2019年9月24日火曜日

東電旧経営陣強制起訴・無罪判決に対し 四人の識者が批判

 東電旧経営陣強制起訴・無罪判決について、河北新報が「識者の視点」と題して4人の識者の見解を上・下の4編の記事にまとめました。
 それぞれがとても短い記事になっているので、逆にポイントが分かりやすく読み取れます。
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<東電強制起訴・無罪判決>識者の視点(上)/社会通念の範囲疑問
  河北新報 2019年9月24日
 東京電力福島第1原発事故の刑事責任を巡り、東京地裁は旧経営陣3人に無罪判決を言い渡した。「事故当時の社会通念からすれば、原発は絶対の安全を求められていたわけではない」と判断した司法。社会は原発とどう向き合うべきか。判決への評価と現実の課題を識者に聞いた。(聞き手は福島総局・斉藤隼人、近藤遼祐)
 
◎元裁判官・法政大法科大学院教授 水野智幸氏(57)
水野智幸(みずの・ともゆき)1962年、仙台市生まれ。東大法学部卒。88年から裁判官として主に刑事事件を担当し、千葉地裁時代に裁判員裁判で初の全面無罪判決を言い渡した。2012年から現職。専門は刑事法。16年から弁護士。
 
 原発の安全性に対する当時の「社会通念」が過失判断の基礎となるが、地裁はこの社会通念を「法令の規制」のみとした。責任追及の範囲をあまりに狭める考え方だ。原発反対論は事故前からあり、国側の意見にすぎない法令を社会通念と言うことには疑問がある。
 人工知能や自動運転、遺伝子操作など法令上の規制が追いつかない先端分野は多い。今後はリスク管理の在り方について、社会的な議論が必要になるだろう。
 判決は「原発に極めて高度の安全性は求められていない」とした。これは市民にとって意外な指摘ではないか。実際に深刻な事故が起きてもこうした司法判断がされることを忘れず、今後は国や事業者の説明を冷静に見極め、自分の行動を決めていくしかない。
 本来、大規模事故の調査は強制力を持つ事故調査委員会方式が妥当だ。責任を追及しない代わりに真実を述べてもらう制度で、諸外国にはある。再発防止の観点からは最も望ましい。
 今回は複数の調査委が設置されたが、調査に強制力がなく不十分なまま終わった。刑事裁判は大事故の原因究明や再発防止を目的とするには決して適切ではないが、現状はやむを得ない。
 
 
<東電強制起訴・無罪判決>識者の視点(上)/ムラの思考に無批判
  河北新報 2019年9月24日
 
◎元京都地検検事正・弁護士 古川元晴氏(77)
古川元晴(ふるかわ・もとはる)1941年、神奈川県生まれ。東大法学部卒。内閣法制局参事官などを経て広島、京都両地検の検事正を務めた。2011年から弁護士。著書に「福島原発、裁かれないでいいのか」(朝日新書)。
 
 津波により原発事故が起こる危険が予測され、どれだけの根拠があれば事業者に対策を義務付けられるかが問われた。原発事業者は高度の注意義務が課されていると解するのが市民の常識のはずだが、判決はそこを論じていない。社会への重大な危険を軽視し、原発の稼働を重視した判断だ。
 東電の無責任体質がよしとされれば、将来また事故が起きかねない。判決は事実上、事故当時の原子力ムラの考え方を「社会通念」として無批判に採用した。全体として極めて不当な内容になっている。
 この事故は当初から強制捜査の必要性が指摘されていた。結局、検察は強制捜査をせずに不起訴処分にしたが、厳正な処理とは評価できない。一方、検察審査会が使命を適切に果たし、公開の裁判で審理されたことは高く評価すべきだ。
 事故後、複数の事故調査委員会が報告書を出し、特に国会事故調報告は「事故は人災」と断定した。だが、関係機関の誰も全く責任を問われない状況が続く。
 責任追及の場は司法しかないのが実情なのに、今回のように市民感覚と乖離(かいり)した判断が出る。事態は深刻で、国家の重い課題と捉えなければならない。
 
 
<東電強制起訴・無罪判決>識者の視点(下)/教訓よりも経済追認
河北新報 2019年9月24日
 
◎大阪市立大大学院教授 除本理史氏(48)
除本理史よけもと・まさふみ 1971年、横浜市生まれ。一橋大大学院経済学研究科博士課程修了。2013年4月から現職。専門は環境政策論、環境経済学。日本環境会議事務局次長。著書に「公害から福島を考える」(岩波書店)。
 
 津波予見や事故回避の可能性を認めず、各地の民事訴訟判決から大きく後退した判断だ。東京電力福島第1原発事故の被害の重大性を裁判官が十分認識しなかったのではないか。被害者は納得できず、電力会社が「原発は安全」と説明してきたこととも矛盾する
 事故後、避難計画が不十分なまま原発再稼働が進む。裁判は過酷な避難を強いられた患者らの犠牲を取り上げたが、今も事故の教訓が生かされていない。判決は事業者や国のこうした姿勢を追認する内容だ。
 原発は安全対策費などのコストが膨らむが、電力会社には初期投資を回収したいとの思いもある。電力会社の姿勢には事故後も「経済優先」の意思が強く働いていると感じる。
 東電旧経営陣の場合、津波対策の必要性については現場担当者から繰り返し報告が上がっていた。経営者がどこまで現場からの問題提起を受け止め、対策を実行できるか。甚大な被害を引き起こす危険性のある事業の経営者は、正しくそれを判断する責任がある。
 真相解明や責任追及の場は刑事裁判だけではない。国会や政府、民事訴訟など各方面で継続して進めていくことが望ましい。
 
 
<東電強制起訴・無罪判決>識者の視点(下)/真実に光 裁判に意義
河北新報 2019年9月24日
 
◎サイエンスライター 添田孝史氏(55)
添田孝史そえだ・たかし 1964年、松江市生まれ。大阪大大学院基礎工学研究科修士課程修了。90年朝日新聞社入社。地震や原発の取材に当たり、2011年5月からフリー。原発事故の国会事故調で協力調査員として津波分野を担当。
 
 判決は原発事業者の最高経営層の責任や安全対策への姿勢、見識に触れておらず、被害者らが期待していた司法の役割を果たしていない。不親切だと感じる。
 司法が科学の不確実性を裁くことができるのか、ずっと疑問だった。国の地震予測「長期評価」の信頼性を裁判所が「ない」と断言してしまっていいのか
 地震の確実な予測は今の科学技術では不可能で、不確実さを前提にいかに対策を講じるかが重要だ。特に原発事業者は、万が一の事態にも備えが求められる。
 38回の公判では、刑事裁判で初めて明らかになったことがとても多かった。東京電力の社内メールや会議の議事録が証拠として提出され、旧経営陣の意思決定について誰が何を言ったのかなどの詳細が分かった。
 本来であれば、政府や国会などが設置した事故調査委員会がしっかりと務めを果たすべきだった。事故調の失敗も、今回の事故の大きな教訓の一つと言える。
 刑事裁判が開かれなかったら、原発事故全体の真実が闇に葬られていた。事故の全貌が明らかにされた裁判は意義があり、告訴・告発をした市民や「起訴すべきだ」とした検察審査会の功績も大きい。