
日本はいったいどうなっている。
「何ひとつ、本当のところがわからない」
そう言っているのと同義語だった。そしてもう1つ、アメリカは日本以上に最悪の事態を心配していた。
「東電も経済産業省も否定するが、本当はもう福島第1原発はメルトダウン(炉心溶融)しているのではないか。アメリカのデータや知見などから、日本は大変なことになっていると判断している。本当のところを教えてほしい」
福山のところに何度もそういう電話がかかってきた。東電も経済産業省も「メルトダウン(炉心溶融)は絶対にない」と否定するが、実はあるのではないか。アメリカに黙っているだけで、本当は官邸には「メルトダウン(炉心溶融)の可能性あり」と官邸には正確に報告しているのではないか。
アメリカの心配はもっともだった。
そして後になってわかることだが、アメリカの心配は決して杞憂ではなかった。的を射ていた。
このとき、東電は「絶対にメルトダウン(炉心溶融)は起こしてはいない」と主張していたが、すでに燃料は原子炉の中で溶け落ちてしまっていたのだった。
もちろんこのときは東電が認めない以上、官邸サイドがその事実を知り得ることはなかった。ただ5日、総理の菅直人と官房長官の枝野幸男が話し合い、アメリカの専門家が官邸連絡室に出入りすることについては許可を与えた。
これでアメリカは保安院、資源エネルギー庁、東電などと確度の高い情報を入手することが可能になった。
そして、収集した情報を総合的に分析した結果、アメリカは福島第1原発から半径80キロメートルにいるアメリカ国民を避難させることを決断した。最悪の事態に陥る可能性が高いことを再確認したのだ。アメリカは福島第1原発の格納容器が爆発、東アジア・太平洋の広範囲に原発事故の被害が及び放射能汚染が広がる事態すら考えていたのだった。
ガソリンは動き出すまでに一晩かかった
日本は結局、避難区域を半径20キロメートル圏内にとどめた。専門家にはもっと避難区域を広げるというシミュレーションをさせたが、結局は20キロメートルとした。
「できなかった」
「50キロメートルにまで広げてしまえば、とんでもないパニックが発生し、道路は渋滞で身動きができなくなる。事態が悪化してしまう可能性が高いことがわかった」(政府関係者)からだ。
大量の避難民がなだれ込めば、東京も大混乱に陥る。経済はストップ、政治も機能しなくなる。「まずは20キロメートル圏内」との意見が大勢を占めた。
ただ、そのたった20キロメートル圏内の住民の避難すらままならなかった。
ガソリンがボトルネックとなり、住民たちは一歩も動けなかったのだ。
そんな中、ガソリンを満載したタンクローリー33台が福島県郡山市に到着する。16日の朝だった。タンクローリーの運転手たちはホッと胸をなで下ろした。
しかし、運転手たちが命懸けで運んできたガソリンはそこで止まった。先に進むことができなかった。
「待っている」と聞かされた自衛隊がどこにもいなかった。
ガソリンを受け取り、避難民たちに届けるはずの自衛隊がそこにいなかったのだ。運び手を失ったガソリンは郡山で止まった。
そして昼ごろ、事件が起きた。タンクローリーの運転手たちが騒ぎ始めたのだ。タンクローリーはもう1台、別の車と一緒に2台一組になってやってきていた。ガソリンを郡山に届けたら、そのままタンクローリーは鍵と一緒に現地で引き渡し、すぐにもう1台の車に乗って東京に帰る手はずだった。
タンクローリーは放射能を浴びてしまうから、もう使えない。だから引き渡してしまえばそれでいいのだが、肝心の引き取り手がいないのだ。ガソリンもタンクローリーも宙に浮いてしまった。運転手たちはしばらく待機したが、昼くらいになると引き上げていってしまった。福島第1原発がいつ爆発するかもわからない状況だ。仕方がなかった。
結局、ガソリンは動き出すまでさらに一晩かかった。
「郡山南のインターチェンジにまでガソリンは来ている。そのガソリンを誰か被災地まで運んでくれ」
「被災地の人たちを誰か、救ってくれ」
被災地の自治体が懸命に人を集めた。その間、郡山の警察署から警官が派遣され、タンクローリーのガソリンを見守った。17日になってようやくガソリンは被災地に向かい、再び動き始めた。
(【前編】「大都市と過疎地の不均衡是正…角栄も見落とした原発の恐ろしさ」
https://gentosha-go.com/articles/-/46529)