2022年11月19日土曜日

いつの間にか次々と原発再稼働 十分な安全審査は行われているか

 岸田首相は原発の再稼働を進めるとして原発の新設にまで言及しました。
 世界トップの地震大国日本で、はたして原発は十分安全な選択なのだろうか。原発の運営と管理に関して調べ続けて原子力規制委の能力や姿勢に深い懐疑心を抱いているジャーナリスト日野行介氏に長野光氏(ビデオジャーナリスト)がインタビューしました。
 日野氏は、規制委が更田規制委長時代に『委員長レク(チュア)』という秘密会の場を設け、そこで事前に重要な決定を行い、その事実を隠していたことを暴露しました
 公開を旨とする原発行政なのに何とも不透明性なことです。
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いつの間にか次々と原発再稼働、十分な安全審査は行われているか
   秘密会で大事なことをこっそり決める原子力規制委員会で大丈夫か
                       長野 光 JBpress 2022.11.16
 ロシアによるウクライナ侵攻後、世界のエネルギー資源の地図は激変しており、日本を含め、資源に乏しい国々は新たな調達先の確保に必死になっている。侵攻前の2021年の財務省の貿易統計によれば、日本は原油の輸入の3.6%を、液化天然ガス(LNG)の輸入の8.8%を、石炭の輸入の11%をロシアに依存していた。
 このような状況下で「日本にはやはり原発が必要なのだ」と考える人は増えるだろう。原発の再稼働が進められ、最近では、小型原子炉の活用も提案されているが、日本は地震が頻発する災害の多い国だ。はたして原発は十分安全な選択なのだろうか。原発の運営と管理に関して調べ続けてきたジャーナリストは、原子力規制委員会の能力や姿勢に深い懐疑心を抱いている。『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』 (集英社新書) を上梓した日野行介氏に話を聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──原子力規制委員会前委員長の更田豊志(ふけた・とよし)氏を中心に、2018年12月に六本木で行われた、通称「委員長レク」という秘密会議の録音の内容を本書で紹介されています。この録音の中で語られたことこそ、日野さんの一連の取材の重要なキッカケだったという印象を持ったのですが、委員長レクとは何なのか、この時の委員長レクでどんなことが語られ、何が問題だったのか、教えてください。
日野行介氏(以下、日野):専門的な知識がある、癒着のない、透明性を保つ運用に徹する規制当局という前提のもとに原子力規制委員会ができました。本来であれば、毎週水曜日の定例会ですべてを議論して、オープンに決めていくという約束になっている。しかし、規制委員会は『委員長レク』という秘密会の場を設けて事前に重要な決定を行い、その事実を隠していました。透明性など担保されていませんでした
 しかも、この委員長レクの録音を聴くと、技術的なことを話し合っているのではなく、いかに運転を止めずに穏便に済ますか、自分たちの見落としを取り繕うか、といった話がされていた。規制委員会が今までアピールしてきたことがいかに嘘か、この委員長レクの録音が明らかにしたと思います。

──委員長レクのやり取りを読むと、前委員長の更田さんが、原発を止めないよう取り計らっているように見受けました。更田さんはなぜ原発を止めないようにする必要があると考えたのだと想像されますか?

規制委員会は何に配慮しているのか?
日野:原子力規制委に問題を見抜く能力がないというのが実態なのだと思います。委員長レクで話し合われていたことは規制委員会の見落としについてでしたが、安全審査のほとんどは書類審査で、そこから問題点を見抜くというのは相当に難しい。
 この委員長レクの冒頭、火災報知器が新規制基準の通りに設置されていなかったことが分かり、基準不適合なのだけれど、安全審査で規制委が見落としたのをいいことに基準不適合だと認めないよう主張してきた、と更田さんが愚痴のように語っている部分があります。結局は電力業者の言いなりになっていたのです。

──原子力規制委員会として更田さんがすべきことはどのような決断だったと思われますか?
日野:「基準不適合が見つかったので運転を止めてください」。更田さんはそう主張すべきだったと思います。新たな情報によって、原発が安全基準を満たしていないと後から分かった場合に、稼働を止めて対策を講じる、というのが本来の「バックフィット制度」です。一度止めてから安全対策をするのが本来の筋なんです。

