2019年10月2日水曜日

02- 関電マネー還流 “ドン”の原発御殿と疑惑の手数料ビジネス

 高松町の元助役・森山栄治氏の豪邸の様子を日刊ゲンダイが報じました。
 それは森山氏が高浜町役場に入ってから4年後の1973高浜原発1、2号機の建設が着手された時期に作られました。
 森山氏は、1983年に助役を退任後、さまざまな会社の取締役や相談役に就いたほか、1983から2010年まで教育委員会に所属していました。
 今から十数年ほど前、教委幹部が関係者を対象とした研修会を主催した際に、会場が貧弱だとして『オレを何だと思っている!』と激高し、急遽向かい側の高級ホテルに変更させたことがありました。これは有名な話として伝わっているということです
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関電マネー還流 “ドン”の原発御殿と疑惑の手数料ビジネス
日刊ゲンダイ 2019/09/30
 関西電力幹部らの“原発マネー還流”問題は闇が深すぎる。20人の関電幹部らは2017年までの7年間で、高浜原発が立地する福井・高浜町の“ドン”で元助役の森山栄治氏(今年3月に90歳で死去)から計3・2億円もの金品を受領。さらに、八木誠会長は06~10年にも森山氏から商品券などを受けていたことが発覚した。地元関係者は「この程度では終わらないだろう」と口を揃えるが、森山氏の豪邸周辺を取材すると、氏がいかに“太く”稼いでいたのかが垣間見える。
 
 森山氏の自宅は、JR小浜線三松駅から15分ほど歩いた地区に位置する静かな住宅街にある。広大な敷地を取り囲む高さ約2メートルの塀が、周囲に並ぶ古い日本家屋や小さな旅館の中で異彩を放っている。
「森山」の表札がかかった黒い門の奥には、平屋建ての木造日本家屋が鎮座。真っ白なコンクリート造の2階建ての建物も隣接している。
 さらに敷地の隅には、三角屋根で高さ3~4メートルほどの土蔵が立つ。手入れされた松やモミジの庭木が塀に沿う形で植えられ、かすかに色づいていた。庭には複数の石の灯籠まで立っている。古きよき“日本の豪邸”といった風情だ。
 登記簿によると、土地は約1000平方メートル。敷地内の日本家屋の床面積は181平方メートルで、コンクリート造の建物は1階部分が同151平方メートル、2階部分が33平方メートルだった。土地を取得したのは、森山氏が高浜町役場に入ってから4年後の1973年。高浜原発1、2号機の建設が着手されたタイミングだ。
 
「原発誘致に貢献した」(地元関係者)とされる森山氏は今回、地元建設土木会社「吉田開発」から手数料として計3億円を受領。「手数料は、関電の事業を優先的に特定の業者に受注させた見返りじゃないか。森山氏は吉田開発以外の複数社からも、手数料を“徴収”していたとみられている」(前出の地元関係者)との指摘がある。
 森山氏は高浜原発の警備を行う警備会社「オ―イング」(高浜町)の取締役も務めていた。関西地方の原発プラント関連会社でも一時期、相談役として迎えられていた。豪邸建設の原資が“原発マネー”だとしたら、森山氏は「ド悪党」だが、近隣住民の評判は意外に悪くない。
「森山さんは、大きな仕事を地元に持ってきてくれていたのに、特に偉ぶった様子もなく紳士的やったわ。今回の一件は何となく皆、知っていたけど、気づかないふりしてきたんや。表沙汰になってしまって複雑ですわ。何があろうと、町の発展のために力を尽くしてきた人なのでね」(近隣住民)
 
■激高ぶりに町役人は恐々
 一方、地元政界関係者の発言からは「紳士的」からはほど遠い森山氏の“正体”がうかがえる。
「森山さんは1987年に助役を退任後、2010年まで教育委員会に所属していました。今から十数年ほど前、教委幹部が関係者を対象とした研修会を主催したのですが、会場が高級ホテル向かいのビジネスホテルの会議室だった。これに森山さんは『何で向かいの高級ホテルじゃねえんだ』と激怒。『オレを何だと思っている!』と怒りが収まらず、縮み上がった教委幹部は急きょ、会場を向かいのホテルに変更したそう。有名な話です」
 
 商品券を受け取っていた八木会長は「返そうとすると激高されたため、自宅で保管した」と釈明。森山氏の“パワハラ”体質に、関電幹部も参っていたのだろうか。