──問題が見つかる度に原発を止める、というのは相当難しいことなのでしょうか?
日野:電力会社も行政側も原発の運転を止めるということに関しては強いプレッシャーを感じています。
 火災報知機にしても、火山灰のフィルターにしてもそうでしたが、問題が見つかり、運転を止めずに安全対策を講じるように求められると電力会社はすぐに応じます。しかし、原発を止めるという判断に関してはとても神経質です。
 火災報知器に関する部分では、「これは基準不適合なのではなく、規制委が勝手に安全基準を引き上げたのだ」と電力会社は主張しており、ほとんど言葉遊びのような印象もあります。

──そこまで専門的な議論になると、とても普通の人には分からないので、規制委に委ねるしかない、という気持ちになりますね。
日野:それが人々を傍観者にしてしまうシステムであり、技術的とか専門的とか言われてしまうと、なかなか反論できなくなります。原発の取材はずっとそういったこととの闘いです。

議事録作りは本当に機能しているのか?

──原発のような領域では、専門的な知識を盾に誤魔化そうとする恐れは常にあります。それに対して、言い返せるだけの準備や勉強はどれほど必要なのでしょうか?
日野:私の場合は、「意思決定の過程を明らかにする」ということを調査の目的としています。そこを明らかにする限りにおいては、必ずしも何もかも知っていなければならないわけではありません。「この会議の内容が明らかになっていない」ということを追及していくのです。攻め手に回れることが利点です。

──日野さんが原子力規制委員や行政側に対して議事録の提出を求めると、議事録が存在しない、あるいは重要な部分について記載がないという場面が何度か本書の中にあります。議事録が存在しなければ、後から検証のしようもありませんが、議事録の内容を改ざんしたり捏造したりすることも可能だと思います。また、こっそり会って密談する機会をすべて見張るのも難しいように思います。そうなると、議事録を作るという作業自体が半ば機能していないという印象を持ちます。
日野:ある時期、私も同じ悩みを抱えていました。これまでの調査で、何度か役所の職員が議事録の内容を改ざんしたケースを見抜いたことがあります。例えば、環境省の課長の都合の悪い発言を削ったのを暴いたことがありました。また、福島の健康調査の内部被曝に関する都合の悪い部分をバサっと議事録から削除していた、というケースもあり、改ざんは常態化しているのだと疑わざるを得ない。
 この2つの例はどちらも意思決定過程に関する部分の改ざんでした。公文書管理法に規定されていますが、意思決定過程の記録は文章で残さなければならない。これは、公文書管理と情報公開の根幹で、民主主義の基盤と言えるものです。
 本当にきちんと残しているのか、ちゃんとその内容を公開しているか、ということを絶えず問い続けることは、記者でなくとも誰かがやらなければならない必要な作業だと思います。取材を尽くした上で情報公開請求を行う、ということも必要だと思います。特に隠微な国策の取材においては、意思決定過程の解明は不可欠だと思います。

意思決定過程を隠そうとする役所

──議事録を丹念に読んでいって整合性を確認したり、抜けがないか確認したりするのは日野さんの独自の取材スタイルなのでしょうか?
日野:同じようなことをやっている記者はあまり見かけません。私も誰かから教わったわけではありません。

──日野さんが原子力規制委員や行政を追及する時の厳しさは、文章からもありありと伝わってきます。しかし、読者の中には、メディアがあまりにも厳しく細かく行政の仕事を追及するから、オープンに効率よく仕事ができないのだ、と考える人もいると思います。記者や報道機関のあるべき姿勢について、日野さんのお考えを教えてください。
日野:私はメディアや記者のあるべき論というものに関してほとんど関心を持っていません。私の報道姿勢は、自分が今まで取り組んできたこと、知識や経験があることを調べてまとめ、作品として読者に提供することにあります。記者を飲食業に例えるなら、店の経営者ではなく厨房で料理を作る職人気質です。
 作品に取り組む意識の根底には、歪んだ政策の全体像がどんなふうになっているのか解明しないと納得できない、というこだわりのような気持ちはあります。
 私は一貫して本来公開されるべき情報を公開してください、と言い続けてきました。役所が意思決定過程を隠そうとする努力こそ無駄だと思います。こういったことは効率の良し悪しで考えることではありません。

 日本の役所というものは、特に原発に関することはそうですが、結論しか明らかにしてこなかった。では、それでいいのか、と言えば、そういった状態の結果に原発事故が起きている。ですから、自分のやり方に迷いを感じたことはありません。